2008年10月24日金曜日

増殖するカボチャ


メキシコでは、お盆のように、死者が帰ってくる日がある。
11月2日の、「死者の日」。
特別な祭壇をつくり、
砂糖菓子の頭蓋骨やセンパソチルという橙色・山吹色の花を飾ったり、
故人の好きだったものを供えたり。

2005年に滞在したときは、町中が陽気なガイコツだらけになっていた。
今年は、ガイコツに似た、オレンジの「やつら」が多い。
カボチャだ。

このカボチャ、世界中で増殖の勢いが止まらない。

2008年10月23日木曜日

まぶしいネクタイ

めぐりあわせで、チャプルテペックの湖の脇で創作のクラスに短期参加している。
私の他は、皆40~50代。

今日は、その先生が各所で持っているクラスの参加者の発表会があった。
6時から、場所はアイリッシュパブのテラス。
いつもお洒落な人だが、今日はぱりっとした上着にネクタイがまぶしかった。

総勢8名、大学生から中堅の年代までの自作朗読は、
面白くて笑ったり、わからなくて悔しい思いをしたり、言葉の操り方の自在さに目を見開いたり。
とても面白かった一篇の後には、隣に座っていた黒い皮ジャケットの素敵な女性と目が合った。

後から、その女性は先生の奥さまだと知った。

プレゼンテーションが終わった後に同じクラスのマリ・テルさんと話していたら、
マリ・テルさんと面識のある奥さまも、話に加わった。

とても面白かったと言うと、
「あの人はこのために生きているようなものなの、
いえ、このおかげで生きているというべきかしら。」

先生は、体の自由が利かない。
病気のために両足と片腕を失い、残った左手も自由に使える指は限られている。
不自由な体になった先生は、三年前、生きる気力をなくしていたという。

そのとき、以前からクラスを受けていたある人が、
ぜひ先生のクラスでものを書きたい、先生でなくてはいやだ、
移動が大変ならば、先生のお宅に行きますから、と言い張って、そしてクラスが再開された。
今では、四箇所で教えている。

今では、家に帰ると、その日のクラスでは誰がどんなものを書いたとか、
どんなコメントが出てきたとか、あれこれ話すのが習慣だという。
うれしいことに、途中から加わった私のことも奥さまは知っていた。

生きること。形容詞でなく、動詞的に。

2008年10月19日日曜日

"Golconde" de René Magritte

Llover. Caer agua de las nubes. Llueve. Pero no es agua lo que cae. Son hombres. Todas las gotas que caen del cielo nublado son hombres. Hombres vestidos en traje negro, abrigo largo y negro, un sombrero negro, caen del cielo azul-gris. Lucen las camisas blancas y los rostros pálidos de los hombres en el cielo sombrío de Bélgica.


Caen silenciosamente sin fin de gotas del hombre vestido en negro. Algunos dan sombras en los techos, los techos de color guinda empinados para que caigan la nieve en el invierno. Los hombres llueven silenciosamente. Algunos dan sombras en las paredes y ventanas de los departamentos. Las paredes de color marfil, las ventanas con cortina cerrada, no tienen nada destacable, todo es repetición monótona, silenciosa e infinita, como las gotas del hombre.


Este hombre está de frente, ese otro se deja ver su perfil derecho, aquel mira hacia atrás, pero ninguno tiene expresión, ni triste ni melancólico, solamente son inexpresivos. Las gotas que vienen de lo alto del cielo, las gotas que se divisan a lo lejos, las gotas que pasan a ras de nuestra mirada, todos son iguales, hombres inexpresivos vestidos en negro.


Las gotas del hombre son indiferentes a dónde caen. Solamente caen. No les importa si les absorbe la tierra. Lentamente caen. También son indiferentes los habitantes de los departamentos de frente, con las cortinas cerradas. Caen infinitamente las gotas del hombre.


Nosotros somos los únicos testigos de esa lluvia del hombre. Mirándola desde la ventana de color marfil, a través de la cortina entreabierta, desde uno de los innumerables departamentos idénticos. Siguen cayendo las gotas del hombre.

2008年10月17日金曜日

喜びと悲しみ

東京の友人から、悲しい知らせが届いた。
中学二年生のときの同級生が、乳がんで亡くなったという。
彼女の声、笑顔、仕草、颯爽とした人柄を思い出す。


そして午後には図書館へ行った。本と紙に向かっていたら、
閲覧室の横の小さな部屋でナワトル語を教えるベアトリス先生が、一枚の紙を渡してくれた。
毎回みじかい挨拶を交わしているけれど、クラスに出たこともないのに。

詩だった。片面にはスペイン語、もう一方にはナワトル語。


「二つの顔」

どうして、すべての美しいものは、また悲しくもあるのだろう?
それは、地上のすべてのものはそういうものだから。
一輪の花が朝に咲き
皆が愛でる よい香りを放っているあいだ
けれど枯れてしまえば、誰もその花を思い出さず
摘んで、捨ててしまう。
朝に、日が昇る。
そして私たちに喜びをもたらす
けれどその喜びもまた終わる
なぜなら夜が訪れ、喜びは去るから。
始まるものは、終わりを迎える
そして私たちの心はそれを知っている。
喜びと共に始まるもののほとんどは
悲しみに終わる。
すべては変わり、姿を変える、
私たちは通りすぎるだけ。
ただ一度だけ生きるために来たのだ
この地上に。
だから、花咲かなければ。

デルフィーノ・エルナンデス

悲しみ. Tristeza. Tlaocoyaliztli.
喜び. Alegría. Paquiliztli.

咲いた花を、忘れない。

2008年10月12日日曜日

San Angel の昔

先日、テラス席のお店で昼食メニューを食べながら
サン・ハシント公園の放射状に中心の噴水に集まる道と
そして木々の奥に立つ教会の塔を眺めていたときのこと。

ふと、小さな町の中心がここにあったのだ、というのが見えてきた。
広場と教会というのは、植民地時代に作られた町の構造の中心。

そうして見ると、石畳の道をガタガタ上ってくる車たちが、
はるばる、他所の町から来た旅の客のように見えた。
サンアンヘルへようこそ。

昨晩、サン・ハシントのタクシーを呼んで帰った。
年配の朗らかな運転手さんに、町中で行われている工事のことを話題にしたら
通っていく道々の昔の姿を教えてくれた。

Viveros の脇の、かすかに川の名残が残っている辺りは
60年代まで土の道で、馬が通っていたことも。

Avenida de la Paz の辺りは路面電車の通り道で、
サン・ハシント公園の脇にあるサウナ・風呂屋さんは、当時の駅だった建物。
市場の裏手に残る線路も、当時の名残。

サン・アンヘルの石畳は、実はすべてが古くからのものではなく
路面電車が廃止されたあとに敷いたものもたくさんある……


古い建物や広場は点々と残っているけれど
町の動脈のようなものが、昔と今ですっかり変わっている。

埋められたいくつもの川を掘り起こし、路面電車を生き返らせたら
この町の風景はどうなるだろう?


2008年10月11日土曜日

三角関係


先週日曜の自転車天国に、変わったグループがいた。
一番楽しんでいるのは、一体誰だろうか?

2008年10月8日水曜日

アラメダ公園の日曜日、をめぐる土曜日

土曜日、リベラ壁画館に行った。
85年の大地震のあと、
ディエゴ・リベラ作「アラメダ公園、日曜の午後の夢」を保管するために作られた場所。

この日は、
壁画制作の手伝いをしたグアテマラ出身の女性画家
リナ・ラソさんを迎えての催しがあった。

左の写真では
暗い中でマイクを持っている金髪の女性がリナさん。


お話によれば、
縦4メートル、横15メートルもの壁画を描くのに

リベラは「イタリアの巨匠たちにならって」
構想もないまっさらの状態から向かい始めたのだという。





若き日のリナさん。
このビデオは未公開映像とのことだった。

壁画の下地として塗る、
石灰と大理石の粉を混ぜる作業のところから始まった。

次第に細かい粒にしながら、三層塗るらしい。








リベラ。

この大作は三ヶ月で仕上げられたものとのこと。

アシスタントもいたけれど、
リベラ自身も一日中、夜遅くまでも壁に向かい、
泊り込みのときもあったという。


お昼になると、フリーダ・カーロから
ひるごはん入りのバスケットが届き、
そこには「amor mío 」とあったそうだ。


製作中に訪れてくる客も絶えなかった。
さすが、時の人。


2008年10月6日月曜日

ビジャウルティアの日

金曜日はビジャウルティアたっぷりの日だった。
Xavier Villaurrutia (1903-1950) は、私が研究テーマにしているメキシコの詩人。

午前中、Capilla Alfonsinaに調べ物の続きをしに行き、
アリシア・レイェスさんのご好意によって
そこに保管してあるビジャウルティアの遺品を写真に収めさせてもらった。
ガラスケースの中には、
本、カタログ、写真から、作家組合の身分証、パスポート、そして
バラの花びらがたくさん入った、銀の小箱……

午後、Ximenaの家で昼ごはんを食べた後、
彼女のおばさんが教えてくれた、開いたばかりのカフェへ。
そこは、ビジャウルティアが住んでいた家。

狭い入り口を入り、板張りの階段を上がっていくと、
二階は広々としている。

「ビジャウルティアはここで書き物をしていたんだよ」
という場所に、座らせてもらった。写真はそこからの眺め。
その席の背後にある、ワイン瓶の並んでいる棚は、
昔は窓だったらしい。
自然光を受けながらの執筆。

ビジャウルティアの家族が、
彼の死後に売却した家は

ヴードゥー教の儀式を行う人物に手に渡り、
もと寝室の床に描かれた模様は
消しても消しきれなかったという。


その後、芸術家グループの手に渡り、
ワークショップなどの拠点になり、

そして今、レストラン・カフェ・書店・文化センター などを兼ねる
L'Atelier d'en Quim Jardí となった、という次第。

実は正式なオープンはまだで、
今月14日にオープニングパーティーを行うとのこと。


場所は、San Luis Potosí, 121, planta alta, esquina con Jalapa.
Colonia Roma Norte, C.P. 06700.

2008年10月3日金曜日

レトロ三人娘


フリーダ・カーロとディエゴ・リベラの結婚披露宴が行われたというカフェ・デ・タクバ。
タイルの装飾や、入り口近くの色硝子がとてもきれい。
平日もそうなのかもしれないけれど、日曜の店内はざわざわ賑わっていた。

給仕をしてくれる女性たちを見ていたら、
ふと自分がいつの時代にいるのかわからなくなる。

2008年10月2日木曜日

聴くこと、待つこと、信じること

野村喜和夫さんと齋藤徹さんのメキシコシティ滞在にご一緒しながら
(一緒に来てくれた高際君、ほんとうにありがとう)
食事の時間のたびに、少しずつ色々な話を伺うことができた。

なかでも昼下がりのカフェ・タクバで
コントラバス奏者の齋藤さんから聞いた話がじんわり暖かく残っている。

齋藤さんは、こどもたちのところに音楽を教えに行くことがあるそうだが、

毎回、音を出すよりも前にすることは
こどもたちが「聴くことができるように」すること。

耳を澄まして聴く、ということができるようになれば
ひとりでに色々な音を発見し、そこからさまざまなものが生まれるようになる。

「聴くこととか、待つこととか、信じることっていうのは、きっと
どれも根っこのところではつながっているものだと思うんだ」

澄んだ秋の青空のような言葉だった。