2010年10月27日水曜日

咲きつくして






   晩秋のようにピンと冷えた空気に影響されたのか、
   それとも、全体に花盛りを少し過ぎた頃だったからか、
   いっぱいに咲きつくした後の
   しかもまだ少し瑞々しさの名残のあるようなコスモスに、
   むしろ心ひかれた。
   まだそんな年ではないだろうに。




2010年10月26日火曜日

Alí Chumacero 追悼

先週の金曜日(10月22日)、
メキシコの詩人・文人、アリ・チュマセーロ が亡くなりました(1918- 2010)。

Fondo de Cultura Económica 版の、
ビジャウルティア作品集の編集にも携わり、序文を寄せている人物でもありました
(しかも、最近では待ち望まれる第二巻の編集を進めていたそうです)。


彼の詩が読める本で、版を重ねているために手に入りやすいものには、
チュマセーロ自身が、オクタビオ・パスらと共に編纂したアンソロジー
Poesía en Movimiento (México 1915- 1966)Siglo XXI editores, 1966
があります。

そこに収められた詩から、一篇を試訳してみます。

 
  風がさかまく海となるよりも前、
  夜がその喪服を自分の身につなぐよりも前
  そして星々と月が、空の上で
  天体の白さの場所を定める前に。

  光が、影が、そして山が
  それぞれの頂の魂が昇りたつのを見る前に、
  空気の下で何かが漂うよりも先に、
  始まり よりも前のときに。
  
  まだ希望がうまれていなかったとき
  天使たちがそのきっぱりとした白さで彷徨ってもいなかったとき、
  水が、神の知にすら含まれていなかったときに、
  前に、前に、ずっと前に。

  まだ小路に花々もなかったとき
  それは 小路でもなく 花々もなかったからだけど、
  空が青でなく蟻たちが赤でもなかったとき、
  もう私たちは、あなたと私だった。

("Poema de amorosa raíz", Páramo de sueños (1944)
  en Poesía en movimiento, pp. 215-216.)


詩人本人による朗読映像も、以下のページより見られます。
  
映像からすると、近年の録画のようで、ゆっくりした調子で読まれています。
この詩を書いた1940年代には、どんな調子で読んでいたのかも、
気になるところです。


2010年10月25日月曜日




右のひとは、髪ぐしゃぐしゃで下を向き、膝を抱えて座り込んでいる。

左のひとが、やあ君、どうしたんだい、と、その肩に手を差し出した。




2010年10月24日日曜日

cempasúchil の季節

この時季になると、鮮やかなオレンジ色の花を思い出す。

マリーゴールド、
原産地メキシコでは、センパスチル(アクセントは「ス」の部分)。



11月2日の、「死者の日」に、お墓を彩る。
茎についたまま活けるだけでなく、
花の部分だけ切り離したり、花びらにばらして飾ることもある。
記憶が確かならば、
死者が戻ってくる頼りとする灯りをあらわしているのだ、と聞いた。
(写真は2008年。メキシコ市近郊にて。)



10月31日のメルカード。
少しツンとしたお香があたりに充満していた。
(写真は2005年。チョルーラにて。)



10月31日のセンパスチル畑。
手前のオレンジ色の減っていく端に、
刈り取りをしている人物が写っている。
これより10日ほど前には、オレンジの正方形が市松模様を成していたのだろう。
写真は、2005年。チョルーラにて。)

2010年10月23日土曜日

はちみつレモン

はちみつレモンの香りのついた食器洗い洗剤をしばらく前から使っている。

はじめは、いい香りがするので、皿洗いが一層楽しくなった。

そのうち、はちみつレモン味のキャンディーを口に含むと
皿洗いの洗剤が口に入ったみたいに思えて困るようになった。
(ほんもののハチミツ入りレモネードは、味が違うので大丈夫。おそらく、問題は香料)

そして今や、洗剤の香りは、慣れすぎてほとんど気にも留まらなくなった。

さて。この状態では、はちみつレモン味のキャンディーを、
また美味しいと思えるようになっているんだろうか?



2010年10月21日木曜日

『エクスクレイヴ』 第2号完成

わたしの尊敬する友人、富田広樹さんの主宰する雑誌『エクスクレイヴ』、
第2号ができました。

四月に発行された第1号に続き、
るみちゃんのイラストで飾られた、わたしの小文も載せてもらいました。

執筆者(スペイン語関係者があっと驚くであろう方も文章を寄せていらっしゃいます)
それぞれのタイトルなど、
詳しくは富田広樹さんのブログ dia a dia (タイトルをクリック)をご覧ください。






2010年10月20日水曜日

迷宮とダイダロス

スペイン語で「迷宮」といえば
オクタビオ・パスの有名なメキシコ人論
El laberinto de la soledad (孤独の迷宮)のタイトルにもある
「ラベリント」がすぐに思い浮かぶ。

が、詩などでは、「デダロ」(dédalo)というのがよく出てきて、
ぐるぐる迷いこんでしまうような、また鏡張りのような「ラベリント」とは違う
ごつごつしたおかしな語感だと思っていたが、

オウィディウス『変身物語』(Metamorfosis)のスペイン語版を読んでいて
はっ と繋がった。

デダロとは、イカロスの父、ダイダロスのスペイン語名。
建築術や発明の才に長けていて、
ミノタウルスのための迷宮を作った。
だから、「ダイダロス」が、「迷宮」をあらわす。

dédaloという語が使われていたら、
アリアドネの逸話が、絡んで/繋がって、想起されるのかもしれない。



2010年10月19日火曜日

ヒラソル



レースのような葉に目を奪われて、近寄ってみれば
夏の間、存分にヒラソり尽くした、girasolであった



古川日出男さんのメキシコばなしが生で聞ける

『Coyote』 45号発売記念として、
古川日出男さんによるトーク・朗読・スライドショーをまじえたイベントが、
10月28日金曜日に、
表参道駅ちかくのRainy Day Bookstore & Cafe で行われるそうです。

生の声で聞くメキシコ滞在譚はどんなものだろうか。面白そう!

10月19日午後10時38分現在、まだ予約受付中の表示が出ています。


2010年10月17日日曜日

歴史、あるいは物語













たっぷり半日、土の上、太陽の下で過ごしたら、とても爽快な気分。
ヒト(である自分)も、やっぱり動物だなあと思う。

歩くのも、走るのも、土がむき出しになっているところを選んだら
じわ、じわ、 と 何かが<戻っていく>ような感じがある。





2010年10月14日木曜日

生きるよ、

特急の通過待ちの後、ようやく来た電車は混みあっていた。

私が並んでいたのと同じドアから、80代と見えるおばあさんが乗り込み、
するとその車両には、同じ年のころのおばあさんがいて
お二人の視線がふっと合い、ごく自然に会釈。

「混んでますねえ」
「ええ、そうですねえ」

偶然乗り合わせただけなのだけれど会話が弾む。
お二人とも、語調がチャキチャキしていて、とても格好いい。

バスと違って、電車は時刻どおりに運行するからいい、
だってバスだと、さんざん待って、いくら待っても来ないから歩き出したら、
そうしたら来るのね、途端に。
時間が気になるの、いやよ、だからあたし、約束はきらい。


と、ひとしきり話した後に、先に乗っていた方のおばあさんが、ふと


近頃は、乗換えが難しいでしょう。
だから一人で電車で出かけるのも大変。
今でさえ、こんななんだから、この先どうなっちゃうんだろうって思いますよ。
でもね、私は、生きるよ。どうやってもね。


2010年10月10日日曜日

Coyote 45号、古川日出男さんメキシコへ

Vargas Llosa のニュースに続いて、
ラテンアメリカ文学に関連した朗報。

Coyote の最新号(10月10日発売)で、
「メキシコが変えた二人の男」と題した特集が組まれている。

 “二人”の一人目は、ガブリエル・ガルシア=マルケス氏。
 もう一人は、古川日出男氏。

今年5月に、3週間にわたりメキシコに滞在した古川さんの書き下ろし長編に
ノックアウトされた。

自分の感性の角ばり あるいは表現力の拙さのためか、
どうしても陳腐になってしまうけれど、敢えてことばにするならば

五感で感じ取る、生(なま)の刺激 (匂い、味、振動、声、見るもの、、、)と
言葉を介して展開される思考、

じかに会う人との直接のやりとりと、本や作家との胸中での対話、

一人の「透明」なアジア人旅行者としての古川さんと、
作家としての自己意識を鋭くもった古川さん、

現実に起きた・経験したことの記憶と、
それを素材にして作家が書き上げた完成品としてのテクスト、


…などが入り混じるその具合が絶妙で、
(というか、こうして二項対立的に書き出してしまうのはアウトなのかもしれない)

あれこれの記憶が呼び覚まされるのを感じながら
文字に喰らいついてブンブンあちこちに振り回されながら読んでいく感覚が、
たまらなくよかった。




2010年10月6日水曜日

透明



太・細のペン先があるのにしてみよう、
ペン本体も水色のがいいかな、という感じに選んで蛍光ペンを買い、
翌日、さて使おうとキャップをとって驚いた。
真ん中の部分に、透明のプラスチックがはまっている。

巷ではすでに有名なのだろうか?

確かに、この部分までインクがしみわたっていても、蒸発するだけだ。
スカスカにかすれた蛍光ペンは、何だかわびしい気分になるから、
蒸発する分が少なくなって長持ちしたら、それは嬉しいことだ。


  (追記。このタイプのペンは、数年前からあったらしい。知らなかった。)

2010年10月5日火曜日

道で突然、誰かが倒れたら?

最寄の駅に着いたとき、異変に気づいた。
人の流れがつっかえている箇所がある。

改札へ向かう人通りの真ん中で、
おばあさんが地べたに足を投げ出した状態で座っていて、
背後を30代半ばくらいの女性が支え、
その脇に、おじいさんが立っている。

どうしたんですか、と聞くと、
その(かなりご高齢の)おばあさんは、突然転んで、頭を打ってしまったとのこと。

駅員さんを呼んで来ましょうか、と聞けば、
もう誰かが呼びに行ったとのこと。
何か力になれることもあるかもしれないと思い、とりあえず留まる。

駅の人は、なかなか来ない。

その間、二人の「目撃者」から様子を聞く。
二人とも、たまたま居合わせた人だった。

おばあさんは、「大丈夫です」、「銀行に行かなくちゃ」。
でも、その額には汗が滲んでいるし、
なんだか、ふらふらしているようにも見える。

ようやく来た若い駅員さん二人は要領を得ず、
転んで頭を打った、と聞いたばかりなのに、
座り込んでいる様子を目の当たりにしているのに、
おばあさんが「大丈夫」「銀行に」というのを素直に聞いて
「その銀行は、西友の隣だから、こっちの出口ですね…」

そばにいた目撃者の二人が「でも、頭を打っているんです」という声に、
転んだのは見てないけれど、その後の様子を見ていた私も加わる。

ご家族の誰かに連絡は取れないのだろうか、と思って尋ねてみたけれど
連絡を取れるひとはいない、一人ぐらしだ、とのことで、それもできない。

そうこうするうちに、もっと年配の駅員さんが出てきて
事情を知って、救急車を呼びましょうか、と呼びかけた。
  (なんという対応のちがい! 
  そして、この人の出現に安心したのか、
  目撃者のおじいさんは、役割を果たした、という感じで姿を消した。
  もちろん、それぞれ用事があるのだから、しょうがない。
  背後を支える女性は、留まっている。安心感。)

が、おばあさんは「だいじょうぶです」。

駅の医務室で休み、しばらく様子をみたらどうでしょう、という案にも、
おばあさんは、「うちに帰ります」 「タクシーに…」。

「銀行へ行く」という考えはやめたようだけれど、
しかし、家に帰っても誰もいないならば、帰るのがよい選択なのかどうか、わからない。

結局、おばあさんは「うちに帰る」という考えを変えることはなく、
駅員さんは、「じゃあ、タクシー乗り場にご案内すれば、おうちへ帰れますね?」

「無理に医務室にお連れするわけにも、救急車を呼ぶわけにもいかないので…」
という駅員さんの説明を受けて、完全には納得できないままに、
ずっとおばあさんの背後を支えていた女性と、会釈を交わして、その場を去った。

ほんとうに大丈夫なのだろうか。
どうするのが、よかったのだろうか。

帰宅してから消防庁のページを見たら、
東京消防庁の場合、 7119  という番号に電話すれば、
救急車を呼んだほうがいいのかどうか判断するための
アドバイスがもらえる、と書いてある。


たとえば、こういう番号に電話して、

目撃者の女性が客観的に見た、転倒の状況と、
客観的に見た、転倒後のおばあさんの状態(汗や、ふらついていること)と、
おばあさん本人の感じることを伝えて、
医療のプロの判断を仰ぐ、というのが、よかったのか?



(追記。
 もうじき医師になるべく奮闘中の友人の教えてくれたところによると、
 ご老人の転倒、頭部外傷は、外見上なにもなくて、その場で意識がはっきりしていても
 数ヶ月後にじわじわと症状が出てくることがあるので、病院での精査と 
 経過観察を勧める、とのこと。)

2010年10月4日月曜日

línea recta



直線は不自然だ。
感傷的だといわれようが、空や木のほうがいい。

2010年10月3日日曜日

武蔵野線

武蔵野線に乗った。
普段乗らない路線は新鮮で面白い。

途中、貨物列車を何本も見た。
しかし、小さいころに見たコンテナぎっしりの貨物列車と違って、積荷が、すかすか。
何も積まれていない、骨組みだけの車両がいくつもあり、
環境にやさしい鉄道貨物輸送、というような文字だけが目立っている。
一刻を争うものでない貨物は、もっと鉄道を利用すればいいのに、と思う。

駅名に「西なんとか」「新なんとか」「北なんとか」「南なんとか」というのが多い。
古くからの町々の中心部ではなく、それらが拡張した部分を通っているのか?

など、疑問を持ったまま帰り、ちらりと調べてみたら
もともと貨物輸送用に計画された路線だったとのこと。

旅客輸送が始まる前と後の、
沿線の人口増の様子や町の変化を追ってみたら、面白そう。


2010年10月2日土曜日

朝の目で見ること

自分の抱く印象なんて、いい加減なもので、
夕方にばかり見ていた彼岸花、曼珠沙華、は
ひどく迫力があって「空恐ろしい」感じがしていたのだけれど、
朝の光と、朝の気分のなかで見たら、とても清清しい花だった。






2010年10月1日金曜日

exilio とことば

Carlos Blanco Aguinaga 著、
Ensayos sobre la literatura del exilio español (『スペイン亡命文学についての試論』)
México, Colegio de México, 2006) に、興味深い注があった。

Exilio  (→「祖国からの追放;亡命」、「亡命地;亡命生活」 小学館『西和中辞典』
という語の定義をめぐる箇所につけられた、その注 (p. 13)によれば、

スペイン王立アカデミー(RAE)編纂のスペイン語辞書の
1927年版のもの (プリモ・デ・リベラ独裁下)と
1950年版のもの (フランコ独裁下)には、
Exilio という語が、そもそも、載っていないのだ、と。


語の抹消に至る過程に、想像をめぐらせる。

また、第二次大戦中の日本で発行された辞書にも、興味がうまれる。