2007年9月5日水曜日

オレンジ、タマネギ、地球、太陽

『アフンルパル通信 ii号』に掲載していただいた小文に引用した
ポール・エリュアールの詩の一行:
"La terre est bleue comme une orange" 
(地球は青い オレンジのように)


着想の源について尋ねられたエリュアールの

「オレンジが傷んでいてほんとうに青かったんだ」
というコメントをどこかで読んだけれど
ほんとうかどうか。

それが真実かどうかは、あまり大した問題ではないと思う。

地球の青とオレンジのオレンジ色…に鮮烈な印象を受けるのは

色相環でちょうど向かいあった色、
補色の関係にある、というところにもあるのではないだろうか。

正反対のものが結びつく新鮮な驚き。


しかも、"LA" terre(英語なら"THE Earth")は「唯一の」ものなのに

それが "UNE" orange("AN" orange)になってしまう
というのも、
地球がたくさんなっている木を想像したり、

はたまた、一個のオレンジにひとつの世界がある、と想像したり。


『アフンルパル通信』、「太陽の国のタマネギ」の最後:
"Aquí en México, el sol es blanco como una cebolla"

(ここメキシコでは、太陽は白い タマネギのように)


これは、文章を書きながら、

エリュアールの詩を思い出し、思いついたもの。

『通信』の発行者吉成さんとのやりとりの中で

本文にも載せることにしたのだけれど、

どういう形で全体に組み込むか考えていくうちに

タマネギは白いのか、褐色なのか?
(そして、どこから?)
タマネギなのは太陽なのか、自分なのか?
(両方なのだとしたら、  
自分をタマネギにするのは太陽の熱と光)


予期せぬものが生まれていた。

人との会話では、話し相手との相互作用で

自分からも思いがけない考えが生まれるけれど

文章を書くときにも、文字と沈黙の対話をしている。


ところで先日、
『ユリイカ2007年8月号』 澁澤龍彦特集
に掲載された中田健太郎氏の
「入れ子のなかの物語 
澁澤龍彦『思考の紋章学』 とその後」
でも
タマネギの形象が論じられているのを発見した。
内に広がる無限と外に広がる無限と。