2007年8月27日月曜日

木々に惹かれて伊勢参り

一本一本がご神木と殊更に祀られていなくても、それぞれの木に何か宿っていそうだった。2000年以上もの歴史があるというこの場所。それぞれの大木は何を見つめ、何を感じてきたのか。 外の世界とは切り離された「聖なる空間」にあっても、そこを訪れる人たちの運ぶ空気で時代の変化を感じていることだろう。








参拝する前に心身を清める場所、五十鈴川。 緩やかな下り坂になっていて、吸い込まれるように川辺へ降りてゆく。 神宮なのに仏教を持ち出すのは的外れな連想なのだろうが、つい、三途の川ってどんなだろう、と考える。帰ってからから、きゃしぃに話すと、 「三途の川、渡り切ったらだめですよ、向こう岸に着いたらターンして帰って来ないと。」一体、三途の川をクロールで往復した人がいるだろうか。







とても居心地がよさそうに見えた。彼(女)はどうやってこの葉までたどり着いたのか。どこから来て、この先どこへ行くのか。









神鶏というらしい。 たくさんいた。神楽殿でお守りを選んでいるお母さんの手を引っ張り、小さな女の子が「ねえ、鶏がいるよ!」「鶏!」「あそこに、鶏!」  お母さんは生返事。 やっと振り返って見たかと思えば素っ気なく「そうね、鶏ね。」入り口の方からやって来た女子高生の一団は、キャー鶏!と盛り上がっている。 お母さんもあのくらい反応してあげたら嬉しいだろうに。








伊勢への道中あちこちで花盛りだった、百日紅。さるすべり、と平仮名で書くとコミカルな映像が浮かぶが百日紅という漢字は、しっとりとした風情によく似合う。恥ずかしながら、実は旅の間、この花の名前がわからなかった。後日、母に写真を見せると、「百日紅ね。」
そういえば、母は千歳烏山のお蕎麦屋さんでいただいた美味しい夏の魚「たかべ」の話をしたときも当然のように知っていた。









「帰り道→」と、迷わないように教えてくれるのが なんだか日本らしい。標識もなく、神宮の森に迷い込むのもまた面白そうなのに。ひんやりとした森を歩き、ヒグラシが鳴いて日が暮れて、「出口は一体どこなんだろう。」