堀江敏幸さんの『回送電車』(中央公論社)が面白い。
「さびしさについて」という、ちゃぼ(矮鶏)をめぐる一文にため息をつく。
ちゃぼのたまごを食べた経験は私にはないが、
「バンタム級」の「バンタム」がちゃぼの意味だと聞いたことを出発点に
辞書をハシゴするくだりには、深く共感。
野暮は承知の上で、辞書遍歴の成果をかいつまんで書いてしまうと、
「バンタム」を引く
→「ジャワ島のバンテン(旧称バンタム)地方原産の鶏の品種のひとつ」で、「ちゃぼに似たもの」
「ちゃぼ」を引く
→「矮鶏」、英語名「ジャパニーズ・バンタム」。
「江戸時代に入ってきた小形の鶏を日本人が改良したもの」
「ちゃぼ」を広辞苑第四版で引く
→その名は、原産地の占城(チャンパ)に由来。愛玩用の「鶏の一品種」。
「小形で、尾羽が直立し、脚が非常に短く、両翼が地に接するほど低いことなどが特徴」 ……。
この後、
ちゃぼが主人公の童話、ご自身のひよこ育て経験、そしてちゃぼを詠んだ短歌をめぐって
ちゃぼづくしの洒脱な文章はつづく。
ああ、こんな風に文章が書けたら……と思いながら読んだ(これがため息の元)。
が、一方では、メキシコ弁のしみついた脳が「ちゃぼだって、ちゃぼ」と囁いている。
Chavo, chava とは、それぞれ、年若い男、女のこと。
辞書にも 《俗》と書いてあるが、正式な場では使わない砕けたことば。
Es mi chava. と言えば、 「こいつがおれの彼女だよ」という感じか。
Chavo, chavitoと言ったら、「若造」みたいな意味にもなる。
そうだ、「若造」の代わりに
矮鶏と堀江さんの文章に因んで、「ひよっこ」というのはどうだろうか。