「 ここに住んでいたときに、ウミネコがすっかり嫌いになっちゃった、
夜になっても鳴き通しで、うるさくてちっとも眠れないんだもの。」
イザベルさんのアパートは、港のほんとうにすぐ脇にあった。
ベランダから見下ろすと、
レストランのテラスを挟んで、たくさんの船が停泊している。
引越しの途中の冷蔵庫からソレーヌが出してきてくれたコーラを飲みながら
しばらく港を眺めた。
このあたりは、夏には夜遅くまで賑やか、
(観光客は、それでも、ウミネコよりは早寝らしい)
私が訪れた9月下旬には、半数ぐらいのレストランがすでに閉まっていたが
もう少し寒くなるとシーズンオフになって、町はひっそりするらしい。
町の名前にある、Roiは王。でもGrauって何だろう、と思って
小学校の先生でもあるイザベルさんに尋ねると
ここLe Grau-du-Roiは、十字軍の頃にできた町で、
Grauはラングドックの言葉で、海へ続く道のことだと教えてくれた。
ドイツからの観光客が多いのか、ドイツ語しか書いていない。
ドイツ語はさっぱりわからないが絵が雄弁で、
どんな危険があるのか一目でわかる。
浜のほうに「砂浜の彫刻家」がいると聞いて、連れて行ってもらった。
「今日もいるかしら? いつもいるとは限らないんだけど……」
いた。
40代前半くらいだろうか、長髪でしゃがれ声のその人が、彫刻家。
この日つくりあげた砂の彫刻を前に、色々説明してくれた。
砂に糊を混ぜる人もいるが、自分は絶対使わない。
砂の彫刻っていうのは、もともとつかの間の(éhémère)存在なんだから。
朝からつくって、その一日楽しんで、翌朝来てみるとくずれている。
それでいいんだ。
抽象作品もつくりたいんだけど、
それじゃあコインを投げてくれる人がいない。そういう作品は、
却ってこどもたちだけが理解して気に入ってくれたりするんだけど。
でもやっぱり、わかりやすい作品をつくれば
足を止めてくれる人が多いから、
ウミガメとか蛇使いとか、こういうのをつくるんだよ。
作品を撮った見物客たちが送ってくれた写真が
アルバムにして置いてあった。
そのなかで気になったのは、
アフリカ大陸と、それを両脇から支える女性二人の像。
「アフリカには、僕たちとは違う世界観がある。
女性が生活を支えてるんだ。
自分たちの世界観が絶対ではない、
別の世界もある、と伝えたかったんだよ。」
すっと冷たい風が通り抜け、気づけばだいぶ陽が傾いている。
「朝日と夕日のときが、ちょうど今が写真を撮るにはもってこいの瞬間。
光が強すぎても、弱すぎてもだめなんだ。」
この彫刻家の想像力のなかでは、
人魚姫の物語の結末も変わりそうに思えた。