2009年7月21日火曜日

1928年

1928年には色々なことが起きている。

アンドレ・ブルトン『シュルレアリスムと絵画』、『ナジャ』出版
ジャン・コクトーのGiorgio de Chirico 論『世俗な神秘』出版
モーリス・ラヴェル『ボレロ』初演

この辺りの年表をつくっていて、
ふと ウィキペディアで「1928」を調べてみた。

日本語のページを見れば、

コカコーラがヨーロッパに輸出されたこと、
1月に相撲のラジオ放送が始まったこと、
7月にイギリスの女性参政権を認める法が施行されたこと、
9月にペニシリンが発明されたこと、
10月に蒋介石が国家主席になったこと、

など。

時代感覚のずれが不思議


そして、ウィキペディアの各国版の違いも面白い。
日本語版は、出来事の後に、この年に生まれた著名人のリストがあり、
スペイン語版は、何日という日付まできっちり書き込んだ上で、すべてが時系列順に並べられており、
フランス語版は、アフリカ、アメリカ、アジア、ヨーロッパと出来事が地域別に区分されている。

ナワトル語版は、たった一行。何が書いてあるのかわからないのが残念。

2009年7月17日金曜日

メキシコ20世紀絵画展(世田谷美術館、8月30日まで)

先週末、世田谷美術館で開催されているメキシコ20世紀絵画展を見に行った。

メキシコの国立美術館で見たことのある絵もあったけれど、
なかなか普通では見られない作品も来ている。

展示は、

第一章:文明の受容 (歴史的事件、当事者; 愛国心の寓意)
第二章:文化の発信 (国内向け;国外向け)
第三章:進歩 (社会的側面;美的・様式的側面)

と三つのセクションに分かれている。

同じ作者の作品が複数のセクションに分かれていることもある。
気になった作者や作品があれば、
全部見終わってから、部屋を出る前にちょっとさかのぼって
入り口でもらうリストを頼りにしながら、その人の作風の変遷を見てみるのも面白い。

それから、ちょうどこの時代のことを調べていることもあって、
もっと説明があったら面白いだろうと思う事柄もある。

1910年、メキシコ革命が始まる。

1911年、美術学校で、古びたカリキュラムに反対してストが起こり、
 そこから、「野外美術学校」の試みが始まった。
 革新の意志と、外に飛び出したことから、印象派のようなスタイルで描くように。

1920年代は、さらに「印象派」からの脱却が模索される。(「印象派」的なものも、まだある。)
 
 革命後の制度化を進める政府に後押しされたのが、リベラ、シケイロス、オロスコらの壁画運動。
 政治性を帯びることを拒んだのが、ロサーノやタマヨ、アンヘルらのグループ。

 リベラらは国外でも有名になり、アメリカ合衆国でも壁画の制作や展覧会を重ねる。
 タマヨは、リベラらとは別の路線で制作を続けたが、ニューヨークで大活躍。
 

1940年、メキシコ市で「シュルレアリスム国際展」が開かれる。
メキシコの画家たちの中には、
その展覧会のためにシュルレアリスム風の絵をわざわざ描いた人もあったらしい。
 (オロスコ・ロメロの「夢」(1940)は、この口か?)

ほかに感じたこと。

アグスティン・ラソの絵が来ていない!

サトゥルニノ・エランの絵。
デッサンがしっかりして、筆致は「ヨーロッパ風」にも見える。
題材は、メキシコの「現実」を扱っている。
1920年以前に描かれた彼の作品と、
1920年代の二つのグループを比べると面白い。


北川民次の「花」がとてもいい。
メキシコと日本に共通する、どこかしみじみした感じが
滲み出ているように思った。

2009年7月13日月曜日

複合なぞかけ

「1, 2, 3, 4, 5, 6, 8, 9 」 とかけて 「日の入り」 と解く。


その心は、


Sans sept.

2009年7月9日木曜日

時が流れて砂が落ち

バロックの詩の読者には常識なのかもしれず、
今ごろおどろいているのか?と言われるかもしれないけれど。

スペイン・バロック詩の、テーマ別にまとめたアンソロジーを読んでいたら
「亡くなった人の遺灰を入れた砂時計」をモチーフにしたものが
いくつも、いくつもある。


まだ消化しきれず、とりあえず衝撃の痕跡を。

2009年7月8日水曜日

へた栽培

にんじんのへたから、爽やかな緑色の葉が出ている。

切り落としたオレンジ色のへたは、
すぐに生ごみとなるはずだった。が、


「水栽培できるんだよ」
と言われてちょっと試してみたくなり、
積み木のできそこないみたいなそれを、
うすく水をはった容器に入れた。


数日すると、そっけなかった「へた」の頭から、
はえ始めた「吾子の歯」を思わせるような
芽のきっかけみたいなものが出てきた。

伸びること、伸びること。

すてるつもりで、できるだけ短く切り落とした「へた」に
これほどの栄養分がつまっているとは。

ぐんと伸びた茎の先についた中心の葉のほかに、脇をかざる葉まで出てきた。
土に埋めたい。
けれど、考えてみれば、根はとっくのとうに食べてしまったのだった。

さて。

2009年7月4日土曜日

「際」

「際」という字が気になった。

何かの果てである「きわ」は、
その向こう側にある何かとの接点でもある。

国際だとか交際だとか、
ボーダーラインを越えた結びつきを示す言葉も、
そういうところから来ているんだろう。

というところまで考えて、
白川静 『常用字解』 (2003, 平凡社)を開いたら、さらに面白い。

「際」の文字のでき方について。

こざとへんは、神が天に昇り降りするときにつかう梯子の形で、
つくりの「祭」と合わせて、その前の祭壇に肉を供えてまつることをいう、のだそうだ。

意味について。

“そこは天から降りてくる神と人とが相接する所で、
際とは神人の際、「きわ(接するところ。物事の窮きるところ)」をいう。
そこは神と人とが「であう」所であるとともに、
人が達することのできる極限のところをも意味する”


スペイン語で「際」に相当するような言葉は何だろう?


2009年7月2日木曜日

いるかを


photo by Solène


駆け足で駅までもう少しというところで、スーパーの外の花屋に笹が並んでいた。
もう、そんな季節だ。

二年前のこの時季、ソレーヌと水族館に行ったら、
出口のあたりに七夕飾りがあった。

2009年7月1日水曜日

半年の計は

一年の計は、元旦にあり。
半年の計は、7月1日にあり…

ということで、このさき半年の見通しを改めて立てよう。