「音と言葉と身体の景色 vol. 6」について。
書かずにいられないのは、
原発の事故が起きてから、いま強く感じている、やり場のない気持ちと
先日上演された第二作目、『椅子と伝説』に
ひびきあうところがあったため。
不条理演劇が書かれ上演されるのは
人間の社会に、現実に、不条理なことが起きるからなんじゃないか、
(乱暴な言い方をすれば) そう、客席で思った。
しかも、
作品の前半では、
いわれのない疑いを向けられた「男」と、彼を糾弾する者たちのやりとりが中心で
「男」に対して、「なぜ、こうやって切り返さないのか」と
(無駄とは知りながら)念じたりする余裕が、いくらか、あったのが
後半、
舞台上の「虚構」と、客席にいる自分の「現実」が、くっきりとつながってしまって
めまいがする思いだった。
「俺の目を刺したのは、だれだ」
「何故、止めなかった」
「そんなことが起きるなんて、思わなかったんだ」
「責任逃れをするわけじゃないんだ、
しかし、殺すつもりはなかったんだ」
(台詞は、私の記憶のなかで変化してしまっているかもしれません)
危害を加えるつもりはなかったのに、
そんなことが起きるなんて予想もしていなかったのに、
受動的な、無自覚的な、加害者となってしまうこと、
その、やりきれなさ。
舞台上ではなく、それが現実にも、起きていることに。
舞台は一旦終わるが、現実はここにある。
以下は、私と同じように、初めて公演を見た人たちへ。
「身体の景色」のページに、謎の、「ワンピースの女」についての
ヒントかもしれない、と思う記述を見つけました。