スパッと半分に切った瞬間、メキシコの記憶が蘇る。
メルカード(市場)の情景。
ごつごつした石畳の帰り道。
スニーカーの足裏の感触。照りつける日差し。
ごつごつした石畳、段差の多い歩道、
二重の鍵、鉄の黒い扉、
扉をあけてしめたのを聞きつけたセシリアの
サラワレッカムという声(セシリアはメキシコに住むムスルマーナだ)
みっちゃん(ゴールデンレトリバー)の爪音、ふかふかの毛、ピンクの舌、
木の床の感触、左の窓からの日差し、
トルティージャの香り、
台所、
アンドレス(セシリアの息子)にオラと挨拶、
ビニール袋、買ったばかりのオレンジをとり出して
ナイフでスパッ と。
嗅覚の神経は、論理的思考をつかさどる回路を介さずに
記憶や感情の回路にダイレクトにつながっていると
聞いたことがあるような、ないような。
そしてオレンジの香りからもう一つ思い出したのが
フェルナンド・バジェホの『崖っぷち』(久野量一訳、松籟社、2011年)。
小説のどこかで出てきた、(ゴミバケツに入っていた、のだったか?山ほどの、だったか?)
腐ったオレンジの匂いは
あの作品の核心をついていると感じた。
無粋を承知で、冗長なことばにしてみるならば
いつのまに腐っちまったんだよ。
鮮やかな色が却って腹立たしいよ。
まだ残ってる甘い匂いで胸が悪くなる。
なんなんだよ、この有り様は。
あのオレンジを返してくれよ。
…という感じ。
もとから苦くドロドロしたような何かじゃなくて、
よりにもよって
何よりも爽やかな、気持ちにもからだにも健やかなはずの果物が、腐った。
みすみす無駄になった。最低な仕方で。
大切なものが失われてしまったこと、
そして、それを取り戻す術はもはや残ってないことに対する、
腹立たしさ、くやしさ、情けなさ、悲しみ。
尖った暴力性(violencia)の根には、ときとして(あるいはしばしば)、深い悲しみがある。
そんなことを感じた小説だった。