さらに遡って夏至の日、
ニコラウス・ゲイハルター監督のドキュメンタリー映画
『いのちの食べ方』(2008年)を見た。
肉や野菜が工業製品のように生産される。
効率を第一に設計された機械やシステムは、
幾何学模様のように美しい。
そこでは、人間が食べるという目的のためだけに
動物や植物の命が生み出され、
切り落とされる。
映像の美しさと、
そこで繰り広げられている出来事のおぞましさのコントラストが
(そして、その出来事が、
毎日何かを食べて生きている自分にも無縁ではないということが)
不気味でしかたない。
この不気味なシステムが動きつづけるのを可能にしているのは、おそらく
1、効率・利益重視の経済 (経営者のレベル)
2、大抵のことならば、慣れて無感覚になれるという人間の特性 (生産現場で働くひとたちのレベル)
3、知らなければ、気にならないということ (消費者のレベル)
映画はまず、3に揺さぶりをかける。
あなたの食べているものは、こんな風につくられている(かもしれない)んですよ。
そして、観客が映像に見慣れて2の無感覚に向かってしまうかもしれないところを
うまく切り抜けている。そこがこの映画の不思議で巧みなところだと思う。
驚きに慣れさせてしまわないこと。
と、映画の感想のレベルでは言えても、
実際は食べなければ生きられない。
……。