白に黄緑の色合いがとても清清しく、もっと近くで花を見たいと、李の枝にどんどん近寄っていくと花の気分になっているような蝶を見分けてしまった。
今日3月27日、ハビエル・ビジャウルティア Xavier Villaurrutia の生誕106周年を迎える、というFondo de Cultura Económicaのインターネットニュースを、マリテレが送ってくれた。曰く、「作家に対する最高のオマージュは、作品を読むこと」詩を訳して載せたいと思ったのだが、
メキシコの著作権について調べたところ、世界最長の100年と出てきた。ビジャウルティアは1950年の12月25日に亡くなったので、著作権フリーになるのは2050年12月25日… 鋭い知性と感性の生み出した彼の作品を、もっと日本にも紹介したいもの。
昨日に引き続き、二本目の White Diamond (2004)" 南米ギアナの滝を飛ぶ グレアム・ドリントン博士の奇妙な情熱"
私は、熊の映画よりもこちらの方がずっと好きだった。 (*これも、以下、具体的な内容にも触れます)
「空を飛ぶこと」に憧れ少年のような瞳を持ち続ける(ただし頭脳と技術は日々成長を続けている)博士に同行してヘルツォークも南米ギアナへ……一本目で「つくり手」の存在が気になってしまったためもあってか、二本目で、監督の思惑の支配が及ばない(と思われる)ところで物事が進むのが小気味よかった。飛行計画は機体の不備や天候悪化によって左右されるし、(旦先生が、見終わったときにぽそりとつぶやいたように) 博士が映画の中心のはずだったろうに、ただごとでない迫力の自然「のみ」を映すシーンが長くなっていくし、 現地スタッフの中のとても味のある男性が存在感をぐんぐん増していくし、撮影を開始したときに抱いていたであろう構想がつぎつぎと裏切られていく感じが(それも実はまやかしかもしれないが)、本当に何かが生まれるときとか、実際に旅をしているときの感じに近いと感じた。チェロの声、これは、音楽について。チェロは人間の声に一番近い音を出す楽器と聞いたことがあるが、映画の中で多用されていたチェロの即興演奏は、とても心地よかった。(「音楽が気持ちよくて、つい眠くなった」という感想もあった)「鳥のように飛びたい」という古来からの人間の夢、というのが出発点だからか南米ギアナの大自然が舞台だからなのか、たとえばピアノの音は人工的に聞こえ過ぎて似合わなかっただろうし、バイオリンでは線が細すぎただろうし、人の声のようで、人の声ほど「意味」がついてこないチェロが、きっとぴったりだったのだろう。一部分、チェロと人の歌声が同時に使われていたところがあったが、自然の中に溶け込むように聞こえるチェロの音色と(そういえば楽器の体は木でできている)人間のエネルギー、強さのようなものを感じさせる人の歌声の共演は両方の特徴を際立たせているようだった。ほかにも、ゆるやかな映画全体の中の、それぞれに独立した(それがなくても映画は成り立つような)細部で、とても心惹かれるところがたくさんあった。これは、また改めて見てみたい。
午後に駅へ向かう途中、歩く私の背後から、「ターラーラーララ ララーラー ラララ ラーララーララーラー…」自転車に乗った、50代半ばくらいのご夫婦が通り過ぎた。奥さんが、歌詞もなく口ずさんでいた、あのメロディーは……「背番号1のすごい奴が相手~♪」ピンクレディー?なぜ?一瞬きつねにつままれたような気分になったが、まもなく納得。きっと春のセンバツを一試合見終わってから、夫婦一緒に外へ出たところだったんだろう。春だ。
二十歳のころ。初めての海外旅行で、パリのメトロに乗ったときに姉が教えてくれた。次の駅で降りるからドアの前に行きたい、けれど混んでいて行く手がふさがっているときには、前のひとにVous descendez? ( [次で] 降りますか?)と聞くんだよ。そうすれば、まだ降りない場合には道をあけてくれるし、そのひとも次で降りる場合は、慌ててドアの前に行かなくても、続いて降りれば大丈夫ということになる。メキシコでも、言語は違っても、同じように降りますか?と聞く。(丁寧に Va a bajar? あるいはもっとくだけて Vas a bajar?)先日、夕方の混んだ時間帯に、乗り慣れない東横線に乗った。通勤特急というので一駅目で降りるのに、乗り込んだドアのそばにスタンバイしていたら、降りるのは逆の方。「ああ、逆だったか……」と体の向きを変えて、ドアまで、どう人の間を縫っていくか、と目で追っていたら、近くのひとたち二、三人が状況を察してくれたようで、
駅に着く前に、「通るんですね」、「はい、そうなんです、次で降ります」というような
無言の会話があった(ように思われた)。
電車がホームにすべりこんで、自分が実際にドアに向かいはじめたら「すみません、降ります」と声をかける。(この場合、「降りますか」と違って「宣言」型だ)けれど、その前に無言でおこなわれた視線のやりとりを、声に出してできたら……その場合、日本語では何と言えばいいのだろう。「降りますか?」は、少し不自然な感じがする。英語では同じような表現があるのだろうか?韓国や中国では?空気を読む文化も貴重かもしれないけれど、
東京のように膨大な数の人の移動する空間では特に、言葉でやりとりができたら便利だと思う。
日本のモノやサービスは、多くの場合、至れり尽くせりで三色餡のお餅に、どの味から食べるといいか、なんてことまで書いてあったりもする。それとはだいぶ違う「サービス」で、これはいいなと思ったのが、ユニクロによる、不要衣類下取り企画 「サンキューリサイクル」。毎年、3月と9月に、ユニクロで販売した全商品の下取りを受付け、「エネルギー資源や繊維へとリサイクルするとともに難民・避難民支援や災害支援等の救援衣料としてリユースする」というもの。http://www.uniqlo.com/jp/corp/pressrelease/2009/02/022611_recycle.html上に引いたページの一番下にはられたリンクを開けば
活動のレポートや写真が見られるし、どのように企画が展開していったかがわかる。
おさがりを人に渡して、自分は新しい服を次々と手に入れるのは
贅沢で傲慢な態度だとも思うけれど
自分が着なくなった服が誰かの役に立つための仲介をしてもらえるというサービスは、
とてもいいと思う。
一年ぶりに同じ町に戻って来ると、よかった、この店は続いている、あれ、あの店はなくなってしまった、へえ、このビルは塗り替えたのか……黙って歩いていても、頭(こころ?)の中は大騒ぎ。住宅街の道に入れば、表札が目に入り、住んでいるご本人たちがどんな方かは知らなくても、見慣れた名字にはほっとし、
新しい名字には、新しい家族がいるんだなあと想像する。
よくわからないけれど何かが不思議だなあ、と、ふと考えてみれば、
メキシコでは表札を見た覚えがない。たまに屋号のようなものがついている家もあったが、少数だと思う。
(*Condesa地区の辺りには、「~家」などの表示が多数あるそうです)
道に名前がついていて、道の名前と番地があれば辿り着けるからか、それとも何か、表札を「出さない」理由が別にあるのか。防犯?むしろ、「表札を出す」のが特異なんだろうか?「表札」「歴史」とキーワードを入れて検索してみれば、明治政府が国民全員に名字を持つよう義務付けたこと、関東大震災のために、住居の建て直しや移動が大きな規模で起きたこと、そして郵便制度の発達などが、日本における表札普及のきっかけになったようだ。明治政府、近代化政策、、、という路線で連想をしていけば国が国民を管理するためのインデックスとして役立つという側面もあったのかもしれないけれど
表札を見ると、家が顔を持って見えるように、
そこに、人と、人が暮らす場所のつながりの深さがあらわれているように感じられる。
一週間ほど前に、東京に戻ってきた。朝、近所の大きな公園に走りに行くと、意外に活気がある。一昨日などは、霜柱が立つほどの冷え込みだったのに。平日朝の平均年齢はとても高く、大部分が夫婦連れ・ともだち同士・一人・犬を連れてのウォーキング。ちょっと若くなるとジョギングをしている人がちらほらいて、もっと若いのは通学の自転車で、風のように通り抜けてゆく、という感じ。走り始めたところに梅林、雑木林をぐるりとまわり、黄色や紫のクロッカスを合図に最後のスパート。
もうしばらくすると、桜の蕾がふくらみ始めるだろう。
北米大陸に位置するメキシコでも、クリスマスプレゼントを贈る習慣が広くいきわたっている。ただし(スペイン由来の)伝統的には、12月25日の誕生祝いではなく、東方三賢人Reyes magos がイエス Jesúsに贈り物を持ってやって来た1月6日に贈り物をする。 みなが両方の日にプレゼントをあげるのか、それは贅沢と思ったら、実は住み分けがあって、地理的には、北のほうではアメリカ式が多く、南の方ではスペイン式という分布があってそれと同時に、
富裕な層ではクリスマスプレゼントをおくり庶民的な層ではReyes magosのお祝いをするのが一般的、とエドゥが教えてくれた。おもちゃの価格なども、12月には高く、1月になると下がるのだそうだ。1月5日の夜、Reyes magos の市が立つというので連れて行ってもらった。11時すぎだったか、こんなに遅くていいのだろうか、と思ったら、市はプレゼントを買いに集まった人たちで大賑わい。おもちゃ、人形、おかし、洋服、小物、CD、アクセサリー、そして食べ物の屋台、、、ずらりと並ぶ露店の列と列の間が通路になっているけれど、ようやくすれ違えるくらいの狭さ。はぐれないように、みな手をつないだり、服につかまったりしている。あれこれ見ているうちに、人出はさらに増えた。聞けば、夜も更けて2時、3時ごろになると価格が更に下がるのだそうだ。家族連れ、こども連れで来ている人も多かった。家には、さらに小さなこどもたちがぐっすり眠って翌朝を待っているのだろうか。
年末のこと。
メキシコ市の Museo del Papalote パパロテ-こども博物館で開催していた
企画展 Diálgo en silencio -comunicación no verbal -
(しずかな会話-非言語コミュニケーション)に行った。
入場する前に、スタッフから説明があった。
これから先、音もことばも、一切なくなります。
耳の代わりをするのは、あなたの目。
ガイドの指示を よく気をつけて見ていてください。
「元気?」「元気です」「はい」「いいえ」「ありがとう」「さようなら」の手話を
一通り教えてもらった後に、ガイドのマウリシオさんが登場。
笑顔で挨拶。
彼は耳が聞こえない。
身振りと表情の説明にしたがって、遮音ヘッドホンを装着した。
まずはウォーミングアップ。
最初の部屋は、顔のギャラリー。
ぐるりと円を描いて並んだ枠の前に立ち、
上下にスライドする枠を自分の顔の高さにあわせて、ライトを点ける。
マウリシオさんを真似て、顔の体操、きれいな人に見とれてうっとりの真似…
真ん中に次々と現れる有名人の写真の表情の真似(舌を出すアインシュタインも) 、
怖い犬や、きれいな花などの写真を見て、リアクションを表現してみる、など。
次の部屋では、手でつくる影絵の部屋。見よう見まねで、パネルに手を当てる。すると…パシャ!フラッシュが光り、手でつくった形が影に残る。犬、鳥、ハートの形……。基本が終わると、ゲームにうつる。はじめはこんな具合。まるく並んだ座席の後ろには、「嬉しい」「悲しい」「眠い」「怒っている」「驚いた」「おののいた」などの形容詞。マウリシオさんの表情を見て、それがどれかを当てる。続いて、今度は自分が引いたカードを見て、「眠い」を表現したり、「嬉しい」をやったりして当ててもらう。次の部屋では、ジェスチャーゲーム。外套、消火器、犬、鳥などの言葉の書いたカード一組が座席に置いてある。指名された人が、中央にある札をひく。「寒くて寒くてたまらない、物乞いの人」と書いてあり、それをジェスチャーで表現するとそれを見てぴんと来た人が手を挙げて、「外套」のカードを示す。そして、神経衰弱のようなゲーム。くるりと反転する仕組みになっているパネルが縦横16枚ほど。体のパーツの写真が表にあり、裏側には、それを表す手話の写真。髪、眉、目、鼻、口、耳、首、腕、胸、へそ、、、
パネルを裏返しながら全部の説明が終わると、
手元のカードをつかって、どの手話がどのパーツかを、砂時計の時間内にできる限りあてる。
その後には、
館内にしつらえられた小さな店で、声を出さずにものを買うという実践篇やタッチパネルを使って、自転車、車、バス、飛行機、などの交通機関に関わる語彙を学ぶという三択式の自習用教材もあった(実際に使われているものなのだろうか?)。けれど、上に書いてきたような「ミニ訓練」の部分が面白かった。表現することにおいても、理解することにおいても、非言語コミュニケーションの場合には音が使えるときと比べて何倍も工夫して、頭も体も顔もたくさん使わないといけない。伝えたい。わかりたい。コミュニケーションの基本の基本を改めて意識した。