2012年12月30日日曜日

granada de Mexico





 今日の東京は冴えない曇り空なので、鮮やかなものを見たくなった。
 
 この夏、メキシコシティでごちそうになったザクロ(スペイン語でgranada)。


 ナイフで切るのではだめ、
 こうして割ると、実の美しさが映える(lucir)のよと、割ってくださった。

2012年12月1日土曜日

9月の港



12月1日。チェルノブイリのこどもたちの写真が載ったカレンダーは
ついに最後のページになった。
「~さん、今年やり残していることはありますか」
なんていうことばがラジオから聞こえてくる。

それはもうたくさん、あまりにたくさんある。
上にあげた港の写真も、そのひとつと関係がある。

今年の9月末、
朗読劇『銀河鉄道の夜』夏の東北ツアーを見に行ったときに撮ったもの。

朗読劇が行われたのは岩手県の住田町で、
写真の港は、お隣の大船渡。

前の晩には、ここ大船渡の仮設住宅での交流会にも加えていただいた。
用意していてくださったつみれ汁の、なんと、美味しかったこと!

さて。
この港から住田町に戻るのに、陸前高田市を通った。
たかだか2泊の、2012年の、しかも9月末になってからの岩手旅だったが
そこで見たこと、感じたこと、考えたことを
どんなことばにすればいいのか、していいのか、いまだに答えが出せずにいる。


大船渡で教えてもらった土地のことばを、
東京の西の端で暮らす中で、たびたび思い出す。

「つかれたー、という人がいたらね、
 ねておきろー、というのよ。
 可笑しいでしょう、
 休んだらというんじゃなくて、寝て起きろー、っていうの。」

つかれたら、ねておきろ。
しっかりやすんで、そうしたら目を覚まして、動くのだ。


2012年11月29日木曜日

おはらすか hojarasca

世界一美しいことば大賞というのがあるらしい。
晩秋の今、私が選ぶとしたら断然、hojarasca だ。
(hojarascaと言えばガルシア=マルケスの短編を思い出す人もいるだろうが、
 それは今回の連想の外側にある。)

スペイン王立アカデミー編纂の辞書によれば、
第一義は 「木々から落ちた葉の総体」

hojarascaという語の発音をひらがなで再現するとすれば
「おはらすか」

 「は」の部分は少しかすれた感じに、
 「ら」の部分からフェイドアウトするように、
 「す」の部分は、子音だけで発音する。

おはらすか。hojarasca.

木から、はらはらと落ちてくる秋色の葉、
ふと見ればその葉が吹き寄せられている様子、
地面に落ちた葉がかさかさと転がる音、
秋の冷たい空気までが、くっきりと想像される。
(しかも、東京の11月末には、そうしたイメージの本物が
 歩いてゆく先に、目の前に、頬のすぐそばに、存在する。)

…とは言っても、スペイン語圏の人たちはおそらくhojarasca
ということばに美しさを感じることは少ないのではないか とも思う。

というのも、先ほどと同じ辞書によれば
第二義は「木や植物の、過度の、そして無益な茂り」
第三義は「無益で中身がほとんどないもの、特に、ことばや約束」
(葉が落ちるのは、冬のさらに先の春のためなのに、無益とは。)


それでも、ここ東京の西の端では、しばらくの間ひっそりと
おはらすかhojarascaを楽しんでいよう。



2012年11月6日火曜日

artista sin frontera

2年生と3年生の授業に、ゲスト・スピーカーをお招きした。

NGO<国境なきアーティストたち>代表の、エクトル・シエラさん。

コロンビアに生まれ、
旧ソ連留学時代にはセルゲイ・パラジャーノフ監督のもとで映画づくりを学び、
コソヴォ、東ティモール、アフガニスタン、9.11後のニューヨーク、など
武力紛争、衝突、衝撃的な事件を経験した土地に出向いて、
こどもたちを相手に、
絵を描く、折り紙を折る、などのワークショップを行ってきた方だ。


一方的に話をして聞かせるというのではなく、
学生ひとりひとりに質問を投げかけるチャンスを設け、
それぞれに対して丁寧に答えるという形で、少しずつ話をしてくださった。

その進め方に、なるほど、と思う。


それから、ご自身の活動の様子をまとめた映像を見せてもらった。
日本のこどもたち。ニューヨークのこどもたち。アフガニスタンのこどもたち。

映像のなかで、特に印象に残った場面が二つ。

ひとつ。
アフガニスタンの、女の子たちのクラスを担当する先生(若い女性)が、こう言った。

 消しゴムやえんぴつは使ったら消えてなくなってしまうけれど
 あなたたちが学んだことは、消えません。
 家に帰ったら、もう一度練習してごらんなさい。




もうひとつ、こちらはもう少し複雑な思いをのこした場面。

アフガニスタンの、四歳から絨毯織りの仕事をずっとしていて、
学校に行く機会を持たずにいる女の子(八歳ぐらい?)が

将来の夢は何?と聞かれたときには
何も答えずに赤い糸を織り込みつづけ、
大きくなったら何をしたいかと聞かれたら、今度は目を輝かせて、こう答えた。

 大きな絨毯を織りたい!


字幕を読んでまず思ったことは、この子も、もし学校に行ければ、
もっと可能性が広がるかもしれないのに、ということ。

けれど、大きな絨毯を織りたい!と言ったときの
彼女の目の輝きといったら、その威力は圧倒的で

教育を受けて、可能性が広がったほうが幸せだろうにと思うのは、
よそ者である私の身勝手な考えなのかもしれない、という思いも頭をよぎる。

さて、幸せとは何なのか。


面白い刺戟というのは、
問いを解決するのではなく、
反対に、問いを開いてくれるものなんじゃないかと思う。

2012年11月5日月曜日

山から見た虹





浅間隠山、山頂近くから見えた虹。



2012年9月17日月曜日

本の値段

日本で出版される本を見ると、カバーの部分に定価が印字されているけれど
メキシコの本には、それがない(ただし、ISBNを示すバーコードは印字されている)。

本全体を包む薄いビニールのカバーの上に値札がついていることが多く
それがない場合は、店員さんに尋ねれば
バーコードをつかって、あるいはタイトルと著者から検索して、いくらか教えてくれる。

本の価格は、古書店でなくても、書店によってかなり違う。
(私は数回しか利用したことがないけれど、El Sótano は比較的安いと聞く)


また、大手出版社・書店のFondo de Cultura Económicaの場合だと、
出版されてからある程度時間が経つと(1年?2年?詳しくはわからない)
値札シールに二行目が出現、
そこには新刊本の値段から10%割り引かれた数字が印字される。


それから、上記のFondoや、Siglo XXI、Porrúa, それに大学の出版局などの
直営書店の場合には、
メキシコの大学が発行した学生証を会計の際に提示すれば、
それぞれの出版局が出した本は、かなり大きな割引率で購入することができる。

 たとえばメキシコ国立自治大学(UNAM)の場合には、
 半額に、あるいは25%引き(共同出版の場合)になる。

メキシコ市に留学したときの実感からいうと、
あの町で生きていく上で最低限必要な諸経費(食費、交通費、住居費など)に比べると
書籍の値段はだいぶ高いので、学生には嬉しい配慮だと思う。


今回のメキシコ滞在中、8月30日にFondoの書店で Venta nocturna という催し
(夜の大売り出し、とでも訳せるだろうか)があった。
6時ごろから始まり、夜の12時までで、
Fondoの出版物は40%引き、ほかの提携各出版社の本も大いに値引きするというもの。

メキシコ市でもっとも大きなFondoの支店、Rosario Castellanos店(Av. Tamaulipas)に行くと
店内は、日本のデパートのバーゲンセール、レディースフロアーぐらいに混んでいて
仮設レジがいくつか用意してあったにもかかわらず
各自何冊も抱えて並ぶ大勢の列はなかなか進まず、結局40分か50分ぐらい待った。

レジ待ちの間、なにやらトークショーのようなものが聞こえてきた。ある女性客のコメント:
 -メキシコ人には本を読む人が少ない、なんていうけれど
  そんなことを言う人には、この光景を見てほしい!

そういえば、毎年、旧市街(の、Palacio de Mineríaだったか?)で開催されている
ブックフェアに行ったときにも、ほんとうに大勢の人が来ていることに目を見張ったことがある。


文化が、そして読む、知る、考えるということが、
それを楽しみたいという思うすべての人にとって手に届くものになるチャンスがあるのはいい。








2012年9月16日日曜日

ぷてぃんてたはどこにいる?

三年ぶりにやっと会えたヒメナは、また新たな作品を刊行していて、 
そして今や、ふたりの女の子のお母さんだった。

ルシーアは幼稚園に通い始めたばかりで、
部屋を案内してくれたり、踊ってみせてくれたり、ぴょんぴょん跳ねたり、何とも活発。

おしゃべりざかりなのだけれど、
まだ舌足らずで、
"s"や "r"の発音が難しいらしく、"t"で代用している。
プリンセサ[おひめさま]は、ぷてぃんてた。

"t"の音だらけのスペイン語は、私にとっては暗号のようで
ルシーアのおはなしを"聞き解く" には
状況の文脈と、かのじょの仕草をじっくり見る必要があった。


いっぽうのイサベルは、ようやくつかまりだちができるぐらい。

ヒメナが "?Dónde está Isabel?"(イサベルはどこにいる?)と優しく言うと、
イサベルはちいさな両手を顔に寄せ、「いない、いない」のしぐさをする。

"?Dónde está?" と、再びヒメナ。
イサベルの手は、まだ顔のあたりにある。

そして、ぱっとどける。
"!Ahí está!"  そこにいる!と、ヒメナ。
イサベルの顔が、ぱあっと明るくなる。



ヒメナの新刊は、こんどは小説ではなく童話。
メキシコの神話と現代メキシコの現実を重ねあわせ、
こどもたちが生き抜く知恵をそっとささやいて教えるような作品らしい。
何ということか、手に入れそびれて帰って来てしまった!

2012年9月14日金曜日

agua, hot water そしてお湯!

今回は、メキシコ・ベニートフアレス国際空港→ダラス・フォートワース空港→成田空港
という経路で帰ってきた。
(ちなみに、アメリカン航空のダラス経由で行けば
 メキシコ/日本間、乗り継ぎ地で預け荷物を
 いったんピックアップしなくていいことを知った。とても助かる。)


それぞれのトイレで手を洗ったときの印象。


メキシコ市…あいかわらず少なめ、でも必要十分の水量

ダラス…ぬるま湯、9月でも温めるのか

成田…さらにあたたかい、こんなに蒸し暑いのに!そしてものすごい水量、もったいない


メキシコに初めて留学した2005年夏には
水道から出てくる水の量が少ないのは不便だと感じたけれど(特にシャワー)
いつの頃からか、あれでちょうどいいと思うようになった。

おそろしい時代のように「贅沢は敵」、なんていうことは言わないけれど、
"必要十分"が選択できるようだと嬉しい。


時差・時刻

メキシコに半月ほど滞在してきた。
あちらはまだサマータイム実施中。
朝は7時でもまだ薄暗いけれど、夜は7時半すぎまでは明るかった。
午後がたっぷり使えて助かった。

東京に戻って半日、
時差のずれに、もちろん体はまだ適応しておらず
朝5時半に目が覚めた。
が、もうだいぶ明るくかったので、
気分としては、その時点ですでに朝7時半ぐらい。
東京の太陽時刻にうまく調整 ajustarできているなら嬉しい。

2012年8月23日木曜日

嗅覚の地図


嗅覚の目印でつくった地図あるいは道案内をたよりに、
人は目指す場所にたどりつくことができるだろうか?

ほとんどの道がアスファルトで舗装されているような都市では無理?
五感入ってくる情報がすべて鮮やかな夏なら、可能?


とっぷり暮れた帰り道、暑さにくたびれて半ば惰性で歩いていたら、
わっとオシロイバナの妖しく甘い赤紫の香りが右のほうから飛び込んできて、
それに続いて畑の匂いがして、
自分が、今まさにその地点を通過しているのだということを
とつぜん鮮烈に意識した。
その場の空間が、記憶に(あるいは認識に)、
<立体的>とでも形容できるような、像を結んだ感じがした。

そういえば、
小学校への通学路には豆腐屋があって、
朝の登校のころにはちょうどおからが白いほかほかした湯気をたてて
店の外に置いてある大きな容器にほろほろほろほろ転がり出ていた。
換気扇が音を立てて盛んに回っていた。
おからの香りはむせるようで、当時は少し苦手でもあった。
今は懐かしい。
豆腐屋さんの湯気を過ぎると、学校はもうすぐだった。
おからの香りを思い出すと、
学校の裏門に続く坂の傾斜まで、体が思い出すようだ。

(下校時刻になると、
 おからの容器はきれいに洗ってふせてあったように思う。
 この記憶はあやふや。)








2012年8月16日木曜日

かこいの外と内


8月16日、ひさしぶりに『常用字解』を開いてみた。

 国(國)
 「会意。もとの字は國に作り、口(い)と或(わく)を組み合わせた形。
 
 或は口(都市をとりかこんでいる城壁の形)の周辺を戈(ほこ)で守る形で、
 國のもとの字である。

 或がのちに「或いは」のように用いられるようになり、混同を避けるため、
 或に改めて口を加えて國とし、武装した国の都をいう。

 のち、「くに」の意味に用いる。

 唐代の則天武后(七世紀の女帝)は國が限定するという意味を持つ或を
 構成要素としていることを不満とし、國の代わりに八方(あらゆる方向という意味)
 を入れて圀(こく)の字をつくらせた。

 この字はいま徳川光圀(黄門)の名前に残されている。

 国の字形は國の草書体から生まれた略字であるが、
 いま常用漢字として使われている。  

 [用例] 国益 国家の利益 / 国家 くに /国政 国の政治
       国都 首都  /国防 外国の侵略に対する防備
       異国 外国  /隣国 となりの国
  
 (白川静 『常用字解』、平凡社、2003年、209頁)


古今東西、
さまざまなかこいのなかで
重大な、そして何らの事情のために解決の難しい問題が起きたとき
そこに生きるひとびとに、かこいの外に目を向けさせて、
本来の問題から注意を逸らすという力がはたらいてきたことを思い起こす。

矛の動きは、ほんとうのところは何を守ろうとしているのか
それぞれのかこいのなかで冷静に考えなければ、おそろしい。



2012年8月10日金曜日

サボテン命名の謎

旦先生があちこちに養子に出したサボテンたちにつけられた名は、
なぜ女性を思わせる名前ばかりなのか?

スペイン語だとcacto, cactusは男性名詞。
ポルトガル語だと違うのか?なんて思っていながら、調べずにいた。

が、今朝、謎が解けた。(たぶん)

あんずジャムを塗ったトーストを食べながら、
オレンジ色の鉢の「ムケカ」に、ふと目をやると
あれ?
何かいつもと違う。
じっくり見たら、手の小指の爪ほどに、ぼこ、と何かが出ている。

ぱぱぱぱ、と記憶の蔓が自然にたどられていく。

声の記憶。


「サボテンてさ、どんどんふえるんだよー

 ぼこ、っていうのが出て、その、ぼこ、っていうのをわけてうえると、

 サボテンになるんだよ

 そうやって、ぼこ、っていうのができるたびにわけていったら

 400鉢」


「よんひゃっぱち」という突拍子もない数(と、そのひょうきんな音)にあのとき、
電車のなかで、つい大笑いしたのだった。
横隔膜の記憶。


そこから一気に推論。
サボテンには、母のイメージが重なるのだろう。
それから、もしかすると
男にとって「予測不能な、手に負えない、つい振り回されてしまう」相手である
女のイメージも。

(メニーナのほうも、大きな鉢にうつしてやらないといけない。
 あらためてよく見ると、いつのまにやらムケカとの差は驚くほどになっている。)

2012年7月4日水曜日

多言語化

二度の留学でお世話になったメキシコ国立自治大学(UNAM)の
ホームページの、メイン画面に
いつのまにか言語変換オプションが加わっているのを見つけた。

メキシコの第一言語であるスペイン語(メキシコ国旗のアイコンで示されている)のほかに
英語、フランス語、ドイツ語、日本語、中国語、ポルトガル語が選べる。

これらの言語で閲覧できるページは、今のところまだ限られた数しかないが、
それでも、画期的だと思う。



2012年6月30日土曜日

適応するちから

ひとつきほど前に、(おそらく無駄に重い荷物のせいで)左手の腱をいためてしまった。

左手の親指がまったく使えず、
服のボタンはかけづらいし、皿洗いはしにくいし、ジャムの瓶の蓋は開けられないし、
初めのうちはひどく不便に感じていた。


が、二週間ぐらいしたころだったか、
どうしても朝食のトーストにレモンジャムをつけたくなり、
「親指がだめなら人差し指じゃあるじゃないの」と思いついた。

レモンジャムの瓶を左手の人差し指と中指でフォークボール式に挟み、
瓶がすっとんでいかないよう念のために腿の上に置いて、右手で、ぐい。
蓋は見事に開いた。

ジャムの蓋が開いたあと、
試しに左手でフォークボール式に持ってみたグラスが軽々と持ち上がり、
人差し指が親指の代役を正式に買って出たこの日、
私はメキシコに初めて留学したときのことを思い出した。


暗くなれば恐ろしいから一人歩きはしない方がよいし、
バスの座席や床は傷だらけ穴だらけ、
横断歩道で長い信号を待っても歩行者が渡れる時間は一瞬で終わり、
下宿に戻れば、シャワーは細くお湯の出るのは短く、
停電や断水も日常の出来事、
部屋の壁にはサソリみたいなおそろしげなものが出現するし、
まだ寝ていたいのに早朝から隣家の雄鶏が盛んに鳴き、
日中は、路上で修理している車のステレオから大音量のレゲトンが鳴り響く。
近所の鶏肉屋で買った肉は、用心して時間をかけて煮たのに、あたって寝込んだ。

はじめは途方に暮れたものだった。
しかしそのうち、けろりと適応した。
日本から訪ねてきたともだちには、
「メキシコにいるほうが、なんか生き生きしてるね?」とまで言われた。
複数の人に。というか、ほぼ、毎回。


混沌とした大都会メキシコシティの環境は、
「温室」みたいな東京から出て飛び込んだばかりのときには、たしかに厳しく感じられた。


が、どうにか適応できた段階で気づいたことは、
自分もけっこうタフなのかもしれないということ、そして
厳しい環境では、
より逞しい人がより弱い人を、ごく自然に助ける習慣が、できているのだということ。
(ただし、弱者の弱みにつけこむような類の人たちについては、別の問題。)

便利には一瞬で慣れるが、不便にだって、そのうち慣れる。
そして、眠っていた逞しさが目を覚ます感覚は、痛快でもある。
不便な状況のなかは、人と人とのやりとりが頻繁に起こり、
誰かに気づかってもらったら、自分も人にそうしたくなる。


そろそろ冷房が寒くなってくる「温室」東京は、
居心地をよくしようとする力が働きすぎて結局居心地がよくないような、
矛盾したところがある。

……と言ってみたところで何の得にもならないし、
そもそも「温室」という環境のせいにして、自分まで再びひょろひょろになってたまるか、とも思う。

都会の脇にあるベランダのプランターに植え付けられても
淡々と花を咲かせてはガンガン実をつけているシシトウガラシを見習いたい。





2012年6月5日火曜日

つつじ+夕方の紺色=?

今日、6月5日火曜日。

6時50分ぐらいに、たまたま窓のブラインドを開けてみたら
紺色の空に浮かぶ雲が夕焼色で、
窓をがばっと大きく開けて、しばらくのあいだ、眺めた。

屋外に出てぱっと目にとびこんできたのは、満開のつつじ。
紺色を帯びた光のもとで見ると、つつじはブーゲンビリアみたいで
夕方のひんやりした風と昼間の暑さの記憶のためか、
メキシコシティのサン・アンヘル地区が、急にひどく懐かしくなった。

2012年5月18日金曜日

フエンテスと声

今月12日に亡くなったメキシコの小説家カルロス・フエンテスの
生前のインタビュー映像が、
グレゴリー・サンブラーノ先生のblogで紹介されている。

http://gregoryzambrano.wordpress.com/

http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=mm2WBEqViUI#!
始まって5分ぐらいのところで彼が発したことばに、耳が反応した。

カーソルを動かし、気になった部分を繰り返して聞くと、彼は次のようにいっている。

Una novela tiene que ser fiel a sí misma.
En la medida en que lo es, defiende los dos grandes valores de la literatura,
que son la lengua y la imaginación.

小説(小説というジャンルla novelaではなく、
ひとつひとつの作品としての小説 una novela)は
自分自身に対して誠実でなくてはならない。

自身に対して誠実であるとき、小説は、
文学のもつ二つの偉大な価値を擁護することになる。
その価値とは、ことば(lenguaje)、そして、想像力(imaginación)。


---
フエンテスの声を聞きながら、
内容から離れて思ったのは、

彼自身の声(の録音)を、わたし自身が「じかに」
(=翻訳や通訳という、第三者の思考の介入なしに)聴き取り、
そこからあれこれ考えをめぐらすことができるのは、
なんと贅沢で豊かで心躍る体験か、ということ。

(上にあげた文章の、日本語訳の方には、
すでに、フエンテスでない人物[私]の思考が介入してしまっている。)

こんなことがあると、
翻訳や通訳という仕事の価値を、
翻訳や通訳の成果から恩恵を受けていることを、
日本語に変換されたことば自体の価値を、十分に意識したうえで、思う。
スペイン語を学んできてよかった。

母語以外の言語を学べば、世界は確実に広がる。確実に。

今度は、こういう面白さを味わえるようになるための、添え木を提供したい。



2012年5月17日木曜日

刺戟を受ける

そのことばから、作品から、一挙一動から、存在自体から
ポジティブな刺戟を受ける友人は、とても貴重で、たいせつだ。


そんな、たいせつな・大好きな友人たちのひとり、
原瑠美さんのblog.
http://www.rumihara.com/blog-peanutbutter-sisters.html


2012年5月5日土曜日

後姿

休日の公園には、ギター弾きがよく似合う。
ギター青年がひとり、
公園内の歩道にあぐらをかいて座りこみ、弦をかき鳴らして歌っていた。
傍らに、頼もしい相棒みたいな自転車をとめて。
彼の周りに、聴衆はいなかった。
すこし離れたところで、若い夫婦が足をとめて聞いていた。

ギター弾き歌うたいの横を通り過ぎ、
20メートルほど歩いただろか、木陰に車椅子のおばあさんがいた。
目をつぶって気持ちよさそうに歌を聴いている。
まぶたを開けば、青年の背中が遠くに見えるだろう。
おばあさんは目をとじたまま、
木々の葉っぱ越しに届く光を受け、心地よい風を受け、ひとり、静かに歌を聴いていた。

青年はそんな風に聴いているおばあさんがいるとは知らずに歌い続けていた。
いまも、この先も、きっと知らないままだろう。

2012年4月14日土曜日

門内幸恵さんの絵画展2

現在、明治大学生田キャンパス図書館1階
Gallery Zeroで、画家・門内幸恵さんの絵画展が開かれています。

昨日、門内幸恵さんと、編集者の沼尻賢治さん(+司会・旦敬介さん)
によるトークイベントにあわせて、会場に行ってきました。
いろいろ面白い話が聞けたのですが、
そのうち、まずひとつの話題を、記憶に基づいて再構成してみます。

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「挿絵を描くとき、
 水彩、クレヨン、油絵など、さまざまなメディアがあるが
 どうやって選ぶのか?」という質問に対して。

普段、画家として自分で絵を描くときには、油絵がメイン。

挿絵の仕事で、締切がある場合には、
「絵を乾かす時間」をどれほど取れるかという問題に
どんな画材を使うか、その選択は大いに左右される。

また、挿絵の場合、
文章を読んで、読んで、読んで、イメージを定めてから
(このプロセスに、挿絵を描く作業全体の80%の時間をつぎこむという)
絵に「おこして」いくのだけれど、
文章の特徴、たとえば力づよさ、あるいはみずみずしさに応じて
「クレヨンが合うだろう」とか「水彩が合うだろう」と、選ぶ。

そして。

ANA機内誌「翼の王国」での以前の連載小説、
旦敬介さんの「旅する理由」のときには
クレヨンを使って挿絵を描いていたのだけれど、

色を混ぜると、どうしても濁る。
混ぜられないということは、使える色は、限られる。
すると、描きながら、
ああ、前もこの色の組み合せをつかった、ということが起きてくる。

こうした色の制限に、不自由さを感じるようになった。

同じく「翼の王国」で現在連載中の
六月まどかさん「あるこほーるの夢」では、
それまであまり使ってこなかった水彩を試してみた。
すると、思いのほか、自由に描ける。
クレヨンと違って、イメージする色がつくれるし、
油絵で慣れている筆使い、クレヨンで身につけた色使いを活かしつつ
ぼかし、にじみなど、水彩独特の効果も出せる。

さらに、この連載挿絵の仕事が、
画家としての表現活動にも変化をもたらした。

これまでの油絵作品では、画面全体をマットに仕上げることがほとんどで
筆の痕跡が見えるようでは、許せない、
筆の跡が見えなくなるまで、塗りこみ、塗り上げる。そんなやり方だった。
が、この油絵表現で、行きづまりを感じるようにもなっていた。
やりたいことと、やっていることが、矛盾しているように感じていた。

そんなとき、連載の挿絵を水彩で描くようになり
挿絵のほかにも、
何枚も何枚も、水彩画を描いた。

水彩の場合、
油絵と違って、塗り直しが効かない。
それは難しさでもあるが醍醐味でもある。

その「塗り直しが効かない」という感覚(あるいは、「姿勢」?)を
そのまま、油彩に応用して、描いてみた。

そうして描いたのが、今回展示してある油絵の作品群。

- - -

確かに、今回の展示作品は、
これまでの作品 (以下リンクから画像が見られます)
と、かなり違う。
以前の作品も好きだけど、
新しいものには、
門内さんの持っているespontáneaな部分が、よりうまく出ているように思える。


今までどこかで彼女の作品を目にしたことがあるかたも、
見たことがないかたも、
生田の坂道をのぼって
(あるいは、向ヶ丘遊園駅からバスに乗って)
(あるいは、生田キャンパスに通っているかたは、図書館の入口から左へ寄り道して)
会場に足を運んでみてください。

詳細は以下に。

すずらん

あるラジオ番組で二人のギタリストのやりとりを聞いていたら、
きっと聞きまちがいだろうけれど、気に入ったフレーズがあった。

「すずらんは喜びに形が似ている」

2012年4月10日火曜日

ひだりの定義

何のために、こんなことばを辞書で引いたのか
数時間のうちにすっかり忘れてしまったが、
私の使っているカシオの電子辞書Ex-wordに入っている二つの辞書で
定義の仕方がこんなに違うのか!と驚いたのが「ひだり」。

『デジタル大辞泉』によれば
1.東に向いたとき北に当たる方。
大部分の人が、食事のとき茶碗を持つ側。
2.左方の手。ひだりて。
(以下略)

『明鏡国語辞典』によれば
①人体を対称線に沿って二分したとき、
心臓のある方。体の左側。
②「前後左右」で表される相対的方向の一つで、
①の方向。また、その方向にある場所。例えば、
話し手が北を向いたときに西に当たる方など。
(以下略)

北、東、西……ぐるぐると脳内磁針が回る。

ちなみに、スペイン王立アカデミー編纂のスペイン語辞書で
「左の(izquierdo, izquierda)」という形容詞の語義を見てみると
1.人間の体の部分について、心臓の側にある(例:左手、左目)
2.観察者(observador)の心臓と同じ側にある
(以下略)

またもや心臓。
心臓を基準に考えるなんて、人間中心の世界の見方のあらわれか!
と一瞬思ったけれど、
しかし「右」とか「左」という概念はそもそも、
目の前にいない相手に対して定義するのは難しく
辞書に載せられるほど遍く通用するような
「左」の概念の参照項を探した結果、
見つかったのが「心臓」だったのだろう。

面白くなってきたので電子辞書に戻って
オックスフォード現代英英辞典を見てみると
1.北を正面にした状態で西に向いている身体の側にある
(以下略)

……ひどくわかりにくいのは私の日本語訳のせいで、
原文はこの通り。
"on the side of your body which is towards the west
when you are facing north"


ものごとを立体的に捉えるのが苦手な頭にとっては
東だの北だの西だの言われるとそれだけで目が回り
犬が西むきゃ…ということわざが記憶によみがえる。

でもやはり、
「右」「左」の関係なんて、上下さかさまや裏表反対にすれば
すぐにひっくり返るような危ういものなのだから
自分の胸で四六時中動いている小さなポンプの位置を
手っ取り早い基準としてしまうより
地球と太陽の関係ぐらい大きなものを頼りに、
日の出から日の入りまで眺めて、こちらを東、こちらを西と呼ぶ
夜になって、空に北極星を見つけて、あちらを北と呼ぶ
これらの基準を基に、
こちらを右と呼び、こちらを左と呼ぶこととする
というぐらい慎重にしてもいいようにも思える。


2012年4月1日日曜日

1ero de abil (4月1日)

The next stop is Tokyo. The doors on the left side will open. Please change here for the Shinkansen, the Tokaido Line, the Yokosuka Line, the Sobu Line Rapid Service, the Keiyo Line and the Marunouchi Subway line.

331日の晩、ときおり翌日のことを思い描きながら、山手線は大勢の乗客を乗せていつものルートを巡り続けた。特に乗り降りの多い駅は、東京、上野、池袋、新宿、渋谷、品川、そしてまた東京。毎日何度もぐるぐると終わりのない輪を描いて走るのは、どうも気が滅入る。せめて始発駅と終着駅がはっきりしていればもっと達成感がありそうなのに。ほかの路線がうらやましい。しかし、ほかの路線にいわせれば、それは贅沢な悩みだった。一国の首都の、それも中心部にある重要な駅をつないで大勢の乗客を運び、生活を、経済を、滞りなく循環させていることも、始発駅や終着駅に長く停車して時間を無駄にすることなくいつも働いていることも、誇りに思って然るべきだ。ほかのだれもがそう考えた。

それでも山手線はくたびれていた。朝と晩のラッシュアワーが最も苦手だった。混み具合は年々ひどくなる一方で、ぎゅうぎゅうの車内に乗り込んでくる乗客たちの諦めと覚悟の入り混じったような、表情をころした顔を見るのもいやだったし、少しでも電車が遅れただけで駅員が怒鳴りつけられるのを聞くもいやだった。しかも、気を散らせて事故を起こしてはいけないと思って、駅の案内板に貼られた展覧会のポスターを見るというささやかな楽しみも、車内の吊り広告や、ドアの上に設置された小さな画面で流されるニュースや英会話番組を眺めるという気晴らしも、混んだ時間帯には控えることにしていた。

しかし何より、混んだ車内では会話をする人がほとんどいないのがつまらなかった。山手線にとって、車内で聞こえる会話は、外の世界を知るための貴重な情報源だった。車内に吊り下げられている週刊誌の広告や小さな画面で流されるニュースを見ていれば、世の中でどんなことが起きているのか少しは見当がついたが、取り上げられるのはごく限られた種類の話題だけだったし、どこまで真実が伝えられているのかもわからない。しかも、ひどく揺れたあの日以来、ニュースの画面に映画のような内容がうつることもあった。それで、どうにかして外のことをもっと知りたい、と、話し声の聞こえるときにはできるだけ耳を澄ましていた。けれども、体を動かす隙間もないほど混んだ時間帯に車内で聞こえる音といえば、電車自体のたてる音か、ヘッドホンから漏れて聞こえる音楽か、抑えた咳払いぐらいしかない。だから、よけいに憂鬱だ。

とは言え、今夜は、普段に比べればいくらかマシな気分だった。明日を楽しみにしていたからだ。これまでに聞いた会話の断片をつなぎ合わせると、41日というのは、ちょっとドキっとするような嘘や冗談でも笑って済まされるという特別な日であるらしい。この推測がたしかなものであると確信した去年から、山手線は、自分も何かやってみようと企んでいた。たとえば、車内で流れるアナウンスに手をくわえること。録音されたアナウンスは、毎日同じだから、味気ない。でも混んでいるときはピリピリしている人が多いから、空いているお昼過ぎにしておこう。大ごとにならないように、聴いている人の少ない英語のほうが無難かもしれない。何人か、気づいてくれる人がいればいい。でも一体、どこをどう変えたら、気が利いているだろう。

翌日の昼過ぎになっても、いいアイディアはまだ見つからなかった。いつも詰めが甘いんだ。そもそも、僕は声を出せないじゃないか。再生するアナウンスを途中で止めたりつなぎ合わせたりするぐらいならできそうだけど、それで何か面白いことができるだろうか。

The next stop is Tokyo. あああ、また東京駅か。ここで降りる人たちはあちこちへ移動していくのに、僕はまたぐるっと次の一巡に入るってわけだ。そう思った次の瞬間、聞こえたのは、Please change…  今だ!山手線は、アナウンスを急いで止めた。変えてください。でも、その先に何をつなげればいいかわからない。どうしよう、ふつうに続けるしかないか、ちっとも面白くないけれど、しょうがない。そのとき、ある乗客の膝の上で荷物がかすかに揺れ、か細い子猫の声が車内に響いた。ミー。Please change me. ことばがつながった。変えてください、僕を。そこで山手線は咄嗟に続けた。to prevent an accident. 事故を防ぐために。Please change me to prevent an accident.  僕を変えてください、事故を防ぐために。それはもはやジョークではなく、ぎりぎりの状態にあった山手線の、必死の訴えだった。

それでも、山手線は、東京駅を出るといつものように神田駅に到着し、神田の次は秋葉原に、その次は御徒町に止まった。次は上野。ぼくは所詮東京の中でぐるぐる回っているしかないんだ。山手線は、少しずつ気持ちの整理をつけようとしていた。

ところが、彼の気づかないところであの叫びを聞き取った乗客たちがいた。それを、また別の人に伝えた人がいた。駅員に伝えた人もいた。少しは東京の外に出るのもいいだろう、と、たくさんの人たちが共感した。彼らは動いた。

上野駅の宇都宮線のホームで電車を待っていた人たちは、そこに山手線が入ってきたのを見て少し驚いたが、東京にしては珍しく思いきった41日の冗談だろうと見当をつけ、面白がって乗る人は乗りこみ、いつもの車両でないと安心できない人は次の電車をおとなしく待った。

上野駅を出たところで、山手線は、自分がいつもと違う線路の上を走っていることにようやく気づいた。延々と循環する、いびつな輪から、ついに解き放たれたのだ。線路は、北の方角に向かって伸びていた。車内で交わされる会話の響きが少しずつ変化していくのに耳を澄まし、初めて見る外の景色に目を凝らしながら、山手線は一駅、また一駅と、北上していく。

(2011年8月)

2012年3月31日土曜日

西林素子企画・構成・振付「Nocturno」

2012年6月、日暮里のd-倉庫にて、

西林素子企画・構成・振付によるダンス・パフォーマンス

"Nocturno” の公演があります。(3月1日より、予約受付中)


このblogでも、何度か彼女が出演したダンス公演の感想を書いたことがありますが

今回も、期待が高まります。


ダンスやステージパフォーマンスに関心がある人にはもちろん、

これまで特に興味がなかった人にも、ぜひおすすめしたいステージです。

どうしてか。

まずは、ちらりとご覧ください。

"Nocturno"にも出演する西林素子さん、蔦村緒里江さんが

もう一人のダンサー松田尚子さんと共に組んだ YakaYaka-wokaの

映像記録がyou-tubeで見られるようになっています。

(平面になった映像でも十分いいですが、実物はもちろん、さらにattractiveです)

http://www.yakayaka-woka.com/official/Movie.html


"Noturno"詳細は、西林素子HP内、以下のページをご覧ください。

http://www.motokonishibayashi.com/web/news/entori/2012/3/12_Nokuturnochiketto_yu_yue_kai_shi.html




門内幸恵さんの絵画展

2005年メキシコ留学以来の大切な友人である
画家・門内幸恵さんの絵画展が、
明治大学のGallery Zeroで、始まりました。

「エッセンスに向かって ―絵から文へ、文から絵へ―」と題して、
<文章のために彼女が描いた「挿画」と
 彼女の絵に触発されて書かれた「挿文」を並べて展示する>という企画です。

主催は、2008年から2010年にかけて
ANA機内紙「翼の王国」の連載小説『旅する理由』で
幸恵さんとコラボレートしていた、作家・翻訳家の旦敬介さんの研究室。

2011年同誌の連載小説、
六月まどかさんの『あるこほーるの夢』の挿画も、
幸恵さんが手がけていたとのこと。

展覧会の協力は、「翼の王国」、そして
くぼたのぞみさん、六月まどかさん、温又柔さん、旦敬介さんと、私。

昨年、私が二度にわたって参加した詩の朗読イベント「ことばのポトラック 」
(第1回:3月に開催/第3回ことばの橋を渡って」:7月に開催、
 いずれもサラヴァ東京)で詩を読んだ際には、
読み上げるテキストの「表紙」として掲げるべく、
幸恵さんに依頼して、素敵な絵をおくってもらいました。

(ちなみに、「ことばの橋を渡って」に参加し温又柔さんと
そして「ことばのポトラック」すべての撮影を手掛けている大川景子さんが
この「表紙」の絵に気づいて、ことばをかけてくれたことを思い出します)


絵画展の会期は3月31日から4月26日。
公式のお知らせや会場へのアクセスは、以下のページで見られます。

4月13日(金)の17時半~18時半には、ギャラリートークもあるそうです。


2012年2月12日日曜日

フリオと詩

MsWord2010の漢字変換が、なぜか、
ふだん自分がなじまないビジネス用語風になりがちだ
と、ちょっと前まで思っていた。

このヴァージョンのWordは、
使う人の語彙を学習するのではなくて、
あくまでもビジネス用語中心の頭脳を備えているのか。

そう疑ってみたくもなったけれど、

それはきっと、
2011年3月に故障寸前のPCを買い換えてから今年の年明けごろまでは、
自分が日本語を打つ分量があまり多くなかったためだったのだろう。

今日になって、そう思い当った。
そのきっかけは、この機械が、明らかにふつうでない変換をしたこと。

「ふりおとし」(振り落とし)と打ったらば、
「フリオと詩」と変換された。

ある本の題名をも連想させるような誤変換(ちょっと短いけれど)。

機械は、ちゃんと学習していた。

連想を飛躍させれば、
こちらが話しかければ話しかけるほどことばを覚える、幼子のようだ。




2012年1月18日水曜日

Rubén Darío が生まれた日

「モデルニスモの父」と呼ばれる
ニカラグア生まれの詩人Rubén Daríoの誕生日が
1月18日だったことを、先日知った。

メキシコの新聞El Universal 
オンライン版の文化欄に載っていた記事によれば
ニカラグアでは、今週、
ダリーオの生誕145周年を記念するさまざまな行事がとりおこなわれるとのこと。

柳原孝敦先生の『ラテンアメリカ主義のレトリック』(2007)のなかの
ダリーオをめぐる章の重要なエピソードを思い出した。

1910年、メキシコで開催される独立百周年記念式典のため
ダリーオはニカラグア特使としてメキシコに船で向かったが、
その途上、本国ニカラグアで政変が勃発し、大統領が交代。

メキシコ政府は、ダリーオ(=前政権に任命された特使)を
正式なニカラグア代表として迎えなかった。

この出来事に「メキシコ市のとりわけ若き知識人や学生たちは激怒した」。

と、この部分だけを抜き出してみただけでは、
ダリーオ更迭事件と「ラテンアメリカ主義」との関係、
アメリカ合衆国がどう絡んでくるのかは、見えてこないのだけれど、

ダリーオ誕生日の今日1月18日に
2012年時点の目と頭と感覚で、
もう一度、あの章を読み直しておこう。