2011年12月26日月曜日

石井康史先生におくることば

昨日、12月25日、午前11時より、
石井康史先生のお別れの会がありました。


ディキシーランドジャズに包まれた会場には、
旦先生が書いていらっしゃるように、
まさにラテンアメリカ文学の作品の中のように、
献花する人の行列が何日間も続いたみたいにいつまでも続いた。」

日が暮れて、夜が明けて、太陽が真上から照らして、
また日が暮れて、
それでもずっと途切れることのない列のように、見えました。
海の向こうにいて参列できない先生のご友人たちのところまで、
白いトルコキキョウを一輪ずつ手にしたその列が
続いているようにも思われました。


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なぜ、こんなに早くに、石井先生にお別れの挨拶をしなければならないのか、
私はまだ納得できずにいます。
なぜ、先生がいつものように正面に座ってじっくり話を聞いてくださらないのか、
どうしても納得できずにいます。

いつも、どんなにまとまりのない話でも辛抱強く聞いてくださったのに。
どんなに些細なアイディアでも面白がって聞いてくださったのに。
入院中も、リハビリの合間に、じっくり腰を据えて相談に乗ってくださったのに。
ご自宅でのリハビリの最中にも、丁寧に、丁寧に、論文を読んでくださったのに。
この夏の、大きな手術の直前でさえ、論文審査会に向けてコメントや質問を準備して、
それを録音して、奥さまの祥子さんに託して、届けてくださったのに。
審査会を終えた直後にメールを送ったときにも、病院からすぐに返事をくださったのに。
なぜ、今日は、聞いていてくださらないのか。

あら、その顔は、なんだか納得していないことがありますね?
いまの私の表情を見たら、先生はきっとそうおっしゃるに違いありません。
これまでに何度も、ずばりと指摘されたことがありました。

石井先生はいつでも、私たち学生たちのことばに、
それどころか私たちがことばにできずにいることにまで、耳を傾けてくださいました。

先生はいつか、私が研究室にうかがったときだったか、ぽつりとおっしゃっていました。
「授業中、学生のみなさんにむけて質問をしても、なかなか誰も答えないときがありますよね。
そんなときに誰かが息を吸う音が聞こえると、何か言おうとしているに違いない、
つい、そう期待してしまうんですよ。」

「このズボンの継ぎの部分はね……」
と、授業中に突然説明してくださったこともありました。
それは確かラテンアメリカのロマン主義小説についての授業で、
私がつい本題を逸れて、先生のズボンの縫い目に気をとられていたときのことでした。
少人数の授業だったとはいえ、まったく、先生は何でもお見通しでした。

私の論文が形になる前のこと、
考えがうろうろと迷ったりまとまりなく拡散したりして相談にうかがったときには、
私の混乱した説明をきき終えてから、
ちょっと整理してみましょうか、とおっしゃって、こんな質問をなさいました。
一番言いたいことを、単純な一つの文章で表すとしたら、どうなりますか。
あるいは、問いと答えのかたちで表すとしたら、どうなりますか。
そして、それからじっと、私がこたえるのを待ってくださいました。

論文が形をとった後には、
その先には何が見えているのか、その先に何を探そうとしているのか、
新たな始まりに向かうよう、私の意識を、すっと後押ししてくださいました。

こうして記憶を辿っていると、
納得のいかない気持ちが少し、晴れてくるように感じます。
いま石井先生は、目の前に座って聞いていてくださりはしないけれど、
これまでのやりとりは記憶に鮮明に残っていて、
だから今でも、石井先生とのやりとりを新たに想像することが、十分に、できそうです。

しばらく静かに休みたいんですよ、と先生はおっしゃるかもしれませんが
でも、お話したいことは山ほどあります。

私が学生を卒業して、こんどはだれかに教える立場になったとき、
それを一番喜んでくださったのは、石井先生でした。
先生は我々学生相手にも、
いつでも丁寧なことばづかいで話していらっしゃったし、
メールの文面も、こちらが恐縮してしまうほど丁寧でしたが、
一度だけ、私がスペイン語の授業を担当することになったとご報告したときには、
丁寧な文面のなかに、
”Quiero felicitarte.”
君にお祝いをしたいんだ、と、フランクな調子のフレーズが混ざっていました。
その部分だけが、スペイン語で。

石井先生から受け継いで、
自分より若い世代のひとたちを相手に実践したいことが、私にはいくつもあります。
だから、こんな失敗をしてしまいました、とか、こんな嬉しいことがありました、と、
ぜひ先生に、ご報告をさせてください。

それだけではなくて、こんな面白いことを見つけました、とか、
こんなことをやろうとしています、とか、こんなアイディアを思いつきました、
そういうことも、きっと、ご報告します。

お別れのご挨拶というよりは一つの区切りをつけるためのご挨拶を、おくります。

深い尊敬の念をこめて。