2008年8月30日土曜日

カラフルなクレヨン

近所の新聞・雑誌スタンドで、長距離電話のカードを買った。
(ちなみにsaludoというカードで、日本の固定電話あての場合100ペソで2時間ほど通話できる)

おつりを待っている間にちらりと辺りを見回すと、
雑誌を並んで立ててある中に、
透明の円柱型プラスチックケースに入ったカラフルなクレヨンが。

売り物なのか?なぜここにクレヨンが?
好奇心がむずむずと沸き起こり、尋ねてみた。
「なぜクレヨンが置いてあるんですか?」

二週間に一度、ちいさな息子さんが訪ねて来るらしく
そのときに、そのクレヨンをつかってスタンドの脇で塗り絵をするのだそうだ。
息子さんの話をし始めたら、おじさんの顔はすっかり優しくなった。

2008年8月29日金曜日

白い縦笛

先日、哲文学部 (Filosofía y Letras) の食堂で遅い昼ごはんを食べていたときのこと。

隣のテーブルにいた二人組が食事とおしゃべりを終えて席を立った。
ふと目にとびこんできたものは、白い縦笛。
紺色のリュックの脇のポケットに澄ました顔をして入っていた。
折りたたみ傘みたいに、そこにいるのが当然のように。

いつも持ち歩いているのか、いつどこで吹くのか、
あの唄口からどんなメロディーが出てくるのか……

想像したらちょっと楽しい。

2008年8月26日火曜日

ひったくり被害の後始末~警察への届出~

(追記:以下の記事は、メキシコシティでの出来事・届出についてです。)

ひったくり被害の後始末がようやく一段落しつつある。


このページの主旨からは外れるけれど、
警察への届出について、簡単にメモを残しておきたい。

被害にあった夜は、ショックと足の痛みでそれどころではなかったし
一晩中かかる上に得るものはないと聞くし、すぐに届け出には行かなかった。
結局、出向いたのは一日半経ってから。「被害から24時間」という話も聞いたけれど、大丈夫だった。
 

~届出の流れ~ まず…被害を受けた地区の管轄の警察署に行く

①怪我がある場合は医師の診断を受ける
②被害の届出を出す (被害に遭った場所、状況、犯人の描写、盗られたものの内容や額など)
③別の部署に行き、同じく被害状況や犯人の描写などを話す 
 ここでは、とくに犯人についての情報が主眼のようだった

④盗られたものの中で領収書や保証書があるものがあれば、
 届出から5日以内に再び署に出向き、コピーを提出

さて
①がまず、曲者。
「医師がいま昼ごはんに出たばかりで、三時間戻らないので別のところに行ってください」
→別の署に行く。付き添ってくれたEduの家族は入れず、私一人で待合室へ進む
→廊下に上半身裸の男性が倒れている …彼は捕まった側の人だった。
 上半身裸の男性がもう一人いて警官を「何で捕まえたんだよ」となじっているので、離れて座る
→さんざん待った挙句に医師の部屋に入ると、テレビでオリンピック中継が 注意散漫
→医師はいい人だったけれど、おしゃべり好き。(このせいで一人一人に時間がかかるんだろう)

②はスムーズに進んだ。担当してくれた警官は親切だった。

③この部署にはやたらとたくさん警官がいて、親切ではあったけれど
テレビがあった。いくつもの目の追うさきにはオリンピックが…
ワールドカップのときは、五輪にも増して「被害者<テレビ」だったに違いない。

②で書いた書類のコピーを持っているのに、「どうしました」から再びすべて話す。

④「ちょっと待ってくださいね」 「もうすぐだから」 
と言われて、待つこと二時間。また「どうしました」から聞かれ、少しぐったりする。
少し無理をしてでも、朝一番に行くのがいいように思う。



即時に届け出をしたほうがいい場合もあるのだろうけれど、
実感としては、被害当日に行っていたら、まだ神経がぴりぴりしていて
あれこれの細部に受けるショックが大きかったに違いないので
少し落ち着いてから警察に行ってよかったようにも思う。

やれやれ。

2008年8月22日金曜日

防犯対策 (自戒をこめて)

メキシコシティにて、気をつけること。

暗くなったら、特によく知らない道の場合は、決して一人で歩かない。
安全なタクシー(Sitioのタクシー)を呼んで帰るか、
友達の家にいて、泊めてもらえる場合には、朝になってから出る。
 (初めてメキシコに来る前に、イサミさんにそう教わったのだった)

必要最小限のお金
と物だけを持ち歩くようにする。

お金は、分けて持つ。万一どれかを盗られても、少なくとも家まで帰れるぐらいは。

「分けて持つ」に関して言えば、
私の場合、
カバンごと奪われてしまったのだが
鍵は服のポケットに入れており無事だったのが不幸中の幸いだった。電話も身につけていた。

日常と違う何かが起きているときには、注意散漫になったり頼りなげに見えたり…
そういうときにはいやというほど意識して、普段以上に安全に注意する。

隙を見せない。
誰かついてきてはいないか、何か変わったことはないか
、常に周りに注意を払う。

自分の「いやな予感」をあなどらず、耳を貸す。

そして、私は人からも借り物も持っていたので
咄嗟にひったくり二人組みを追いかけてしまったけれど、
武器を持っている可能性もあるので、何よりもまず命の無事を確保することを考える。


…と、まったく恐ろしい町のようになってしまったけれど、
自分の身を守る努力をもっとしていれば、あんな目には遭わずに済んだはず。

この町も、この町の人たち(の大部分)も、とても好きです。
犯罪者に犯罪をおかさせないためにも、くどいほどに注意して暮らします。

2008年8月19日火曜日

再会に元気づけられる

金曜に暴力的ひったくりに遭ってしまい、週末は暗澹たる気分でいた。
Eduの家族に同伴してもらって被害現場に何か捨てられていないか見に行ったり、
警察に被害届を出しに行ったり。

怪我もだいぶよくなった今日、月曜日。

大学のInstituto de Investigaciones Filológicasに行き、
Lourdes Franco先生にお世話になり、図書館の利用証をつくった。

と、ちょうどそこに、二年前の滞在時に指導してくださったFabienne Bradu先生が、
そして1分もしないうちに、当時ゼミを受けたGeorgina先生が懐かしい香水の香りを漂わせて到着。

そして、図書館に再び降りたところで、
以前学部生向けの19世紀メキシコ文学を聴講させてもらったEsther先生にばったり会った。
またメキシコに来ているのね!と、ぎゅっと抱擁。

そして、さらに。
午後、授業前に寄っていたFilosofia y Letrasの図書館を出ようとしたら、
東京の「スペイン語文学研究会」のメンバー、高際さんにばったり。

嬉しいことは存分に喜んで充電しながら、油断せずに生活を改めて始めよう。

2008年8月15日金曜日

多国籍クラス

今学期、聴講生として出席するゼミ 「ラテンアメリカの前衛」。

教室はとても小さく、普通8人ぐらいのための机なのに、初回には12人くらい集まった。
そして先生はやって来なかった。40分くらいして、教室は空になった。

今回は14人になった。
15分が経ち、1人がいなくなりかけた。
入れ違いに先生がやって来て、いなくなりかけた1人は戻った。
先生が話し始めて少ししたら2人更に遅れて入ってきた。計16名。

この授業は人数が多いだけでなく、多国籍。
過半数はメキシコ人だが、ほかにドイツ、イタリア、コロンビア、エクアドル、イスラエル、そして日本。

週に2回の計4時間、楽しみだ。

2008年8月14日木曜日

Dvořák

たくさんの辞書がつまっている電子辞書は、軽くて実用目的に重宝するだけでなく
気軽に引けるので、ちょっと引いてみて思いがけない発見をすることもある。

すこし前のこと、ラジオから流れてきた「新世界より」を聞いて
Eduが言った名前と、私が知っている「ドヴォルザーク」という名前の発音がだいぶ違うので
ちょっと調べてみたら…… (出典は『マイペディア』)

「ドボルジャーク (1841-1904)
チェコの作曲家。ドボルザークともいう。プラハ近郊の宿屋兼肉屋の長男として生まれ、父の反対を押し切ってプラハに上京、オルガン学校を苦学して卒業。……(以下略)」

代表作ではなく、人生物語で始まるところが面白い。
ほかの人名も調べてみたら……

チャイコフスキーは

「ロシアの作曲家。鉱山技師の子としてウラル山麓の鉱山町ボトキンスクに生まれる。1848年ペテルブルグに移り、法律学校を出て官吏となったが、1862年ペテルブルグ音楽院開設と同時にその一回生となり、1863年には退職して音楽に専念。……(以下略)」

サティは
「フランスの作曲家。フランス北部の港町オンフルールに生まれる。6歳でスコットランド人の母をなくし、祖父母のもとで育った。1878年パリ音楽院に入学するが、その保守性に反発し、学業なかばで軍隊に志願。ほどなく除隊し、モンマルトルの酒場でピアノ奏者として生計を立てつつ、ピアノ曲の『3つのジムノペディ』(1888年)など職の代表作を作曲。……(以下略)」

映画の予告編を見ているような気分になる。

2008年8月13日水曜日

例文

メキシコで出版されたスペイン語の教材をめくっていたら、
例文も文化を反映していて面白いと思った。

問題: 次の単語を並び替えて、文章をつくりなさい。
(terminó- muy- fiesta- la- José- de- tarde)

できた文章を日本語にすると
「ホセのフィエスタは、とても遅くまでやっていた」
(直訳するならば、「遅くに終わった」。フィエスタ→パーティー。)
この場合の「遅く」とは、おそらく午前3時や4時のことを言うのだろう。


2008年8月10日日曜日

Metro busにて

金曜日のこと。
指導教官に会いに行くべく、プリントアウトした報告書とメモをいくつか持ってMetrobusに乗り込んだ。

道すがら最終チェックをしよう、とカバンに手を入れたら、筆記具がない…
きっと傘を入れて中身を入れなおしたときに、ペンケースを出してしまったのだろう。

隣のおばさんに ボールペン持っていませんか、と尋ねたら、
ガサゴソ、と探した末に、「何色でもかまわない?」ときれいなピンクのボールペンを貸してくれた。

途中、床に置いた荷物を持ち上げたので、もう降りるのかと思って声をかけたら、
「まだ先だから、ゆっくり使っていていいわよ!」

ようやく全部見直しを終えて、お礼を言ってペンを返すと、
おばさんは受け取りかけて、一言「もし入り用だったら、持っていっていいわよ!!」
とんでもない、とても助かりました、ありがとうございました、と再びお礼を言う。

彼女は、ちょうど次の駅で降りるところだった。
器の大きなおばさんは声も大きく、
周りの席一体には、微笑ましいような雰囲気が少しの間残っていた。

2008年8月9日土曜日

Museo de SHCP

セントロへ行く用事のついでに、Eduが教えてくれたSHCP美術館に、月間案内をもらいに行った。

ソカロのすぐそば、国立宮殿の左側面にあたるCalle Monedaにある、この美術館では
美術展のほかにも、コンサートやワークショップ(絵画や創作)が行われている。

常設展のページを見たら、Antonio Ruizの作品コレクションがあるらしい。
ソプラノ歌手の喉から雄鶏が飛び出している絵の画家だ。
http://www.letraslibres.com/index.php?art=7119

案内には他にも、国立宮殿での映画上映、コンサート、近くの図書館でのコンサートなどの情報が載っていた。
どの催しも、無料あるいはとても手ごろな入場料になっている。
ちなみに、美術館・博物館は、大抵のところは日曜無料だ。

無料の催しが豊富なこと、「文化」の敷居が高くないことは、メキシコシティの魅力のひとつだと思う。

2008年8月8日金曜日

tlazohcamati (ナワトル語で「ありがとう」)

近所にある石造りの冷え込む図書館に、久しぶりに行った。しっかり防寒対策を整えて。

小部屋を借り切ることができたので午前、午後とつかっていたら、
4時前になって、「あと少しで、この部屋を使いますよ」との知らせ。

そういえば、ナワトル語のクラスのお知らせが前からドアに貼ってあったなと思いながら
本やらパソコンやらノートやらを片付けていたら、白髪の女性がやってきた。
「今、片付けます」と言うと、「いいわよ、急がなくて」とにっこり。

このたたずまいは…と思い、ナワトル語の先生でしょうか?と聞いたら、そうだった。
毎日4時から8時まで、二つのクラスを行っているらしい。
日本人の生徒もこれまで何人かいたとのこと。

雨が降り出したので、「ナワトルで雨は何と言うんですか?」と聞いた。
「雨は、quiahuitl。 
ほかに知りたいことばはあるかしら?」

夕方:teotlae  朝:yohuatzinco  春:xopantla  歌:cuicatl  歌う:cuica
悲しみ:tlaocoyaliztli  喜び:paquiliztli  鳥:tototl  ……

次々とノートに書いてもらった。
tli というのは、動詞を名詞にするときに付く語尾なのだそう。

ハッと思い出した。Metztli という友だちがいる。
Metztliというのは、どういう意味ですか? と聞いたら、
「素敵な名前! 意味は、月ですよ」

帰ってから思った。……月の動詞形は、一体??

Metztliには、あと少しで赤ちゃんが生まれる。

2008年8月6日水曜日

ペンギン





2008年8月5日火曜日

息子へのプレゼント

同じ通りに店を構える葬儀屋のおじさんと、会えば挨拶をし、ときどき立ち話をする。

ちいさな息子のダビ君は長いまつげ、つぶらな黒い瞳の持ち主のはにかみ屋で
バレンタインの日にはハート型のシールをそっと渡してくれてから、キャーと奥へ逃げて消えた。

ダビ君は今学期から小学生。きっと今頃わくわくしているだろう。
お父さんは幼稚園の間あることを続けていて、小学校に行ってからも続けるつもりだと言う。
それは、息子の日々の記録。

ダビに何かプレゼントをしたいと考えて考えて、思いついたんだよ。
ともだちと喧嘩をした日、叱られてしょげていた日、ほめられて嬉しかった日、
ぜんぶそこに書き留めてある。大きくなったら、ダビにあげるんだ。

2008年8月4日月曜日

最後のハカランダ

メキシコシティは雨季真っ盛り、木々も草もとても瑞々しい。

春には紫の花で町を彩っていたハカランダも、
今では羊歯みたいな
緑色の葉をフサフサとたくわえている。
先月までは辛うじて花がいくつか残っている木があったけれど、さすがにもう緑一色だ。

そう思っていたら、石畳にぽつんと紫が転がっていた。
思わず手にとって、上を見上げたけれど、目に入るのは緑色ばかり。
別の木の下をさがしたら、もうひとつ、ふたつ紫が落ちていた。

通りがかった夫婦と目が合ったので、
"todavía tienen flores"(ほら、まだ花がついていますよ)と手の中の紫を見せると、
"las últimas..." (もう最後のいくつかね) 

二人は緑を見上げながら遠ざかって行った。

2008年8月3日日曜日

めぐり合わせ、その3

友達が、コヨアカンの片隅の小さなカフェに連れて行ってくれた。
ここはお茶の種類がたくさんあるから、君はコーヒーよりお茶でしょう、と。
心遣いが嬉しい。

hola, とお店の女性と声を交わしたときに、あれ?と思った。この声は…

しばらくして、男の人が入ってきた。この人も見覚えがあるような…
視界の端から入ってくる光景によれば、男性はお店の関係者のようだ。
コーヒーの入れ方をさっきの女性に伝授している。

だいぶ長い間しゃべった後で、行こうかと席を立ちながら、思い切って聞いてみた。
「ご姉妹か親戚に、大学で働いている人はいませんか?」

「私よ! 私も、あなたのこと見たことあると思っていたの。名前は……」
「エイコです」
「Eiko Minami!!!」 と、女性と男性の声が揃った。

二人とも、大学院文学部で働いていて、
特にアンヘリカさんには、前回も今回も手続きでお世話になっている。

まさか、と思ったけれど、ほんとうにつながりのある人たちだった。
男性と、奥さんがカフェを営んでいて、そこにアンヘリカさんが少し前から手伝いに来ているそうだ。

日本人のともだちもいて、お店では抹茶ケーキや抹茶アイスも出すらしい。¡qué rico!

2008年8月2日土曜日

久しぶりね

携帯電話のプリペイドカードを買いに、近所の薬局に寄った。

ちょっと見ない間に、薬局の外壁は真っ白に塗り替えられていた。
カードを取りに奥に入ったおじさんを待ちながら、レジの女性に「壁を白く塗ったんですね」と言うと、

「久しぶりね、だいぶ見なかったけれど、元気だった?どうしていたの?」

領収書を書いてもらったときに、少し会話をしたから、覚えていてくれたのだろう。
そういえば、五月に派手に体調を壊して以来、来ていなかった。
健康だったので、薬局に寄る用事もなかったのだ。

病院の待合室、お年寄りたちの会話:
「○○さん最近見ないけど、どうしたのかしらね、具合が悪いのかしらね」
…という笑い話と、ちょっと似ている。

2008年8月1日金曜日

血の婚礼

友人の出る演劇を見に行った。
演目はフェデリコ・ガルシア・ロルカの『血の婚礼』。

もし筋を知らなかったとしても、
タイトルと、そして第一部の第一幕を見れば、悲劇的な結末が予測できる。

けれども、避けられない運命に向けてじわりじわりと進んでいく舞台を、
おそろしいような、それでも目が離せないような、黒と赤を混ぜたような気分で見つめた。

それから一つ、以前は気に留めなかったことが気になった。
それは「喪に服す」という要素。花婿の母の黒い服。

スペインのとある小さな村に
遠い親戚がいるという知人から聞いた話によれば、
その村では昔、死者が出ると、その家の女性は一年間家から外に出られなかったという。

ある家にとても美しい姉妹がいたが、年頃になった頃に親族の間に不幸が起こり、
そして、ちょうど喪が明ける頃に葬儀が出て、また喪が明けた頃に不幸、そしてまた。
そうこうするうちに結局、二人とも結婚することなく、姉妹助け合いながら年老いた……

劇の中の花婿の台詞を思い出す。
今まで知らなかった従兄弟も来ている。大勢の親族。家から出なかった人たちだ。

本業は役者の友人は、この演目ではギタリストと二人、音楽を担当していた。
客席の下手側バルコニーから、
ラ・ジョローナを歌う彼女のまっすぐな声が届く。
メキシコのあの歌が、妙にスペインの悲劇に合っていた。