2007年9月3日月曜日

手紙と「手」

パパ・タラフマラ公演
「トウキョウ⇔ブエノスアイレス書簡」(2007. 10.2-10.7)
の演出助手をしている友人から先日聞いた話は、
すぐには本当のこととは信じられなかった。
舞台芸術研究所の
19歳のある研究生は、
舞台の主要なモチーフになっている「手紙のやりとり」が
現実味のあるものとは、とても思えないのだとか。
メッセージのやりとりと言えば、電子メールや携帯メール。

80年生まれの私はぎりぎり最後の手紙世代なのだろうか、
暑中見舞い、年賀状、封書、絵葉書、それに
中学や高校の授業中に回した膨大な量の手紙の記憶は鮮やかで
大学の学部生時代までの友だちなら、
字を見ただけで誰の書いたものか言い当てる自信がある。

でも待てよ、と思った。
ここ数年の新しい友だちや知り合いの中には
どんな字を書くか知らない人もいる。
電子メールは簡単便利ですぐに届くけれど、
なんだか味気ないこと。

いつもはメールでやりとりしている相手から
手書きの手紙が送られてくると、
ちょっと特別な、あたたかい、本人に近い、そんな感覚になる。

古語の「手」には「筆跡」という意味もあることを知ったとき、
いいな、と
とても気に入ったのを思い出した。