2010年4月7日水曜日

ぶらんこ

Blanco  (西)は日本語で 「白」。
ぶらんこ   (和)はスペイン語で Columpio.

「ぶらんこ」が気になって
いつものように電子辞書で引いてみた。
一括検索 という機能を使えば、内蔵されたすべての辞書の検索結果がずらりと見渡せる。

なかでもおお、と思ったのが百科事典マイペディア。

日本では古くは「ぶらここ」「ゆさはり」等と言った、
という心くすぐる豆知識は他の辞書にも載っていたが

ぶらんこは世界各地で「豊穣儀礼にその根を持っている」、「天地媒介」の意味があった
とスケールの大きな話がマイペディアには出ていた。

洋の東西を問わず、ぶらんこは古くから女性の遊戯とされてきたという。
そして、ぶらんこは太陽あるいは風、天なる父を象徴し、
それに地母=女性が乗ることで「聖婚」が成立する、という意味を持っていた、と。

同じく「ぶらんこ」の項の結びの一文は、
「今日では学校の運動場や遊園地などに、児童用遊具として定着している」。
神話的な世界から、急にアスファルトや電線だらけの日常に引き戻される。

2010年4月6日火曜日

ナゴヤのサノヤ

名古屋では、サノヤさんを目指して歩きに歩いた。

大須観音の近くまで着いたところで、コンビニに入って
「スーパーのサノヤさん」への行き方を尋ねてみた。

「道を渡って、大須観音をつっきっていくと商店街があります、
どう言ったらいいかなあ。コメ兵の近くなんですけどね」。

大須観音をつっきって、商店街に入ると、聞いた通りの大賑わい。
もっと時間があったら、あちこち入ってみられたのに。

さて、コメ兵は店舗がたくさんあって、
エドゥがカメラ店で掘り出しものの三脚を手に入れたはいいが、
サノヤさんは一体どのコメ兵の近くやら、見当たらない。

サノヤさんの現在の店長は三代目、と聞いていたので、
昔ながらのつくりのお店を選んで入り、店番のおばあちゃんに尋ねてみた。

「そこを、ずーっと行ってね。信号をわたってもっと奥にあるよ」。(やっぱり知っていた!)
「ちょっと遠いですか?」
「いや、遠いことないよ。」

どんなお店なんだろう、どこまで行けばあるんだろう、と
きょろきょろしながら進んで行ったら、あった!サノヤさん。


店内は、バレンタイン前のデパートのお菓子売り場さながらの賑わい。

人の流れを見きわめながら進んで行ったら、ありました。
名物のお弁当。ボリュームたっぷり、おかずも数種類入って、250円…
その隣には、大振りの野球グローブかと思うようなチキンカツ大奉仕品100円…

店長を探せたらという思いは人波にかき消され、
店内のBGMのパット・メセニーを聞くのだったということは、店を出てから思い出し。

ともかくも、ナゴヤからムサシノ台地まで7時間かかった鈍行列車の旅の腹は、
サノヤさんのお弁当のおかげで美味しく満足したまま、ぐぅとも鳴らずにすんだ。

2010年4月5日月曜日

花から花へ



週末、公園に走りに行ったついでにデジカメを持っていき
いつもは一筆書きで通り過ぎるだけの道の
途中のあちこちで寄り道をして、写真を撮った。

本格的なカメラを持った人たちの何人かは、自転車で来ていた。
存分にシャッターを切り終えると
さあ次の被写体はどこか、とばかりに、すいーっと漕ぎ出す。

何かに似ている。
花から花へ というと蝶のようでもあるけれど、
甲斐甲斐しく動くあの姿は、さしずめ働き蜂。

2010年4月2日金曜日

あることば

W. ホイットマンのある文章(日本語訳)のなかで、
あっ と目が吸い寄せられたことばがあった。

「天衣無縫」。

自分も文章もまだまだ縫い目だらけだけれど、
いつかはそんな境地に達したい。

ことだまのようなものを掴んで

伊藤比呂美さんとジェフリー・アングルスさんの対談を聞いた。

「ことだまのようなものを掴んで、取り出してみせる」という詩人の伊藤比呂美さんと
訳す文章の「声」を見つけて、その声に憑かれたようにして訳すというジェフリーさん。

たくさんの刺激的なことを聞き、感じたのに
まだうまくことばになりきらないのがもどかしい。

実証性、論理、整合性、などを第一とした、論文に取り組んでいるから
ことだまのようなものを掴めなくなりましたなんて、
そんな情けない言い訳はできない。

ちからをもいれずしてあめつちをもうごかすことばを書きたい、と強く思った。