一年ぶりに同じ町に戻って来ると、
よかった、この店は続いている、あれ、あの店はなくなってしまった、へえ、このビルは塗り替えたのか……
黙って歩いていても、頭(こころ?)の中は大騒ぎ。
住宅街の道に入れば、表札が目に入り、
住んでいるご本人たちがどんな方かは知らなくても、見慣れた名字にはほっとし、
新しい名字には、新しい家族がいるんだなあと想像する。
よくわからないけれど何かが不思議だなあ、と、ふと考えてみれば、
メキシコでは表札を見た覚えがない。
たまに屋号のようなものがついている家もあったが、少数だと思う。
(*Condesa地区の辺りには、「~家」などの表示が多数あるそうです)
道に名前がついていて、道の名前と番地があれば辿り着けるからか、
それとも何か、表札を「出さない」理由が別にあるのか。防犯?
むしろ、「表札を出す」のが特異なんだろうか?
「表札」「歴史」とキーワードを入れて検索してみれば、
明治政府が国民全員に名字を持つよう義務付けたこと、
関東大震災のために、住居の建て直しや移動が大きな規模で起きたこと、
そして郵便制度の発達などが、日本における表札普及のきっかけになったようだ。
明治政府、近代化政策、、、という路線で連想をしていけば
国が国民を管理するためのインデックスとして役立つという側面もあったのかもしれないけれど
表札を見ると、家が顔を持って見えるように、
そこに、人と、人が暮らす場所のつながりの深さがあらわれているように感じられる。