2007年11月29日木曜日
秋色散歩
この前の日曜日、
ロシアから建築史を勉強しに来ているアーニャと
イタリアで木造建築の修復を学んで来たモトコと
小金井公園の「江戸東京たてもの園」に行った。
駅からの道すがら、お蕎麦屋さんでお昼にした。
ア:「おすすめは?」
店:「この時季ですと、きのこそばですね」
ア:「わ、きのこ大好き!」(素敵な笑顔)
以前、言語学・スラヴ語学者の黒田龍之助さんから
ロシアのひとは、きのこが大好きだと聞いたことを思い出した。
アーニャによれば、ロシアでは「リシーチカ」という黄色いきのこが人気で、
その意味は「きつねちゃん」。
なんとかわいらしい名前。
八王子千人同心組頭の家。
秋の陽を浴びた干し柿がリズミカル。
同じく組頭の家。
光のとおり道が、静かでもあり、活き活きと元気にも見える。
たてものを出ると、園内には落ち葉プールができていて、
落ち葉のシャワーにこどもたちがキャーキャー喜んでいた。
高橋是清邸の二階から。
眺めているといつまでも飽きず、つい長居してしまう。
写真には撮っていないが、
「ここに住みたい」と訪れる度に思うのが、前川國男邸。
ボランティア・ガイドの方が、
ル・コルビュジエの影響がここにもあそこにも、と
サヴォワ邸やチャンディガールの建物などと
「ここが似ている」と逐一対照した写真アルバムを見せて下さったが、
木でできている暖かみもあって、まったく別物に思える。
ともあれ、
独創的であろうと、誰かに着想を得たものであろうと、
あれだけ居心地のいい空間をつくれるとはすごいことだ。
ロシアから建築史を勉強しに来ているアーニャと
イタリアで木造建築の修復を学んで来たモトコと
小金井公園の「江戸東京たてもの園」に行った。
駅からの道すがら、お蕎麦屋さんでお昼にした。
ア:「おすすめは?」
店:「この時季ですと、きのこそばですね」
ア:「わ、きのこ大好き!」(素敵な笑顔)
以前、言語学・スラヴ語学者の黒田龍之助さんから
ロシアのひとは、きのこが大好きだと聞いたことを思い出した。
アーニャによれば、ロシアでは「リシーチカ」という黄色いきのこが人気で、
その意味は「きつねちゃん」。
なんとかわいらしい名前。
八王子千人同心組頭の家。
秋の陽を浴びた干し柿がリズミカル。
同じく組頭の家。
光のとおり道が、静かでもあり、活き活きと元気にも見える。
たてものを出ると、園内には落ち葉プールができていて、
落ち葉のシャワーにこどもたちがキャーキャー喜んでいた。
高橋是清邸の二階から。
眺めているといつまでも飽きず、つい長居してしまう。
写真には撮っていないが、
「ここに住みたい」と訪れる度に思うのが、前川國男邸。
ボランティア・ガイドの方が、
ル・コルビュジエの影響がここにもあそこにも、と
サヴォワ邸やチャンディガールの建物などと
「ここが似ている」と逐一対照した写真アルバムを見せて下さったが、
木でできている暖かみもあって、まったく別物に思える。
ともあれ、
独創的であろうと、誰かに着想を得たものであろうと、
あれだけ居心地のいい空間をつくれるとはすごいことだ。
2007年11月24日土曜日
2007年11月21日水曜日
パスの細道
昨日、上智大学のイベロアメリカ研究所で行われた
ドナルド・キーン氏と林屋永吉氏の講演会
「『奥の細道』―異文化を行く―」を聞いた。
この日の講演者のお二人の接点は、
キーン氏が『おくのほそ道』の英訳を手がけ、
林家氏がスペイン語訳を手がけた、ということだけではない。
お二人のお話を聞くなかで生き生きと伝わってきたのは、
林家氏と共に『おくのほそ道』のスペイン語訳に携わり、
キーン氏の英訳に刺激を受け、教えをうけて謝辞をも送った
メキシコの詩人、オクタビオ・パスの姿だった。
ところで、私がメキシコで会った友人たちが語ったパス像は
大物詩人ゆえに若い世代からは反発があるのだろうか、
どちらかと言えばマイナスイメージといえるようなものだった。
それとは対照的に、この日のお二人のお話からは
尊敬する、そして大切な友人パスを思う気持ちが伝わってきた。
林家氏は、1952年にメキシコへ渡り、外務省での仕事を通じて、
日本から戻ったばかりのパスと知り合ったという。
仕事の話を早々に切り上げ文学談義を始めるパスと会うのが楽しみで
出勤するのがすっかり楽しみになったこと。
パスに芭蕉の翻訳を持ちかけられたけれども時間がなくて取り掛かれず、
怪我をして入院したときに見舞いにやって来たパスに
「今こそチャンス」と言われて、その翻訳を始めたこと。
以前、iichikoのパス特集号でもこの辺りの話を読んだことがあったけれど
こうしてご本人の軽妙な語り口を生で聞くと、
いかにも、若き日のパスの溌剌とした姿が目に浮かぶようだった。
キーン氏によれば、
パスはよく笑う人、ものの面白さをよく知る人だった。
N.Yで初めてパスに出会ったころのある日、
さる現代音楽作曲家のパーティーで難解な音楽を聴いたとき、
賛辞を送る招待客たちの声を聞きながら
しらじらと家を出たパス夫妻とキーン氏は、
率直にその音楽を酷評し合い、三人で大笑い。
それから後、何度もあちこちの国で再会を繰り返し、
互いの全著書を送りあったという。
あるとき、パスの詩集を批判する手ひどい書評を見たキーンさんは、
反論をすぐさま書いてニューヨーク・タイムズに投稿。
普段わたくしは行動的な方ではないのですが、友だちのためでしたから、
と語るキーンさんは、
「パスさん」と言って話を始めたのが、
いつの間にか「オクタビオ」をめぐる回想になっていた。
その場にいない(存命であれば、同席したかったかもしれない)
パスを含めた三人が、旅の道連れ、
道中のかけがえのない仲間と感じられた。
ドナルド・キーン氏と林屋永吉氏の講演会
「『奥の細道』―異文化を行く―」を聞いた。
この日の講演者のお二人の接点は、
キーン氏が『おくのほそ道』の英訳を手がけ、
林家氏がスペイン語訳を手がけた、ということだけではない。
お二人のお話を聞くなかで生き生きと伝わってきたのは、
林家氏と共に『おくのほそ道』のスペイン語訳に携わり、
キーン氏の英訳に刺激を受け、教えをうけて謝辞をも送った
メキシコの詩人、オクタビオ・パスの姿だった。
ところで、私がメキシコで会った友人たちが語ったパス像は
大物詩人ゆえに若い世代からは反発があるのだろうか、
どちらかと言えばマイナスイメージといえるようなものだった。
それとは対照的に、この日のお二人のお話からは
尊敬する、そして大切な友人パスを思う気持ちが伝わってきた。
林家氏は、1952年にメキシコへ渡り、外務省での仕事を通じて、
日本から戻ったばかりのパスと知り合ったという。
仕事の話を早々に切り上げ文学談義を始めるパスと会うのが楽しみで
出勤するのがすっかり楽しみになったこと。
パスに芭蕉の翻訳を持ちかけられたけれども時間がなくて取り掛かれず、
怪我をして入院したときに見舞いにやって来たパスに
「今こそチャンス」と言われて、その翻訳を始めたこと。
以前、iichikoのパス特集号でもこの辺りの話を読んだことがあったけれど
こうしてご本人の軽妙な語り口を生で聞くと、
いかにも、若き日のパスの溌剌とした姿が目に浮かぶようだった。
キーン氏によれば、
パスはよく笑う人、ものの面白さをよく知る人だった。
N.Yで初めてパスに出会ったころのある日、
さる現代音楽作曲家のパーティーで難解な音楽を聴いたとき、
賛辞を送る招待客たちの声を聞きながら
しらじらと家を出たパス夫妻とキーン氏は、
率直にその音楽を酷評し合い、三人で大笑い。
それから後、何度もあちこちの国で再会を繰り返し、
互いの全著書を送りあったという。
あるとき、パスの詩集を批判する手ひどい書評を見たキーンさんは、
反論をすぐさま書いてニューヨーク・タイムズに投稿。
普段わたくしは行動的な方ではないのですが、友だちのためでしたから、
と語るキーンさんは、
「パスさん」と言って話を始めたのが、
いつの間にか「オクタビオ」をめぐる回想になっていた。
その場にいない(存命であれば、同席したかったかもしれない)
パスを含めた三人が、旅の道連れ、
道中のかけがえのない仲間と感じられた。
2007年11月17日土曜日
フランス(8)Aigues-Mortesにて
「城砦のある小さな町、行ってみたい?
私の大好きなお菓子屋さんがあるんだ」
もちろん!
ということで、モンペリエの町からの出口を車でぐるぐる探し、
しばらく走って、Aigues-Mortesへ。
石畳の、きれいな町。
観光客、特にきれいな白い髪のお年寄りの姿が目につく。
お店が立ち並ぶ通りの右手に、なんだか一際きれいな店がある。
「ここ、ここ」
キャンディーにチョコレート、ヌガー、クッキー…
いろとりどりのお菓子が整然と魅力的に並んでいる。
お父さんに肩車されたこどもが目をキラキラさせていた。
「カントリーマアム」大のチョコクッキーの試食をすすめてくれたおばさんに
「写真に撮ってもいいですか?」と聞くと、
どうぞ、とにっこり笑顔で答えてくれた。
ヌガーの色合いとお店全体の雰囲気が合って、洒落ている。
ジンジャー入り、オレンジピール、苺、イチジク、ピスタチオ…
贈り物用に包装されている詰め合わせの、包み紙とリボンの配色も
しびれるほど洒落ていたが、見とれただけで写真を撮るのを忘れた。
朝顔に囲まれたお店。
鉄柵の深緑、これが好き。
公園のベンチなどにもよくこの深緑が使われ、景色に溶け込んでいる。
古本屋さん。
旅がまだまだ続くのでなかったら、
古い本のページに水彩で絵を描く渚itaに、
一冊買っていきたいところだった。
昼食後のおしゃべりを終えたばかりの、おじいさん。
仲間に挨拶をした後、家の中へ消えていった。
鮮やかな赤いセーターがきれい。
深緑の椅子の上には、
南仏模様のクッション(座布団?)二枚。
座るときには、片方を背もたれに当てるのか、二枚の上に座るのか。
これもまた色合いがきれい。
私にとって、この町はすっかりお菓子と色彩りの町になってしまったが
歴史をたどってみれば、ルイ9世が十字軍遠征のときに建てた場所。
けれども宗教色が強いという感じではなく、
ここの教会は至って簡素なつくりで、
ステンドグラスも何かの物語を描いたものではない
シンプルな「色模様」だった。
Aigues-mortesという名前も気になる。
Aigueは古フランス語の「水」から、
mort(es)は現代フランス語の語義と同じだとすれば英語でdeadで
例えばla mer Morteだと「死海」、langue morteだと「死語」。
Aigues-mortesは「死水」? しかも、なぜ複数形なのだろう。
私の大好きなお菓子屋さんがあるんだ」
もちろん!
ということで、モンペリエの町からの出口を車でぐるぐる探し、
しばらく走って、Aigues-Mortesへ。
石畳の、きれいな町。
観光客、特にきれいな白い髪のお年寄りの姿が目につく。
お店が立ち並ぶ通りの右手に、なんだか一際きれいな店がある。
「ここ、ここ」
キャンディーにチョコレート、ヌガー、クッキー…
いろとりどりのお菓子が整然と魅力的に並んでいる。
お父さんに肩車されたこどもが目をキラキラさせていた。
「カントリーマアム」大のチョコクッキーの試食をすすめてくれたおばさんに
「写真に撮ってもいいですか?」と聞くと、
どうぞ、とにっこり笑顔で答えてくれた。
ヌガーの色合いとお店全体の雰囲気が合って、洒落ている。
ジンジャー入り、オレンジピール、苺、イチジク、ピスタチオ…
贈り物用に包装されている詰め合わせの、包み紙とリボンの配色も
しびれるほど洒落ていたが、見とれただけで写真を撮るのを忘れた。
朝顔に囲まれたお店。
鉄柵の深緑、これが好き。
公園のベンチなどにもよくこの深緑が使われ、景色に溶け込んでいる。
古本屋さん。
旅がまだまだ続くのでなかったら、
古い本のページに水彩で絵を描く渚itaに、
一冊買っていきたいところだった。
昼食後のおしゃべりを終えたばかりの、おじいさん。
仲間に挨拶をした後、家の中へ消えていった。
鮮やかな赤いセーターがきれい。
深緑の椅子の上には、
南仏模様のクッション(座布団?)二枚。
座るときには、片方を背もたれに当てるのか、二枚の上に座るのか。
これもまた色合いがきれい。
私にとって、この町はすっかりお菓子と色彩りの町になってしまったが
歴史をたどってみれば、ルイ9世が十字軍遠征のときに建てた場所。
けれども宗教色が強いという感じではなく、
ここの教会は至って簡素なつくりで、
ステンドグラスも何かの物語を描いたものではない
シンプルな「色模様」だった。
Aigues-mortesという名前も気になる。
Aigueは古フランス語の「水」から、
mort(es)は現代フランス語の語義と同じだとすれば英語でdeadで
例えばla mer Morteだと「死海」、langue morteだと「死語」。
Aigues-mortesは「死水」? しかも、なぜ複数形なのだろう。
2007年11月15日木曜日
ちひろの万年筆
6月ごろから、万年筆を使い始めた。
それから少し遡り、まだ肌寒かったある夜のこと。
渋谷のスペイン料理屋に小人数で集まったとき、
「上着をお預かりしましょう」と言われた旦敬介さんが、
店員さんに上着を渡す前に何かを取り出し、手元に留めた。
万年筆。
ああ、さすが、書く人escritor。
高校からの友だち、ちひろが六月の花嫁になったとき、
ギフトカタログを眺めていて、はっと目に留まったのが、万年筆。
赤ワイン色のPlatinumを頼んだ。
大切なときだけに使うようにしていたら、
付属のインクがしばらくもって、
それが先日とうとう切れた。
インクが高そうという変な先入観があっておそるおそる買いに行ったら、
400円でカートリッジが10本も入っている。
万年筆は別に贅沢品じゃないんだ、
大切に長く使える筆記具なんだと思うと
なんだか嬉しくなって、急にたくさん万年筆の文字を書き始めた。
キーボードにも使い捨てのペンにも鉛筆にもお世話になっているけれど、
万年筆で書くと、書いている文字も中身も丁寧になる気がする。
本筋からは逸れるけれど、万年筆はアルファベットの筆記体が書きやすい。
それから少し遡り、まだ肌寒かったある夜のこと。
渋谷のスペイン料理屋に小人数で集まったとき、
「上着をお預かりしましょう」と言われた旦敬介さんが、
店員さんに上着を渡す前に何かを取り出し、手元に留めた。
万年筆。
ああ、さすが、書く人escritor。
高校からの友だち、ちひろが六月の花嫁になったとき、
ギフトカタログを眺めていて、はっと目に留まったのが、万年筆。
赤ワイン色のPlatinumを頼んだ。
大切なときだけに使うようにしていたら、
付属のインクがしばらくもって、
それが先日とうとう切れた。
インクが高そうという変な先入観があっておそるおそる買いに行ったら、
400円でカートリッジが10本も入っている。
万年筆は別に贅沢品じゃないんだ、
大切に長く使える筆記具なんだと思うと
なんだか嬉しくなって、急にたくさん万年筆の文字を書き始めた。
キーボードにも使い捨てのペンにも鉛筆にもお世話になっているけれど、
万年筆で書くと、書いている文字も中身も丁寧になる気がする。
本筋からは逸れるけれど、万年筆はアルファベットの筆記体が書きやすい。
2007年11月12日月曜日
フランス(7)モンペリエ近郊+港町セート
石の浜をずんずん左に進んでいくと砂の浜になり、
ぽつぽつといる人たちは、
それぞれに本を読んだり、大胆に日光浴したり、
砂遊びしたり、水に入ったり。
それぞれに本を読んだり、大胆に日光浴したり、
砂遊びしたり、水に入ったり。
大西洋の海水はとても冷たくて、
小さな男の子がちょっと入ってみてからキャーと叫び、駆け回った。
小さな男の子がちょっと入ってみてからキャーと叫び、駆け回った。
浜辺で見た砂のお城、つくりが半端ではない。
きれいな貝を探しながらずっと歩いて来た浜の道のりを、
拾った貝殻を入れた袋を持って、今度は道路沿いに戻る。
まっすぐで平らな道を、ときどきローラーブレードと風が追い越していく。
港町セート(Sète)の教会は、マリア様もキリストも海の守り神という風情。
教会の中の光も、海の中のようにゆらめいて見える。
教会のある高台から見下ろすと、
養殖場が整然とした印象で、
南の方の港町というと、勝手な先入観としては
どこか雑然としたエネルギーがありそうだが、
セートはなんだか小ざっぱりとして見える。
さすがはヴァレリー縁の地?
港に降りてみても、ヨットはたくさんあるのに、
なんだかきちんと、整然としている。
片付いた部屋に入ったような感覚。
奥の右手に見えるのは灯台。全身白く、頭だけ赤くてかわいらしい。
メキシコの作家、アルベルト・ルイ・サンチェス氏が昨年秋、東京での講演で
学生時代、フランスから初めてモロッコへわたったときの逸話を語っていた。
長い長い嵐の船旅の出発地は、セートだった。
港に停泊していた船にアラビア文字を見つけ、思わずカメラを向けた。
このあたりの伝統的な、喧嘩舟。シーソーのような部分がついている。
二艘でやり合うらしいが、どんな風にたたかうんだろう。
旅行中は夕焼けを見る機会が多くて贅沢。
夕焼け空に逆光で写っているのは、海ぞいの劇場。
劇を見ながら、背景には波の音が聞こえてくるのだろうか。贅沢だ。
2007年11月11日日曜日
フランス(6)夜のPont du Gard
夕暮れのアヴィニョンを後にし、
ローマ時代の水道橋Pont du Gardに向かう。
まだ間に合うかな…と時刻を気にしながら
「Pont du Gard」の標識をたどっていくと、
先行する車は次々に別の方向に曲がっていく。
道が空いてて走りやすいけど、これはよくないしるしだね、
と心配そうな運転席のソレーヌ。
対向車すら通らない1台だけのドライブが続く。
空の色合いも寂しくなったころ入り口に着き、駐車場のゲートに進むと、
開いた!よかった、間に合った。
昼間は込み合うに違いないこの駐車場に、
車はもう4、5台しかとまっていない。
うち1台は、ドイツナンバーのキャンピングカー。
そういえばフランスでもキャンピングカーの旅がはやっていると聞いた。
空気も肌寒く感じ、
足元の照明に静かに照らされた道を足早に進むと、
奥からドイツ語が聞こえてきた。きっと、あの車の人たちだ。
ふっと左手を見上げると、月夜に浮かぶ橋!
こんな立派な橋が当然のような顔をして
二千年以上の時間を越えて立っているのを見ると
なんだか狐につままれたような気分になる。
聞こえるのは、虫の音と、
自分には意味の理解できない言語と、
ドイツの人たちのデジタルカメラの操作音、
空には月、
もっと低い空には橋をうつしだすデジカメの液晶画面が光っていた。
この川の眺めが好きなんだ、と言うソレーヌと一緒に
立ち止まってガルドン川をしばらく見てから、
がらんとしたカフェスペースに置かれた銀色の椅子の間を抜けて
機械に駐車券を差し込んで料金を払い、車に乗り込んだ。
アルヴァールを出てからまだ半日しか経っていないのに
大旅行をした気分。
クレストのお昼の残りのサラミ(辛いのと、普通のと)をかじりながら
ソレーヌの母イザベルさんの待つモンペリエまで、
今度は高速道路に乗った。
ローマ時代の水道橋Pont du Gardに向かう。
まだ間に合うかな…と時刻を気にしながら
「Pont du Gard」の標識をたどっていくと、
先行する車は次々に別の方向に曲がっていく。
道が空いてて走りやすいけど、これはよくないしるしだね、
と心配そうな運転席のソレーヌ。
対向車すら通らない1台だけのドライブが続く。
空の色合いも寂しくなったころ入り口に着き、駐車場のゲートに進むと、
開いた!よかった、間に合った。
昼間は込み合うに違いないこの駐車場に、
車はもう4、5台しかとまっていない。
うち1台は、ドイツナンバーのキャンピングカー。
そういえばフランスでもキャンピングカーの旅がはやっていると聞いた。
空気も肌寒く感じ、
足元の照明に静かに照らされた道を足早に進むと、
奥からドイツ語が聞こえてきた。きっと、あの車の人たちだ。
ふっと左手を見上げると、月夜に浮かぶ橋!
こんな立派な橋が当然のような顔をして
二千年以上の時間を越えて立っているのを見ると
なんだか狐につままれたような気分になる。
聞こえるのは、虫の音と、
自分には意味の理解できない言語と、
ドイツの人たちのデジタルカメラの操作音、
空には月、
もっと低い空には橋をうつしだすデジカメの液晶画面が光っていた。
この川の眺めが好きなんだ、と言うソレーヌと一緒に
立ち止まってガルドン川をしばらく見てから、
がらんとしたカフェスペースに置かれた銀色の椅子の間を抜けて
機械に駐車券を差し込んで料金を払い、車に乗り込んだ。
アルヴァールを出てからまだ半日しか経っていないのに
大旅行をした気分。
クレストのお昼の残りのサラミ(辛いのと、普通のと)をかじりながら
ソレーヌの母イザベルさんの待つモンペリエまで、
今度は高速道路に乗った。
「幸せであれ」
11月10日、ぽちと河原君の結婚式。
新郎新婦の両方をよく知っている結婚式は初めて。
とは言っても、高校を卒業してから早いもので10年ほど経っている。
スピーチや映像を通じて、
二人それぞれがどんな風に過ごしてきたのか、
どんな人たちに囲まれていたのか、
二人が一緒にどんな時間を過ごしてきたのか、
じっくり見ながら、
今まで話に聞いてきた断片をつなぎ合わせていく気分だった。
日産の自動車の乗ったケーキ、
車は新居に飾るのかな?
集まった皆の気持ち、そして
歌でいっぱいの、この土曜日に
披露宴で新郎新婦に贈られた歌や
二次会で新郎のバンドがうたった歌や
新郎の伴奏で新婦がうたった歌や
大合唱になったLove Love Loveにこめられた気持ちは、
新郎が、新婦へ贈るとうたった歌の、最後のことばに尽きる。
「幸せであれ!」
2007年11月5日月曜日
イタリアン・バーベキュー
日曜の朝、湘南新宿ラインに揺られて籠原へ。
駅まで迎えに来てくれた先輩の車で、
ワイワイとご自宅へ向かう。
「庭でバーベキュー」と思って
「庭でバーベキュー」と思って
ジーンズにフリースにスニーカーで行ったのに、
準備がすでに進んでいたのは、
カラフルできれいでいい香りで端正なイタリアン。
焼きたての香ばしいバゲットを切るのと、
焼きたての香ばしいバゲットを切るのと、
アスパラに生ハムをまく役目をもらった。
こどもたちがはしゃぎ回っている。
チョリソー(違ったらごめんなさい)を巻いた串焼きに、
ハーブに漬け込んだ牛肉、ズッキーニ、なす、
かぼちゃ、アスパラの生ハム巻き、
鮭としめじのホイル焼き。
オリーブの持ち主は「あー…」と苦笑。
まだ四歳の誕生日前だというのに…
その横からは、
その横からは、
「ぶるーべりー」というつぶやきが再び聞こえてきた。
鶏の塩味にバルサミコが絶妙なおいしさ。
水菜バージョンとルッコラバージョンがあり、
水菜バージョンとルッコラバージョンがあり、
お勧め通りにルッコラはさらに美味しかった。
サラダ一品とパンと水があれば、十二分に満足できる。
パンチェッタとトマトのパスタ二皿を
くるくる巻いて食べたあと、
さらにオーブンから登場したのはラムチョップ。
焼き加減も最高で、骨ぎりぎりまで食べる。
デザートには、とろとろティラミス。
…と、写真に写っている洒落た素敵な料理は
日曜の集まりの主役のうちのひとり。
もうひとりの「主役」は、
カレーを食べ、なわとびをし、
大興奮で白玉だんごをつくり、
ケーキ!ケーキ!と飛び跳ね、
歯みがきした後も、こっそりつまみぐいしてしまうこどもたち。
美味しいものをたくさんいただき、
こどもたちと一緒にたくさん笑い、たくさん動き、
こどもたちの思いがけない行動や、先輩たちの頼もしい「親」ぶりに、
すっかり感じ入る日曜でした。
くるくる巻いて食べたあと、
さらにオーブンから登場したのはラムチョップ。
焼き加減も最高で、骨ぎりぎりまで食べる。
デザートには、とろとろティラミス。
…と、写真に写っている洒落た素敵な料理は
日曜の集まりの主役のうちのひとり。
もうひとりの「主役」は、
カレーを食べ、なわとびをし、
大興奮で白玉だんごをつくり、
ケーキ!ケーキ!と飛び跳ね、
歯みがきした後も、こっそりつまみぐいしてしまうこどもたち。
美味しいものをたくさんいただき、
こどもたちと一緒にたくさん笑い、たくさん動き、
こどもたちの思いがけない行動や、先輩たちの頼もしい「親」ぶりに、
すっかり感じ入る日曜でした。
2007年11月3日土曜日
歴史、きし、軋む (多和田さんの波紋)
多和田葉子さんと高瀬アキさんによる朗読+演奏のパフォーマンスを
両国のシアターXに見に・聞きに行った。
7時の開演を前に、座り心地のいい客席は見事に満席。
多和田さんも高瀬さんもベルリン在住ということもあり、
ドイツ人と思しきお客さんの姿もちらほら見られた。
全体に年齢層もいろいろ、服装もいろいろで、一人客もかなり多い。
右隣の若い女性は開演前からメモ帳を片手に何かを書き留めていた。
ふっと会場全体が真っ暗になり、後方にぽっと光が灯ったと思うと
それは文字を照らす小さな明かりで、そこから女性の声が聞こえてきた。
この声が、多和田さん。
後から考えれば、マイクを使っているのだから
ほんとうは別のところから聞こえていたのかもしれないが、
そのときは確かに光のところから聞こえる気がしていた。
即興のピアノと供に小説『飛魂』の断片が読まれ、
軽妙でちょっと妙でリズミカルで聴覚や視覚を自在に遊びまわる詩が読まれ、
「まっかなおひるね」の照明は真っ赤で、透明なしゃぼん玉が面白いほどくっきり見え、
あーやーめ♪ あーやーめ♪ という声が耳に残り、
ピアノをトランポリンにして飛び跳ねるたくさんのぴんぽん玉の白さを面白がり、調律の人が見たら卒倒するに違いないと余計なことを考えてハラハラし、
ドイツ語はさっぱりわからないけれどきっと「鏡の月」は独・和で同じ詩を読んでくれたのだろうと推測し、
鬼が出てくる物語ってそういえばほんとうにたくさんあって漢字にもたくさんあって、でも一体鬼って何だと思い、
「くさ」合戦でピアニストが笑った「ほっとくさ」は本当におかしかったんだろうと思うとさらにくすくす笑えてきて、
手拍子机拍子と言葉の寄木細工のようなパフォーマンスを聞いて、詩の言葉は言語でありリズムであり音楽であり、これは楽しい
と、つい舞台上の言葉の流れる感覚を勝手に真似してみたくなり、
読み返してみるとこれは読むに耐えないけれどこの感覚を書き留めておきたいという誘惑には逆らえない。
新宿で友人夫妻と別れ、
電車で少し冷静に戻りながら『溶ける街 透ける路』を読んでいると、
多和田さんもフランスに行ったときに「ナントの勅令」って何だったっけと思ったり、「ルール工業地帯」や「ネアンデルタール人」から社会科の授業や受験勉強を思い出したりしているではないか。
そうか、多和田さんにも、黒板や教科書やノートで見たことばと、現実の空間が簡単には結びつかないという感覚があったんだな、とまた勝手な親近感を覚えた。
ヨーロッパの都市に行って、
教科書や教室で耳慣れた土地や人名や歴史的な場所に出くわして
「え、これがあの……?」「ああそうか、ほんとうにあったんだ」と思ったと書いたら、ともだちからも「あるある」という声をもらったが、
それもこれも日本では「世界史」や「世界地理」という名前で詳しくヨーロッパの歴史や地理を教わるからなんだろう。
グルノーブルにいた頃、隣人クレマンスと何だか歴史の話になりナポレオンの話になり、
「1804皇帝ナポレオン」をたよりに即位の年を言ってみせたら、
円周率を10分間暗唱し続けたくらいに驚かれたことがある。
フランスの「世界史」では日本の歴史はおろか、アジアの歴史も扱われず、
かたや日本の高校生がナポレオンについて習うのみならず、
さらに時代を遡って「ナントの勅令」の年号や教皇の名前まで暗記するのだとは、信じがたいことなんだろう。
世界の「中心」に近ければ近いほど、自分たちのことしか知らないということになるのか。
世界の「中心」から遠ければ、自分たち+「中心」のことを知らなくてはならなくなるけれど、
自分たちと「中心」のことだけ知っていても、「中心」から遠いところは無数にあり、
球体の全表面をカバーするのはとても難しい。
世界の歴史、と一口で言っても、ある場所だけが濃密で、多くの場所はスカスカで、
レキシのことを考えていると、頭の中がきしきし軋むような気がして、
こうしてみると、結局のところまだ「酔い」は醒めていないようだった。
両国のシアターXに見に・聞きに行った。
7時の開演を前に、座り心地のいい客席は見事に満席。
多和田さんも高瀬さんもベルリン在住ということもあり、
ドイツ人と思しきお客さんの姿もちらほら見られた。
全体に年齢層もいろいろ、服装もいろいろで、一人客もかなり多い。
右隣の若い女性は開演前からメモ帳を片手に何かを書き留めていた。
ふっと会場全体が真っ暗になり、後方にぽっと光が灯ったと思うと
それは文字を照らす小さな明かりで、そこから女性の声が聞こえてきた。
この声が、多和田さん。
後から考えれば、マイクを使っているのだから
ほんとうは別のところから聞こえていたのかもしれないが、
そのときは確かに光のところから聞こえる気がしていた。
即興のピアノと供に小説『飛魂』の断片が読まれ、
軽妙でちょっと妙でリズミカルで聴覚や視覚を自在に遊びまわる詩が読まれ、
「まっかなおひるね」の照明は真っ赤で、透明なしゃぼん玉が面白いほどくっきり見え、
あーやーめ♪ あーやーめ♪ という声が耳に残り、
ピアノをトランポリンにして飛び跳ねるたくさんのぴんぽん玉の白さを面白がり、調律の人が見たら卒倒するに違いないと余計なことを考えてハラハラし、
ドイツ語はさっぱりわからないけれどきっと「鏡の月」は独・和で同じ詩を読んでくれたのだろうと推測し、
鬼が出てくる物語ってそういえばほんとうにたくさんあって漢字にもたくさんあって、でも一体鬼って何だと思い、
「くさ」合戦でピアニストが笑った「ほっとくさ」は本当におかしかったんだろうと思うとさらにくすくす笑えてきて、
手拍子机拍子と言葉の寄木細工のようなパフォーマンスを聞いて、詩の言葉は言語でありリズムであり音楽であり、これは楽しい
と、つい舞台上の言葉の流れる感覚を勝手に真似してみたくなり、
読み返してみるとこれは読むに耐えないけれどこの感覚を書き留めておきたいという誘惑には逆らえない。
新宿で友人夫妻と別れ、
電車で少し冷静に戻りながら『溶ける街 透ける路』を読んでいると、
多和田さんもフランスに行ったときに「ナントの勅令」って何だったっけと思ったり、「ルール工業地帯」や「ネアンデルタール人」から社会科の授業や受験勉強を思い出したりしているではないか。
そうか、多和田さんにも、黒板や教科書やノートで見たことばと、現実の空間が簡単には結びつかないという感覚があったんだな、とまた勝手な親近感を覚えた。
ヨーロッパの都市に行って、
教科書や教室で耳慣れた土地や人名や歴史的な場所に出くわして
「え、これがあの……?」「ああそうか、ほんとうにあったんだ」と思ったと書いたら、ともだちからも「あるある」という声をもらったが、
それもこれも日本では「世界史」や「世界地理」という名前で詳しくヨーロッパの歴史や地理を教わるからなんだろう。
グルノーブルにいた頃、隣人クレマンスと何だか歴史の話になりナポレオンの話になり、
「1804皇帝ナポレオン」をたよりに即位の年を言ってみせたら、
円周率を10分間暗唱し続けたくらいに驚かれたことがある。
フランスの「世界史」では日本の歴史はおろか、アジアの歴史も扱われず、
かたや日本の高校生がナポレオンについて習うのみならず、
さらに時代を遡って「ナントの勅令」の年号や教皇の名前まで暗記するのだとは、信じがたいことなんだろう。
世界の「中心」に近ければ近いほど、自分たちのことしか知らないということになるのか。
世界の「中心」から遠ければ、自分たち+「中心」のことを知らなくてはならなくなるけれど、
自分たちと「中心」のことだけ知っていても、「中心」から遠いところは無数にあり、
球体の全表面をカバーするのはとても難しい。
世界の歴史、と一口で言っても、ある場所だけが濃密で、多くの場所はスカスカで、
レキシのことを考えていると、頭の中がきしきし軋むような気がして、
こうしてみると、結局のところまだ「酔い」は醒めていないようだった。
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