今月12日に亡くなったメキシコの小説家カルロス・フエンテスの
生前のインタビュー映像が、
グレゴリー・サンブラーノ先生のblogで紹介されている。
http://gregoryzambrano.wordpress.com/
http://www.youtube.com/watch?feature=player_embedded&v=mm2WBEqViUI#!
始まって5分ぐらいのところで彼が発したことばに、耳が反応した。
カーソルを動かし、気になった部分を繰り返して聞くと、彼は次のようにいっている。
Una novela tiene que ser fiel a sí misma.
En la medida en que lo es, defiende los dos grandes valores de la literatura,
que son la lengua y la imaginación.
小説(小説というジャンルla novelaではなく、
ひとつひとつの作品としての小説 una novela)は
自分自身に対して誠実でなくてはならない。
自身に対して誠実であるとき、小説は、
文学のもつ二つの偉大な価値を擁護することになる。
その価値とは、ことば(lenguaje)、そして、想像力(imaginación)。
---
フエンテスの声を聞きながら、
内容から離れて思ったのは、
彼自身の声(の録音)を、わたし自身が「じかに」
(=翻訳や通訳という、第三者の思考の介入なしに)聴き取り、
そこからあれこれ考えをめぐらすことができるのは、
なんと贅沢で豊かで心躍る体験か、ということ。
(上にあげた文章の、日本語訳の方には、
すでに、フエンテスでない人物[私]の思考が介入してしまっている。)
こんなことがあると、
翻訳や通訳という仕事の価値を、
翻訳や通訳の成果から恩恵を受けていることを、
日本語に変換されたことば自体の価値を、十分に意識したうえで、思う。
スペイン語を学んできてよかった。
母語以外の言語を学べば、世界は確実に広がる。確実に。
今度は、こういう面白さを味わえるようになるための、添え木を提供したい。
2012年5月17日木曜日
刺戟を受ける
そのことばから、作品から、一挙一動から、存在自体から
ポジティブな刺戟を受ける友人は、とても貴重で、たいせつだ。
そんな、たいせつな・大好きな友人たちのひとり、
原瑠美さんのblog.
http://www.rumihara.com/blog-peanutbutter-sisters.html
ポジティブな刺戟を受ける友人は、とても貴重で、たいせつだ。
そんな、たいせつな・大好きな友人たちのひとり、
原瑠美さんのblog.
http://www.rumihara.com/blog-peanutbutter-sisters.html
2012年5月5日土曜日
後姿
休日の公園には、ギター弾きがよく似合う。
ギター青年がひとり、
公園内の歩道にあぐらをかいて座りこみ、弦をかき鳴らして歌っていた。
傍らに、頼もしい相棒みたいな自転車をとめて。
彼の周りに、聴衆はいなかった。
すこし離れたところで、若い夫婦が足をとめて聞いていた。
ギター弾き歌うたいの横を通り過ぎ、
20メートルほど歩いただろか、木陰に車椅子のおばあさんがいた。
目をつぶって気持ちよさそうに歌を聴いている。
まぶたを開けば、青年の背中が遠くに見えるだろう。
おばあさんは目をとじたまま、
木々の葉っぱ越しに届く光を受け、心地よい風を受け、ひとり、静かに歌を聴いていた。
青年はそんな風に聴いているおばあさんがいるとは知らずに歌い続けていた。
いまも、この先も、きっと知らないままだろう。
ギター青年がひとり、
公園内の歩道にあぐらをかいて座りこみ、弦をかき鳴らして歌っていた。
傍らに、頼もしい相棒みたいな自転車をとめて。
彼の周りに、聴衆はいなかった。
すこし離れたところで、若い夫婦が足をとめて聞いていた。
ギター弾き歌うたいの横を通り過ぎ、
20メートルほど歩いただろか、木陰に車椅子のおばあさんがいた。
目をつぶって気持ちよさそうに歌を聴いている。
まぶたを開けば、青年の背中が遠くに見えるだろう。
おばあさんは目をとじたまま、
木々の葉っぱ越しに届く光を受け、心地よい風を受け、ひとり、静かに歌を聴いていた。
青年はそんな風に聴いているおばあさんがいるとは知らずに歌い続けていた。
いまも、この先も、きっと知らないままだろう。
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