2012年4月14日土曜日

門内幸恵さんの絵画展2

現在、明治大学生田キャンパス図書館1階
Gallery Zeroで、画家・門内幸恵さんの絵画展が開かれています。

昨日、門内幸恵さんと、編集者の沼尻賢治さん(+司会・旦敬介さん)
によるトークイベントにあわせて、会場に行ってきました。
いろいろ面白い話が聞けたのですが、
そのうち、まずひとつの話題を、記憶に基づいて再構成してみます。

----
「挿絵を描くとき、
 水彩、クレヨン、油絵など、さまざまなメディアがあるが
 どうやって選ぶのか?」という質問に対して。

普段、画家として自分で絵を描くときには、油絵がメイン。

挿絵の仕事で、締切がある場合には、
「絵を乾かす時間」をどれほど取れるかという問題に
どんな画材を使うか、その選択は大いに左右される。

また、挿絵の場合、
文章を読んで、読んで、読んで、イメージを定めてから
(このプロセスに、挿絵を描く作業全体の80%の時間をつぎこむという)
絵に「おこして」いくのだけれど、
文章の特徴、たとえば力づよさ、あるいはみずみずしさに応じて
「クレヨンが合うだろう」とか「水彩が合うだろう」と、選ぶ。

そして。

ANA機内誌「翼の王国」での以前の連載小説、
旦敬介さんの「旅する理由」のときには
クレヨンを使って挿絵を描いていたのだけれど、

色を混ぜると、どうしても濁る。
混ぜられないということは、使える色は、限られる。
すると、描きながら、
ああ、前もこの色の組み合せをつかった、ということが起きてくる。

こうした色の制限に、不自由さを感じるようになった。

同じく「翼の王国」で現在連載中の
六月まどかさん「あるこほーるの夢」では、
それまであまり使ってこなかった水彩を試してみた。
すると、思いのほか、自由に描ける。
クレヨンと違って、イメージする色がつくれるし、
油絵で慣れている筆使い、クレヨンで身につけた色使いを活かしつつ
ぼかし、にじみなど、水彩独特の効果も出せる。

さらに、この連載挿絵の仕事が、
画家としての表現活動にも変化をもたらした。

これまでの油絵作品では、画面全体をマットに仕上げることがほとんどで
筆の痕跡が見えるようでは、許せない、
筆の跡が見えなくなるまで、塗りこみ、塗り上げる。そんなやり方だった。
が、この油絵表現で、行きづまりを感じるようにもなっていた。
やりたいことと、やっていることが、矛盾しているように感じていた。

そんなとき、連載の挿絵を水彩で描くようになり
挿絵のほかにも、
何枚も何枚も、水彩画を描いた。

水彩の場合、
油絵と違って、塗り直しが効かない。
それは難しさでもあるが醍醐味でもある。

その「塗り直しが効かない」という感覚(あるいは、「姿勢」?)を
そのまま、油彩に応用して、描いてみた。

そうして描いたのが、今回展示してある油絵の作品群。

- - -

確かに、今回の展示作品は、
これまでの作品 (以下リンクから画像が見られます)
と、かなり違う。
以前の作品も好きだけど、
新しいものには、
門内さんの持っているespontáneaな部分が、よりうまく出ているように思える。


今までどこかで彼女の作品を目にしたことがあるかたも、
見たことがないかたも、
生田の坂道をのぼって
(あるいは、向ヶ丘遊園駅からバスに乗って)
(あるいは、生田キャンパスに通っているかたは、図書館の入口から左へ寄り道して)
会場に足を運んでみてください。

詳細は以下に。

すずらん

あるラジオ番組で二人のギタリストのやりとりを聞いていたら、
きっと聞きまちがいだろうけれど、気に入ったフレーズがあった。

「すずらんは喜びに形が似ている」

2012年4月10日火曜日

ひだりの定義

何のために、こんなことばを辞書で引いたのか
数時間のうちにすっかり忘れてしまったが、
私の使っているカシオの電子辞書Ex-wordに入っている二つの辞書で
定義の仕方がこんなに違うのか!と驚いたのが「ひだり」。

『デジタル大辞泉』によれば
1.東に向いたとき北に当たる方。
大部分の人が、食事のとき茶碗を持つ側。
2.左方の手。ひだりて。
(以下略)

『明鏡国語辞典』によれば
①人体を対称線に沿って二分したとき、
心臓のある方。体の左側。
②「前後左右」で表される相対的方向の一つで、
①の方向。また、その方向にある場所。例えば、
話し手が北を向いたときに西に当たる方など。
(以下略)

北、東、西……ぐるぐると脳内磁針が回る。

ちなみに、スペイン王立アカデミー編纂のスペイン語辞書で
「左の(izquierdo, izquierda)」という形容詞の語義を見てみると
1.人間の体の部分について、心臓の側にある(例:左手、左目)
2.観察者(observador)の心臓と同じ側にある
(以下略)

またもや心臓。
心臓を基準に考えるなんて、人間中心の世界の見方のあらわれか!
と一瞬思ったけれど、
しかし「右」とか「左」という概念はそもそも、
目の前にいない相手に対して定義するのは難しく
辞書に載せられるほど遍く通用するような
「左」の概念の参照項を探した結果、
見つかったのが「心臓」だったのだろう。

面白くなってきたので電子辞書に戻って
オックスフォード現代英英辞典を見てみると
1.北を正面にした状態で西に向いている身体の側にある
(以下略)

……ひどくわかりにくいのは私の日本語訳のせいで、
原文はこの通り。
"on the side of your body which is towards the west
when you are facing north"


ものごとを立体的に捉えるのが苦手な頭にとっては
東だの北だの西だの言われるとそれだけで目が回り
犬が西むきゃ…ということわざが記憶によみがえる。

でもやはり、
「右」「左」の関係なんて、上下さかさまや裏表反対にすれば
すぐにひっくり返るような危ういものなのだから
自分の胸で四六時中動いている小さなポンプの位置を
手っ取り早い基準としてしまうより
地球と太陽の関係ぐらい大きなものを頼りに、
日の出から日の入りまで眺めて、こちらを東、こちらを西と呼ぶ
夜になって、空に北極星を見つけて、あちらを北と呼ぶ
これらの基準を基に、
こちらを右と呼び、こちらを左と呼ぶこととする
というぐらい慎重にしてもいいようにも思える。


2012年4月1日日曜日

1ero de abil (4月1日)

The next stop is Tokyo. The doors on the left side will open. Please change here for the Shinkansen, the Tokaido Line, the Yokosuka Line, the Sobu Line Rapid Service, the Keiyo Line and the Marunouchi Subway line.

331日の晩、ときおり翌日のことを思い描きながら、山手線は大勢の乗客を乗せていつものルートを巡り続けた。特に乗り降りの多い駅は、東京、上野、池袋、新宿、渋谷、品川、そしてまた東京。毎日何度もぐるぐると終わりのない輪を描いて走るのは、どうも気が滅入る。せめて始発駅と終着駅がはっきりしていればもっと達成感がありそうなのに。ほかの路線がうらやましい。しかし、ほかの路線にいわせれば、それは贅沢な悩みだった。一国の首都の、それも中心部にある重要な駅をつないで大勢の乗客を運び、生活を、経済を、滞りなく循環させていることも、始発駅や終着駅に長く停車して時間を無駄にすることなくいつも働いていることも、誇りに思って然るべきだ。ほかのだれもがそう考えた。

それでも山手線はくたびれていた。朝と晩のラッシュアワーが最も苦手だった。混み具合は年々ひどくなる一方で、ぎゅうぎゅうの車内に乗り込んでくる乗客たちの諦めと覚悟の入り混じったような、表情をころした顔を見るのもいやだったし、少しでも電車が遅れただけで駅員が怒鳴りつけられるのを聞くもいやだった。しかも、気を散らせて事故を起こしてはいけないと思って、駅の案内板に貼られた展覧会のポスターを見るというささやかな楽しみも、車内の吊り広告や、ドアの上に設置された小さな画面で流されるニュースや英会話番組を眺めるという気晴らしも、混んだ時間帯には控えることにしていた。

しかし何より、混んだ車内では会話をする人がほとんどいないのがつまらなかった。山手線にとって、車内で聞こえる会話は、外の世界を知るための貴重な情報源だった。車内に吊り下げられている週刊誌の広告や小さな画面で流されるニュースを見ていれば、世の中でどんなことが起きているのか少しは見当がついたが、取り上げられるのはごく限られた種類の話題だけだったし、どこまで真実が伝えられているのかもわからない。しかも、ひどく揺れたあの日以来、ニュースの画面に映画のような内容がうつることもあった。それで、どうにかして外のことをもっと知りたい、と、話し声の聞こえるときにはできるだけ耳を澄ましていた。けれども、体を動かす隙間もないほど混んだ時間帯に車内で聞こえる音といえば、電車自体のたてる音か、ヘッドホンから漏れて聞こえる音楽か、抑えた咳払いぐらいしかない。だから、よけいに憂鬱だ。

とは言え、今夜は、普段に比べればいくらかマシな気分だった。明日を楽しみにしていたからだ。これまでに聞いた会話の断片をつなぎ合わせると、41日というのは、ちょっとドキっとするような嘘や冗談でも笑って済まされるという特別な日であるらしい。この推測がたしかなものであると確信した去年から、山手線は、自分も何かやってみようと企んでいた。たとえば、車内で流れるアナウンスに手をくわえること。録音されたアナウンスは、毎日同じだから、味気ない。でも混んでいるときはピリピリしている人が多いから、空いているお昼過ぎにしておこう。大ごとにならないように、聴いている人の少ない英語のほうが無難かもしれない。何人か、気づいてくれる人がいればいい。でも一体、どこをどう変えたら、気が利いているだろう。

翌日の昼過ぎになっても、いいアイディアはまだ見つからなかった。いつも詰めが甘いんだ。そもそも、僕は声を出せないじゃないか。再生するアナウンスを途中で止めたりつなぎ合わせたりするぐらいならできそうだけど、それで何か面白いことができるだろうか。

The next stop is Tokyo. あああ、また東京駅か。ここで降りる人たちはあちこちへ移動していくのに、僕はまたぐるっと次の一巡に入るってわけだ。そう思った次の瞬間、聞こえたのは、Please change…  今だ!山手線は、アナウンスを急いで止めた。変えてください。でも、その先に何をつなげればいいかわからない。どうしよう、ふつうに続けるしかないか、ちっとも面白くないけれど、しょうがない。そのとき、ある乗客の膝の上で荷物がかすかに揺れ、か細い子猫の声が車内に響いた。ミー。Please change me. ことばがつながった。変えてください、僕を。そこで山手線は咄嗟に続けた。to prevent an accident. 事故を防ぐために。Please change me to prevent an accident.  僕を変えてください、事故を防ぐために。それはもはやジョークではなく、ぎりぎりの状態にあった山手線の、必死の訴えだった。

それでも、山手線は、東京駅を出るといつものように神田駅に到着し、神田の次は秋葉原に、その次は御徒町に止まった。次は上野。ぼくは所詮東京の中でぐるぐる回っているしかないんだ。山手線は、少しずつ気持ちの整理をつけようとしていた。

ところが、彼の気づかないところであの叫びを聞き取った乗客たちがいた。それを、また別の人に伝えた人がいた。駅員に伝えた人もいた。少しは東京の外に出るのもいいだろう、と、たくさんの人たちが共感した。彼らは動いた。

上野駅の宇都宮線のホームで電車を待っていた人たちは、そこに山手線が入ってきたのを見て少し驚いたが、東京にしては珍しく思いきった41日の冗談だろうと見当をつけ、面白がって乗る人は乗りこみ、いつもの車両でないと安心できない人は次の電車をおとなしく待った。

上野駅を出たところで、山手線は、自分がいつもと違う線路の上を走っていることにようやく気づいた。延々と循環する、いびつな輪から、ついに解き放たれたのだ。線路は、北の方角に向かって伸びていた。車内で交わされる会話の響きが少しずつ変化していくのに耳を澄まし、初めて見る外の景色に目を凝らしながら、山手線は一駅、また一駅と、北上していく。

(2011年8月)