2010年7月31日土曜日

chilito


トウガラシの芽がのびて、リズミカルに次々と葉が出てくる。



2010年7月29日木曜日

ひぐらし

町で聞くセミの声が減った。
あちこち掘りかえしてマンション建ててしまうからだ。
あと一年でようやく地上に出るはずだったセミもいたかもしれないのに
そのセミの地中の日々はどうなるんだ。

なんて考えたこともあったけれど、

広いあの公園はしっかりセミ騒に満たされていて
ばかに暑かった最近のいつだかの夕方に
バードサンクチュアリの脇を通ったら、
ひぐらし 何千もいるのではないかというくらいのひぐらしの
黒曜石的な響きを聞いて ふと現実が涼しくなった。


2010年7月27日火曜日

求ム

小さな公園の脇に立っている緑地の掲示板に

「急募 !

 0歳児 3名
 1歳児 9名」



保育園の施設拡張につき、という文字を読んで、腑に落ちた。

2010年7月19日月曜日

夏らしい日曜日、に 、進まない書きもの。

せめてスーパーに行くのに
7年前に真っ青だった、いまは青いビーチサンダルで出かけた。

歩けども歩けども浜には着かず見えるのは住宅ばかりでも
足の感覚が少し、海を思い出した。

2010年7月14日水曜日

緑でとんがったやつ

それにしても早いと思うけれど、
緑のツンツンとんがった栗のイガが落ちていた。

ちょうど、いつぞや、
「これが栗の花だよ」と孫息子に教えているおじいちゃんを見かけた
そのあたりだった。だから、時期的にはどうかなと思うけれど、
きっとあれは栗。強風をうけて落ちたのだろう。

ああ、あの甘くけだるい栗の花が咲いてから、
こんなにとがった実ができるまでのあいだに
自分は何を形にできたのかという思いもよぎったけれど
いや、むしろ、ツンツンとがった緑のイガに、刺激を受けよう。

2010年7月13日火曜日

レタスの千切り

ほんとうはレタスのことを書いている場合ではないのですが、
レタスは太めの千切りにして食べると美味しいのです。

メキシコでは、焼いた肉のつけ合わせに、
細く切ったレタスが出てきます。塩やレモンで食べる。

ポソレという、
大粒の甘くないトウモロコシ、豚肉あるいは鶏肉あるいはきのこ、唐辛子、タマネギ ほか
を煮込んだ具だくさんのスープがありますが
それには、テーブルで各自が、レモンをしぼって、オレガノと、ラディッシュをのせて、
そして千切りレタスをのせて、食べます。

千切りレタスは、お箸でたべるのにも、具合がよい。

7月12日 19時の夕やけ雲




2010年7月11日日曜日

選挙のたびに思うこと

選挙の結果はともかくとして、
投票に行くたびに、不思議に思うことがある。
投票者の本人確認が、甘いのではないだろうか?

投票用の整理券を持って指定された投票所に行って、
「~~さんですね?」「はい」 というだけ。
~~さんになり代わって投票することもできてしまいそうだ。

メキシコには、写真つきの有権者IDカードがあり、
しかも普段はひきだしにしまわれているというわけではなくて
選挙のときに限らず、
いろいろな場面において、正式な身分証明として使われている。

世の中に不正を行う人が存在しないのであればいいけれど、
そう信じきってもいられない。
期日前投票の数も増えているそうだし
なにかしらの対策が検討されてもよいように思う。

2010年7月10日土曜日

これまで気づかなかったとは


瓜に近いシャクシャクあっさりしたメロンを食べたら
ひとつの種に、芽の先が出ていた。
植えるしかない、と思って植えた。

公園に行ったときに、ふと思いついて
冬にどんぐりの落ちていたのを見た辺りに行ってみたら、
ぞろぞろ若い芽が出て、ぐんぐん伸びていた。

2010年7月6日火曜日

cool

ノートパソコン用の冷却装置を買いました。
小さな三つの扇風機がうまく働いて、よく冷えて静かで、大満足。

熱がこもってコンピュータが故障したら困ると思って探したのだけれど
(うたい文句によれば、10度温度が下がれば、2倍長持ちするらしい…)

パソコン本体、キーボードの手前の
両方の手首をあずけているあたりが熱くならないのが嬉しい。
去年は、熱くなった手首を冷やし、冷やし、パソコンに向かっていたものだった。

2010年7月2日金曜日

雨と にこり

雨が降る前に。雨が降らない前に。

なじみのあるのは前者だが、
すこし昔に書かれたものに出てくる、後者のいいかたも、いい。感覚とあっている。
と、最近になって思うようになった。

ちょっと違うけれど、似ているとも思うもの。
「にこりともせずに」 。
わたしが思い浮かべる人物の口元は、「にこり」の辺りですでに穏やかになっていて、
「ともせずに」 のところで、急に無愛想な表情に戻る。
読みながら早とちり的にイメージをつくってしまい、慌ててあとから修正する。

「にこりとして」 という形で出てくることは少ないのに、
どうしても、この表現に出会うたびに、
著者が描こうとしてはいなかった幻の笑顔を、一瞬浮かべさせてしまう。