先日、「アフンルパル通信」発行者の吉成さんにいただいた券で
「夏の文学教室-作家の誕生」を聞きに行った。
その日(7月27日)に講演した顔ぶれは
詩人吉増剛造さん、作家堀江敏幸さん、パンクで作家の町田康さん。
吉増さんは札幌でお会いしたときと同じく、草緑色を思わせる
柔らかい空気を連れて現れた。
今春亡くなった奄美の作家、島尾ミホさんをめぐって、
また、初めの詩、
そして「書き終えると、手が止まった」詩についてのお話だった。
端々で口にのぼったのが、
何か強い衝撃を受けたことや、印象深い光景について、
それを書いているうちに、そのことがどういうことだったのか「つかむ」
という感覚。
海坂(うなさか)という言葉の紹介もあった。
折口信夫さんから教わった言葉だそうだ。
沖へ出て行く船をずっと見ていると、水平線に向かって
少しずつ船の姿が小さくなり、あるときにふっと
船が視界から消える場所がある。
地球が丸いからそういうことになるのだけれど、
その「坂」を「海坂」といった。
太陽は、夕日になり、そして沈むと、海坂の向こうの世界をあたため
そしてまた、朝になると戻っていらっしゃる。
そんな捉え方があったらしい。
講演の最後に「アフンルパル通信」第i号巻頭に寄せた詩
「Poil=ポワル=毛、アフンルパル」の朗読があった。
(これこそが、「書き終えると、手が止まった」詩)
その詩は難解で、正直なところ数度読んでもなかなか「入って」こなかった。
しかし、詩人自らの朗読を聞いて、
この詩が持つ「うねり」ようなものがわかった。
台風のときの雨の、突如として強まり、かと思えばふっと弱まるような、
渦の勢いのような、不穏な、しかしどこか心躍るような、
不思議な感覚。
吉増さんは、島尾ミホさんの声の録音を流し、
「歌とも節とも違う、太古の声の"甘さ"のようなものがある声ですね」
とおっしゃった。
吉増さんの朗読も、定まった旋律も拍もない、
太古の「うた」のようなものを思わせた。