2009年6月29日月曜日

「いのちの食べ方」

さらに遡って夏至の日、

ニコラウス・ゲイハルター監督のドキュメンタリー映画
『いのちの食べ方』(2008年)を見た。

肉や野菜が工業製品のように生産される。
効率を第一に設計された機械やシステムは、
幾何学模様のように美しい。

そこでは、人間が食べるという目的のためだけに
動物や植物の命が生み出され、
切り落とされる。

映像の美しさと、
そこで繰り広げられている出来事のおぞましさのコントラストが
(そして、その出来事が、
 毎日何かを食べて生きている自分にも無縁ではないということが)
不気味でしかたない。

この不気味なシステムが動きつづけるのを可能にしているのは、おそらく
1、効率・利益重視の経済 (経営者のレベル)
2、大抵のことならば、慣れて無感覚になれるという人間の特性 (生産現場で働くひとたちのレベル)
3、知らなければ、気にならないということ (消費者のレベル)

映画はまず、3に揺さぶりをかける。
あなたの食べているものは、こんな風につくられている(かもしれない)んですよ。

そして、観客が映像に見慣れて2の無感覚に向かってしまうかもしれないところを
うまく切り抜けている。そこがこの映画の不思議で巧みなところだと思う。
驚きに慣れさせてしまわないこと。


と、映画の感想のレベルでは言えても、
実際は食べなければ生きられない。
……。