これは、ザクロの花なのだそうです。どんな花が咲くのか
想像したこともありませんでした。この遊歩道沿いの木には小さな名札がつけられているのが幾つもあって、それが何の木なのかわかって、
とても面白いものです。
今朝、ついに芽が出た。
待っていたトマトか。トマトはもう出なかったのだろうと思って前夜に足したトウガラシの種か。
いや、やっぱり、昨日の今日で、乾燥していた種から芽が出るのは早すぎるだろうから、
きっとこれは、トマトの芽。先週の土曜日、トーキョーワンダーサイトのオープンスタジオ企画に行ったときに「サウンド・アーティスト」のmamoruさんという方からいただいたもの。振舞われたトマト・アボカドサラダの器の底にキリで穴を開けたら、簡易プランターになり、自家製ジンジャーエールのコップと組み合わせると、それが水を受ける外の器になる。土を入れて、トマトのフレッシュな種を入れて、土をかぶせて、水をやって、さあ、水のしみこむ音を聞いてみてください。というコンセプト。
芽が出て育って花が咲いたら、さらに嬉しいですよ。
持って帰っては来たものの、
トマトは難しいとも聞いたしやっぱり芽は出ないか、残念、
と思っていた矢先のことだった。朝日のなかに、ぴんと出た小さな芽。このあと、日中には、さっそく双葉が開いた。トウガラシの種が入ってきて、カッカと元気になったのだろうか…10年以上も前、気まぐれでアイロンがけをするのが好きだった時期があり、それは、シワシワな布地がのびていくのが気持ちよかったからだったけれど今は、シワシワがピンとすることよりも、 芽が出るとか、実がなるとか、育っていくということに心ひかれること、きりがない。
冬のあいだ部屋のなかに置いてあったレモン。花ざかりが一段落して、四つの小さな実がついて、たっぷり太陽にあてようとベランダに出しておいたところ…新芽がぞくぞくと湧き出してきて、いまのところ、虫にも食われずにすくすく育っている。よしよし、と嬉しく眺めていたら、新たに蕾があるのを見つけた。さらに嬉しくなって眺めまわしていたら、星空を見ているうちに目が慣れて星がひとつ、また一つと見え出すように蕾がひとつ、また一つと見つかった。
鉢植えのズッキーニが開花した。雨が二日続くと、もう晴天が恋しい。
4月1日に六本木ミッドタウンの駿河銀行d-laboで開かれた伊藤比呂美さんとジェフリー・アングルスさんによる朗読会。ちょうどKilling Kanokoのことを考えていたところに、催しの企画者でもあった、詩人の新井高子さんが、お知らせを下さいました。新井さんの編集する詩誌『ミて・プレス』の書評欄に、催しの評と『読み解き般若心経』の書評を合わせた、編集者の藤井一乃さんによる文章がアップされたとのこと。http://www.mi-te-press.net/review/index.html当日の様子をありありと思い出しながら、もしあの日、あの場でお話を聞くことが叶っていなかったとしても、この文章を読んだら、ああ、と感じるところがあっただろう、と思いました。とくに、伊藤さんの声についてのくだりには、深く同感します。
メキシコでは、ケチャップは「カツァッp」 と呼ばれている。(カタカナ化した"pu"のように母音は入らないので "p"
「カ」に強勢がある。)「カツァッpを取って」、と自分で使ってみたときにどうしてもおかしくて クスッと笑ってしまったら、どうしたの、と尋ねられ、発音が面白いんだといったら、じゃあ日本語では何ていうの、と尋ねられ、「ケチャップ」と、カタカナで平板に答えたら、あはははは、おかしい、と大笑いされた。
どちらが「正しい発音」に近い、
なんていう面倒なことを考えるわけでもなく互いにカラカラと笑いあって、それ以来、日本でも カツァッp と思いながら、あの味つきトマトソースを使っている。
ABCでのトークショーに関する番外編です。昨日、私はともだちから贈られたばかりの赤と白の細いストライプの服を着ていきました。(マリコさん、ありがとう)
シマシマの服を着て、本の島の話を聞いていたわけです。満足とニャニャラスとを胸に、
帰り道の宮益坂をぐいぐい下り、渋谷の人並みを分けてエスカレーターを登り、
電車を乗り継いで帰って、辞書を開きました。
まさかつながりはないよね、と思いながらも、シマのことが気になって。すると、ありました。できすぎたような記述が。百科事典マイペディアからの引用です。一晩寝ても、また見つかったので、夢ではないようです。-----------------------------------------------------------しま 【縞】織物模様の一種。洋服地のストライプにあたる。[…] 縞が本格的に流行したのは、
南蛮交易により南方からセイラス縞、桟留縞(唐桟)など
珍しい縞織物がもたらされた近世以後で、
縞の名はこれらを「島物」「島渡り」と称したのに由来する。[…」-------------引用終わり------------------------------------
昨日、青山ブックセンター本店でのトークショーを聞いてきました。昨年お亡くなりになった名編集者:津田新吾さんの「本の島」構想と津田さんご本人をめぐるお話、でした。「本の島」とは、BEKA制作による特別の冊子を開くと、次のように説明されています。 ---------------------------------------------- 津田新吾の考えた「本の島」は、 ひとつだけで孤立して海上に浮かぶ島 ではなく、ゆるやかに連なった群島でした。 ひとつひとつの島は、一冊一冊の本。それぞれ の本が個性を失わずに、しかしゆるやかに開かれた かたちで繋がっている、そんな出版活動―― (...) 本の島実行委員会 ----------------------------引用終わり-----------津田さんが編集を手がけられた本のリストを見ると、自分にとって(一方的に)馴染みのふかい名前がずらり。その一部を挙げると (敬称略)…管啓次郎、吉増剛造、堀江敏幸、野崎歓、須賀敦子、多和田葉子、アントニオ・タブッキ、ギジェルモ・カブレラ=インファンテ、アレホ・カルペンティエル、フアン・ルルフォ、、、 トークショーでのお話を聞き、冊子に綴じられた、津田さんに縁のある方々が寄せたアンケートを読んで強烈に感じるのは、 津田さんが、すばらしい書き手を見分ける目の、 見分けたら逃さぬ情熱と行動力の、 書き手とのやり取りを通じてそのひと本来の持ち味を引き出す術の、持ち主であり、強い信念・確信を持って、決して妥協せずに、本づくりに取り組んでいらしたこと。そして、その存在が書き手、編集に携わる方々、流通に携わる方々、そして読者にいたるまで(それぞれ形は違うだろうけれど) 無数の反響を起こし続けているということ。昨日は、舞台上の三人だけでなく、冊子をつくったBEKAのお一人、青山ブックセンター本店で「本の島」の棚を企画した寺島さやかさん、今回の企画の発起人である、元書店員・現在編集者であるかたのお話も聞くことができました。「本」というものによって、本(づくり)をめぐることばによって、必ずしも直接の接触を介すことがなくても、確かに繋がっていく何かのひとつの形が、昨日のあの場にあったように思います。
次の日曜:16日のお昼1時から、青山ブックセンター本店で
「本の島」をめぐる対話 と題して
管啓次郎さん、野崎歓さん、鄭暎惠さん 三氏によるトークイベントがあります。
14日夜9時の時点では、まだ予約受付中らしい。
詳しくは
www.aoyamabc.co.jp/10/10_201005/vol1516.html
兼田言子さん の属する創作集団BEKAが
特別につくった冊子もいただけるとのこと。
私はなぜか日付を勘違いして、残念ながら行けないと思い込んでいたのですが、
日曜のお昼ならば!
ガラシャは、洗礼名Graciaだと、細川家の至宝展で知ってグラシア(シャ)ではなくて、ガラシャと書いたのが面白いと頭に残っていたがガラスというカタカナ語にも、同じことが起こっていると気づいた。glass→ グラスではなくて、ガラス。 この線でいくとGrammy→ガラミー賞。ただ、今ではGなら(おそらく)必ず「グ」と表記するのとは違って、
常にGの音が「ガ」と表記されるわけでもない。たとえば English イングリッシュではなくて、イギリス。(nはどこへ行ってしまったのだろう)
Gのあとに初めて出てくる母音につられて変わる、ということか。
毎朝聞いているJ-waveの番組で別所哲也さんがガブリエル・ガルシア・マルケス著、旦敬介訳の『生きて、語り伝える』を紹介していた。焦点をあてていたのは、「語り伝える」という行為自体。数年前、旦先生の翻訳の授業で、素材のひとつとしてこの作品が取り上げられたとき、Vivir para contarla という題名の訳は(記憶違いでなければ)最終決定していなかった。contar は、単純に訳せば、「語る」。でも、最終的な題名は「語り伝える」。Vivir para contarla/生きて、語り伝える。書店で「あ!ついに出たんだ」と
見かけたとき
語順も語感も、うまく日本語にうつしかえるのだなあ、ということくらいしか、恥ずかしながら、思わなかったのだけれど、今日のラジオを聞いて、改めて、「語る」という行為の(それ自体の、またガルシア・マルケスにとっての)核心を、巧みに言い当てた邦訳題名なのだと思った。語り「伝える」ということで、
語る/書く、終わり。というのではなくて、語りたい内容があって、語る人がいて、それを伝える相手がいて、
伝え聞いた相手がまたそれを語って伝えて、、、時間も場所も越えて、物語が伝えられ、渡されていく情景が思い浮かぶ。
立春の日に開いたレモンの白い花。今年は、同じ鉢に驚くほどたくさんの花が咲いて、どきっとするような甘い香りを楽しんだ。まさに the lemon flower is sweet 。そして今、緑の小さな実がよっつ、心細げについている。無事に大きくなりますように。外に出てざわざわと葉を揺らす木々の下を通れば、透明な緑に染まった光と風が抜群に心地よい。
メキシコの文芸情報誌 Letras de Mexico (1937-1946) のはじめから終わりまで、全132号を見ていったときのこと。それぞれの記事の内容を見るのが目的で、それはもちろん果たしたけれど、ついでに目に入る広告の変遷も面白かった。タイプライターの広告は、文芸誌だけあって、ずっとあった。「文字は人柄を表します。くっきり文字のわが社製を」というのが最後の方の決まり文句。糖分は脂肪よりも体によい栄養源です、皆さん砂糖をもっととりましょう。というおかしな広告は、最初の何号かのあいだ繰り返され、やがて姿を消した。タイヤの広告は途中からデザイナーが変わったらしく、面白みのなかった図柄が一こまマンガ的なかわいらしい絵柄に変わり、手入れの仕方、点検の仕方も教えてくれるようになる。途中に出てきたハエよけスプレーの広告の絵柄には革命の時代のような、ヒゲをたくわえソンブレロをかぶり長銃を持ったいかにもステレオタイプ的なメヒカーノおじさんが描かれている。悪者退治といえばこれ、というイメージだったのか。そして、戦後になると、(現在では旅客輸送をおこなっていない)メキシコ国鉄の広告が出た。
ベラクルスまで、列車の旅をどうぞ。サービスの充実した夜行列車もご利用ください。利用してみたかった。
Gonzalo Celorio という、作家であり批評家である人の評論を引用したいのに、手元にある、メキシコ・中米前衛アンソロジーに再録された版は不完全で、もとの著書からほかの批評家が引用していた部分、
まさに私の参照したい部分が、自分の持っている版にはなかった。メキシコで勉強している知人にコピーをお願いして、送っていただいた、その矢先。机の脇に置いてあった、無印の文庫本型メモ帳をめくったら2007年の2月にメキシコに短期で行ったときに、なんたることか、私は、友人の働くCasa Refugioで行われた木曜講演会シリーズでCelorio さんのお話を聴いているではないか、、、、情けないのと、驚くのと。いや、やはり、情けない。それは、彼の Tres lindas cubanas という小説の出版記念会だった。2007年の自分のメモによれば、
(ちなみに、それはオレンジ色の細いペンで書かれている。読みにくいこと。
なぜオレンジだったのか、今となっては当時の考えがさっぱりわからない。)彼の祖母はキューバ人で、母も革命のころまでキューバにいた。本人は、文学研究者として、カルペンティエル、レサマ=リマをはじめとしたキューバの「ディアスポラ」に取り組んだ。「解決できない葛藤や問題を抱えたときに書くものが、小説 アイディア→試論。 ****→短編。(判読不能。聞き逃したらしい) イメージ→詩」「全能の語り手は親切すぎるので、この小説では二人称の語り手を選んだ」など。(メモはスペイン語と日本語が混在)
ビバ・メモライフ (るみちゃん) という思いと、
自分の頭を、もっとしっかりせねばという思いとが渦巻く。
さらに。
ばかに忙しく動いていた短期滞在中のこの夜、私は頭痛→眠気に襲われていたらしく(頭痛がなんとか言うメモがある)、
ヨロヨロした文字で書かれた「 Contemporaneosからの影響」 というのが、講演の最後の痕跡。そういえば客席の確かが、詩人たちからの影響について質問したような、しないような。何を話していたのか、今になっては知ることのできない、ああ、何てもったいないこと。。。
国立博物館、平成館で展示されている「細川家の至宝」を見た。目当ては菱田春草の「黒き猫」。
名画を前に、ちいさな女の子が高らかに「にゃーー」。くすくす笑いを誘っていた。さて興味をひかれるものはほかにも様々あったけれど、中でも、えっ 知らなかった と思ったのは、古今和歌集の伝授が「秘儀」であり、
他言しないという誓いを立てなければ、教えを受けることができなかったらしいということ。秘儀のもよおされる際に掛けられた柿本人麻呂の像や、その掛け軸も描きこんだ秘儀の図が展示されたのと同じ列には細川幽斎による歌がひとつ。「いにしへも今もかはらぬ世のなかに 心のたねをのこすことのは」。
目に鮮やかな若葉の季節、特別な言の葉のことが気になる。