2012年12月30日日曜日
granada de Mexico
今日の東京は冴えない曇り空なので、鮮やかなものを見たくなった。
この夏、メキシコシティでごちそうになったザクロ(スペイン語でgranada)。
ナイフで切るのではだめ、
こうして割ると、実の美しさが映える(lucir)のよと、割ってくださった。
2012年12月1日土曜日
9月の港
12月1日。チェルノブイリのこどもたちの写真が載ったカレンダーは
ついに最後のページになった。
「~さん、今年やり残していることはありますか」
なんていうことばがラジオから聞こえてくる。
それはもうたくさん、あまりにたくさんある。
上にあげた港の写真も、そのひとつと関係がある。
今年の9月末、
朗読劇『銀河鉄道の夜』夏の東北ツアーを見に行ったときに撮ったもの。
朗読劇が行われたのは岩手県の住田町で、
写真の港は、お隣の大船渡。
前の晩には、ここ大船渡の仮設住宅での交流会にも加えていただいた。
用意していてくださったつみれ汁の、なんと、美味しかったこと!
さて。
この港から住田町に戻るのに、陸前高田市を通った。
たかだか2泊の、2012年の、しかも9月末になってからの岩手旅だったが
そこで見たこと、感じたこと、考えたことを
どんなことばにすればいいのか、していいのか、いまだに答えが出せずにいる。
大船渡で教えてもらった土地のことばを、
東京の西の端で暮らす中で、たびたび思い出す。
「つかれたー、という人がいたらね、
ねておきろー、というのよ。
可笑しいでしょう、
休んだらというんじゃなくて、寝て起きろー、っていうの。」
つかれたら、ねておきろ。
しっかりやすんで、そうしたら目を覚まして、動くのだ。
2012年11月29日木曜日
おはらすか hojarasca
晩秋の今、私が選ぶとしたら断然、hojarasca だ。
(hojarascaと言えばガルシア=マルケスの短編を思い出す人もいるだろうが、
それは今回の連想の外側にある。)
スペイン王立アカデミー編纂の辞書によれば、
第一義は 「木々から落ちた葉の総体」
hojarascaという語の発音をひらがなで再現するとすれば
「おはらすか」
「は」の部分は少しかすれた感じに、
「ら」の部分からフェイドアウトするように、
「す」の部分は、子音だけで発音する。
おはらすか。hojarasca.
木から、はらはらと落ちてくる秋色の葉、
ふと見ればその葉が吹き寄せられている様子、
地面に落ちた葉がかさかさと転がる音、
秋の冷たい空気までが、くっきりと想像される。
(しかも、東京の11月末には、そうしたイメージの本物が
歩いてゆく先に、目の前に、頬のすぐそばに、存在する。)
…とは言っても、スペイン語圏の人たちはおそらくhojarasca
ということばに美しさを感じることは少ないのではないか とも思う。
というのも、先ほどと同じ辞書によれば
第二義は「木や植物の、過度の、そして無益な茂り」
第三義は「無益で中身がほとんどないもの、特に、ことばや約束」
(葉が落ちるのは、冬のさらに先の春のためなのに、無益とは。)
それでも、ここ東京の西の端では、しばらくの間ひっそりと
おはらすかhojarascaを楽しんでいよう。
2012年11月6日火曜日
artista sin frontera
NGO<国境なきアーティストたち>代表の、エクトル・シエラさん。
コロンビアに生まれ、
旧ソ連留学時代にはセルゲイ・パラジャーノフ監督のもとで映画づくりを学び、
コソヴォ、東ティモール、アフガニスタン、9.11後のニューヨーク、など
武力紛争、衝突、衝撃的な事件を経験した土地に出向いて、
こどもたちを相手に、
絵を描く、折り紙を折る、などのワークショップを行ってきた方だ。
一方的に話をして聞かせるというのではなく、
学生ひとりひとりに質問を投げかけるチャンスを設け、
それぞれに対して丁寧に答えるという形で、少しずつ話をしてくださった。
その進め方に、なるほど、と思う。
それから、ご自身の活動の様子をまとめた映像を見せてもらった。
日本のこどもたち。ニューヨークのこどもたち。アフガニスタンのこどもたち。
映像のなかで、特に印象に残った場面が二つ。
ひとつ。
アフガニスタンの、女の子たちのクラスを担当する先生(若い女性)が、こう言った。
消しゴムやえんぴつは使ったら消えてなくなってしまうけれど
あなたたちが学んだことは、消えません。
家に帰ったら、もう一度練習してごらんなさい。
もうひとつ、こちらはもう少し複雑な思いをのこした場面。
アフガニスタンの、四歳から絨毯織りの仕事をずっとしていて、
学校に行く機会を持たずにいる女の子(八歳ぐらい?)が
将来の夢は何?と聞かれたときには
何も答えずに赤い糸を織り込みつづけ、
大きくなったら何をしたいかと聞かれたら、今度は目を輝かせて、こう答えた。
大きな絨毯を織りたい!
字幕を読んでまず思ったことは、この子も、もし学校に行ければ、
もっと可能性が広がるかもしれないのに、ということ。
けれど、大きな絨毯を織りたい!と言ったときの
彼女の目の輝きといったら、その威力は圧倒的で
教育を受けて、可能性が広がったほうが幸せだろうにと思うのは、
よそ者である私の身勝手な考えなのかもしれない、という思いも頭をよぎる。
さて、幸せとは何なのか。
面白い刺戟というのは、
問いを解決するのではなく、
反対に、問いを開いてくれるものなんじゃないかと思う。
2012年9月17日月曜日
本の値段
メキシコの本には、それがない(ただし、ISBNを示すバーコードは印字されている)。
本全体を包む薄いビニールのカバーの上に値札がついていることが多く
それがない場合は、店員さんに尋ねれば
バーコードをつかって、あるいはタイトルと著者から検索して、いくらか教えてくれる。
本の価格は、古書店でなくても、書店によってかなり違う。
(私は数回しか利用したことがないけれど、El Sótano は比較的安いと聞く)
また、大手出版社・書店のFondo de Cultura Económicaの場合だと、
出版されてからある程度時間が経つと(1年?2年?詳しくはわからない)
値札シールに二行目が出現、
そこには新刊本の値段から10%割り引かれた数字が印字される。
それから、上記のFondoや、Siglo XXI、Porrúa, それに大学の出版局などの
直営書店の場合には、
メキシコの大学が発行した学生証を会計の際に提示すれば、
それぞれの出版局が出した本は、かなり大きな割引率で購入することができる。
たとえばメキシコ国立自治大学(UNAM)の場合には、
半額に、あるいは25%引き(共同出版の場合)になる。
メキシコ市に留学したときの実感からいうと、
あの町で生きていく上で最低限必要な諸経費(食費、交通費、住居費など)に比べると
書籍の値段はだいぶ高いので、学生には嬉しい配慮だと思う。
今回のメキシコ滞在中、8月30日にFondoの書店で Venta nocturna という催し
(夜の大売り出し、とでも訳せるだろうか)があった。
6時ごろから始まり、夜の12時までで、
Fondoの出版物は40%引き、ほかの提携各出版社の本も大いに値引きするというもの。
メキシコ市でもっとも大きなFondoの支店、Rosario Castellanos店(Av. Tamaulipas)に行くと
店内は、日本のデパートのバーゲンセール、レディースフロアーぐらいに混んでいて
仮設レジがいくつか用意してあったにもかかわらず
各自何冊も抱えて並ぶ大勢の列はなかなか進まず、結局40分か50分ぐらい待った。
レジ待ちの間、なにやらトークショーのようなものが聞こえてきた。ある女性客のコメント:
-メキシコ人には本を読む人が少ない、なんていうけれど
そんなことを言う人には、この光景を見てほしい!
そういえば、毎年、旧市街(の、Palacio de Mineríaだったか?)で開催されている
ブックフェアに行ったときにも、ほんとうに大勢の人が来ていることに目を見張ったことがある。
文化が、そして読む、知る、考えるということが、
それを楽しみたいという思うすべての人にとって手に届くものになるチャンスがあるのはいい。
2012年9月16日日曜日
ぷてぃんてたはどこにいる?
2012年9月14日金曜日
agua, hot water そしてお湯!
という経路で帰ってきた。
(ちなみに、アメリカン航空のダラス経由で行けば
メキシコ/日本間、乗り継ぎ地で預け荷物を
いったんピックアップしなくていいことを知った。とても助かる。)
それぞれのトイレで手を洗ったときの印象。
メキシコ市…あいかわらず少なめ、でも必要十分の水量
ダラス…ぬるま湯、9月でも温めるのか
成田…さらにあたたかい、こんなに蒸し暑いのに!そしてものすごい水量、もったいない
メキシコに初めて留学した2005年夏には
水道から出てくる水の量が少ないのは不便だと感じたけれど(特にシャワー)
いつの頃からか、あれでちょうどいいと思うようになった。
おそろしい時代のように「贅沢は敵」、なんていうことは言わないけれど、
"必要十分"が選択できるようだと嬉しい。
2012年8月23日木曜日
嗅覚の地図
嗅覚の目印でつくった地図あるいは道案内をたよりに、
人は目指す場所にたどりつくことができるだろうか?
ほとんどの道がアスファルトで舗装されているような都市では無理?
五感入ってくる情報がすべて鮮やかな夏なら、可能?
とっぷり暮れた帰り道、暑さにくたびれて半ば惰性で歩いていたら、
わっとオシロイバナの妖しく甘い赤紫の香りが右のほうから飛び込んできて、
それに続いて畑の匂いがして、
自分が、今まさにその地点を通過しているのだということを
とつぜん鮮烈に意識した。
その場の空間が、記憶に(あるいは認識に)、
<立体的>とでも形容できるような、像を結んだ感じがした。
そういえば、
小学校への通学路には豆腐屋があって、
朝の登校のころにはちょうどおからが白いほかほかした湯気をたてて
店の外に置いてある大きな容器にほろほろほろほろ転がり出ていた。
換気扇が音を立てて盛んに回っていた。
おからの香りはむせるようで、当時は少し苦手でもあった。
今は懐かしい。
豆腐屋さんの湯気を過ぎると、学校はもうすぐだった。
おからの香りを思い出すと、
学校の裏門に続く坂の傾斜まで、体が思い出すようだ。
(下校時刻になると、
おからの容器はきれいに洗ってふせてあったように思う。
この記憶はあやふや。)
2012年8月16日木曜日
かこいの外と内
8月16日、ひさしぶりに『常用字解』を開いてみた。
国(國)
「会意。もとの字は國に作り、口(い)と或(わく)を組み合わせた形。
或は口(都市をとりかこんでいる城壁の形)の周辺を戈(ほこ)で守る形で、
國のもとの字である。
或がのちに「或いは」のように用いられるようになり、混同を避けるため、
或に改めて口を加えて國とし、武装した国の都をいう。
のち、「くに」の意味に用いる。
唐代の則天武后(七世紀の女帝)は國が限定するという意味を持つ或を
構成要素としていることを不満とし、國の代わりに八方(あらゆる方向という意味)
を入れて圀(こく)の字をつくらせた。
この字はいま徳川光圀(黄門)の名前に残されている。
国の字形は國の草書体から生まれた略字であるが、
いま常用漢字として使われている。
[用例] 国益 国家の利益 / 国家 くに /国政 国の政治
国都 首都 /国防 外国の侵略に対する防備
異国 外国 /隣国 となりの国
(白川静 『常用字解』、平凡社、2003年、209頁)
古今東西、
さまざまなかこいのなかで
重大な、そして何らの事情のために解決の難しい問題が起きたとき
そこに生きるひとびとに、かこいの外に目を向けさせて、
本来の問題から注意を逸らすという力がはたらいてきたことを思い起こす。
矛の動きは、ほんとうのところは何を守ろうとしているのか
それぞれのかこいのなかで冷静に考えなければ、おそろしい。
2012年8月10日金曜日
サボテン命名の謎
なぜ女性を思わせる名前ばかりなのか?
スペイン語だとcacto, cactusは男性名詞。
ポルトガル語だと違うのか?なんて思っていながら、調べずにいた。
が、今朝、謎が解けた。(たぶん)
あんずジャムを塗ったトーストを食べながら、
オレンジ色の鉢の「ムケカ」に、ふと目をやると
あれ?
何かいつもと違う。
じっくり見たら、手の小指の爪ほどに、ぼこ、と何かが出ている。
ぱぱぱぱ、と記憶の蔓が自然にたどられていく。
声の記憶。
「サボテンてさ、どんどんふえるんだよー
ぼこ、っていうのが出て、その、ぼこ、っていうのをわけてうえると、
サボテンになるんだよ
そうやって、ぼこ、っていうのができるたびにわけていったら
400鉢」
「よんひゃっぱち」という突拍子もない数(と、そのひょうきんな音)にあのとき、
電車のなかで、つい大笑いしたのだった。
横隔膜の記憶。
そこから一気に推論。
サボテンには、母のイメージが重なるのだろう。
それから、もしかすると
男にとって「予測不能な、手に負えない、つい振り回されてしまう」相手である
女のイメージも。
(メニーナのほうも、大きな鉢にうつしてやらないといけない。
あらためてよく見ると、いつのまにやらムケカとの差は驚くほどになっている。)
2012年7月4日水曜日
2012年6月30日土曜日
適応するちから
左手の親指がまったく使えず、
服のボタンはかけづらいし、皿洗いはしにくいし、ジャムの瓶の蓋は開けられないし、
初めのうちはひどく不便に感じていた。
が、二週間ぐらいしたころだったか、
どうしても朝食のトーストにレモンジャムをつけたくなり、
「親指がだめなら人差し指じゃあるじゃないの」と思いついた。
レモンジャムの瓶を左手の人差し指と中指でフォークボール式に挟み、
瓶がすっとんでいかないよう念のために腿の上に置いて、右手で、ぐい。
蓋は見事に開いた。
ジャムの蓋が開いたあと、
試しに左手でフォークボール式に持ってみたグラスが軽々と持ち上がり、
人差し指が親指の代役を正式に買って出たこの日、
私はメキシコに初めて留学したときのことを思い出した。
暗くなれば恐ろしいから一人歩きはしない方がよいし、
バスの座席や床は傷だらけ穴だらけ、
横断歩道で長い信号を待っても歩行者が渡れる時間は一瞬で終わり、
下宿に戻れば、シャワーは細くお湯の出るのは短く、
停電や断水も日常の出来事、
部屋の壁にはサソリみたいなおそろしげなものが出現するし、
まだ寝ていたいのに早朝から隣家の雄鶏が盛んに鳴き、
日中は、路上で修理している車のステレオから大音量のレゲトンが鳴り響く。
近所の鶏肉屋で買った肉は、用心して時間をかけて煮たのに、あたって寝込んだ。
はじめは途方に暮れたものだった。
しかしそのうち、けろりと適応した。
日本から訪ねてきたともだちには、
「メキシコにいるほうが、なんか生き生きしてるね?」とまで言われた。
複数の人に。というか、ほぼ、毎回。
混沌とした大都会メキシコシティの環境は、
「温室」みたいな東京から出て飛び込んだばかりのときには、たしかに厳しく感じられた。
が、どうにか適応できた段階で気づいたことは、
自分もけっこうタフなのかもしれないということ、そして
厳しい環境では、
より逞しい人がより弱い人を、ごく自然に助ける習慣が、できているのだということ。
(ただし、弱者の弱みにつけこむような類の人たちについては、別の問題。)
便利には一瞬で慣れるが、不便にだって、そのうち慣れる。
そして、眠っていた逞しさが目を覚ます感覚は、痛快でもある。
不便な状況のなかは、人と人とのやりとりが頻繁に起こり、
誰かに気づかってもらったら、自分も人にそうしたくなる。
そろそろ冷房が寒くなってくる「温室」東京は、
居心地をよくしようとする力が働きすぎて結局居心地がよくないような、
矛盾したところがある。
……と言ってみたところで何の得にもならないし、
そもそも「温室」という環境のせいにして、自分まで再びひょろひょろになってたまるか、とも思う。
都会の脇にあるベランダのプランターに植え付けられても
淡々と花を咲かせてはガンガン実をつけているシシトウガラシを見習いたい。
2012年6月5日火曜日
つつじ+夕方の紺色=?
6時50分ぐらいに、たまたま窓のブラインドを開けてみたら
紺色の空に浮かぶ雲が夕焼色で、
窓をがばっと大きく開けて、しばらくのあいだ、眺めた。
屋外に出てぱっと目にとびこんできたのは、満開のつつじ。
紺色を帯びた光のもとで見ると、つつじはブーゲンビリアみたいで
夕方のひんやりした風と昼間の暑さの記憶のためか、
メキシコシティのサン・アンヘル地区が、急にひどく懐かしくなった。
2012年5月18日金曜日
フエンテスと声
生前のインタビュー映像が、
グレゴリー・サンブラーノ先生のblogで紹介されている。
http://gregoryzambrano.wordpress.com/
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=mm2WBEqViUI#!
始まって5分ぐらいのところで彼が発したことばに、耳が反応した。
カーソルを動かし、気になった部分を繰り返して聞くと、彼は次のようにいっている。
Una novela tiene que ser fiel a sí misma.
En la medida en que lo es, defiende los dos grandes valores de la literatura,
que son la lengua y la imaginación.
小説(小説というジャンルla novelaではなく、
ひとつひとつの作品としての小説 una novela)は
自分自身に対して誠実でなくてはならない。
自身に対して誠実であるとき、小説は、
文学のもつ二つの偉大な価値を擁護することになる。
その価値とは、ことば(lenguaje)、そして、想像力(imaginación)。
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フエンテスの声を聞きながら、
内容から離れて思ったのは、
彼自身の声(の録音)を、わたし自身が「じかに」
(=翻訳や通訳という、第三者の思考の介入なしに)聴き取り、
そこからあれこれ考えをめぐらすことができるのは、
なんと贅沢で豊かで心躍る体験か、ということ。
(上にあげた文章の、日本語訳の方には、
すでに、フエンテスでない人物[私]の思考が介入してしまっている。)
こんなことがあると、
翻訳や通訳という仕事の価値を、
翻訳や通訳の成果から恩恵を受けていることを、
日本語に変換されたことば自体の価値を、十分に意識したうえで、思う。
スペイン語を学んできてよかった。
母語以外の言語を学べば、世界は確実に広がる。確実に。
今度は、こういう面白さを味わえるようになるための、添え木を提供したい。
2012年5月17日木曜日
刺戟を受ける
ポジティブな刺戟を受ける友人は、とても貴重で、たいせつだ。
そんな、たいせつな・大好きな友人たちのひとり、
原瑠美さんのblog.
http://www.rumihara.com/blog-peanutbutter-sisters.html
2012年5月5日土曜日
後姿
ギター青年がひとり、
公園内の歩道にあぐらをかいて座りこみ、弦をかき鳴らして歌っていた。
傍らに、頼もしい相棒みたいな自転車をとめて。
彼の周りに、聴衆はいなかった。
すこし離れたところで、若い夫婦が足をとめて聞いていた。
ギター弾き歌うたいの横を通り過ぎ、
20メートルほど歩いただろか、木陰に車椅子のおばあさんがいた。
目をつぶって気持ちよさそうに歌を聴いている。
まぶたを開けば、青年の背中が遠くに見えるだろう。
おばあさんは目をとじたまま、
木々の葉っぱ越しに届く光を受け、心地よい風を受け、ひとり、静かに歌を聴いていた。
青年はそんな風に聴いているおばあさんがいるとは知らずに歌い続けていた。
いまも、この先も、きっと知らないままだろう。
2012年4月14日土曜日
門内幸恵さんの絵画展2
2012年4月10日火曜日
ひだりの定義
2012年4月1日日曜日
1ero de abil (4月1日)
The next stop is Tokyo. The doors on the left side will open. Please change here for the Shinkansen, the Tokaido Line, the Yokosuka Line, the Sobu Line Rapid Service, the Keiyo Line and the Marunouchi Subway line.
3月31日の晩、ときおり翌日のことを思い描きながら、山手線は大勢の乗客を乗せていつものルートを巡り続けた。特に乗り降りの多い駅は、東京、上野、池袋、新宿、渋谷、品川、そしてまた東京。毎日何度もぐるぐると終わりのない輪を描いて走るのは、どうも気が滅入る。せめて始発駅と終着駅がはっきりしていればもっと達成感がありそうなのに。ほかの路線がうらやましい。しかし、ほかの路線にいわせれば、それは贅沢な悩みだった。一国の首都の、それも中心部にある重要な駅をつないで大勢の乗客を運び、生活を、経済を、滞りなく循環させていることも、始発駅や終着駅に長く停車して時間を無駄にすることなくいつも働いていることも、誇りに思って然るべきだ。ほかのだれもがそう考えた。
それでも山手線はくたびれていた。朝と晩のラッシュアワーが最も苦手だった。混み具合は年々ひどくなる一方で、ぎゅうぎゅうの車内に乗り込んでくる乗客たちの諦めと覚悟の入り混じったような、表情をころした顔を見るのもいやだったし、少しでも電車が遅れただけで駅員が怒鳴りつけられるのを聞くもいやだった。しかも、気を散らせて事故を起こしてはいけないと思って、駅の案内板に貼られた展覧会のポスターを見るというささやかな楽しみも、車内の吊り広告や、ドアの上に設置された小さな画面で流されるニュースや英会話番組を眺めるという気晴らしも、混んだ時間帯には控えることにしていた。
しかし何より、混んだ車内では会話をする人がほとんどいないのがつまらなかった。山手線にとって、車内で聞こえる会話は、外の世界を知るための貴重な情報源だった。車内に吊り下げられている週刊誌の広告や小さな画面で流されるニュースを見ていれば、世の中でどんなことが起きているのか少しは見当がついたが、取り上げられるのはごく限られた種類の話題だけだったし、どこまで真実が伝えられているのかもわからない。しかも、ひどく揺れたあの日以来、ニュースの画面に映画のような内容がうつることもあった。それで、どうにかして外のことをもっと知りたい、と、話し声の聞こえるときにはできるだけ耳を澄ましていた。けれども、体を動かす隙間もないほど混んだ時間帯に車内で聞こえる音といえば、電車自体のたてる音か、ヘッドホンから漏れて聞こえる音楽か、抑えた咳払いぐらいしかない。だから、よけいに憂鬱だ。
とは言え、今夜は、普段に比べればいくらかマシな気分だった。明日を楽しみにしていたからだ。これまでに聞いた会話の断片をつなぎ合わせると、4月1日というのは、ちょっとドキっとするような嘘や冗談でも笑って済まされるという特別な日であるらしい。この推測がたしかなものであると確信した去年から、山手線は、自分も何かやってみようと企んでいた。たとえば、車内で流れるアナウンスに手をくわえること。録音されたアナウンスは、毎日同じだから、味気ない。でも混んでいるときはピリピリしている人が多いから、空いているお昼過ぎにしておこう。大ごとにならないように、聴いている人の少ない英語のほうが無難かもしれない。何人か、気づいてくれる人がいればいい。でも一体、どこをどう変えたら、気が利いているだろう。
翌日の昼過ぎになっても、いいアイディアはまだ見つからなかった。いつも詰めが甘いんだ。そもそも、僕は声を出せないじゃないか。再生するアナウンスを途中で止めたりつなぎ合わせたりするぐらいならできそうだけど、それで何か面白いことができるだろうか。
The next stop is Tokyo. あああ、また東京駅か。ここで降りる人たちはあちこちへ移動していくのに、僕はまたぐるっと次の一巡に入るってわけだ。そう思った次の瞬間、聞こえたのは、Please change… 今だ!山手線は、アナウンスを急いで止めた。変えてください。でも、その先に何をつなげればいいかわからない。どうしよう、ふつうに続けるしかないか、ちっとも面白くないけれど、しょうがない。そのとき、ある乗客の膝の上で荷物がかすかに揺れ、か細い子猫の声が車内に響いた。ミー。Please change me. ことばがつながった。変えてください、僕を。そこで山手線は咄嗟に続けた。to prevent an accident. 事故を防ぐために。Please change me to prevent an accident. 僕を変えてください、事故を防ぐために。それはもはやジョークではなく、ぎりぎりの状態にあった山手線の、必死の訴えだった。
それでも、山手線は、東京駅を出るといつものように神田駅に到着し、神田の次は秋葉原に、その次は御徒町に止まった。次は上野。ぼくは所詮東京の中でぐるぐる回っているしかないんだ。山手線は、少しずつ気持ちの整理をつけようとしていた。
ところが、彼の気づかないところであの叫びを聞き取った乗客たちがいた。それを、また別の人に伝えた人がいた。駅員に伝えた人もいた。少しは東京の外に出るのもいいだろう、と、たくさんの人たちが共感した。彼らは動いた。
上野駅の宇都宮線のホームで電車を待っていた人たちは、そこに山手線が入ってきたのを見て少し驚いたが、東京にしては珍しく思いきった4月1日の冗談だろうと見当をつけ、面白がって乗る人は乗りこみ、いつもの車両でないと安心できない人は次の電車をおとなしく待った。
上野駅を出たところで、山手線は、自分がいつもと違う線路の上を走っていることにようやく気づいた。延々と循環する、いびつな輪から、ついに解き放たれたのだ。線路は、北の方角に向かって伸びていた。車内で交わされる会話の響きが少しずつ変化していくのに耳を澄まし、初めて見る外の景色に目を凝らしながら、山手線は一駅、また一駅と、北上していく。
(2011年8月)
2012年3月31日土曜日
西林素子企画・構成・振付「Nocturno」
2012年6月、日暮里のd-倉庫にて、
西林素子企画・構成・振付によるダンス・パフォーマンス
"Nocturno” の公演があります。(3月1日より、予約受付中)
このblogでも、何度か彼女が出演したダンス公演の感想を書いたことがありますが
今回も、期待が高まります。
ダンスやステージパフォーマンスに関心がある人にはもちろん、
これまで特に興味がなかった人にも、ぜひおすすめしたいステージです。
どうしてか。
まずは、ちらりとご覧ください。
"Nocturno"にも出演する西林素子さん、蔦村緒里江さんが
もう一人のダンサー松田尚子さんと共に組んだ YakaYaka-wokaの
映像記録がyou-tubeで見られるようになっています。
(平面になった映像でも十分いいですが、実物はもちろん、さらにattractiveです)
http://www.yakayaka-woka.com/official/Movie.html
"Noturno"詳細は、西林素子HP内、以下のページをご覧ください。
http://www.motokonishibayashi.com/web/news/entori/2012/3/12_Nokuturnochiketto_yu_yue_kai_shi.html