2011年8月24日水曜日

ろうそくの灯が一つでもあれば

2011年8月8日、勁草書房から
管啓次郎・野崎歓編『ろうそくの炎がささやく言葉』という
詩や短編のアンソロジーが刊行されました。

大切に、大切に、
しずかに読んで、声におこして読んで、
何度でも読み返したい本です。

私がはじめてこのアンソロジーにおさめられた作品を「読んだ」のは
刊行に先だっておこなわれた朗読会のときでした。

実際には、「読んだ」のではなく、朗読を「聞いた」のが、
このアンソロジーの「読書」体験の幕開けでした。
6月末の、ある夜のこと。(表参道にて)

ふんわりといい香りのする、ちらちら揺れるろうそくの光を受けて
声に出され、耳から「聞く」ことばは、
驚くまでに鮮やかで生き生きとしたイメージの広がりを可能にし、
同じ空間(朗読会の会場)が、
「読む」ひと(作者・詩人)の声によってまるで異なる場所になってしまう、
強烈な、穏やかな、刺激的な、幸せな夜でした。

このような強烈な「予・読書」をした後、
8月に本が手元に届き、こんどはひとりで、黙って、文字として読みました。
そして次に、作者以外の読み手の朗読で「聞く」、という体験をしました。(札幌にて)
ついで先日、作者および訳者のかたがた、それから装丁を手掛けたかたの朗読で「聞く」
という体験をしました。(青山にて)

さて、家に帰って、改めて本を開くと、
アンソロジーに収められた作品のかずかずが
まるで、小さいころに
何度もくり返し読んだ絵本だとか
何度もくり返し歌ったうたのように、
とても親しい、大切なことばとして、身にしみこんでいることに気づきました。

この現象、というか、出来事というのか、
このことについて、頭で理解し説明するのが難しいのですが

執筆者のかたがたが、
震災と津波と事故をおもい、2011年初夏の日本の状況を前にし、
それぞれの仕方で、ことばをつづった、
そのことばの書かれた状況の強度、あるいは緊張感、とでもいえるようなもの
(それを越えたところで文章が書かれ、文字となり、印刷されたということ)が、
きっかけになって起こったことなのでしょうか。


その昔(と言っても、地球の歴史からすればつい最近)
印刷術が発達していなかったころ、
本は「聞く」ものだったということ、

ちいさいころ、まだことばもほとんどわからず、
ましてや文字など読めなかったころ、
本は「聞く」ものだったということ、

ある場所にろうそくが一本あり、
その灯りに照らされて本を「読む」声があれば、
その作品の「灯り」をうけとる人は無数に開かれているということ。

いろいろなことを考えながら、
今夜ももういちど、ページを開いてみたいアンソロジーです。

長くなりますが、以下に、執筆者とタイトルをうつしておきます。
(勁草書房ホームページより引用、

-----------------------------------------------------
ろうそくがともされた[谷川俊太郎]

赦(ゆる)されるために[古川日出男]

片方の靴[新井高子]

ヨウカイだもの[中村和恵]

ワタナベさん[中村和恵]

わたしを読んでください。[関口涼子]

白い闇のほうへ[岬多可子]

今回の震災に記憶の地層を揺さぶられて[細見和之]

祈りの夜[山崎佳代子]

帰りたい理由[鄭暎惠]

ジャン・ポーラン よき夕べ[笠間直穂子訳]

哀しみの井戸[根本美作子]

文字たちの輪舞(ロンド)[石井洋二郎]

マグニチュード[ミシェル・ドゥギー/西山雄二訳]

エミリー・ディキンソン (ひとつの心が…)[柴田元幸訳]

インフルエンザ[スチュアート・ダイベック/柴田元幸訳]

この まちで[ぱくきょんみ]

箱のはなし[明川哲也]

ローエングリンのビニール傘[田内志文]

あらゆるものにまちがったラベルのついた王国[エイミー・ベンダー/管啓次郎訳]

ピアノのそばで[林巧]

めいのレッスン[小沼純一]

語りかける、優しいことば──ペローの「昔話」[工藤庸子]

しろねこ[エリザベス・マッケンジー/管啓次郎訳]

月夜のくだもの[文月悠光]

樹のために──カリン・ボイエの詩によせて[冨原眞弓]

天文台クリニック[堀江敏幸]

地震育ち[野崎歓]

日本の四季[ジャン=フィリップ・トゥーサン/野崎歓訳]

フルートの話[旦敬介]

川が川に戻る最初の日[管啓次郎]

あとがき

写真家、装幀家より[新井卓/岡澤理奈]
---------------------------------------------------------


忘却に抗う百日の紅



ある年の夏から、百日紅(さるすべり)の花が目に留まるようになった。

可憐に見えるのに、
ひとが噂を忘れてしまうだけの日数を過ぎてもなお、
「忘却の柔らかい花」に抗して、
紅に咲き続けるつよさをもった花なのか。






2011年8月20日土曜日

「取扱説明書」

無機質な文章のはずなのに、
そこに勝手に(誤って)感情を読みとって、ぎくっとした。


 「傷ついた電源コードを使用しないでください。」




1999年、2011年

佐藤雅彦さんの『毎月新聞』(毎日新聞社、2003年)を
久しぶりに手にとって、ぱらり、ぱらりと読んでいたら

7, 8 年前には読み飛ばしていたであろう箇所に、ぐいっとひきとめられました。
引用します。

 ----------------------------------------------------------------------------
僕はその日、雑誌の対談でひとりの経済学者の方と食事を共にしました。
 その著名な経済学者は、にこにこしながら、まずこう切り出したのです。

  「佐藤さん、エコノミクス(=経済学)って、元々どういう意味なのか、
 想像できますか」

  【中略】
 
 それは2年半も前の出来事でした。
 そして、僕の答えを楽しそうに待っているその人とは、
 その頃すでに気鋭の経済学者として注目されていた竹中平蔵さんでありました。

 竹中さんは続けました。
 「エコノミクスって、ギリシャ語のオイコノミックスという言葉からきているんです。
 オイコノミックスとはどういう意味かと言いますと、共同体のあり方という意味なんですよ。
 
 『共同体のあり方』、僕はその一言に打ちのめされ、少なからぬ感動も覚えた。
 
 「自分が個人として、どうしたら幸せになれるか」という事ではなく、

 「自分を含めた私たちみんなが幸せになるためには、
 私たち共同体はどうあるべきなのか」
 を追求する学問がエコノミクス、つまり経済学の始まりであったわけなのだ。

(佐藤雅彦『毎月新聞』第14号、1999年12月15日発行、
 『毎月新聞』単行本 p. 34より引用。中略、改行は引用者)
--------------------------------------------------------------------------------


この引用の後には、消費税の大義を論じる箇所が出てきて
(当時は故・小渕氏の自自公連立政権下)
そこは、どんなものだろう、と、個人的には納得しきれないのですが、


1999年12月15日に佐藤雅彦さんが発表した文章を
「経済」というものの意味を、根底から問い直したくなる
2011年の夏に、東京で、読み返したときに、
ここで引用した箇所のうしろのあたりが、ずしんと響きました。


2011年8月4日木曜日

40年

方位磁石がほしくて文房具店に行ったら、
「店じまいセール」の黄色い紙が、店内のあちこちに掲げてあるのが見えて
どきっとした。
ここは、年がら年じゅう「店じまいセール」をしているようなお店とは違う。

武蔵小金井駅の北口、「長崎屋」の三階に入っている小さな文房具店。
店主のおじさんは、
文房具が好きで、お客さんと話すのが好きで、
という感じのにじみでているようなかた。

移転するんですか?ときいてみたら、

ほんとうにお店をたたんでしまうんですよ、と。


40年、お店をやっていたからね、さびしいですよ。


近くに、売り場面積の大きな、
品ぞろえのいい文房具店が出店したから?
そのお店のはいっている新しくて大きい商業施設へ人の流れが向いてしまったから?
「なぜ」と聞いても、この場合には取り返しのつかないことだから、聞くのはやめた。


店じまいセールは、全品3割引き、利益はなし。
ただ、店にある文房具を、それを使って命をふきこむひとへ渡すだけ。

今すぐには必要でない替えインクも買ってみた。
レジに表示される合計金額の数字がぱっと下がるのを見て
なんだか申し訳ないような気分になる。

でも、どうせ買うならば、応援したいと思うお店で買いたい。
もう、取り返しはつかないのだけれど。


また、何か必要なものがあったら、来てくださいね。


店じまいセールは、今月の末まで。
それが終わったら、ほんとうの店じまい。


安いから買う、という行動パターンが
あちこちで、理不尽な事態を生んできた・生んでいるように思える。

巨大な仕組みを変える可能性があるのは
トップダウン式のやりかたよりも
むしろ、小さな動きの集積による、うねりの変化かもしれない。