2011年8月8日、勁草書房から
管啓次郎・野崎歓編『ろうそくの炎がささやく言葉』という
詩や短編のアンソロジーが刊行されました。
大切に、大切に、
しずかに読んで、声におこして読んで、
何度でも読み返したい本です。
私がはじめてこのアンソロジーにおさめられた作品を「読んだ」のは
刊行に先だっておこなわれた朗読会のときでした。
実際には、「読んだ」のではなく、朗読を「聞いた」のが、
このアンソロジーの「読書」体験の幕開けでした。
6月末の、ある夜のこと。(表参道にて)
ふんわりといい香りのする、ちらちら揺れるろうそくの光を受けて
声に出され、耳から「聞く」ことばは、
驚くまでに鮮やかで生き生きとしたイメージの広がりを可能にし、
同じ空間(朗読会の会場)が、
「読む」ひと(作者・詩人)の声によってまるで異なる場所になってしまう、
強烈な、穏やかな、刺激的な、幸せな夜でした。
このような強烈な「予・読書」をした後、
8月に本が手元に届き、こんどはひとりで、黙って、文字として読みました。
そして次に、作者以外の読み手の朗読で「聞く」、という体験をしました。(札幌にて)
ついで先日、作者および訳者のかたがた、それから装丁を手掛けたかたの朗読で「聞く」
という体験をしました。(青山にて)
さて、家に帰って、改めて本を開くと、
アンソロジーに収められた作品のかずかずが
まるで、小さいころに
何度もくり返し読んだ絵本だとか
何度もくり返し歌ったうたのように、
とても親しい、大切なことばとして、身にしみこんでいることに気づきました。
この現象、というか、出来事というのか、
このことについて、頭で理解し説明するのが難しいのですが
執筆者のかたがたが、
震災と津波と事故をおもい、2011年初夏の日本の状況を前にし、
それぞれの仕方で、ことばをつづった、
そのことばの書かれた状況の強度、あるいは緊張感、とでもいえるようなもの
(それを越えたところで文章が書かれ、文字となり、印刷されたということ)が、
きっかけになって起こったことなのでしょうか。
その昔(と言っても、地球の歴史からすればつい最近)
印刷術が発達していなかったころ、
本は「聞く」ものだったということ、
ちいさいころ、まだことばもほとんどわからず、
ましてや文字など読めなかったころ、
本は「聞く」ものだったということ、
ある場所にろうそくが一本あり、
その灯りに照らされて本を「読む」声があれば、
その作品の「灯り」をうけとる人は無数に開かれているということ。
いろいろなことを考えながら、
今夜ももういちど、ページを開いてみたいアンソロジーです。
長くなりますが、以下に、執筆者とタイトルをうつしておきます。
(勁草書房ホームページより引用、
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ろうそくがともされた[谷川俊太郎]
赦(ゆる)されるために[古川日出男]
片方の靴[新井高子]
ヨウカイだもの[中村和恵]
ワタナベさん[中村和恵]
わたしを読んでください。[関口涼子]
白い闇のほうへ[岬多可子]
今回の震災に記憶の地層を揺さぶられて[細見和之]
祈りの夜[山崎佳代子]
帰りたい理由[鄭暎惠]
ジャン・ポーラン よき夕べ[笠間直穂子訳]
哀しみの井戸[根本美作子]
文字たちの輪舞(ロンド)[石井洋二郎]
マグニチュード[ミシェル・ドゥギー/西山雄二訳]
エミリー・ディキンソン (ひとつの心が…)[柴田元幸訳]
インフルエンザ[スチュアート・ダイベック/柴田元幸訳]
この まちで[ぱくきょんみ]
箱のはなし[明川哲也]
ローエングリンのビニール傘[田内志文]
あらゆるものにまちがったラベルのついた王国[エイミー・ベンダー/管啓次郎訳]
ピアノのそばで[林巧]
めいのレッスン[小沼純一]
語りかける、優しいことば──ペローの「昔話」[工藤庸子]
しろねこ[エリザベス・マッケンジー/管啓次郎訳]
月夜のくだもの[文月悠光]
樹のために──カリン・ボイエの詩によせて[冨原眞弓]
天文台クリニック[堀江敏幸]
地震育ち[野崎歓]
日本の四季[ジャン=フィリップ・トゥーサン/野崎歓訳]
フルートの話[旦敬介]
川が川に戻る最初の日[管啓次郎]
あとがき
写真家、装幀家より[新井卓/岡澤理奈]
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