2011年9月23日金曜日

このでんしゃ、どっちが、まえ?

―このでんしゃ、どっちが、まえ?

中央線の車内で、小さなおんなのこが、おとうさんにたずねた。
おとうさんはおかあさんと話していて、質問にはこたえず
そのおんなのこは、自分で確かめてみることにしたらしい。

まず、一方の窓のほうを正面にして、仁王立ちしてみる。
からだの向きを90度を変えて、仁王立ちしてみる。
さらに90度回転して、仁王立ちしてみる。
最後に残った方向を向いて、仁王立ちしてみる。

からだで捉える「揺れ」の感覚をたよりに、そのおんなのこは
自分が乗っている、運ばれている、乗り物=電車が、
どちらを前として進んでいるか、つきとめようとしていた。

そして、つきとめたらしい。
四方向を向いて立ってみて、感触を吟味して、
そのあとは納得したような顔つきであったから。

まったく筋のとおったやりかただった。

私ならきっと、窓の外を見て、
景色の流れていく方向を見て、判断しようとするだろう。

でも、もしも
窓の外に見えるのが、静止した風景ではなく
並んで走る電車であったら?



2011年9月15日木曜日

夜道の黒犬

最近、早く日が暮れるようになった。
メキシコシティでのある出来事を思い出した。

2005年の夏から半年ほど暮らしていたメトロCopilco駅近くの家の近くは
車道も歩道も、あちこちガタガタ舗装がいたんでいて、
そこを、やせ犬が何匹もうろうろしたり寝そべったりしていたものだった。

はじめのうちは、なんだか恐ろしい気がして
犬の姿が見えたら、そっと距離をとったりしていたものの
実は彼らはまったくおとなしくて、そのうち、警戒心はすっかりとけた。

ところが油断しすぎたのか、
ある日の夕暮どき、だいぶ暗くなってきたころに、
いつも犬が寝そべっているあたりの歩道をずんずんまっすぐに歩いていったら
(たぶん、私の気に入っていた近所のカフェに行くところだった)

ふわ、というか、ぶわ、というか、
ごり、ではなかったと思うけれど
地面におろした右足が何かを踏んだ、

その何かとは、黒い犬の尻尾であって
暗がりにいた黒い犬のことが、私には見えていなかったのだった。

ぎゃ、噛まれる!
と、さっと血の気が引くのがわかったけれど、

その黒犬は、クゥといったか、グゥといったか、ギャンといったか、とにかく
痛いよという悲鳴をあげただけで、
それ以上何のアクションも起こさなかった。

そこで、私は咄嗟に日本語で、
あああごめんね、ごめんね、
暗くて黒くて見えなかったの、ごめんなさい、と謝って
(いま思ってみれば、これは謝罪ではなく、言い訳だ)
その場を去った。

次の日、明るい光のもとでその黒い犬を見かけたとき
もう一度謝ってはみたけれど、あのとき以来、すっかり警戒されるようになってしまった。

夜道は、黒い犬に気をつけて歩こう。
尻尾を踏んでしまわないように。



2011年9月10日土曜日

宇宙の上と下




コスモスの咲く辺りに行ってみたら、
例年になく茂ったままになっていた。

みるみる傾く日を斜めに見ながら写真をとってきて、
家で画像をひらいて見てみると、
上下の感覚がさかさまになるような
まっさかさまに墜落していくような、不思議な感覚を受けた。


2011年9月8日木曜日

2008年11月12日

本棚の整理をしていたとき
Elena Poniatowskaの短編集、De Noche vienes(1979)を開いてみた。

2008年の秋、
メキシコシティのコンデサ地区にある、こぎれいで洒落たつくりの大書店
Fondo de Cultura Económicaの「Roario Catellanos」店で
別の本(なんだったか…)を買ったときに、レジで、もらったもの。
背表紙には、「販売禁止」の文字。

どういう経緯で無料配布していたのか
情けないことに、当時はちゃんと確認してみなかった。

三年越しに本のただし書きを読んでみたところ
これは1980年から続いている試みで、
毎年11月12日(メヒコの誇る才媛/詩人であるソル・フアナの誕生日)を
「本の日」と定め、良書(…と言っても定義は難しいが)を読む習慣を広めるべく、
著者や出版社の協力を得て、毎年、一冊の本を特別に印刷して
書店員や編集者が配布している。
(未来の読者に手渡す、という感じだろう)

奥付の発行部数を見たら、35,000部という大きな数だった。

こうした試みの裏にだって、いろいろな駆け引きがあるのかもしれないけれど、
自分が身を置いている、このくにの暦のなかで、
「~の日」と名づけられた、休日になったりならなかったりする
(そして、日付けが決まっていたり、可動式にされていたりする)
数多くの記念日のあり方について、考えさせられる。


2011年9月2日金曜日

扉はひらくものではなく、あけるものじゃなかったか?

初めて飛行機に乗って、初めて日本を出たのは、19歳の秋だった。
まだユーロが導入される前で、
星の王子さま(ちび王子)のお札が素敵だった。

きれいで、重々しくて、しゃれていて、緊張する
異国の都パリの灯りは赤みを帯びていて、
パトカーのサイレンは聞きなれない音がした。

そのパリ旅で経験した小さな、でも、頭を離れないことがある。
それは、建物の入り口の扉にまつわる経験。

どこかの建物に入るとき(あるいはそこから出るとき)、
先をゆく誰かがいれば、
その誰かは、必ず、例外なく、後ろを振り返り、
次にその扉を通るわたしのために、扉をおさえていてくれた。
当たり前のように、こちらに視線を送っていた。

“merci”もどきの 、ぎこちないお礼をいって、扉の重さを受け取り、
建物に足をふみいれたら、今度は自分が後ろをふりかえるようになった。
じっくり。

こんな些細なことが記憶に残っているのは、少し複雑な気分もする。
情けない、というか。
これだからトーキョーの人は、と呆れられてもしょうがない。

しかし考えてみれば、この人口過密な都市圏では現在、
次にその扉を通る誰かを気づかう必要が、そもそも、ないことが多い。
90年代、00年代と、ますます、少なくなった。

なぜか。
自動ドアが多いから。増えたから。

扉の前にたてば、それは自然にスライドしてひらき、
自分がそこを通りすぎれば、自然にスライドしてしまる。

後ろに誰かがいる場合、立ち止まるのは却って迷惑になる。

ただ自分の行きたい方向へ進んでいって
扉の前から立ち去るのが一番で、
そうすれば、
次に通るその誰かも、自分がそこを通ったときと同じようにして、
扉の前に立てば、それは自然にスライドしてひらき、
そこを通りすぎれば、自然にスライドしてしまる。

扉は横滑りして動くから、
自分が閉めた扉がほかの誰かの鼻先めがけてはねかえり、
危害を加えることを心配する必要もない。

自分と扉の関係についても、
自分と、その次に同じ扉を通る人との関係についても、
気味がわるいまでに、無自覚的になればなるほど、
無感覚になればなるほど、ことがスムーズに進む。

自動ドアは確かに便利ではあるが
でも自分は何か根本的な感覚をだめにしてしまっていたような気がする。

自分が通りたいと思って立てば、扉はひらくと思い込み、
通りすぎれば勝手に閉まると思い込み、
自分が通れた扉は、ほかの誰もが問題なく通れると思い込む。

大げさかもしれないけれど、
好むと好まざるとにかかわらず日々、繰り返している行動・所作は、
思わぬところにまで影響をおよぼすかもしれない。

生活のさまざまな場面に自動ドア感覚が浸透していることが
よその国に出たのちに、この都市圏に戻ってきて感じる
居心地のわるさというか気味悪さの
一つの原因なんじゃないだろうか、とさえ、思える。

第一次カルチャーショック以前の自分と、現在・未来の自分に対する戒めもこめて。