2010年10月5日火曜日

道で突然、誰かが倒れたら?

最寄の駅に着いたとき、異変に気づいた。
人の流れがつっかえている箇所がある。

改札へ向かう人通りの真ん中で、
おばあさんが地べたに足を投げ出した状態で座っていて、
背後を30代半ばくらいの女性が支え、
その脇に、おじいさんが立っている。

どうしたんですか、と聞くと、
その(かなりご高齢の)おばあさんは、突然転んで、頭を打ってしまったとのこと。

駅員さんを呼んで来ましょうか、と聞けば、
もう誰かが呼びに行ったとのこと。
何か力になれることもあるかもしれないと思い、とりあえず留まる。

駅の人は、なかなか来ない。

その間、二人の「目撃者」から様子を聞く。
二人とも、たまたま居合わせた人だった。

おばあさんは、「大丈夫です」、「銀行に行かなくちゃ」。
でも、その額には汗が滲んでいるし、
なんだか、ふらふらしているようにも見える。

ようやく来た若い駅員さん二人は要領を得ず、
転んで頭を打った、と聞いたばかりなのに、
座り込んでいる様子を目の当たりにしているのに、
おばあさんが「大丈夫」「銀行に」というのを素直に聞いて
「その銀行は、西友の隣だから、こっちの出口ですね…」

そばにいた目撃者の二人が「でも、頭を打っているんです」という声に、
転んだのは見てないけれど、その後の様子を見ていた私も加わる。

ご家族の誰かに連絡は取れないのだろうか、と思って尋ねてみたけれど
連絡を取れるひとはいない、一人ぐらしだ、とのことで、それもできない。

そうこうするうちに、もっと年配の駅員さんが出てきて
事情を知って、救急車を呼びましょうか、と呼びかけた。
  (なんという対応のちがい! 
  そして、この人の出現に安心したのか、
  目撃者のおじいさんは、役割を果たした、という感じで姿を消した。
  もちろん、それぞれ用事があるのだから、しょうがない。
  背後を支える女性は、留まっている。安心感。)

が、おばあさんは「だいじょうぶです」。

駅の医務室で休み、しばらく様子をみたらどうでしょう、という案にも、
おばあさんは、「うちに帰ります」 「タクシーに…」。

「銀行へ行く」という考えはやめたようだけれど、
しかし、家に帰っても誰もいないならば、帰るのがよい選択なのかどうか、わからない。

結局、おばあさんは「うちに帰る」という考えを変えることはなく、
駅員さんは、「じゃあ、タクシー乗り場にご案内すれば、おうちへ帰れますね?」

「無理に医務室にお連れするわけにも、救急車を呼ぶわけにもいかないので…」
という駅員さんの説明を受けて、完全には納得できないままに、
ずっとおばあさんの背後を支えていた女性と、会釈を交わして、その場を去った。

ほんとうに大丈夫なのだろうか。
どうするのが、よかったのだろうか。

帰宅してから消防庁のページを見たら、
東京消防庁の場合、 7119  という番号に電話すれば、
救急車を呼んだほうがいいのかどうか判断するための
アドバイスがもらえる、と書いてある。


たとえば、こういう番号に電話して、

目撃者の女性が客観的に見た、転倒の状況と、
客観的に見た、転倒後のおばあさんの状態(汗や、ふらついていること)と、
おばあさん本人の感じることを伝えて、
医療のプロの判断を仰ぐ、というのが、よかったのか?



(追記。
 もうじき医師になるべく奮闘中の友人の教えてくれたところによると、
 ご老人の転倒、頭部外傷は、外見上なにもなくて、その場で意識がはっきりしていても
 数ヶ月後にじわじわと症状が出てくることがあるので、病院での精査と 
 経過観察を勧める、とのこと。)