2010年2月25日木曜日
2010年2月24日水曜日
2010年2月23日火曜日
二人三脚になるかならぬか
角を曲がったら、
小学生の女の子ふたりの楽しげな笑い声に出会った。
ふふふと笑いながら歩く二人の後ろから、
お母さんが笑顔で見守っている。笑顔が三つ進む。
ふたりは、双子。
髪は同じように二つ分けで元気に結ってもらって
白い上着、ジーンズに、ピンクの靴のいでたちもお揃い。
いち、に、いち、に、
たたたたったた ふふふ
きゃー待って、 たたた たたったた 合った、
いち、に、いち、に。
たたたたたたったた ふふふふふ
もう一回、 えーと、たた た たたたた
いち、に、いち、に。ふふふ
一人は、姉妹ふたりで二人三脚の状態にしようと足並みを合わせ、
もう一人は、わざとリズムを乱して足並みをばらけさせようとして、
いち、に、いち、に。 たたた た たた ふふふふ 待ってー
の繰り返し。
楽しそうな二人を見守るやさしい視線と目が合って、
かわいいですね、と笑顔を返した。
小学生の女の子ふたりの楽しげな笑い声に出会った。
ふふふと笑いながら歩く二人の後ろから、
お母さんが笑顔で見守っている。笑顔が三つ進む。
ふたりは、双子。
髪は同じように二つ分けで元気に結ってもらって
白い上着、ジーンズに、ピンクの靴のいでたちもお揃い。
いち、に、いち、に、
たたたたったた ふふふ
きゃー待って、 たたた たたったた 合った、
いち、に、いち、に。
たたたたたたったた ふふふふふ
もう一回、 えーと、たた た たたたた
いち、に、いち、に。ふふふ
一人は、姉妹ふたりで二人三脚の状態にしようと足並みを合わせ、
もう一人は、わざとリズムを乱して足並みをばらけさせようとして、
いち、に、いち、に。 たたた た たた ふふふふ 待ってー
の繰り返し。
楽しそうな二人を見守るやさしい視線と目が合って、
かわいいですね、と笑顔を返した。
2010年2月18日木曜日
2010年2月15日月曜日
2010年2月14日日曜日
2010年2月13日土曜日
本を閉じてからはじまる物語
2月5日、日本ペンクラブ「こどもの本委員会」のイベントを聞きに行った。
おなかをすかせているこどもたちに対して、
本は、物語は、何ができるのか?
というのが、ディスカッションのとっかかりとして、
落合恵子さんが(サルトルを引用して)投げかけた、大きな問いかけだった。
パネリストの方々のお話はそれぞれのお人柄が出ているように思われ、
なかでも、
(赤にグレーの色あわせがチャーミングだった)角野栄子さんのことばに
なるほど、と思った。
私の理解とメモ書きが正しければ、
戦争が終わったときに小学校5年生だった角野さんは、
飢えも経験したし、
飢えたときに大人たちがいかにあさましくなるのかも、
そして子どもたちがいかに逞しく生き抜いたかも、知っている。
ご自身がこどものときには、すでにできあがっていて読めるような物語がなく、
自分で自分自身の物語をつくっていくことによって
自分の置かれた状況と、自分の気持ちを確かめて、
それを支えにして、たいへんな状況を生き抜いた。
角野さんが書きたいのは、
読者が物語を読み終わって本を閉じてから、
読者自身の新たな物語がはじまるような
(その新たな物語に刺激を与えるような)、そんな本だという。
配られた資料のプロフィールに、
1959年から二年間ブラジルに暮らしていらっしゃったとあって
ますます、角野さんご自身について知りたくなる。
おなかをすかせているこどもたちに対して、
本は、物語は、何ができるのか?
というのが、ディスカッションのとっかかりとして、
落合恵子さんが(サルトルを引用して)投げかけた、大きな問いかけだった。
パネリストの方々のお話はそれぞれのお人柄が出ているように思われ、
なかでも、
(赤にグレーの色あわせがチャーミングだった)角野栄子さんのことばに
なるほど、と思った。
私の理解とメモ書きが正しければ、
戦争が終わったときに小学校5年生だった角野さんは、
飢えも経験したし、
飢えたときに大人たちがいかにあさましくなるのかも、
そして子どもたちがいかに逞しく生き抜いたかも、知っている。
ご自身がこどものときには、すでにできあがっていて読めるような物語がなく、
自分で自分自身の物語をつくっていくことによって
自分の置かれた状況と、自分の気持ちを確かめて、
それを支えにして、たいへんな状況を生き抜いた。
角野さんが書きたいのは、
読者が物語を読み終わって本を閉じてから、
読者自身の新たな物語がはじまるような
(その新たな物語に刺激を与えるような)、そんな本だという。
配られた資料のプロフィールに、
1959年から二年間ブラジルに暮らしていらっしゃったとあって
ますます、角野さんご自身について知りたくなる。
2010年2月10日水曜日
2010年2月9日火曜日
愛とコレステロール
2007年に幸恵さんと行ったスペイン領カナリア諸島について
昨晩テレビで番組をやっていた。
私たちを迎えてくれた友人Adoが案内してくれた
La Laguna の旧市街を懐かしく見た。
(行ったことのある場所が、
本や新聞や雑誌やテレビや映画で
出てくると、なぜかとてもうれしくなる)
と、テネリフェ島案内の続きで
椰子の木が立ち並ぶ、長い長い並木道が映った。
ああこれは、コレステロール通りというのだと教わった道だ。
当地では糖尿病のひとが多くて、運動のためにそこを散歩するのだとか。
と、テレビではそのコレステロール通りが「愛の小道」と紹介された。
テネリフェ島のグァンチェ族と、そこに入植したスペイン人の居住区をつなぐ道で
グァンチェ族とスペイン人の間の愛を育む道だったこと。実際、混血はどんどん進んだこと。
あの椰子並木は、
「つなぐ道」でもあり「歩き語らう道」でもあり、「運動として歩く道」ともなり。
昨晩テレビで番組をやっていた。
私たちを迎えてくれた友人Adoが案内してくれた
La Laguna の旧市街を懐かしく見た。
(行ったことのある場所が、
本や新聞や雑誌やテレビや映画で
出てくると、なぜかとてもうれしくなる)
と、テネリフェ島案内の続きで
椰子の木が立ち並ぶ、長い長い並木道が映った。
ああこれは、コレステロール通りというのだと教わった道だ。
当地では糖尿病のひとが多くて、運動のためにそこを散歩するのだとか。
と、テレビではそのコレステロール通りが「愛の小道」と紹介された。
テネリフェ島のグァンチェ族と、そこに入植したスペイン人の居住区をつなぐ道で
グァンチェ族とスペイン人の間の愛を育む道だったこと。実際、混血はどんどん進んだこと。
あの椰子並木は、
「つなぐ道」でもあり「歩き語らう道」でもあり、「運動として歩く道」ともなり。
2010年2月4日木曜日
2010年2月3日水曜日
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