2008年7月26日土曜日

軽快なリズム



「やれやれ ようやくできたな」
「あれ?見てみろよ、看板と逆じゃないか?」
「あっ」

2008年7月17日木曜日

トランペットを聴きながら

先日見つけたインターネットラジオが気に入っている。
AccuRadio
という局。チャンネルが豊富で、しかもかなり細分化されている。
http://www.accuradio.com/

たとえばクラシックチャンネルでは、

ヨーロッパのオーケストラ特集、ブラームス特集、交響曲特集、オーボエソリスト特集など、
さまざまな特集が選べる。

今朝はトランペットソリスト特集をかけている。
今までこうしてトランペットソロのある曲をたくさん聞いたことは一度もなかったので、とても新鮮。


ちなみにジャズチャンネルを見たら、ピアノ特集のアーティストリストには、

セロニアス・モンクやビル・エヴァンスらに混ざって、Hiromiの名があって、つい嬉しくなった。


2008年7月15日火曜日

夢見る小麦

Albert Béguin 著、『ロマン的魂と夢』を読んでいて、
こんな引用に目を引かれた。
ドイツの生物学者、G.R.Treviranus (1776~1837)の文章。

「小麦の粒の中には、根や茎や葉や穂のもととなる胚があるわけだが、
その粒は、根や茎などになることを夢見たことがあるだろうか、
自分の中に隠されており、成長する可能性を持ったその胚について意識することができるだろうか、
という問いを発した人たちがいる。

小麦の粒が胚を意識しており、それを実際に夢見ているということは、間違いない。
そのような意識は、かなり漠然としたものかもしれない。
しかし、その意識や夢がなければ、生命はない。」
    (
出典:スペイン語版 El Alma romántica y el sueño、FCE刊、1996年、p.114.)


米を研ぎながら、風を受けて端整に青々とそよぐ田圃を思い浮かべた。 
 

2008年7月4日金曜日

どこまでがOccidente?

メキシコで「私たちの西洋文化(Cultura Occidental)」という言い方に違和感を覚えたことがある。
西洋というとヨーロッパ(特に西欧)とアメリカ合衆国・カナダ辺りの
所謂「先進国」を、なぜか思い浮かべていたから。(『西洋の没落』などの影響?)

メキシコはOccidenteなの?と聞いたら、
植民地支配以降、言葉も教養文化も、Occidenteのものが入ってきたのだからOccidenteだ、
ただしtercemudista(第三世界の)だけど、とアイロニーを交えた返事がかえってきた。

確かに、言葉(そして思考)、宗教(そして習慣)から、芸術、食文化、などを考えてみると
メキシコにはOccidente的要素が大いにある。

さらに考えてみれば、Oriente(東洋)という言葉にしたって、それが含んでいるものは多種多様だ。


広辞苑を引いてみた。

西洋: ヨーロッパ・アメリカの諸国を指していう称。欧米。泰西。⇔東洋

東洋:①トルコ伊東のアジア諸国の総称。特に、アジアの東部および南部、
    すなわち日本・中国・インド・ミャンマー(ビルマ)・タイ・インドシナ・インドネシアなどの称。
    ⇔西洋。
    ②中国で、日本を指す呼称。

スペイン王立アカデミーの辞書も引いてみた。

Occidente: 合衆国および、基本的に同じ社会・経済・文化のシステムを共有する
       様々な国々から構成されるまとまりのこと。
(Conjunto formado por los Estados Unidos y diversos países que comparten básicamente un mismo sistema social, económico y cultural.)


Oriente:アジアおよび、ヨーロッパとアフリカの、アジアに近接する地域のこと。
(Asia y las regiones inmediatas a ella de Europa y Africa.)


2008年7月3日木曜日

尖ったタクシー

雨季の午後、病院からメトロまでタクシーに乗った。

最初に目についたのは、ハンドルとシートベルト。
赤と黒の揃いの革風カバーがかかっている。ちょっと尖った感じのチョイス。

運転手さんは少し強面、体格も逞しい。ちょっと斜めのミラーにうつる目は視線が鋭い。
タクシーメーターをつけなかったので、値段を先に聞いておいた。

ハンドルとシートベルト、かっこいいですね、と言ってみた。視線が少しやわらぐ。
次いで、かかっていたUniversal radioのことを話し、
それからミラーの横に見える何やらの機械について聞いてみた。

これはね、画面だよ。順番待ちの列で、見るんだ。
ここにディスクを入れて、全部手元で操作できる。
テレビも見られるんだよ。

続いてスピードメーターなどのあるパネルに置いてあった
アメフトのヘルメットのミニチュアを取り出して見せてくれた。
聞けば、昔はアメフトをやっていたとのこと。

初めてガツンとぶつかったときのこと、などなど聞いているうちに
雨の渋滞も抜けてメトロに着いた。

と思ったら…

実はね、このステレオはバージョンアップできるんだよ。
普通のカーステレオだけの状態から、まず車の後ろのスピーカーON、
そして何やらスイッチを押すと、高音領域が際立ち、続いてバスがぶんと太くなる。

はい、メトロだよ。
ちょっと照れくさそうに笑った運転手さんに、お礼を言って車を降りた。

2008年7月2日水曜日

三角定規で平行線を引くような

旦先生、石井先生。
20代の頃の話を聞いてしまいました。
この国での日々をどんな風に過ごし、何を考えていたのか、
今日聞いた断片からいろいろ想像しています。


1989年発行のMÉLI-MÉLO(08号)も貸していただきました。
目次だけ転記させてください。

今福龍太 「J・M・G・ル・クレジオ -物語としての民族誌-」
管啓次郎 「対話によるエスノグラフィについて」
加藤正英 「ヴァナキュラー・ポリティクスは可能か?」
赤間啓之 「分類に物語がつくれるか?」
Andrew Brown 「Love stories」
Gabriel Weisz Carrington 「Mathematics of Introspection」
港千尋 「HANDS (1988)」
村田千春 「白菜の父」
旦敬介 「おはよう、フリーダム・ビーチ(上)」

ページをめくるたびに、
錚錚たるメンバーの現在の言葉や声の描く線に三角定規を二つあてて、
時を戻して平行線を引いてみているような (それは平行ではないかもしれませんが)
不思議な感じがします。

そして、(身の程をわきまえずに) ライバル心をも抱きました。

2008年7月1日火曜日

おじいさん運転手さん

Revoluciónを渡ったところで、ちょうどよく目当ての行き先のmicrobusが来た。
"San Angel, por favor"とコインを渡すと、
ゆっくりと受け取ってくれたのはがっしりとした皺だらけの手。
外見や仕草から見るに、ゆうに70代後半を越しているに違いない。

おじいさん運転手さんは、
通り過ぎるバス停の名をひとつひとつ声高にアナウンスしてくれ、
 (普通、アナウンスはない。初めての場所へ行くときは、着いたら教えてくださいと頼んでいる。
  そうでないと、自分がどこを通っているのだかさっぱりわからない)
次々乗り込む客の行き先を告げる声に、ひとつひとつ言葉を返していた。

仲間のバスとすれ違えば、男友達同士がガシっと抱き合うような格好でゆったりと腕を上げる。
(もちろん、片手だけ。もう一方の手はハンドルを支えている)

これまで何キロの道のりを、何人のお客さんを乗せて走ってきたのか、
歴史を刻んだ太い木の幹のようなどっしりとした運転手さん。

フロントガラスには、
運転手さんと同じお茶の水博士のような髪型 (しかも白髪)の、
笑顔のバービー人形の首がぶらさがっていた。
それもどこかユーモラスでいい感じだった。