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2012年6月30日土曜日

適応するちから

ひとつきほど前に、(おそらく無駄に重い荷物のせいで)左手の腱をいためてしまった。

左手の親指がまったく使えず、
服のボタンはかけづらいし、皿洗いはしにくいし、ジャムの瓶の蓋は開けられないし、
初めのうちはひどく不便に感じていた。


が、二週間ぐらいしたころだったか、
どうしても朝食のトーストにレモンジャムをつけたくなり、
「親指がだめなら人差し指じゃあるじゃないの」と思いついた。

レモンジャムの瓶を左手の人差し指と中指でフォークボール式に挟み、
瓶がすっとんでいかないよう念のために腿の上に置いて、右手で、ぐい。
蓋は見事に開いた。

ジャムの蓋が開いたあと、
試しに左手でフォークボール式に持ってみたグラスが軽々と持ち上がり、
人差し指が親指の代役を正式に買って出たこの日、
私はメキシコに初めて留学したときのことを思い出した。


暗くなれば恐ろしいから一人歩きはしない方がよいし、
バスの座席や床は傷だらけ穴だらけ、
横断歩道で長い信号を待っても歩行者が渡れる時間は一瞬で終わり、
下宿に戻れば、シャワーは細くお湯の出るのは短く、
停電や断水も日常の出来事、
部屋の壁にはサソリみたいなおそろしげなものが出現するし、
まだ寝ていたいのに早朝から隣家の雄鶏が盛んに鳴き、
日中は、路上で修理している車のステレオから大音量のレゲトンが鳴り響く。
近所の鶏肉屋で買った肉は、用心して時間をかけて煮たのに、あたって寝込んだ。

はじめは途方に暮れたものだった。
しかしそのうち、けろりと適応した。
日本から訪ねてきたともだちには、
「メキシコにいるほうが、なんか生き生きしてるね?」とまで言われた。
複数の人に。というか、ほぼ、毎回。


混沌とした大都会メキシコシティの環境は、
「温室」みたいな東京から出て飛び込んだばかりのときには、たしかに厳しく感じられた。


が、どうにか適応できた段階で気づいたことは、
自分もけっこうタフなのかもしれないということ、そして
厳しい環境では、
より逞しい人がより弱い人を、ごく自然に助ける習慣が、できているのだということ。
(ただし、弱者の弱みにつけこむような類の人たちについては、別の問題。)

便利には一瞬で慣れるが、不便にだって、そのうち慣れる。
そして、眠っていた逞しさが目を覚ます感覚は、痛快でもある。
不便な状況のなかは、人と人とのやりとりが頻繁に起こり、
誰かに気づかってもらったら、自分も人にそうしたくなる。


そろそろ冷房が寒くなってくる「温室」東京は、
居心地をよくしようとする力が働きすぎて結局居心地がよくないような、
矛盾したところがある。

……と言ってみたところで何の得にもならないし、
そもそも「温室」という環境のせいにして、自分まで再びひょろひょろになってたまるか、とも思う。

都会の脇にあるベランダのプランターに植え付けられても
淡々と花を咲かせてはガンガン実をつけているシシトウガラシを見習いたい。





2011年9月2日金曜日

扉はひらくものではなく、あけるものじゃなかったか?

初めて飛行機に乗って、初めて日本を出たのは、19歳の秋だった。
まだユーロが導入される前で、
星の王子さま(ちび王子)のお札が素敵だった。

きれいで、重々しくて、しゃれていて、緊張する
異国の都パリの灯りは赤みを帯びていて、
パトカーのサイレンは聞きなれない音がした。

そのパリ旅で経験した小さな、でも、頭を離れないことがある。
それは、建物の入り口の扉にまつわる経験。

どこかの建物に入るとき(あるいはそこから出るとき)、
先をゆく誰かがいれば、
その誰かは、必ず、例外なく、後ろを振り返り、
次にその扉を通るわたしのために、扉をおさえていてくれた。
当たり前のように、こちらに視線を送っていた。

“merci”もどきの 、ぎこちないお礼をいって、扉の重さを受け取り、
建物に足をふみいれたら、今度は自分が後ろをふりかえるようになった。
じっくり。

こんな些細なことが記憶に残っているのは、少し複雑な気分もする。
情けない、というか。
これだからトーキョーの人は、と呆れられてもしょうがない。

しかし考えてみれば、この人口過密な都市圏では現在、
次にその扉を通る誰かを気づかう必要が、そもそも、ないことが多い。
90年代、00年代と、ますます、少なくなった。

なぜか。
自動ドアが多いから。増えたから。

扉の前にたてば、それは自然にスライドしてひらき、
自分がそこを通りすぎれば、自然にスライドしてしまる。

後ろに誰かがいる場合、立ち止まるのは却って迷惑になる。

ただ自分の行きたい方向へ進んでいって
扉の前から立ち去るのが一番で、
そうすれば、
次に通るその誰かも、自分がそこを通ったときと同じようにして、
扉の前に立てば、それは自然にスライドしてひらき、
そこを通りすぎれば、自然にスライドしてしまる。

扉は横滑りして動くから、
自分が閉めた扉がほかの誰かの鼻先めがけてはねかえり、
危害を加えることを心配する必要もない。

自分と扉の関係についても、
自分と、その次に同じ扉を通る人との関係についても、
気味がわるいまでに、無自覚的になればなるほど、
無感覚になればなるほど、ことがスムーズに進む。

自動ドアは確かに便利ではあるが
でも自分は何か根本的な感覚をだめにしてしまっていたような気がする。

自分が通りたいと思って立てば、扉はひらくと思い込み、
通りすぎれば勝手に閉まると思い込み、
自分が通れた扉は、ほかの誰もが問題なく通れると思い込む。

大げさかもしれないけれど、
好むと好まざるとにかかわらず日々、繰り返している行動・所作は、
思わぬところにまで影響をおよぼすかもしれない。

生活のさまざまな場面に自動ドア感覚が浸透していることが
よその国に出たのちに、この都市圏に戻ってきて感じる
居心地のわるさというか気味悪さの
一つの原因なんじゃないだろうか、とさえ、思える。

第一次カルチャーショック以前の自分と、現在・未来の自分に対する戒めもこめて。


2011年5月25日水曜日

「よかったら…」





あの花が咲き、あの花が咲き終わり、
この花が咲き、この花が咲き終わり、
3月以降、なんと、月日の経つのが早く感じられることか。

5月のはじめのある朝に、息を吸おうと公園を歩きに行った帰り道。

見事なモッコウバラの咲いているお宅の前を通りかかったときに
前夜の風雨で折れた枝を集めていたご夫婦と目が合い、
(つい、人の目を直視してしまうのは、小さいころからの癖)
おくさまから声をかけられた。

「あの、よかったら、これ持っていきませんか?」

いいんですか、では一枝か二枝ほど、と答えた二分後、
私は両腕に抱えきれないほどのモッコウバラに半ばうもれて
自宅へ向かうこととなった。(と言っても、そこからは徒歩3分ほどで家)

しかし、そんなにたくさん持って帰っても、
その花を飾るための花瓶も足りない。
どうしよう、

と考えていたちょうどそのとき、
通りがかった別のお宅の玄関から、ごみを出しにでてきた方があり、
これはちょうどいい、と視線を向けて

「あの、、、このモッコウバラ、
 さっき、すぐそこでいただいてきたのですが、
 もしよかったら、一枝、二枝、いかがですか?」

「あら、いいんですか、
 ちょうど、今日お花を買おうかと思っていたんですよ」

と、幾枝かおすそ分けしたものの、
ほかにはもう軒先で出会う人もおらず、
結局、たくさんのモッコウバラを持って帰った。

写真は、その、ごく一部。

東京でも、何かが変わりつつある、か。

2011年4月8日金曜日

竹

私があこがれる強さとは どんなものか?
はっと浮かんだイメージが、竹だ。

しなやかで、逞しい。
地面の中では、隣の竹や遠くの竹ともしっかりと結び合い、
結果として、土を支える芯の網を張り巡らし、
風を受ける部分では、
太陽に向けてまっすぐに伸び、青く瑞々しく、
しゅっとした葉をさらさらとたなびかせる。

その体は、笛にもなり、かごにもなり、
それどころではなく、よろづのことに使うことができ、
ときに、
おじいさんおばあさんのところへ月より遣わされた姫の
仮ずまいにさえ、なる。


2011年4月4日月曜日

空想的電車

「その電車には、
 発電車両と呼ばれる車両があり
 そこには、通勤(通学)しながら筋トレしながら発電しよう
 という都会の乗客たちが、乗り込んでゆくのだった。

 特殊な吊革が、
 見慣れた位置にも、 また、天井からも、いくつもぶら下がっていて、
 それを引く力によって発電することができ
 全車両の、ほの明るい照明や
 冬・夏の最低限の空調の大部分は、そうしてまかなうことができる。

 その車両から降りる人は、
 そこへ乗り込む人と、ぱちんと手を合わせる習慣が
 いつの間にか、うまれていた。

 この先は、頼んだぞ。よしきた。任せとけ。

 吊革の長さはいくらか調節もできるのだが、
 特別に、長くしつらえられたものもあり、
 それは、発電車両の常連となった大人たちに憧れる
 こどもたちのためのものであった。」 
 

2010年11月28日日曜日

東京の水辺


東京にも、歩けば日々の息継ぎができるような水辺の風景があります。
この野火止用水は、人がつくり、人が守っている「自然」。

家に帰って 写真を見ながら、この風景を思い返していたところ
こどもの頃に見た映画『おもひでぽろぽろ』の、とあるシーンとつながりました。

山里の景色を見て「田舎だなぁ」とつぶやいてから、
はっと「田舎なんて言ってごめんなさい」と慌てる主人公(タエ子)に
柳葉さん演じるトシオさんが、
いいんです、これは自然の風景ではなくて人の営みがあってできた風景だから
自然じゃなくて田舎だっていう感想は合っているんです、というような趣旨のことをいう。








2010年10月6日水曜日

透明



太・細のペン先があるのにしてみよう、
ペン本体も水色のがいいかな、という感じに選んで蛍光ペンを買い、
翌日、さて使おうとキャップをとって驚いた。
真ん中の部分に、透明のプラスチックがはまっている。

巷ではすでに有名なのだろうか?

確かに、この部分までインクがしみわたっていても、蒸発するだけだ。
スカスカにかすれた蛍光ペンは、何だかわびしい気分になるから、
蒸発する分が少なくなって長持ちしたら、それは嬉しいことだ。


  (追記。このタイプのペンは、数年前からあったらしい。知らなかった。)

2010年10月3日日曜日

武蔵野線

武蔵野線に乗った。
普段乗らない路線は新鮮で面白い。

途中、貨物列車を何本も見た。
しかし、小さいころに見たコンテナぎっしりの貨物列車と違って、積荷が、すかすか。
何も積まれていない、骨組みだけの車両がいくつもあり、
環境にやさしい鉄道貨物輸送、というような文字だけが目立っている。
一刻を争うものでない貨物は、もっと鉄道を利用すればいいのに、と思う。

駅名に「西なんとか」「新なんとか」「北なんとか」「南なんとか」というのが多い。
古くからの町々の中心部ではなく、それらが拡張した部分を通っているのか?

など、疑問を持ったまま帰り、ちらりと調べてみたら
もともと貨物輸送用に計画された路線だったとのこと。

旅客輸送が始まる前と後の、
沿線の人口増の様子や町の変化を追ってみたら、面白そう。


2010年6月10日木曜日

世界を変えるデザイン展 今月13日まで

五月の週末に訪れた「世界を変えるデザイン展」
(東京ミッドタウン・デザインハブ、入場無料、11-19時)。

古い足踏みミシンを改良した、卓上ライトを自家発電で灯せる机や
霧を集めて飲み水にできる網、
レンズ部分に入れた液体の濃度?圧?を、注射器を使って変え、度数の調節ができるメガネ…

など、物自体のアイディアも面白いけれど、

たとえば足踏みミシンの例では、
装置に必要な古い足踏みミシン・中古車の部品などの流通、装置の組み立て、販売など
仕事をうみだすということも考えられているというのに、なるほど、と思った。

そして、その物が必要となる背景を読むと、はっとさせられることもある。

たとえば、乳児の体温を保つための、湯たんぽ的な機能も備えたおくるみ。
栄養状態が優れない条件下で生まれてきた新生児は、
最低限の体温を維持することができずに
命を落とすことが多い。
そのための十分な機材も手に入らない環境で、この問題に対処するためのもの。


たとえば、燃料効率のよい調理用ストーブ。
民族対立のため、難民キャンプから薪を探しに出たところで襲われる危険が多い。
そのため、集めた薪を、有効に使えるようにするためのもの。


「平和ぼけ」ということばがあったけれど、
異常なまでに便利な都市・時代・環境…で暮らしていると
便利であたりまえ、便利があたりまえという「便利ぼけ」になってしまいそうでもある。


なんていうことを考えなくても、
それはそれは面白い展示でした。
13日まで、ひらかれています。六本木付近へいらっしゃるかたは、ぜひ。

2010年5月28日金曜日

トマト?


今朝、ついに芽が出た。

待っていたトマトか。

トマトはもう出なかったのだろうと思って前夜に足したトウガラシの種か。

いや、やっぱり、昨日の今日で、乾燥していた種から芽が出るのは早すぎるだろうから、
きっとこれは、トマトの芽。


先週の土曜日、トーキョーワンダーサイトのオープンスタジオ企画に行ったときに
「サウンド・アーティスト」のmamoruさんという方からいただいたもの。

振舞われたトマト・アボカドサラダの器の底にキリで穴を開けたら、簡易プランターになり、
自家製ジンジャーエールのコップと組み合わせると、それが水を受ける外の器になる。
土を入れて、トマトのフレッシュな種を入れて、土をかぶせて、水をやって、
さあ、水のしみこむ音を聞いてみてください。というコンセプト。
芽が出て育って花が咲いたら、さらに嬉しいですよ。

持って帰っては来たものの、
トマトは難しいとも聞いたしやっぱり芽は出ないか、残念、
と思っていた矢先のことだった。

朝日のなかに、ぴんと出た小さな芽。

このあと、日中には、さっそく双葉が開いた。
トウガラシの種が入ってきて、カッカと元気になったのだろうか…

10年以上も前、気まぐれでアイロンがけをするのが好きだった時期があり、
それは、シワシワな布地がのびていくのが気持ちよかったからだったけれど
今は、シワシワがピンとすることよりも、
芽が出るとか、実がなるとか、育っていくということに心ひかれること、きりがない。

2010年4月28日水曜日

この香りは

雨降りなのに、なのか、あるいは雨降りだから、か
歩いている右の方からふわりと何かとてもいい香り、花の香りを感じて、
あれ、これは何の花だったか、と記憶と視線の両方をつかって探せば、
藤棚いっぱいに紫の花ざかり。

藤棚と言えば、立川の昭和記念公園にも見事なのがあった。
自分では行く予定はないけれど、4月29日「昭和の日」は入園料なしで入れたはず。
と、今調べてみれば、それは確かにあっていた。
さらに
5月5日のこどもの日は、「小学生若しくは中学生又はこれらに相当する者に限り免除」だそうです。

2010年4月17日土曜日

風邪のなおし方

風邪をひいている場合じゃないのに、風邪をひいた。
(風邪をひいてもいい場合など、あるはずもないけれど)

長引く風邪の感覚があったので、さっそく近所の病院へ行ったら
いいことを聞いた。半分知っていたようなことだけれど、
なんだか今回は腑に落ちる感じがあった。

風邪というのは、大部分がウィルスによるもの。
それは薬ではやっつけられない。ただ、ウィルスは、熱に弱い。
37度台の熱は、ウィルスを退治して、体に負担もかからない、理想的な体温なんですよ。
あとは、あったく着込んだり、あったかいものを食べたりするのも有効です。

あったかくし、あったかいものを飲んで食べて、唐辛子もつまんだ。
旅のときに買った帽子で頭からもあったかくした。

まだ咳は続いているけれど、
あの予感(悪寒)から考えれば、
早く脱出している方だと思う。

今回は試さなかったけれど、もっとハードな対処法を勧められたこともある。
風邪を引いたら、ぬるま湯でシャワーを浴びて、寝るべし。
風邪を引いていても、運動して運動して、体の回復力を引き出すべし。

前者は、いっそ発熱を促してウィルス退治を、ということなのだろうか。
後者は、回復しかけている今こそ、実践したらよさそう。

2010年3月6日土曜日

そとづくえのとも



考えが煮詰まって公園まで歩き、

空の下で考えたらどうにかなるかもしれない
と携えていった紙きれを
野外の木の机に座って広げていたら、

パタパタ、鳥がやってきて、大きな机の端にとまった。
いらっしゃい。

2010年2月24日水曜日

自家製干し椎茸

よそのお宅の庭先をのぞいているわけではないけれど
歩きながら何気なく目を向けた拍子に、見えてしまった。

水色プラスチックでできた、
洗濯ばさみが四列くらいずらりと並んだ洗濯干しが二つかけてあって、

そこに規則正しく干されていたのは洗濯ものではなくて、
黒っぽくて小さくて丸みをおびた、あれはまちがいなく、椎茸。

通りすがりの猫にも、おなかを空かせた鳥たちにも狙われることなく
ぎゅっと味の凝縮された干し椎茸ができることだろう。

2010年2月22日月曜日

航跡


舳先が分けていく水は、少し膨らんで、
行く手を阻むようにも見える。

通った直後の水はへこみ、波紋が広がる。

2010年1月15日金曜日

世界中のアフリカのかけら

一週間前の1月9日、土曜夜の新宿 Naked Loft で
「世界中のアフリカへ行こう2010」 というイベントがあった。


大久保の韓国人街を迷い迷い歩きながらようやく着いたらアフリカ会場は超満員。
ようやくのことで、立つ場所が確保できた。


第一部は、旦敬介さん、管啓次郎さん、中村和恵さんによる朗読
第二部は、ロジェ・ムンシ・ヴァンジラさんとゾマホンさんによるトーク
第三部は、ママドゥさんとボカさんによる演奏

三本立てのその全体が、全体として、とてもよかった。

作品として書かれたテクストは、研ぎ澄まされ、凝縮されていて、
 知らない世界を知るために最初にひらく扉のよう。

トークは、生の現実を知る人が、生の情熱で、生の声で、伝えるもの。
 見ない振りができない、聞こえない振りができない、だってそこで本人がしゃべっているのだし、 
 それを聞くために、わたしたちはそこにいるのだから。
 衝撃的な事実の数々。それを知らずにいることの、無責任さに直面する。

音楽は、こう言ってしまっては陳腐だが、意味を超えたところで、つながることを可能にする。
 そして、持って当たり前だがおかしなことにふと忘れてしまうような、
 自分とは違う見方、考え方、感じ方を持っているひとに対する敬意を持つことを。


ママドゥさんは、「コラ」という弦楽器と、打楽器(名前を忘れてしまった)に
羊の皮、山羊の皮が使われていることを説明したとき、こう付け加えた。
羊や山羊が、ぼくたちと一緒に演奏しているんです。

日本で一番困るのは、時間に対する感覚の違いだとおっしゃっていた。
「7時02分の電車に乗らなければ」とか「18時54分に番組が始まる」とか
時間がない、時間がないと口を揃えて皆が言うけれど、ぼくはこう思うんです、
明日もあるじゃないか、あさっても、あるじゃないかってね。

西洋の音階にコラを調弦し直して演奏した曲には
「おじいさんの古時計」と、「あしたがあるさ」のメロディーが織り込まれていた。
音階はFメジャー。小さいころからずっと、最も暖かいとわたしが感じてきた音階だった。



関連書籍がある。
中村和恵編 『世界中のアフリカへ行こう  <旅する文化>のガイドブック』
(岩波書店、2009年) 読み応えがある。

2010年1月7日木曜日

切り開く運

新年のご挨拶が遅れている皆様、申し訳ありません。
昨年末にやり遂げられなかった仕事の続きをしているうちに
七草粥の日になってしまいました。

七日遅れですが、新年のスタート!
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今日、電車のなかで面白い出会いがあった。
隣同士に座り合わせた人と、ひょんなところから会話が始まった。

どちらから、と尋ねれば、チベットからの留学生だった。
名前はソナムさん。

どういう意味ですか?と聞くと、 

-ちょっと違うけれど、運がいい、運が悪いというときの、"運"みたいな意味です。
-ちょっと違うというと、ほんとうは、どういう意味なんですか?
-運がいい、というと、それは偶然に決まるようなものだと思いますが、
 ソナムということばの意味は、自分でよくしていく運ということなんです。

なんて素敵な名前だろう。 そう言うと、

-でも、チベットでは、たくさんある名前です。日本で言う、田中みたいなもの。
-あれ? ソナムというのは、名字ですか?
-いいえ、名字ではありません。チベットには、名字はないんです。

名字がないとは!こんなに近い国なのに、知らないことばかりだ。
聞けば、チベットでは、こどもが生まれると偉いお坊さんが来て、
そうして名前をつけてくれるのだそうだ。

それにしても、切り開く運とは、ちょうど最近考えていたことにもつながっている。

「運命」と名づけたくなるような、人の力では抗しがたい何かも存在するのかもしれない。
それでも、悪い運の風が吹けば帆を降ろし、よい運ならば帆をはって
まずい風はやり過ごし、よい風ならば見方につけて、わたっていきたい。

2009年12月7日月曜日

準備万端

きちんと片付いた感じの一戸建てから、
グレーのトイプードルが嬉しそうに出てきた。

散歩用のリードの手元に現れたのは、80歳近いように見えるおじいさん。
はずむ足取りのトイプードルと歩くのは大丈夫かな、と一瞬おもう。

犬にせかされるようにして、おじいさんの全貌が現れた。

リードを握るのと反対の手には、犬トイレ用のビニール袋がかぶさっていた。
準備万端だ。

2009年12月5日土曜日

袖振り合うも

野菜の無人販売所で、大根を買った。
野球選手のすねぐらい太くてずっしり。
もちろん葉つきで、紫のひもでまとめてある。

フランス人が香ばしいバゲットを買って帰るときのようにして、
白く冷たくずっしり重い大根を小脇に抱えてずんずん歩いていたら、
むこうから歩いてきたおばあさんが、笑顔で言った。

まあ、立派な大根ねえ。おいしいでしょうねえ。


いつかの夏、
暑さのひどい午後に、渋谷から乗った電車で
隣に座ったおばあさんに、声をかけられたことがあった。

暑いですねえ。やっぱり夏は、木綿よね。

そのとき私は、白い木綿のシャツブラウスを着ていた。



東京では「袖振り合う」人と会話が生まれることは少ないけれど、
時にはこういうこともある。
いい意味での「隙」を持っていたい。

2009年11月27日金曜日

歌う、踊る(Tha band dancer vol.1)

先日、ダンサー西林素子の出演する舞台
「トランプ」(The band dancer vol.1)を見てきた。

生のバンドと生身のダンサーが共演し、
ポーカーや大貧民などのトランプゲーム、ジョーカーをモチーフに
一曲一曲、違った味わいのショウが繰り広げられる。

ヴォーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボード、サックス、トランペット…

バンドの楽器それぞれの持ち味が違い、そして担う役割も異なるうように、

ダンサーも一人ひとり、ちがった魅力を持っている。
そしてそれが見事に引き出されていた。

西林素子というひとは、

格好良さと華やかさとチャーミングさを兼ね備え、それに一本芯の通った
稀有なひとで
ダンスにもそのすべてがあらわれている。


こんな贅沢な舞台を、またいつか見たい。



もうひとつ。

この舞台の音楽をプロデュースしたヴォーカルとサックスの戎谷俊太氏の歌は、

ことばがとても素直にメロディーに乗っているのか、まったく自然に頭(か心か?)に入ってきて、

不思議な感覚を覚えた。

ふと、開演前に読んだパンフレットに
「バークリー音楽院の卒業実技試験で、サックスを吹かずに日本語で歌い、卒業を一度見逃す」
とあったことを思い出した。
きっと彼の表現の根本は、自分のことばで・自分の声で、歌うことなのだろう。