東京の友人から、悲しい知らせが届いた。中学二年生のときの同級生が、乳がんで亡くなったという。彼女の声、笑顔、仕草、颯爽とした人柄を思い出す。そして午後には図書館へ行った。本と紙に向かっていたら、閲覧室の横の小さな部屋でナワトル語を教えるベアトリス先生が、一枚の紙を渡してくれた。毎回みじかい挨拶を交わしているけれど、クラスに出たこともないのに。詩だった。片面にはスペイン語、もう一方にはナワトル語。「二つの顔」
どうして、すべての美しいものは、また悲しくもあるのだろう?
それは、地上のすべてのものはそういうものだから。
一輪の花が朝に咲き
皆が愛でる よい香りを放っているあいだ
けれど枯れてしまえば、誰もその花を思い出さず
摘んで、捨ててしまう。
朝に、日が昇る。
そして私たちに喜びをもたらす
けれどその喜びもまた終わる
なぜなら夜が訪れ、喜びは去るから。
始まるものは、終わりを迎える
そして私たちの心はそれを知っている。
喜びと共に始まるもののほとんどは
悲しみに終わる。
すべては変わり、姿を変える、
私たちは通りすぎるだけ。
ただ一度だけ生きるために来たのだ
この地上に。
だから、花咲かなければ。
デルフィーノ・エルナンデス
悲しみ. Tristeza. Tlaocoyaliztli.
喜び. Alegría. Paquiliztli.
咲いた花を、忘れない。