旦先生があちこちに養子に出したサボテンたちにつけられた名は、
なぜ女性を思わせる名前ばかりなのか?
スペイン語だとcacto, cactusは男性名詞。
ポルトガル語だと違うのか?なんて思っていながら、調べずにいた。
が、今朝、謎が解けた。(たぶん)
あんずジャムを塗ったトーストを食べながら、
オレンジ色の鉢の「ムケカ」に、ふと目をやると
あれ?
何かいつもと違う。
じっくり見たら、手の小指の爪ほどに、ぼこ、と何かが出ている。
ぱぱぱぱ、と記憶の蔓が自然にたどられていく。
声の記憶。
「サボテンてさ、どんどんふえるんだよー
ぼこ、っていうのが出て、その、ぼこ、っていうのをわけてうえると、
サボテンになるんだよ
そうやって、ぼこ、っていうのができるたびにわけていったら
400鉢」
「よんひゃっぱち」という突拍子もない数(と、そのひょうきんな音)にあのとき、
電車のなかで、つい大笑いしたのだった。
横隔膜の記憶。
そこから一気に推論。
サボテンには、母のイメージが重なるのだろう。
それから、もしかすると
男にとって「予測不能な、手に負えない、つい振り回されてしまう」相手である
女のイメージも。
(メニーナのほうも、大きな鉢にうつしてやらないといけない。
あらためてよく見ると、いつのまにやらムケカとの差は驚くほどになっている。)