ひとつきほど前に、(おそらく無駄に重い荷物のせいで)左手の腱をいためてしまった。
左手の親指がまったく使えず、
服のボタンはかけづらいし、皿洗いはしにくいし、ジャムの瓶の蓋は開けられないし、
初めのうちはひどく不便に感じていた。
が、二週間ぐらいしたころだったか、
どうしても朝食のトーストにレモンジャムをつけたくなり、
「親指がだめなら人差し指じゃあるじゃないの」と思いついた。
レモンジャムの瓶を左手の人差し指と中指でフォークボール式に挟み、
瓶がすっとんでいかないよう念のために腿の上に置いて、右手で、ぐい。
蓋は見事に開いた。
ジャムの蓋が開いたあと、
試しに左手でフォークボール式に持ってみたグラスが軽々と持ち上がり、
人差し指が親指の代役を正式に買って出たこの日、
私はメキシコに初めて留学したときのことを思い出した。
暗くなれば恐ろしいから一人歩きはしない方がよいし、
バスの座席や床は傷だらけ穴だらけ、
横断歩道で長い信号を待っても歩行者が渡れる時間は一瞬で終わり、
下宿に戻れば、シャワーは細くお湯の出るのは短く、
停電や断水も日常の出来事、
部屋の壁にはサソリみたいなおそろしげなものが出現するし、
まだ寝ていたいのに早朝から隣家の雄鶏が盛んに鳴き、
日中は、路上で修理している車のステレオから大音量のレゲトンが鳴り響く。
近所の鶏肉屋で買った肉は、用心して時間をかけて煮たのに、あたって寝込んだ。
はじめは途方に暮れたものだった。
しかしそのうち、けろりと適応した。
日本から訪ねてきたともだちには、
「メキシコにいるほうが、なんか生き生きしてるね?」とまで言われた。
複数の人に。というか、ほぼ、毎回。
混沌とした大都会メキシコシティの環境は、
「温室」みたいな東京から出て飛び込んだばかりのときには、たしかに厳しく感じられた。
が、どうにか適応できた段階で気づいたことは、
自分もけっこうタフなのかもしれないということ、そして
厳しい環境では、
より逞しい人がより弱い人を、ごく自然に助ける習慣が、できているのだということ。
(ただし、弱者の弱みにつけこむような類の人たちについては、別の問題。)
便利には一瞬で慣れるが、不便にだって、そのうち慣れる。
そして、眠っていた逞しさが目を覚ます感覚は、痛快でもある。
不便な状況のなかは、人と人とのやりとりが頻繁に起こり、
誰かに気づかってもらったら、自分も人にそうしたくなる。
そろそろ冷房が寒くなってくる「温室」東京は、
居心地をよくしようとする力が働きすぎて結局居心地がよくないような、
矛盾したところがある。
……と言ってみたところで何の得にもならないし、
そもそも「温室」という環境のせいにして、自分まで再びひょろひょろになってたまるか、とも思う。
都会の脇にあるベランダのプランターに植え付けられても
淡々と花を咲かせてはガンガン実をつけているシシトウガラシを見習いたい。