1920年代から40年代にかけて活躍したメキシコ詩人
ハビエル・ビジャウルティアについて、ここ数年のあいだ調べ続け読み続け、
ここ数日、同じ時期の日本の詩人たちのことを知りだしたら
これがとても面白い。
明治に入ってから西洋化の波が押し寄せた日本の場合と、
コルテス以降、スペイン語世界に入り、キリスト教が入り、
そして西洋の伝統が「教養」の基礎となったメキシコの場合と。
20世紀のスペインがヨーロッパの中で文化の中心ではなかったことは、
日本とメキシコを、どこか似た状況に置くことにつながったように思える。
メインストリームからは海を隔てたところにあったことでも、どちらも同じ。
ただし、
「西洋文化」の根の深さでは、まったく違う。言語的にも。
日本文化の規範においては長い間、中国という別の権威があったことも、大きく違う。
(現在でも、日本では中学高校の「国語」の時間に日本の古典と漢文を読むように
メキシコでは、ギリシャ・ローマの古典が教えられる。おそらく、他のラテンアメリカ諸国でも)
「伝統」を探すときの仕方も違う。
ただし、どちらの国も難しい。いったいどの時点にルーツを求めるのか。
二度の大戦へのかかわり方、
世界全体において自国をどう位置づけていたか、
どのような戦略を取ったか、ということも違う。
それでも、
メキシコで
近代詩成立の鍵を握る雑誌『コンテンポラーネオス』が出たのが、
1928-1931年。
日本で、近代詩史上重要な雑誌『詩と詩論』が出たのが、
まさにちょうど同じ時期。
まだ「面白そうだ」という予感の段階に過ぎないけれど、
少しずつ、視野が立体的になっていきそう。