旦先生があちこちに養子に出したサボテンたちにつけられた名は、
なぜ女性を思わせる名前ばかりなのか?
スペイン語だとcacto, cactusは男性名詞。
ポルトガル語だと違うのか?なんて思っていながら、調べずにいた。
が、今朝、謎が解けた。(たぶん)
あんずジャムを塗ったトーストを食べながら、
オレンジ色の鉢の「ムケカ」に、ふと目をやると
あれ?
何かいつもと違う。
じっくり見たら、手の小指の爪ほどに、ぼこ、と何かが出ている。
ぱぱぱぱ、と記憶の蔓が自然にたどられていく。
声の記憶。
「サボテンてさ、どんどんふえるんだよー
ぼこ、っていうのが出て、その、ぼこ、っていうのをわけてうえると、
サボテンになるんだよ
そうやって、ぼこ、っていうのができるたびにわけていったら
400鉢」
「よんひゃっぱち」という突拍子もない数(と、そのひょうきんな音)にあのとき、
電車のなかで、つい大笑いしたのだった。
横隔膜の記憶。
そこから一気に推論。
サボテンには、母のイメージが重なるのだろう。
それから、もしかすると
男にとって「予測不能な、手に負えない、つい振り回されてしまう」相手である
女のイメージも。
(メニーナのほうも、大きな鉢にうつしてやらないといけない。
あらためてよく見ると、いつのまにやらムケカとの差は驚くほどになっている。)
2012年6月5日火曜日
つつじ+夕方の紺色=?
今日、6月5日火曜日。
6時50分ぐらいに、たまたま窓のブラインドを開けてみたら
紺色の空に浮かぶ雲が夕焼色で、
窓をがばっと大きく開けて、しばらくのあいだ、眺めた。
屋外に出てぱっと目にとびこんできたのは、満開のつつじ。
紺色を帯びた光のもとで見ると、つつじはブーゲンビリアみたいで
夕方のひんやりした風と昼間の暑さの記憶のためか、
メキシコシティのサン・アンヘル地区が、急にひどく懐かしくなった。
6時50分ぐらいに、たまたま窓のブラインドを開けてみたら
紺色の空に浮かぶ雲が夕焼色で、
窓をがばっと大きく開けて、しばらくのあいだ、眺めた。
屋外に出てぱっと目にとびこんできたのは、満開のつつじ。
紺色を帯びた光のもとで見ると、つつじはブーゲンビリアみたいで
夕方のひんやりした風と昼間の暑さの記憶のためか、
メキシコシティのサン・アンヘル地区が、急にひどく懐かしくなった。
2012年5月5日土曜日
後姿
休日の公園には、ギター弾きがよく似合う。
ギター青年がひとり、
公園内の歩道にあぐらをかいて座りこみ、弦をかき鳴らして歌っていた。
傍らに、頼もしい相棒みたいな自転車をとめて。
彼の周りに、聴衆はいなかった。
すこし離れたところで、若い夫婦が足をとめて聞いていた。
ギター弾き歌うたいの横を通り過ぎ、
20メートルほど歩いただろか、木陰に車椅子のおばあさんがいた。
目をつぶって気持ちよさそうに歌を聴いている。
まぶたを開けば、青年の背中が遠くに見えるだろう。
おばあさんは目をとじたまま、
木々の葉っぱ越しに届く光を受け、心地よい風を受け、ひとり、静かに歌を聴いていた。
青年はそんな風に聴いているおばあさんがいるとは知らずに歌い続けていた。
いまも、この先も、きっと知らないままだろう。
ギター青年がひとり、
公園内の歩道にあぐらをかいて座りこみ、弦をかき鳴らして歌っていた。
傍らに、頼もしい相棒みたいな自転車をとめて。
彼の周りに、聴衆はいなかった。
すこし離れたところで、若い夫婦が足をとめて聞いていた。
ギター弾き歌うたいの横を通り過ぎ、
20メートルほど歩いただろか、木陰に車椅子のおばあさんがいた。
目をつぶって気持ちよさそうに歌を聴いている。
まぶたを開けば、青年の背中が遠くに見えるだろう。
おばあさんは目をとじたまま、
木々の葉っぱ越しに届く光を受け、心地よい風を受け、ひとり、静かに歌を聴いていた。
青年はそんな風に聴いているおばあさんがいるとは知らずに歌い続けていた。
いまも、この先も、きっと知らないままだろう。
2012年4月10日火曜日
ひだりの定義
何のために、こんなことばを辞書で引いたのか
数時間のうちにすっかり忘れてしまったが、
私の使っているカシオの電子辞書Ex-wordに入っている二つの辞書で
定義の仕方がこんなに違うのか!と驚いたのが「ひだり」。
『デジタル大辞泉』によれば
1.東に向いたとき北に当たる方。
大部分の人が、食事のとき茶碗を持つ側。
2.左方の手。ひだりて。
(以下略)
『明鏡国語辞典』によれば
①人体を対称線に沿って二分したとき、
心臓のある方。体の左側。
②「前後左右」で表される相対的方向の一つで、
①の方向。また、その方向にある場所。例えば、
話し手が北を向いたときに西に当たる方など。
(以下略)
北、東、西……ぐるぐると脳内磁針が回る。
ちなみに、スペイン王立アカデミー編纂のスペイン語辞書で
「左の(izquierdo, izquierda)」という形容詞の語義を見てみると
1.人間の体の部分について、心臓の側にある(例:左手、左目)
2.観察者(observador)の心臓と同じ側にある
(以下略)
またもや心臓。
心臓を基準に考えるなんて、人間中心の世界の見方のあらわれか!
と一瞬思ったけれど、
しかし「右」とか「左」という概念はそもそも、
目の前にいない相手に対して定義するのは難しく
辞書に載せられるほど遍く通用するような
「左」の概念の参照項を探した結果、
見つかったのが「心臓」だったのだろう。
面白くなってきたので電子辞書に戻って
オックスフォード現代英英辞典を見てみると
1.北を正面にした状態で西に向いている身体の側にある
(以下略)
……ひどくわかりにくいのは私の日本語訳のせいで、
原文はこの通り。
"on the side of your body which is towards the west
when you are facing north"
ものごとを立体的に捉えるのが苦手な頭にとっては
東だの北だの西だの言われるとそれだけで目が回り
犬が西むきゃ…ということわざが記憶によみがえる。
でもやはり、
「右」「左」の関係なんて、上下さかさまや裏表反対にすれば
すぐにひっくり返るような危ういものなのだから
自分の胸で四六時中動いている小さなポンプの位置を
手っ取り早い基準としてしまうより
地球と太陽の関係ぐらい大きなものを頼りに、
日の出から日の入りまで眺めて、こちらを東、こちらを西と呼ぶ
夜になって、空に北極星を見つけて、あちらを北と呼ぶ
これらの基準を基に、
こちらを右と呼び、こちらを左と呼ぶこととする
というぐらい慎重にしてもいいようにも思える。
2011年12月22日木曜日
2011年9月10日土曜日
2011年8月25日木曜日
嗅覚の旅
札幌のモエレ沼公園の、ガラスのピラミッドで
管啓次郎さんの詩と佐々木愛さんの絵の展示「Walking 歩行という経験」
が、9月4日まで行われています。
(詩と絵の関係は、
二羽からなる、小さな渡り鳥の隊列のようで
互いに同じ方位をめざし、同じ風にのり、
しかし自らの羽ばたきによってそれぞれが飛んでいる、という感じを受けます)
8月6日、札幌でもひどく暑い土曜日の朝、
モエレ沼の水源をめざして、てくてくと歩くウォーキングイベントがあり、
帽子をかぶって、飲み水を携えて、歩く列に加わって来ました。
途中、上空からぴーひょろろと聞こえてきたので
「あっ、とんび」と、つい誰かに言いたくなって、後ろを振り返ると、
絵美さんという元気な女性が
「とんび、よくいますよ。わたし、北海道出身なんです」
(カラスがとんびの声を真似ることもあるらしい)
大学院で学ぶために4月から東京に暮らしていて、今回は初めての帰郷だ
と話してくれたので、
北海道を離れて東京に住んで、戻ってみて、いま何か思うことはありますか、
とたずねると即座に
「におい、ですね。
札幌はこんなにおいがしていたのか、と、初めて意識しました」
たしかに、前日に行った東川町でも、モエレ沼付近でも、
風に複雑で豊かないいにおいが満ちていることに、うすうす気づいていた。
そこで、「草の、いいにおいがしますよね。」
と言ってみたところ、
「これは、川のにおいですよ。」
たしかに、わたしたちは、小川の脇を歩いていた。
目を丸くして、絵美さんのほうを見ると、
視線を受けて、あらためて風を吸い込んだ彼女が、こんどは
「上のほうは川のにおいがして、
下のほうは、草のにおいがします。」
風のにおいに層があるなんて、
思ったこともなかった。
知れば、意識すれば、
うまくすれば、いつかそれをかぎわけられるかもしれない。
そういえば、テオティワカンの月のピラミッドのてっぺんで
門内幸恵さんは、いいにおい、と
何度も、嬉しそうに、深く、深く、息を吸い込んでいた。
幸恵さんの感じている世界も、きっと私などよりずっと複雑で豊かなのだろう。
2011年5月25日水曜日
「よかったら…」

あの花が咲き、あの花が咲き終わり、
この花が咲き、この花が咲き終わり、
3月以降、なんと、月日の経つのが早く感じられることか。
5月のはじめのある朝に、息を吸おうと公園を歩きに行った帰り道。
見事なモッコウバラの咲いているお宅の前を通りかかったときに
前夜の風雨で折れた枝を集めていたご夫婦と目が合い、
(つい、人の目を直視してしまうのは、小さいころからの癖)
おくさまから声をかけられた。
「あの、よかったら、これ持っていきませんか?」
いいんですか、では一枝か二枝ほど、と答えた二分後、
私は両腕に抱えきれないほどのモッコウバラに半ばうもれて
自宅へ向かうこととなった。(と言っても、そこからは徒歩3分ほどで家)
しかし、そんなにたくさん持って帰っても、
その花を飾るための花瓶も足りない。
どうしよう、
と考えていたちょうどそのとき、
通りがかった別のお宅の玄関から、ごみを出しにでてきた方があり、
これはちょうどいい、と視線を向けて
「あの、、、このモッコウバラ、
さっき、すぐそこでいただいてきたのですが、
もしよかったら、一枝、二枝、いかがですか?」
「あら、いいんですか、
ちょうど、今日お花を買おうかと思っていたんですよ」
と、幾枝かおすそ分けしたものの、
ほかにはもう軒先で出会う人もおらず、
結局、たくさんのモッコウバラを持って帰った。
写真は、その、ごく一部。
東京でも、何かが変わりつつある、か。
2011年4月19日火曜日
「人の世は」
2011年4月17日日曜日
2011年4月7日木曜日
2011年4月6日水曜日
2011年3月29日火曜日
2011年3月10日木曜日
2011年2月13日日曜日
2011年1月26日水曜日
2011年1月11日火曜日
2010年12月20日月曜日
2010年12月7日火曜日
ヤギはヒツジよりも暖かい
電車のなかでめくった文庫本の一枚のページから
しんと冷える夜、体を縮めて横になり
濃紺の空にちら、きら、と輝く星は相変わらずきれいだが、
しかし寒い、
風がおさまったままでいてほしい、
寒い寒い、と
隣にいる痩せたいきもののぬくもりに寄り添う心持ちを想像した。
「ヒトが間に入って眠るのには、ヒツジの方がヤギより冷たい。
なぜなら、ヤギの方が身動きしないし、ヒトの方へ寄ってくるからである。
ヤギはヒツジより寒さに耐えられないのである。」
アリストテレース『動物誌』 (下) 第三章 「ヒツジやヤギの習性と知能」
島崎三郎訳、岩波文庫、1999年、121頁。
2010年11月28日日曜日
東京の水辺
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