ラベル メキシコ雑記 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル メキシコ雑記 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2012年9月17日月曜日

本の値段

日本で出版される本を見ると、カバーの部分に定価が印字されているけれど
メキシコの本には、それがない(ただし、ISBNを示すバーコードは印字されている)。

本全体を包む薄いビニールのカバーの上に値札がついていることが多く
それがない場合は、店員さんに尋ねれば
バーコードをつかって、あるいはタイトルと著者から検索して、いくらか教えてくれる。

本の価格は、古書店でなくても、書店によってかなり違う。
(私は数回しか利用したことがないけれど、El Sótano は比較的安いと聞く)


また、大手出版社・書店のFondo de Cultura Económicaの場合だと、
出版されてからある程度時間が経つと(1年?2年?詳しくはわからない)
値札シールに二行目が出現、
そこには新刊本の値段から10%割り引かれた数字が印字される。


それから、上記のFondoや、Siglo XXI、Porrúa, それに大学の出版局などの
直営書店の場合には、
メキシコの大学が発行した学生証を会計の際に提示すれば、
それぞれの出版局が出した本は、かなり大きな割引率で購入することができる。

 たとえばメキシコ国立自治大学(UNAM)の場合には、
 半額に、あるいは25%引き(共同出版の場合)になる。

メキシコ市に留学したときの実感からいうと、
あの町で生きていく上で最低限必要な諸経費(食費、交通費、住居費など)に比べると
書籍の値段はだいぶ高いので、学生には嬉しい配慮だと思う。


今回のメキシコ滞在中、8月30日にFondoの書店で Venta nocturna という催し
(夜の大売り出し、とでも訳せるだろうか)があった。
6時ごろから始まり、夜の12時までで、
Fondoの出版物は40%引き、ほかの提携各出版社の本も大いに値引きするというもの。

メキシコ市でもっとも大きなFondoの支店、Rosario Castellanos店(Av. Tamaulipas)に行くと
店内は、日本のデパートのバーゲンセール、レディースフロアーぐらいに混んでいて
仮設レジがいくつか用意してあったにもかかわらず
各自何冊も抱えて並ぶ大勢の列はなかなか進まず、結局40分か50分ぐらい待った。

レジ待ちの間、なにやらトークショーのようなものが聞こえてきた。ある女性客のコメント:
 -メキシコ人には本を読む人が少ない、なんていうけれど
  そんなことを言う人には、この光景を見てほしい!

そういえば、毎年、旧市街(の、Palacio de Mineríaだったか?)で開催されている
ブックフェアに行ったときにも、ほんとうに大勢の人が来ていることに目を見張ったことがある。


文化が、そして読む、知る、考えるということが、
それを楽しみたいという思うすべての人にとって手に届くものになるチャンスがあるのはいい。








2012年9月16日日曜日

ぷてぃんてたはどこにいる?

三年ぶりにやっと会えたヒメナは、また新たな作品を刊行していて、 
そして今や、ふたりの女の子のお母さんだった。

ルシーアは幼稚園に通い始めたばかりで、
部屋を案内してくれたり、踊ってみせてくれたり、ぴょんぴょん跳ねたり、何とも活発。

おしゃべりざかりなのだけれど、
まだ舌足らずで、
"s"や "r"の発音が難しいらしく、"t"で代用している。
プリンセサ[おひめさま]は、ぷてぃんてた。

"t"の音だらけのスペイン語は、私にとっては暗号のようで
ルシーアのおはなしを"聞き解く" には
状況の文脈と、かのじょの仕草をじっくり見る必要があった。


いっぽうのイサベルは、ようやくつかまりだちができるぐらい。

ヒメナが "?Dónde está Isabel?"(イサベルはどこにいる?)と優しく言うと、
イサベルはちいさな両手を顔に寄せ、「いない、いない」のしぐさをする。

"?Dónde está?" と、再びヒメナ。
イサベルの手は、まだ顔のあたりにある。

そして、ぱっとどける。
"!Ahí está!"  そこにいる!と、ヒメナ。
イサベルの顔が、ぱあっと明るくなる。



ヒメナの新刊は、こんどは小説ではなく童話。
メキシコの神話と現代メキシコの現実を重ねあわせ、
こどもたちが生き抜く知恵をそっとささやいて教えるような作品らしい。
何ということか、手に入れそびれて帰って来てしまった!

2012年9月14日金曜日

agua, hot water そしてお湯!

今回は、メキシコ・ベニートフアレス国際空港→ダラス・フォートワース空港→成田空港
という経路で帰ってきた。
(ちなみに、アメリカン航空のダラス経由で行けば
 メキシコ/日本間、乗り継ぎ地で預け荷物を
 いったんピックアップしなくていいことを知った。とても助かる。)


それぞれのトイレで手を洗ったときの印象。


メキシコ市…あいかわらず少なめ、でも必要十分の水量

ダラス…ぬるま湯、9月でも温めるのか

成田…さらにあたたかい、こんなに蒸し暑いのに!そしてものすごい水量、もったいない


メキシコに初めて留学した2005年夏には
水道から出てくる水の量が少ないのは不便だと感じたけれど(特にシャワー)
いつの頃からか、あれでちょうどいいと思うようになった。

おそろしい時代のように「贅沢は敵」、なんていうことは言わないけれど、
"必要十分"が選択できるようだと嬉しい。


時差・時刻

メキシコに半月ほど滞在してきた。
あちらはまだサマータイム実施中。
朝は7時でもまだ薄暗いけれど、夜は7時半すぎまでは明るかった。
午後がたっぷり使えて助かった。

東京に戻って半日、
時差のずれに、もちろん体はまだ適応しておらず
朝5時半に目が覚めた。
が、もうだいぶ明るくかったので、
気分としては、その時点ですでに朝7時半ぐらい。
東京の太陽時刻にうまく調整 ajustarできているなら嬉しい。

2011年9月15日木曜日

夜道の黒犬

最近、早く日が暮れるようになった。
メキシコシティでのある出来事を思い出した。

2005年の夏から半年ほど暮らしていたメトロCopilco駅近くの家の近くは
車道も歩道も、あちこちガタガタ舗装がいたんでいて、
そこを、やせ犬が何匹もうろうろしたり寝そべったりしていたものだった。

はじめのうちは、なんだか恐ろしい気がして
犬の姿が見えたら、そっと距離をとったりしていたものの
実は彼らはまったくおとなしくて、そのうち、警戒心はすっかりとけた。

ところが油断しすぎたのか、
ある日の夕暮どき、だいぶ暗くなってきたころに、
いつも犬が寝そべっているあたりの歩道をずんずんまっすぐに歩いていったら
(たぶん、私の気に入っていた近所のカフェに行くところだった)

ふわ、というか、ぶわ、というか、
ごり、ではなかったと思うけれど
地面におろした右足が何かを踏んだ、

その何かとは、黒い犬の尻尾であって
暗がりにいた黒い犬のことが、私には見えていなかったのだった。

ぎゃ、噛まれる!
と、さっと血の気が引くのがわかったけれど、

その黒犬は、クゥといったか、グゥといったか、ギャンといったか、とにかく
痛いよという悲鳴をあげただけで、
それ以上何のアクションも起こさなかった。

そこで、私は咄嗟に日本語で、
あああごめんね、ごめんね、
暗くて黒くて見えなかったの、ごめんなさい、と謝って
(いま思ってみれば、これは謝罪ではなく、言い訳だ)
その場を去った。

次の日、明るい光のもとでその黒い犬を見かけたとき
もう一度謝ってはみたけれど、あのとき以来、すっかり警戒されるようになってしまった。

夜道は、黒い犬に気をつけて歩こう。
尻尾を踏んでしまわないように。



2011年9月8日木曜日

2008年11月12日

本棚の整理をしていたとき
Elena Poniatowskaの短編集、De Noche vienes(1979)を開いてみた。

2008年の秋、
メキシコシティのコンデサ地区にある、こぎれいで洒落たつくりの大書店
Fondo de Cultura Económicaの「Roario Catellanos」店で
別の本(なんだったか…)を買ったときに、レジで、もらったもの。
背表紙には、「販売禁止」の文字。

どういう経緯で無料配布していたのか
情けないことに、当時はちゃんと確認してみなかった。

三年越しに本のただし書きを読んでみたところ
これは1980年から続いている試みで、
毎年11月12日(メヒコの誇る才媛/詩人であるソル・フアナの誕生日)を
「本の日」と定め、良書(…と言っても定義は難しいが)を読む習慣を広めるべく、
著者や出版社の協力を得て、毎年、一冊の本を特別に印刷して
書店員や編集者が配布している。
(未来の読者に手渡す、という感じだろう)

奥付の発行部数を見たら、35,000部という大きな数だった。

こうした試みの裏にだって、いろいろな駆け引きがあるのかもしれないけれど、
自分が身を置いている、このくにの暦のなかで、
「~の日」と名づけられた、休日になったりならなかったりする
(そして、日付けが決まっていたり、可動式にされていたりする)
数多くの記念日のあり方について、考えさせられる。


2011年3月8日火曜日

逞しさ

週末に、二日続けて
メキシコで遭ったひったくり被害(2008年夏)についてしゃべる機会があった。

(しゃべる機会と言っても、公にではなく、ともだちとの会話のなかでのことで
両日とも、メキシコへ留学したときのともだちに会ったのだった)

ひったくりに遭ったときの状況について。
とられたものについて。
運悪く、ひとに借りていたものを二点も持っていて、
(デジカメと、貴重な雑誌)
それもとられてしまったこと。
私がかばんを取られまいと抵抗したために、ひどく蹴りをいれられたこと、
被害届を出しに警察に行ったときのこと、、、


日曜日、二回目にこのことをしゃべったときに、
前日は思い出さなかったあることを思い出した。

家に戻ると、
家主のセシリアの友達のおじさんが、
家の修繕をてつだいに来たらしく、玄関で作業をしていた。

「元気かい?」とお決まりの挨拶をされ、

がっくりしながら「まあまあです」と答え、

「実はこんなことがあって、、、
 (中略)
 あんな目に遭ったのは、初めてでした、、、」

と話すと、おじさんは言った。

「どんなことでも、初めてというのがあるからね。」



この話をしたら、留学時代のともだちは口を揃えて
「おお~、さすがメキシコだね!」

受け取りようによっては、
おじさんのコメントは皮肉にも聞こえるかもしれない。
でもそのことばを聞いて、当時の私は、確実に、力を取り戻した。

くよくよ考えずに、
自分が知らず知らずのうちに油断していたことを前向きに振り返って、
「二度目」には決して遭わないように暮らそう、という気になった。

私がメキシコに感じる魅力のひとつは、
あのおじさんの返事に凝縮されているようにも思える。

いやな目にあったり、つらい状況にたたされたりしても
それをひとまず受け入れた上で、先に進もうとする逞しさ、
とでも言ったらいいだろうか。


そのような逞しさを持ったひとたちは、
世界中に、そしてもちろん日本にもいるだろうし、
私は、たまたま、それをメキシコで強烈に感じただけなのだろうけれど。

2009年9月15日火曜日

今ごろメキシコでは

メキシコは、きっと町中が国旗だらけだろう。

9月16日の独立記念日に向けて、8月末ぐらいから、
あちこちに国旗カラーや国旗グッズが目立つようになる。
当日は、ほっぺたに国旗ペイントをするスタンドが立ったりもする。

最初にメキシコ暮らしをしたとき、
こんなに国中が国旗があふれるなんて、と
ドイツ人のアンナと、日本人の私は驚いたものだった。

ドイツでも、ナショナリズム的な感情をこんな風に表現することには
やはり抵抗がある、とアンナは言っていた。

メキシコの公立の小中学校では、
毎週、国旗掲揚があって、成績優秀な生徒が旗手となるらしい。

国旗をパロディー化した図案をつくったり、国歌の替え歌をつくったりすれば
厳罰に処されるらしい。

という話を聞くと、ちょっとすごい…と思ったものだが、
留学生として暮らした限りにおいては
国旗の扱いにしても、メヒコ!という叫びにしても、
家族を大切にするのと同じくらい自然な、
そんな種類の「祖国愛」の表現のように感じられた。

メキシコ国歌は、夜にラジオをよく聴いていた私にとっては
深夜零時を知らせるメロディーになってしまっている。


2009年8月13日木曜日

緑の勝利

昨日、メキシコ対アメリカのサッカーの試合があった。

領土の多くを奪われた歴史や、不平等な貿易関係、移民労働者の問題など
さまざまな理由によって、
メキシコでは強い反米感情を持っているひとが少なくない。

アメリカ代表チームは、
宿舎から競技場まで厳重な警護体制のもとで移動したそうだ。
競技場の内外も警官だらけ。

試合開始は午後3時。
メキシコ市では昼食の時間に当たる。
こうした対戦の試合を夜にしないのは、危険回避の一策らしい。

試合が始まってからしばらくして、
近所に「ゴーール…」の声がぽつんと響く。 
アメリカの先制。

またしばらくして、
「ゴーーーーーーーーーーーーーーール!!!!」に拍手。
今度はメキシコが同点ゴール。

さらにしばらくして、
「ゴーオオオオオオオオオオオオオオオオオル!!!!!!!!」拍手拍手拍手
メキシコがついにリード。

さらにしばらくして、ただ拍手だけが響いた。
メキシコの勝利で試合終了。

試合を見ていなくても、なんとなく予想はつくのが面白い。

夕方、付き添いで病院に行ったら、受付の男性も
メキシコチームの緑シャツを着ていた。

2009年3月12日木曜日

冬のおくりもの(メキシコ書きそびれ記:6)

北米大陸に位置するメキシコでも、クリスマスプレゼントを贈る習慣が広くいきわたっている。

ただし(スペイン由来の)伝統的には、12月25日の誕生祝いではなく、
東方三賢人Reyes magos がイエス Jesúsに贈り物を持ってやって来た1月6日に贈り物をする。  

みなが両方の日にプレゼントをあげるのか、それは贅沢と思ったら、
実は住み分けがあって、
地理的には、北のほうではアメリカ式が多く、南の方ではスペイン式という分布があって
それと同時に、
富裕な層ではクリスマスプレゼントをおくり

庶民的な層ではReyes magosのお祝いをするのが一般的、とエドゥが教えてくれた。

おもちゃの価格なども、12月には高く、1月になると下がるのだそうだ。

1月5日の夜、Reyes magos の市が立つというので連れて行ってもらった。
11時すぎだったか、こんなに遅くていいのだろうか、と思ったら、
市はプレゼントを買いに集まった人たちで大賑わい。

おもちゃ、人形、おかし、洋服、小物、CD、アクセサリー、そして食べ物の屋台、、、
ずらりと並ぶ露店の列と列の間が通路になっているけれど、
ようやくすれ違えるくらいの狭さ。はぐれないように、みな手をつないだり、服につかまったりしている。

あれこれ見ているうちに、人出はさらに増えた。
聞けば、夜も更けて2時、3時ごろになると価格が更に下がるのだそうだ。

家族連れ、こども連れで来ている人も多かった。
家には、さらに小さなこどもたちがぐっすり眠って翌朝を待っているのだろうか。

2009年3月8日日曜日

しずかな会話(メキシコ書きそびれ記:4)

年末のこと。
メキシコ市の Museo del Papalote パパロテ-こども博物館で開催していた

企画展 Diálgo en silencio -comunicación no verbal
-
(しずかな会話-非言語コミュニケーション)に行った。


入場する前に、スタッフから説明があった。


これから先、音もことばも、一切なくなります。

耳の代わりをするのは、あなたの目。

ガイドの指示を よく気をつけて見ていてください。


「元気?」「元気です」「はい」「いいえ」「ありがとう」「さようなら」の手話を
一通り教えてもらった後に、ガイドのマウリシオさんが登場。

笑顔で挨拶。
彼は耳が聞こえない。
身振りと表情の説明にしたがって、遮音ヘッドホンを装着した。


まずはウォーミングアップ。

最初の部屋は、顔のギャラリー。


ぐるりと円を描いて並んだ枠の前に立ち、

上下にスライドする枠を自分の顔の高さにあわせて、ライトを点ける。

マウリシオさんを真似て、顔の体操、
きれいな人に見とれてうっとりの真似…
真ん中に次々と現れる有名人の写真の表情の真似(舌を出すアインシュタインも)
、
怖い犬や、きれいな花などの写真を見て、リアクションを表現してみる、など。

次の部屋では、手でつくる影絵の部屋。

見よう見まねで、パネルに手を当てる。すると…
パシャ!フラッシュが光り、手でつくった形が影に残る。
犬、鳥、ハートの形……。

基本が終わると、ゲームにうつる。

はじめはこんな具合。
まるく並んだ座席の後ろには、
「嬉しい」「悲しい」「眠い」「怒っている」「驚いた」「おののいた」などの形容詞。

マウリシオさんの表情を見て、それがどれかを当てる。
続いて、今度は自分が引いたカードを見て、
「眠い」を表現したり、「嬉しい」をやったりして当ててもらう。


次の部屋では、ジェスチャーゲーム。
外套、消火器、犬、鳥などの言葉の書いたカード一組が座席に置いてある。
指名された人が、中央にある札をひく。
「寒くて寒くてたまらない、物乞いの人」と書いてあり、それをジェスチャーで表現すると
それを見てぴんと来た人が手を挙げて、「外套」のカードを示す。


そして、神経衰弱のようなゲーム。

くるりと反転する仕組みになっているパネルが縦横16枚ほど。
体のパーツの写真が表にあり、裏側には、それを表す手話の写真。
髪、眉、目、鼻、口、耳、首、腕、胸、へそ、、、 

パネルを裏返しながら全部の説明が終わると、
手元のカードをつかって、どの手話がどのパーツかを、砂時計の時間内にできる限りあてる。

その後には、
館内にしつらえられた小さな店で、声を出さずにものを買うという実践篇や

タッチパネルを使って、自転車、車、バス、飛行機、などの交通機関に関わる語彙を学ぶという
三択式の自習用教材もあった(実際に使われているものなのだろうか?)。

けれど、上に書いてきたような「ミニ訓練」の部分が面白かった。

表現することにおいても、理解することにおいても、
非言語コミュニケーションの場合には
音が使えるときと比べて何倍も工夫して、頭も体も顔もたくさん使わないといけない。

伝えたい。わかりたい。
コミュニケーションの基本の基本を改めて意識した。

2009年2月27日金曜日

気前のいいパン屋(メキシコ書きそびれ記:2)

鏡をつかった作品をつくる造形美術作家のカヨコさんと
チャイを飲んだ、ある日の夕方。

二人とも200ペソ札しか持っておらず、まずは私が支払った。
カヨコさんは、パンでも買ってお金をくずし、自分の分を払うよと言ってくれた。

その言葉を聞いてわたしは前にも同じようなことがあったことを思い出し、
そのときのおかしな顛末を、カヨコさんに話した。

まとめて払ったもらった分を返そうと、お金をくずすためにパン屋に行って、
1ペソほどのパンを買って200ペソ札を出したら
店にはおつりがないという。

どうなるかと思えば 「いいよ、今日の分は」。
200ペソ札と、パンひとつを手に、パン屋を出た。

ははは、メキシコらしい、なんて言いながらパン屋につくと、
カヨコさんは「これと これと これ」パンをお盆に載せていく。

15ペソぐらいになっただろうか。

今日はアルバイトの女の子だけでなく、パン屋のご主人もレジにいる。
「こんばんは。」
「いらっしゃい。**ペソだよ。
 200ペソ札
「あれ、小銭ないの?」
「ないんです」
「今日はいいよ、持って行って」
…ほんとうに??

私たちは、200ペソ札と、三つのパンと共にパン屋を出た。

2009年2月25日水曜日

闘鶏 (メキシコ書きそびれ記:1)

12月のこと。

闘鶏を初めて見た。

ガレージの扉をくぐると、バサバサ、ガサガサ、人間と鶏の気配が満ちている。

敷地の左端には、強そうな鶏たちの入ったケージがずらりと並ぶ。
右側には、赤と緑で半分に分かれた円形の砂地ミニ闘技場。
家族連れがそれぞれの場所に陣取り、顔見知りが入ってくると一人一人挨拶をする。

長細い木製の闘鶏道具箱には、
鶏の左足につける鋭い鉤爪、それをくくる糸、鋏などがしまってある。

試合を前に、それぞれの陣営の男性が二人ずつ、
丁寧に丁寧に闘いの準備をする。儀式的な沈黙の時間。
鶏はその間中、じっとしずかに持たれている。

用意ができると、士気を高めるための鶏を近づけてはコココココと煽らせ、
怒った鶏を両手で抱えて
砂地の真ん中に描かれた小さな白い四角の中に寄り、
片膝をついてそっと置き、
レフェリーの合図に、手を離して後ろに下がる。

睨み合う二羽。
バサバサバサ!

一試合目は、あっけなく勝負がついた。
緑陣営の鶏の鉤爪が、一瞬で赤陣営の鶏の命を止めたのだ。

ぐったり横たわる一羽。
もう一羽の鶏は、動かなくなった相手をじっと見据えるが、それ以上の手出しはしない。
男が駆け寄り、嘴に息を吹きかけ、鶏の様子を見るが、もう終わり。


しばらくザワザワした後で、次の試合の準備が始まる。

次の試合は長引いた。

1ラウンドが終わるごとに、ボクサーを手当てするセコンドのように
男たちは鶏を丁寧に手当てする。
口に含んだ水で傷口を洗い、血を吸い出し、嘴に息を吹きかける。

再び四角に置かれた鶏は立ち上がり、羽ばたき、
闘い、睨み合い、羽ばたき、、、
一方の鶏が倒れ、ふくらみ、しぼみ、激しく息をする。

どの鶏も、相手が倒れている間は、手出しをしない。
起き上がり、戦う体制に入ったのを見ると、再び攻撃を始める。
自然界にも暗黙のルールがあるのか。

客席は、特別に叫ぶでもなく、手を叩くでもなく、
じっとなりゆきを見守っている。

次の試合のための鶏をまるく抱えて見ている人もいる。
こどもたちも、鶏の扱いを心得ていて、
強い鶏たちを、ぬいぐるみでも持つかのように抱えている。


入念な鉤爪の準備、鶏を砂地に置いて試合が始まり、
1ラウンド、2ラウンド、3ラウンド、
そのどこかで、片方の鶏が倒れて動かなくなる。

しばらくしてまた、鉤爪の準備が始まり……

敗れた鶏たちのからだは、敷地内のごみかごに捨てられていた。

2009年2月10日火曜日

小さな村の Sor Juana

日曜日、Sor Juana Inés de la Cruzの生家に連れて行ってもらった。

17世紀のメキシコが誇る才媛の生まれた場所は、
メキシコ市から車で1時間半ほどのところにある
Nepantlaという小さな小さな村。

こう言っては失礼かもしれないが、見るべきものはただひとつ、
立派な門構えの敷地につくられたSor Juana記念館。

その中には、彼女が生まれた家の壁の名残が大事に保存されている。

小さい。

普通に歩く程度の歩幅で、縦に7、8歩、横に10歩強。
ここに家族全員が暮らしていたのだろうか。

それにしても、小さい。

そして、今のネパントラも小さいけれど
きっと彼女が生まれた当時はもっともっと小さな村だったに違いない。

小さな村の小さな家で生まれたフアナちゃんが、
同時代のメキシコはもとより、当時の宗主国スペインでも広く読まれ、
そして現在に至るまで読み継がれる

ソル・フアナ・イネス・デ・ラ・クルスになるとは。

2009年2月6日金曜日

犬のウィンク

ゴールデン・レトリバーのミッツィーがダイエットに成功している。

家主のセシリアたちがカナダに移住するというので
飛行機のペット用重量制限「ケージを入れて45kg」内に収まるべく
数ヶ月前から、涙ぐましい努力が続いている。

ミッツィーは、器量よしだが
散歩に出れば「かわいいね」と「こりゃ太っちょだね」の両方の声がかかるくらい
誰が見ても、重量オーバーだった。

それが今や、ウェストの辺りがすっかり変身、
「ぽってり」ではなく「すっきり」という形容が似合うようになった。

それでも食欲が減ったわけではなく、相変わらず
料理のにおいを嗅ぎつけるとタッタッタと台所にやってきて、
これでもかというくらい可愛い顔をして、食べ物をねだられる。

今朝は、小麦粉のトルティージャにチーズをはさんで温めたのを食べていたら
みっちゃんがふかふか登場、
台所の木製ベンチに顔を載せて首をかしげたと思ったら、片目をぱちり。

2009年1月22日木曜日

五線紙

一仕事終えて、インスルヘンテスを歩いていたときのこと、
Burger King の窓際に目が留まった。

定規、鉛筆。
五線紙。
大きな、しわのある手。
おじいさん。

Burger King の窓際の机で、
おじいさんが一人、五線紙に何かの楽譜を書いていた。丁寧に。
一体、どんな音楽が書き留められていたのだろうか。

2008年12月18日木曜日

食堂にて

市場の食堂が気に入っている。
同じ屋根の下に三つのお店があるうちの、一番右側のお店が特にいい。

野菜のたっぷり入った牛肉のスープが絶品なので通うようになったというのもあるけれど
全員女性でかためた店のチームワーク、バランスが絶妙。

カウンターの奥には、店の味を守る、どっしりとしたメガネのおかみさん。

脇をかためる、中堅の短い髪のおばさん。次いで、おかっぱのちょっと陽気なおばさん。
この二人は状況に応じてテーブルにも出る。

厨房には若くてすらっとした女の子が二人。

そして、料理を運ぶ看板娘は、長い三つ編みでドラえもんみたいにころんとしたおばちゃん。
愛嬌抜群、ちょっと抜けているところもある。
先日は、まだ何も頼んでいないおじさんにごはんを届け、「恋でもしてるのかい?」と言われていた。

早い時間に行った今日は、客が少なくて手持ち無沙汰そうにしているので
気になって見ていたら、まず、生のにんじんをかじったのを目撃。
そして、これから調理にまわるであろうたまねぎの上にトマトを並べたらコロンと落ちた。

新たなお客さんが通りかかったそのとき、おばちゃんが俊敏に動いた。
メニューを手に取り、すばやく声をかける。
しかし残念!その人が食べたいメニューが今日の定食になく、別の店の方へ行ってしまった。
おばちゃんは、メニューであおぎながら、そのお客さんの行方をじっと見据えていた。

また手持ち無沙汰になったおばちゃんは、
まだ食事が終わらないうちに、デザートを持ってきてくれた。

2008年12月4日木曜日

チリコ入手

先日探していたGiorgio de Chirico についての本。
発行元である
、大学の美学研究所の書店に直接行ってみたら、
なんともあっけなく手に入った。

「ジョルジョ・デ・チリコね、はい、どうぞ」

取り出した棚には、まだ5、6冊は同じ本が並んでいた。

それにしても、やっぱりチリコ。

2008年12月2日火曜日

チリコ

UNAMの大学出版から出ているGiorgio de Chirico についての本を探しに
大学の書店に行った。この本を探しているんですけど、とメモを見せたら

チリコだね?この辺りにあったような…と、美術コーナーへ。

結局、コンピューターで調べてもらったところ、在庫がないとわかり、がっくり。

けれど、チリコ、チリコと何度も言うので
あの硬質のデ・キリコの世界が、急に寸詰まりにコミカルになってしまったようで、
見つからなかったことよりも、チリコのことが気になりながら店を出た。


2008年11月29日土曜日

絵本作家とこどもたち

先日、Fondo de Cultura Econónimaの書店で
絵本作家Oliver Jeffers を迎えたイベントがあった。
http://www.oliverjeffers.com/

語り手のおねえさんが絵本を声に出して読み、
それと同時にオリバーさんが、模造紙に各ページの絵を描いていくという趣向。

おねえさんがこどもたちに火をつける。

おねえさん 「それからおとこのこは、みじたくをはじめました。まずはメ、メ、メ…」
こどもたち(口々に)「メガネ!!!!」
おねえさん 「つぎに ボ ボ ボ…」
こどもたち 「ボウシ!!!!!」

一冊目は、飛行機で月に行った男の子がエンストの難に遭い、宇宙人と協力して家に帰る話
二冊目は、本をむしゃむしゃ食べてしまう男の子の話。(邦訳あり)

二冊目が始まる直前、ちいさなお兄さんが、もっと小さな弟を連れてきた。
絵本を抱きしめた小さな弟は、タイトルが読まれると同時くらいに、
「本をたべる おとこのこの はなし!!!!!!」

その子は、大好きな絵が目の前でうまれていく瞬間にときどき身震いしたり
うずうず、そわそわ、居てもたってもいられずに
絵本のページを開いてみて、まわりの人たちに見せてあげたり。

朗読が終わると、模造紙の絵を賞品に、クイズ大会が始まった。
「おとこのこが家に戻ると、部屋にいたお客さんはだれでしょう?」
ハーイ ハーイ ハーイ  「ペンギン!!!!!!」
こどもたちは、ページの隅々まで知っている。

大興奮のこどもたち、きっと夜はぐっすり眠ったことだろう。