2006年ワールドカップの最中のある日、
詩人であるPedro先生とクラスメイトと、
アルゼンチン料理屋で昼食の約束をした。
場所はコンデッサという、メキシコシティ一番の洒落た地区。
「Alfonso Reyes通りとCosala通りとの角にある
11という名前のお店に
1時45分に待ち合わせよう」というメールが来た。
先生は無類のサッカー好き。
その日の試合は2時キックオフだった。
この頃、メキシコシティの多くのレストランでは
テレビを置いて、ワールドカップの中継を流していた。
地下鉄を降り、1時45分ごろAlfonso Reyes通りに到着。
通りに入ってすぐのところにアルゼンチン料理屋が一軒ある。
でも名前は「22」。Cosala 通りと交わってもいない。
レストランの駐車場係りのおじさんに、
この通り沿いにもう一軒アルゼンチン料理屋がありますかと尋ねると、
「あるよ、10って名前だよ。」
11?10?22?
11-1か11×2か。どちらも間違えそうな名前。
22の店内を見渡すと、知った顔はいない。
友人に電話をかけてもつながらない。
しょうがないので、10を目指すことにした。
10に向けて歩いていると、友人から 電話がかかってきた。
「電話くれた?」
彼は、きっと22が約束の場所だろうと言い、そこへ戻る。
22に戻って友達と落ち合い、
「角の通りの名前が違わない?」と言うと 「確かに。」
22にはまだ先生の姿はない。
もう2時なので、サッカー好きの先生はきっと店に着いているはずだろう、
ということになり、 二人で10を目指す。
10は確かにCosalaのそばにあった。 でも先生の姿はない。
アルゼンチン料理屋11があるかもしれない、と、Cosalaを少し先まで歩いてみる。
それらしいお店はない。
10に戻ると、先生の姿が!
「先生、ここは11じゃなくて10ですよ」
「え?そうだった?ははは」
10は、マラドーナの背番号から来ているらしい。
試合は2-2だった。
ときどきゴール付近の映像に釘付けになりながら、
サッカーと詩の共通点について、 ワインの至福について、
部屋にこもって仕事をするときの、儀式的夕食についてなどの話を聞き、
牛の首の肉、チーズ、ステーキにバスクワイン…
数に頭をひねった後には、美味しく刺激的な昼食が待っていた。