2009年8月7日金曜日

書くこと、書く道具、考えること

中学の先生だったか、それとも浪人時代の予備校の先生だったか
何かを考えたり書いたりするときに、頭の準備体操として
尊敬する著作家の書いた明晰な文章を、書き写すようにしているのだと聞いた。

書くことと、頭の働きは、たしかに連動していると思う。

鉛筆で、ペンで、キーボードで書くことは
それぞれに違う作用を起こすようにも思う。

以前、UNAMの図書館でオクタビオ・パスの散文を書き写しながら
知性と自信に満ちた著作家に一瞬のり移られたような不思議な気分を味わったことがある。
あれがキーボード上だったら、同じことは起きただろうか?


そういえばフランスの大学では、テストの提出用紙はペンで書くのが条件で

鉛筆で書いたものは採点すらしてもらえないということになっていた。

時間をうまく配分し、鉛筆で構想と下書きをして、ペンで清書。

口頭で議論や発表をするときに「書き直し」はきかないのと同じように
書くときも、下準備をした上で、本番は一発勝負ということなのか。

パソコンでは、書き直しも、順序の入れ替えも、簡単、自由自在。
推敲に推敲を重ねられる利点もあるけれど、
時間内に、やり直しのきかないペンで書き上げなければというあの緊張感が
いま、自分に欠けていると感じる。