2009年6月29日月曜日

「いのちの食べ方」

さらに遡って夏至の日、

ニコラウス・ゲイハルター監督のドキュメンタリー映画
『いのちの食べ方』(2008年)を見た。

肉や野菜が工業製品のように生産される。
効率を第一に設計された機械やシステムは、
幾何学模様のように美しい。

そこでは、人間が食べるという目的のためだけに
動物や植物の命が生み出され、
切り落とされる。

映像の美しさと、
そこで繰り広げられている出来事のおぞましさのコントラストが
(そして、その出来事が、
 毎日何かを食べて生きている自分にも無縁ではないということが)
不気味でしかたない。

この不気味なシステムが動きつづけるのを可能にしているのは、おそらく
1、効率・利益重視の経済 (経営者のレベル)
2、大抵のことならば、慣れて無感覚になれるという人間の特性 (生産現場で働くひとたちのレベル)
3、知らなければ、気にならないということ (消費者のレベル)

映画はまず、3に揺さぶりをかける。
あなたの食べているものは、こんな風につくられている(かもしれない)んですよ。

そして、観客が映像に見慣れて2の無感覚に向かってしまうかもしれないところを
うまく切り抜けている。そこがこの映画の不思議で巧みなところだと思う。
驚きに慣れさせてしまわないこと。


と、映画の感想のレベルでは言えても、
実際は食べなければ生きられない。
……。

世間知ラズ/ Sin conocer el mundo

先週の木曜日、メキシコ大使館へ
谷川俊太郎さんの詩集『世間知ラズ』スペイン語訳の
プレゼンテーションを聞きに行った。

この本は、谷川さんの詩のなかで
初めて日本語からスペイン語に直接翻訳されたものだそうだ。
訳したのは、メキシコ人で日本への留学経験もあるCristina Rascón Castroさん。

紹介された本は、Plan C editoresというところからSin conocer el mundoという題名で
2007年に出版された、バイリンガル版だ。
Foncaという、メキシコ政府の文化・芸術振興基金の助成を得ている。
メキシコはこういう文化制度が充実していると思う。

会での印象的ないくつかのコメントをメモ代わりに。
数日が経過しているので、記憶が変化していないことを祈りつつ。


・案内役のアウレリオ・アシアインさん
「谷川さんの詩がアンソロジーの形で訳されたのではなく、
 一冊の詩集として訳されたというのは、すばらしいこと。
 詩人にとって、詩集とはひとつの生き物のようなものだから。」


・翻訳者のクリスティーナさん
「一番注意したのは、(スペイン語圏の読者全体を相手にするために)
メキシコ特有の語彙や表現を使わないこと。」
 
「日本に特有のものが出てきても、
 説明的にならないように
訳すように心がけた。もっと知りたいと思う人は
 詩を読んだことをきっかけにし、そこを入り口として、自分で調べてもらえたらいい」


・谷川俊太郎さん
「詩の翻訳は不可能、というところを出発点としている。
 誤訳があろうと、超訳があろうと、まったくかまわない。
 スペイン語訳は、独立したひとつの作品と捉えている」

(もしも、世界に詩がなかったら?と問われて)
「別の星に移住していたでしょう、
 詩のある星に。」

2009年6月20日土曜日

ぬかみそにスペイン語

密封チャックつきの袋に入ったまま使えるタイプのぬかみそがあって、
袋の左端に、カタカナで「コミローナ」。

どうやら商標でもなく、会社名でもないようだ。

コミローナ comilona はスペイン語で
形容詞なら「食いしん坊」、名詞なら「ごちそう」。

なぜ(よりにもよって)ぬかみその袋にスペイン語が書いてあるのか。

検索したら何かわかるかもしれないけれど、
わけのわからないまま、きゅうりのぬかづけを食べている。

2009年6月19日金曜日

折り紙で水切り

ああだったか、こうだったか。これをこう折ったら、、、
試行錯誤の末に「つのばこ」が折り上がった。
紙は折り込み広告、行き先は台所の流し台。

さやかの家に行ったとき、
台所のごみの水を切るのに、新聞紙で折った箱を使っているのを見て
これはいい!と思ってから、すでに数ヶ月。

じめじめしたこの季節、水を切るのは特に重要、
と、思い出して作って使ってみたら、やっぱりとてもいい。
さやか、いいアイディアをありがとう。

箱の下には、プラスチックトレイを置いてみた。これなら、
流し台に紙がはり付いてしまう心配もない。


ただ、唯一思い出せたの箱型の折り方「つのばこ」は
「つの」の部分がちょっとヒラヒラして、ちょっと場違いな感がある。
もっと四角いのもつくれたはず。思い出そう。

2009年6月18日木曜日

ねむの木とクレヨン

家の近所に、ねむの木の花が咲いているのを見つけた。
緑の葉の茂るなかに、ピンクのシャラシャラ。

小さいころ読んだ「クレヨン王国」シリーズの第一巻で
さるすべりや、樫の木や、あとは何だったかさまざまな木が、
お兄さんやら妹やらおじいさんやらの設定で

出てくる章があった。

ねむの木は、たしか女の子だったと思う。

シャラシャラの花をつけた挿絵があったような
おぼろげな記憶がよみがえった。

2009年6月15日月曜日

谷川俊太郎詩集、スペイン語訳出版記念イベント

今月25日(木)夜の7時より、赤坂のメキシコ大使館で
谷川俊太郎氏の著作のスペイン語訳出版を記念するイベント(通訳つき)があります。

参加するには、大使館あてにメールまたはファックスでの予約が必要だそうです。
(前日、24日(水)まで)

連絡先を含め、詳細は以下の画像でご覧ください。
(画像をクリックすると拡大します)

2009年6月14日日曜日

詩と楽譜

ビジャウルティアの詩を改めてじっくり読み直しながら、
解釈する interpretar ということについて考えた。

解釈ができた(と思えた)ら、何と詩が「生きて」見えてくることか。

interpretar は、楽曲を演奏する、歌うという意味でもよく使う。
楽譜も、それ自体では単なる記号の羅列にすぎず、
interpretar されて初めて、記された音楽が「生きる」。

なんてことを考えていたら、ちょうど昨日
ずいぶん前に放映された番組『詩のボクシング』のアンコール放送というのがあって
その中で谷川俊太郎氏が、「印刷された詩は、楽譜のようなもの」と言っていた。

ただ、この場合の「印刷された詩=楽譜」は「詩の朗読=コンサート」と対置されたもので
詩は、声に出して読まれてこそ生きるのだ、という主旨だった。

番組の司会者やイベントの主催者のコメントには
とくに作者自身が読んだ場合が特別、という含みもあったように思う。

確かに、今まで聞いたことのある、作者自身による詩の朗読を思い出してみれば
文字で、自分で、黙読したときとは、まったく別物だったという感触がある。

じゃあ「印刷された詩」を黙読することに何の意味がある?
それは、味気のないもの?


オーケストラの指揮者がスコアを見ただけで全体の響きを「聞ける」ように、
あるいは、そこまで行かなくとも、
楽譜を読む訓練をしていたら、楽譜を見ただけでメロディーが「聞ける」ように、

それぞれの言葉と、言葉同士のつながりと、そのすべてが作る「全体」を捉えられれば
つまり「解釈」の意味で interpretar できれば、もう半分以上「演奏」に近づいていると思う。
あとは、それを音にできるかどうか、あるいは、音にするか、頭にとどめるか。

作者の朗読が格段に「いい」のは、作者の「解釈」がはっきりしているからだろう。

なんだ、「詩は解釈しなければならない」ということに戻るのか、
結局「頭でっかち」擁護か、
と思われるかもしれないけれど、それは強要するものではない。

ただ、楽器が弾けたら、歌が歌えたら面白いのと同じように、
詩を interpretar できたら面白い、と思う。


2009年6月12日金曜日

誰の耳?

音と意味する内容が一致するような言葉がときどきあるが
「ささやく」の場合は
whisper(英)、susurrar(西)chuchoter(仏)
どれも感じが出ている。

漢字もいい。

   囁く

口を寄せてそっと囁きを伝える先は、耳ひとつのはず、
だとすれば
あと二つの耳は、秘密にひかれて寄ってきた耳?

2009年6月11日木曜日

如雨露

ビジャルウルティアのごく若いころの詩に
涙と雨を重ね合わせたものがある。

llorar(ジョラール、泣く)という動詞の名詞形
lloro (ジョーロ、泣くこと)も使っていて

ジョーロ、
涙、
雨、
草木に降り注ぐ、

と連想は広がり、「じょうろ」の語を辞書で引かずにはいられなくなった。

「如雨露」
(一説にjorro ポルトガル語の転訛とする)草木などに
水を一面にかけるのに使う道具。桶状の水溜めと、
柄状の長い管の先に小穴のたくさんあいた頭があり、
そこから水を出す。じょろ。   (広辞苑)

スペイン語は関係ないらしい。
ではポルトガル語のJorro とは?

「jorro」
噴出、ほとばしり。
lloro de água: 水の噴出 (現代ポルトガル語辞典)


「一説」が正しいのか否かはわからないが、
如雨露という漢字を当てた人の感性が抜群だと思う。

2009年6月9日火曜日

風流

夜の井の頭線、急行吉祥寺行きにて。


「お知らせいたします。

 ただいま、東松原駅では
 あじさいのライトアップをおこなっております。 
 
 右側の車窓をご覧ください。」


2009年6月5日金曜日

文字通り

カラスたちはちょうど子育ての時期なのか
付近の電柱や家々の屋根で
チームを組んでの警戒態勢がしかれている。

活発なカラスたち。


そして。

ぱらぱら雨が降ったあと、
道路に、真っ黒な、
カラスの塗れ羽が落ちていた。

2009年6月1日月曜日

電子辞書蘇生

電子辞書を愛用している。

あるとき、なにかを引いた状態で右脇に辞書を置いていたら
勝手に動き出した。
見れば、 d の文字が勝手にどんどん打ち込まれていく。

パソコンでもなく、ウィルスが入るはずもないのに、、、
何を引いても dddddddd が邪魔をする。

裏のリセットボタンを押してみた。
直ったかと思ったのも束の間、dddddddddddd
恐ろしい。

そのうちに、キーボードがまったく利かなくなった。
d のキーすらも。

電池を抜いてしばし考え、
ああ、そういえば、ケースに入れずに持ち運んだ日があったと思い当たった。
そのときに接触がおかしくなってしまったのだろう。

ということは、もしかしたら、、、

どうせもう動かないのだし、保証期間はとっくに過ぎている。
えいえいえいと肩もみの要領でキーボードを押しほぐしてみた。
どうかなあと電池を戻し電源を入れると。

生き返った!


もうケースなしに持ち運んだりしません。