何を読んでいたときだったか、「犇く」 という字が出てきた。
この字を見たのは(おそらく)初めてだったけれど、
牛が三頭もあつまっているということは、、、
電子辞書の手書き入力機能を使って確かめると、
やっぱり合っていた。
ひしめく、だ。
ぎゅうぎゅうにひしめきあっている様子。うまくできている。
ん?
犇。ぎゅうぎゅうぎゅう だ。
そんな遊び心が混ざっているのかどうかはわからないが、とにかくよくできた字だ。
2009年11月27日金曜日
歌う、踊る(Tha band dancer vol.1)
先日、ダンサー西林素子の出演する舞台
「トランプ」(The band dancer vol.1)を見てきた。
生のバンドと生身のダンサーが共演し、
ポーカーや大貧民などのトランプゲーム、ジョーカーをモチーフに
一曲一曲、違った味わいのショウが繰り広げられる。
ヴォーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボード、サックス、トランペット…
バンドの楽器それぞれの持ち味が違い、そして担う役割も異なるうように、
ダンサーも一人ひとり、ちがった魅力を持っている。そしてそれが見事に引き出されていた。
西林素子というひとは、
格好良さと華やかさとチャーミングさを兼ね備え、それに一本芯の通った稀有なひとで
ダンスにもそのすべてがあらわれている。
こんな贅沢な舞台を、またいつか見たい。
もうひとつ。
この舞台の音楽をプロデュースしたヴォーカルとサックスの戎谷俊太氏の歌は、
ことばがとても素直にメロディーに乗っているのか、まったく自然に頭(か心か?)に入ってきて、
不思議な感覚を覚えた。
ふと、開演前に読んだパンフレットに
「バークリー音楽院の卒業実技試験で、サックスを吹かずに日本語で歌い、卒業を一度見逃す」
とあったことを思い出した。
きっと彼の表現の根本は、自分のことばで・自分の声で、歌うことなのだろう。
「トランプ」(The band dancer vol.1)を見てきた。
生のバンドと生身のダンサーが共演し、
ポーカーや大貧民などのトランプゲーム、ジョーカーをモチーフに
一曲一曲、違った味わいのショウが繰り広げられる。
ヴォーカル、ギター、ベース、ドラム、キーボード、サックス、トランペット…
バンドの楽器それぞれの持ち味が違い、そして担う役割も異なるうように、
ダンサーも一人ひとり、ちがった魅力を持っている。そしてそれが見事に引き出されていた。
西林素子というひとは、
格好良さと華やかさとチャーミングさを兼ね備え、それに一本芯の通った稀有なひとで
ダンスにもそのすべてがあらわれている。
こんな贅沢な舞台を、またいつか見たい。
もうひとつ。
この舞台の音楽をプロデュースしたヴォーカルとサックスの戎谷俊太氏の歌は、
ことばがとても素直にメロディーに乗っているのか、まったく自然に頭(か心か?)に入ってきて、
不思議な感覚を覚えた。
ふと、開演前に読んだパンフレットに
「バークリー音楽院の卒業実技試験で、サックスを吹かずに日本語で歌い、卒業を一度見逃す」
とあったことを思い出した。
きっと彼の表現の根本は、自分のことばで・自分の声で、歌うことなのだろう。
2009年11月25日水曜日
2009年11月23日月曜日
ちゃぼ
堀江敏幸さんの『回送電車』(中央公論社)が面白い。
「さびしさについて」という、ちゃぼ(矮鶏)をめぐる一文にため息をつく。
ちゃぼのたまごを食べた経験は私にはないが、
「バンタム級」の「バンタム」がちゃぼの意味だと聞いたことを出発点に
辞書をハシゴするくだりには、深く共感。
野暮は承知の上で、辞書遍歴の成果をかいつまんで書いてしまうと、
「バンタム」を引く
→「ジャワ島のバンテン(旧称バンタム)地方原産の鶏の品種のひとつ」で、「ちゃぼに似たもの」
「ちゃぼ」を引く
→「矮鶏」、英語名「ジャパニーズ・バンタム」。
「江戸時代に入ってきた小形の鶏を日本人が改良したもの」
「ちゃぼ」を広辞苑第四版で引く
→その名は、原産地の占城(チャンパ)に由来。愛玩用の「鶏の一品種」。
「小形で、尾羽が直立し、脚が非常に短く、両翼が地に接するほど低いことなどが特徴」 ……。
この後、
ちゃぼが主人公の童話、ご自身のひよこ育て経験、そしてちゃぼを詠んだ短歌をめぐって
ちゃぼづくしの洒脱な文章はつづく。
ああ、こんな風に文章が書けたら……と思いながら読んだ(これがため息の元)。
が、一方では、メキシコ弁のしみついた脳が「ちゃぼだって、ちゃぼ」と囁いている。
Chavo, chava とは、それぞれ、年若い男、女のこと。
辞書にも 《俗》と書いてあるが、正式な場では使わない砕けたことば。
Es mi chava. と言えば、 「こいつがおれの彼女だよ」という感じか。
Chavo, chavitoと言ったら、「若造」みたいな意味にもなる。
そうだ、「若造」の代わりに
矮鶏と堀江さんの文章に因んで、「ひよっこ」というのはどうだろうか。
「さびしさについて」という、ちゃぼ(矮鶏)をめぐる一文にため息をつく。
ちゃぼのたまごを食べた経験は私にはないが、
「バンタム級」の「バンタム」がちゃぼの意味だと聞いたことを出発点に
辞書をハシゴするくだりには、深く共感。
野暮は承知の上で、辞書遍歴の成果をかいつまんで書いてしまうと、
「バンタム」を引く
→「ジャワ島のバンテン(旧称バンタム)地方原産の鶏の品種のひとつ」で、「ちゃぼに似たもの」
「ちゃぼ」を引く
→「矮鶏」、英語名「ジャパニーズ・バンタム」。
「江戸時代に入ってきた小形の鶏を日本人が改良したもの」
「ちゃぼ」を広辞苑第四版で引く
→その名は、原産地の占城(チャンパ)に由来。愛玩用の「鶏の一品種」。
「小形で、尾羽が直立し、脚が非常に短く、両翼が地に接するほど低いことなどが特徴」 ……。
この後、
ちゃぼが主人公の童話、ご自身のひよこ育て経験、そしてちゃぼを詠んだ短歌をめぐって
ちゃぼづくしの洒脱な文章はつづく。
ああ、こんな風に文章が書けたら……と思いながら読んだ(これがため息の元)。
が、一方では、メキシコ弁のしみついた脳が「ちゃぼだって、ちゃぼ」と囁いている。
Chavo, chava とは、それぞれ、年若い男、女のこと。
辞書にも 《俗》と書いてあるが、正式な場では使わない砕けたことば。
Es mi chava. と言えば、 「こいつがおれの彼女だよ」という感じか。
Chavo, chavitoと言ったら、「若造」みたいな意味にもなる。
そうだ、「若造」の代わりに
矮鶏と堀江さんの文章に因んで、「ひよっこ」というのはどうだろうか。
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