2013年2月19日火曜日

猫、白、緑

土曜の朝、
駅に向かう途中、
大きな横断歩道の手前にあるお屋敷の石塀に猫がいた。

少しよごれた白に黒いぶち。
ときどき見かける猫だけど、
その時刻の日光と同じぐらいの角度で斜め上を見上げる姿は見事だった。

歩行者用の信号が赤にかわるのをちらりと確認してから
猫の視線をたどると、見上げる先には椿の花があった。
しっとりした白にほんのり紅のさした花びら。

山田緑さんの絵のようだった。







2013年2月16日土曜日

オレンジ、連想、崖っぷち

ネーブルオレンジを買った。

スパッと半分に切った瞬間、メキシコの記憶が蘇る。

メルカード(市場)の情景。
ごつごつした石畳の帰り道。
スニーカーの足裏の感触。照りつける日差し。
ごつごつした石畳、段差の多い歩道、
二重の鍵、鉄の黒い扉、
扉をあけてしめたのを聞きつけたセシリアの
サラワレッカムという声(セシリアはメキシコに住むムスルマーナだ)
みっちゃん(ゴールデンレトリバー)の爪音、ふかふかの毛、ピンクの舌、
木の床の感触、左の窓からの日差し、
トルティージャの香り、
台所、
アンドレス(セシリアの息子)にオラと挨拶、
ビニール袋、買ったばかりのオレンジをとり出して
ナイフでスパッ と。

嗅覚の神経は、論理的思考をつかさどる回路を介さずに
記憶や感情の回路にダイレクトにつながっていると
聞いたことがあるような、ないような。

そしてオレンジの香りからもう一つ思い出したのが
フェルナンド・バジェホの『崖っぷち』(久野量一訳、松籟社、2011年)。

小説のどこかで出てきた、(ゴミバケツに入っていた、のだったか?山ほどの、だったか?)
腐ったオレンジの匂いは
あの作品の核心をついていると感じた。

無粋を承知で、冗長なことばにしてみるならば

いつのまに腐っちまったんだよ。
鮮やかな色が却って腹立たしいよ。
まだ残ってる甘い匂いで胸が悪くなる。
なんなんだよ、この有り様は。
あのオレンジを返してくれよ。

…という感じ。

もとから苦くドロドロしたような何かじゃなくて、
よりにもよって
何よりも爽やかな、気持ちにもからだにも健やかなはずの果物が、腐った。
みすみす無駄になった。最低な仕方で。
大切なものが失われてしまったこと、
そして、それを取り戻す術はもはや残ってないことに対する、
腹立たしさ、くやしさ、情けなさ、悲しみ。

尖った暴力性(violencia)の根には、ときとして(あるいはしばしば)、深い悲しみがある。
そんなことを感じた小説だった。



そらに


 親父  と 親交。

音にしたら全然違うのに見た目は似ている。
他人のそら似。

「父」という文字は、
これが漢字だという意識を脇にどけて、じっと眺めていると
目をつぶったヒツジの顔みたいにも見えてくる。

2013年2月6日水曜日

ひ、ふ、み

「はたちの献血」のポスターを電車で見た。
「はたち」ということばには、「ち」が含まれているな、
うまくできている、と思った。(偶然だろうか?)

同じキャンペーンの広告を今度はラジオで聞いて
ふと、日本語には一音節の名詞が山ほどある、ということに思い至った。
(ほかの言語で、同じように一音節名詞が豊富なものはあるだろうか?)

たとえばMa行なら、「間、実、無、目、藻」。

もし、自分が日本語を外国語として学ぶ立場だったら
正しいのは「Maがわるい」なのか「Moがわるい」なのか、
正しいのは「Muの境地」なのか「Meの境地」なのか、混乱してしまうかもしれない。
(しないかもしれない。)

そういえば、一音節名詞の中には、
ことばを覚えたて(あるいは覚える前)の小さなこどもにも身近な「め」や「て」もあるが
こどもむけには「おめめ」とか「おてて」と長くするのも面白い。




2013年2月4日月曜日

春へ

年が変わって何も書かないうちに、ついに立春に。

はて、「立春」はスペイン語で何というのだろうと思って
クラウン和西辞典を開いてみたらシンプルに
el "primer día de primavera"、「春の最初の日」、初日、第一日、とのこと。

「西洋」でも時刻は24に分けるのに、
季節を24に分けるのは「東洋」ならではなのか。

気象予報によれば、東京でもこれからまだ雪が降るらしいが
気分は、どんどん頼もしくなってくる太陽に寄って、少しずつ春へ。