2008年10月17日金曜日

喜びと悲しみ

東京の友人から、悲しい知らせが届いた。
中学二年生のときの同級生が、乳がんで亡くなったという。
彼女の声、笑顔、仕草、颯爽とした人柄を思い出す。


そして午後には図書館へ行った。本と紙に向かっていたら、
閲覧室の横の小さな部屋でナワトル語を教えるベアトリス先生が、一枚の紙を渡してくれた。
毎回みじかい挨拶を交わしているけれど、クラスに出たこともないのに。

詩だった。片面にはスペイン語、もう一方にはナワトル語。


「二つの顔」

どうして、すべての美しいものは、また悲しくもあるのだろう?
それは、地上のすべてのものはそういうものだから。
一輪の花が朝に咲き
皆が愛でる よい香りを放っているあいだ
けれど枯れてしまえば、誰もその花を思い出さず
摘んで、捨ててしまう。
朝に、日が昇る。
そして私たちに喜びをもたらす
けれどその喜びもまた終わる
なぜなら夜が訪れ、喜びは去るから。
始まるものは、終わりを迎える
そして私たちの心はそれを知っている。
喜びと共に始まるもののほとんどは
悲しみに終わる。
すべては変わり、姿を変える、
私たちは通りすぎるだけ。
ただ一度だけ生きるために来たのだ
この地上に。
だから、花咲かなければ。

デルフィーノ・エルナンデス

悲しみ. Tristeza. Tlaocoyaliztli.
喜び. Alegría. Paquiliztli.

咲いた花を、忘れない。