初めて飛行機に乗って、初めて日本を出たのは、19歳の秋だった。まだユーロが導入される前で、
星の王子さま(ちび王子)のお札が素敵だった。
きれいで、重々しくて、しゃれていて、緊張する
異国の都パリの灯りは赤みを帯びていて、
パトカーのサイレンは聞きなれない音がした。
そのパリ旅で経験した小さな、でも、頭を離れないことがある。
それは、建物の入り口の扉にまつわる経験。
どこかの建物に入るとき(あるいはそこから出るとき)、
先をゆく誰かがいれば、
その誰かは、必ず、例外なく、後ろを振り返り、
次にその扉を通るわたしのために、扉をおさえていてくれた。
当たり前のように、こちらに視線を送っていた。
“merci”もどきの 、ぎこちないお礼をいって、扉の重さを受け取り、
建物に足をふみいれたら、今度は自分が後ろをふりかえるようになった。
じっくり。
こんな些細なことが記憶に残っているのは、少し複雑な気分もする。
情けない、というか。
これだからトーキョーの人は、と呆れられてもしょうがない。
しかし考えてみれば、この人口過密な都市圏では現在、
次にその扉を通る誰かを気づかう必要が、そもそも、ないことが多い。
90年代、00年代と、ますます、少なくなった。
なぜか。
自動ドアが多いから。増えたから。
扉の前にたてば、それは自然にスライドしてひらき、
自分がそこを通りすぎれば、自然にスライドしてしまる。
後ろに誰かがいる場合、立ち止まるのは却って迷惑になる。
ただ自分の行きたい方向へ進んでいって
扉の前から立ち去るのが一番で、
そうすれば、
次に通るその誰かも、自分がそこを通ったときと同じようにして、
扉の前に立てば、それは自然にスライドしてひらき、
そこを通りすぎれば、自然にスライドしてしまる。
扉は横滑りして動くから、
自分が閉めた扉がほかの誰かの鼻先めがけてはねかえり、
危害を加えることを心配する必要もない。
自分と扉の関係についても、
自分と、その次に同じ扉を通る人との関係についても、
気味がわるいまでに、無自覚的になればなるほど、
無感覚になればなるほど、ことがスムーズに進む。
自動ドアは確かに便利ではあるが
でも自分は何か根本的な感覚をだめにしてしまっていたような気がする。
自分が通りたいと思って立てば、扉はひらくと思い込み、
通りすぎれば勝手に閉まると思い込み、
自分が通れた扉は、ほかの誰もが問題なく通れると思い込む。
大げさかもしれないけれど、
好むと好まざるとにかかわらず日々、繰り返している行動・所作は、
思わぬところにまで影響をおよぼすかもしれない。
生活のさまざまな場面に自動ドア感覚が浸透していることが
よその国に出たのちに、この都市圏に戻ってきて感じる
居心地のわるさというか気味悪さの
一つの原因なんじゃないだろうか、とさえ、思える。
第一次カルチャーショック以前の自分と、現在・未来の自分に対する戒めもこめて。