昨日、上智大学のイベロアメリカ研究所で行われた
ドナルド・キーン氏と林屋永吉氏の講演会
「『奥の細道』―異文化を行く―」を聞いた。
この日の講演者のお二人の接点は、
キーン氏が『おくのほそ道』の英訳を手がけ、
林家氏がスペイン語訳を手がけた、ということだけではない。
お二人のお話を聞くなかで生き生きと伝わってきたのは、
林家氏と共に『おくのほそ道』のスペイン語訳に携わり、
キーン氏の英訳に刺激を受け、教えをうけて謝辞をも送った
メキシコの詩人、オクタビオ・パスの姿だった。
ところで、私がメキシコで会った友人たちが語ったパス像は
大物詩人ゆえに若い世代からは反発があるのだろうか、
どちらかと言えばマイナスイメージといえるようなものだった。
それとは対照的に、この日のお二人のお話からは
尊敬する、そして大切な友人パスを思う気持ちが伝わってきた。
林家氏は、1952年にメキシコへ渡り、外務省での仕事を通じて、
日本から戻ったばかりのパスと知り合ったという。
仕事の話を早々に切り上げ文学談義を始めるパスと会うのが楽しみで
出勤するのがすっかり楽しみになったこと。
パスに芭蕉の翻訳を持ちかけられたけれども時間がなくて取り掛かれず、
怪我をして入院したときに見舞いにやって来たパスに
「今こそチャンス」と言われて、その翻訳を始めたこと。
以前、iichikoのパス特集号でもこの辺りの話を読んだことがあったけれど
こうしてご本人の軽妙な語り口を生で聞くと、
いかにも、若き日のパスの溌剌とした姿が目に浮かぶようだった。
キーン氏によれば、
パスはよく笑う人、ものの面白さをよく知る人だった。
N.Yで初めてパスに出会ったころのある日、
さる現代音楽作曲家のパーティーで難解な音楽を聴いたとき、
賛辞を送る招待客たちの声を聞きながら
しらじらと家を出たパス夫妻とキーン氏は、
率直にその音楽を酷評し合い、三人で大笑い。
それから後、何度もあちこちの国で再会を繰り返し、
互いの全著書を送りあったという。
あるとき、パスの詩集を批判する手ひどい書評を見たキーンさんは、
反論をすぐさま書いてニューヨーク・タイムズに投稿。
普段わたくしは行動的な方ではないのですが、友だちのためでしたから、
と語るキーンさんは、
「パスさん」と言って話を始めたのが、
いつの間にか「オクタビオ」をめぐる回想になっていた。
その場にいない(存命であれば、同席したかったかもしれない)
パスを含めた三人が、旅の道連れ、
道中のかけがえのない仲間と感じられた。