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2012年8月23日木曜日

嗅覚の地図


嗅覚の目印でつくった地図あるいは道案内をたよりに、
人は目指す場所にたどりつくことができるだろうか?

ほとんどの道がアスファルトで舗装されているような都市では無理?
五感入ってくる情報がすべて鮮やかな夏なら、可能?


とっぷり暮れた帰り道、暑さにくたびれて半ば惰性で歩いていたら、
わっとオシロイバナの妖しく甘い赤紫の香りが右のほうから飛び込んできて、
それに続いて畑の匂いがして、
自分が、今まさにその地点を通過しているのだということを
とつぜん鮮烈に意識した。
その場の空間が、記憶に(あるいは認識に)、
<立体的>とでも形容できるような、像を結んだ感じがした。

そういえば、
小学校への通学路には豆腐屋があって、
朝の登校のころにはちょうどおからが白いほかほかした湯気をたてて
店の外に置いてある大きな容器にほろほろほろほろ転がり出ていた。
換気扇が音を立てて盛んに回っていた。
おからの香りはむせるようで、当時は少し苦手でもあった。
今は懐かしい。
豆腐屋さんの湯気を過ぎると、学校はもうすぐだった。
おからの香りを思い出すと、
学校の裏門に続く坂の傾斜まで、体が思い出すようだ。

(下校時刻になると、
 おからの容器はきれいに洗ってふせてあったように思う。
 この記憶はあやふや。)








2012年6月30日土曜日

適応するちから

ひとつきほど前に、(おそらく無駄に重い荷物のせいで)左手の腱をいためてしまった。

左手の親指がまったく使えず、
服のボタンはかけづらいし、皿洗いはしにくいし、ジャムの瓶の蓋は開けられないし、
初めのうちはひどく不便に感じていた。


が、二週間ぐらいしたころだったか、
どうしても朝食のトーストにレモンジャムをつけたくなり、
「親指がだめなら人差し指じゃあるじゃないの」と思いついた。

レモンジャムの瓶を左手の人差し指と中指でフォークボール式に挟み、
瓶がすっとんでいかないよう念のために腿の上に置いて、右手で、ぐい。
蓋は見事に開いた。

ジャムの蓋が開いたあと、
試しに左手でフォークボール式に持ってみたグラスが軽々と持ち上がり、
人差し指が親指の代役を正式に買って出たこの日、
私はメキシコに初めて留学したときのことを思い出した。


暗くなれば恐ろしいから一人歩きはしない方がよいし、
バスの座席や床は傷だらけ穴だらけ、
横断歩道で長い信号を待っても歩行者が渡れる時間は一瞬で終わり、
下宿に戻れば、シャワーは細くお湯の出るのは短く、
停電や断水も日常の出来事、
部屋の壁にはサソリみたいなおそろしげなものが出現するし、
まだ寝ていたいのに早朝から隣家の雄鶏が盛んに鳴き、
日中は、路上で修理している車のステレオから大音量のレゲトンが鳴り響く。
近所の鶏肉屋で買った肉は、用心して時間をかけて煮たのに、あたって寝込んだ。

はじめは途方に暮れたものだった。
しかしそのうち、けろりと適応した。
日本から訪ねてきたともだちには、
「メキシコにいるほうが、なんか生き生きしてるね?」とまで言われた。
複数の人に。というか、ほぼ、毎回。


混沌とした大都会メキシコシティの環境は、
「温室」みたいな東京から出て飛び込んだばかりのときには、たしかに厳しく感じられた。


が、どうにか適応できた段階で気づいたことは、
自分もけっこうタフなのかもしれないということ、そして
厳しい環境では、
より逞しい人がより弱い人を、ごく自然に助ける習慣が、できているのだということ。
(ただし、弱者の弱みにつけこむような類の人たちについては、別の問題。)

便利には一瞬で慣れるが、不便にだって、そのうち慣れる。
そして、眠っていた逞しさが目を覚ます感覚は、痛快でもある。
不便な状況のなかは、人と人とのやりとりが頻繁に起こり、
誰かに気づかってもらったら、自分も人にそうしたくなる。


そろそろ冷房が寒くなってくる「温室」東京は、
居心地をよくしようとする力が働きすぎて結局居心地がよくないような、
矛盾したところがある。

……と言ってみたところで何の得にもならないし、
そもそも「温室」という環境のせいにして、自分まで再びひょろひょろになってたまるか、とも思う。

都会の脇にあるベランダのプランターに植え付けられても
淡々と花を咲かせてはガンガン実をつけているシシトウガラシを見習いたい。





2012年4月1日日曜日

1ero de abil (4月1日)

The next stop is Tokyo. The doors on the left side will open. Please change here for the Shinkansen, the Tokaido Line, the Yokosuka Line, the Sobu Line Rapid Service, the Keiyo Line and the Marunouchi Subway line.

331日の晩、ときおり翌日のことを思い描きながら、山手線は大勢の乗客を乗せていつものルートを巡り続けた。特に乗り降りの多い駅は、東京、上野、池袋、新宿、渋谷、品川、そしてまた東京。毎日何度もぐるぐると終わりのない輪を描いて走るのは、どうも気が滅入る。せめて始発駅と終着駅がはっきりしていればもっと達成感がありそうなのに。ほかの路線がうらやましい。しかし、ほかの路線にいわせれば、それは贅沢な悩みだった。一国の首都の、それも中心部にある重要な駅をつないで大勢の乗客を運び、生活を、経済を、滞りなく循環させていることも、始発駅や終着駅に長く停車して時間を無駄にすることなくいつも働いていることも、誇りに思って然るべきだ。ほかのだれもがそう考えた。

それでも山手線はくたびれていた。朝と晩のラッシュアワーが最も苦手だった。混み具合は年々ひどくなる一方で、ぎゅうぎゅうの車内に乗り込んでくる乗客たちの諦めと覚悟の入り混じったような、表情をころした顔を見るのもいやだったし、少しでも電車が遅れただけで駅員が怒鳴りつけられるのを聞くもいやだった。しかも、気を散らせて事故を起こしてはいけないと思って、駅の案内板に貼られた展覧会のポスターを見るというささやかな楽しみも、車内の吊り広告や、ドアの上に設置された小さな画面で流されるニュースや英会話番組を眺めるという気晴らしも、混んだ時間帯には控えることにしていた。

しかし何より、混んだ車内では会話をする人がほとんどいないのがつまらなかった。山手線にとって、車内で聞こえる会話は、外の世界を知るための貴重な情報源だった。車内に吊り下げられている週刊誌の広告や小さな画面で流されるニュースを見ていれば、世の中でどんなことが起きているのか少しは見当がついたが、取り上げられるのはごく限られた種類の話題だけだったし、どこまで真実が伝えられているのかもわからない。しかも、ひどく揺れたあの日以来、ニュースの画面に映画のような内容がうつることもあった。それで、どうにかして外のことをもっと知りたい、と、話し声の聞こえるときにはできるだけ耳を澄ましていた。けれども、体を動かす隙間もないほど混んだ時間帯に車内で聞こえる音といえば、電車自体のたてる音か、ヘッドホンから漏れて聞こえる音楽か、抑えた咳払いぐらいしかない。だから、よけいに憂鬱だ。

とは言え、今夜は、普段に比べればいくらかマシな気分だった。明日を楽しみにしていたからだ。これまでに聞いた会話の断片をつなぎ合わせると、41日というのは、ちょっとドキっとするような嘘や冗談でも笑って済まされるという特別な日であるらしい。この推測がたしかなものであると確信した去年から、山手線は、自分も何かやってみようと企んでいた。たとえば、車内で流れるアナウンスに手をくわえること。録音されたアナウンスは、毎日同じだから、味気ない。でも混んでいるときはピリピリしている人が多いから、空いているお昼過ぎにしておこう。大ごとにならないように、聴いている人の少ない英語のほうが無難かもしれない。何人か、気づいてくれる人がいればいい。でも一体、どこをどう変えたら、気が利いているだろう。

翌日の昼過ぎになっても、いいアイディアはまだ見つからなかった。いつも詰めが甘いんだ。そもそも、僕は声を出せないじゃないか。再生するアナウンスを途中で止めたりつなぎ合わせたりするぐらいならできそうだけど、それで何か面白いことができるだろうか。

The next stop is Tokyo. あああ、また東京駅か。ここで降りる人たちはあちこちへ移動していくのに、僕はまたぐるっと次の一巡に入るってわけだ。そう思った次の瞬間、聞こえたのは、Please change…  今だ!山手線は、アナウンスを急いで止めた。変えてください。でも、その先に何をつなげればいいかわからない。どうしよう、ふつうに続けるしかないか、ちっとも面白くないけれど、しょうがない。そのとき、ある乗客の膝の上で荷物がかすかに揺れ、か細い子猫の声が車内に響いた。ミー。Please change me. ことばがつながった。変えてください、僕を。そこで山手線は咄嗟に続けた。to prevent an accident. 事故を防ぐために。Please change me to prevent an accident.  僕を変えてください、事故を防ぐために。それはもはやジョークではなく、ぎりぎりの状態にあった山手線の、必死の訴えだった。

それでも、山手線は、東京駅を出るといつものように神田駅に到着し、神田の次は秋葉原に、その次は御徒町に止まった。次は上野。ぼくは所詮東京の中でぐるぐる回っているしかないんだ。山手線は、少しずつ気持ちの整理をつけようとしていた。

ところが、彼の気づかないところであの叫びを聞き取った乗客たちがいた。それを、また別の人に伝えた人がいた。駅員に伝えた人もいた。少しは東京の外に出るのもいいだろう、と、たくさんの人たちが共感した。彼らは動いた。

上野駅の宇都宮線のホームで電車を待っていた人たちは、そこに山手線が入ってきたのを見て少し驚いたが、東京にしては珍しく思いきった41日の冗談だろうと見当をつけ、面白がって乗る人は乗りこみ、いつもの車両でないと安心できない人は次の電車をおとなしく待った。

上野駅を出たところで、山手線は、自分がいつもと違う線路の上を走っていることにようやく気づいた。延々と循環する、いびつな輪から、ついに解き放たれたのだ。線路は、北の方角に向かって伸びていた。車内で交わされる会話の響きが少しずつ変化していくのに耳を澄まし、初めて見る外の景色に目を凝らしながら、山手線は一駅、また一駅と、北上していく。

(2011年8月)

2011年9月15日木曜日

夜道の黒犬

最近、早く日が暮れるようになった。
メキシコシティでのある出来事を思い出した。

2005年の夏から半年ほど暮らしていたメトロCopilco駅近くの家の近くは
車道も歩道も、あちこちガタガタ舗装がいたんでいて、
そこを、やせ犬が何匹もうろうろしたり寝そべったりしていたものだった。

はじめのうちは、なんだか恐ろしい気がして
犬の姿が見えたら、そっと距離をとったりしていたものの
実は彼らはまったくおとなしくて、そのうち、警戒心はすっかりとけた。

ところが油断しすぎたのか、
ある日の夕暮どき、だいぶ暗くなってきたころに、
いつも犬が寝そべっているあたりの歩道をずんずんまっすぐに歩いていったら
(たぶん、私の気に入っていた近所のカフェに行くところだった)

ふわ、というか、ぶわ、というか、
ごり、ではなかったと思うけれど
地面におろした右足が何かを踏んだ、

その何かとは、黒い犬の尻尾であって
暗がりにいた黒い犬のことが、私には見えていなかったのだった。

ぎゃ、噛まれる!
と、さっと血の気が引くのがわかったけれど、

その黒犬は、クゥといったか、グゥといったか、ギャンといったか、とにかく
痛いよという悲鳴をあげただけで、
それ以上何のアクションも起こさなかった。

そこで、私は咄嗟に日本語で、
あああごめんね、ごめんね、
暗くて黒くて見えなかったの、ごめんなさい、と謝って
(いま思ってみれば、これは謝罪ではなく、言い訳だ)
その場を去った。

次の日、明るい光のもとでその黒い犬を見かけたとき
もう一度謝ってはみたけれど、あのとき以来、すっかり警戒されるようになってしまった。

夜道は、黒い犬に気をつけて歩こう。
尻尾を踏んでしまわないように。



2011年9月8日木曜日

2008年11月12日

本棚の整理をしていたとき
Elena Poniatowskaの短編集、De Noche vienes(1979)を開いてみた。

2008年の秋、
メキシコシティのコンデサ地区にある、こぎれいで洒落たつくりの大書店
Fondo de Cultura Económicaの「Roario Catellanos」店で
別の本(なんだったか…)を買ったときに、レジで、もらったもの。
背表紙には、「販売禁止」の文字。

どういう経緯で無料配布していたのか
情けないことに、当時はちゃんと確認してみなかった。

三年越しに本のただし書きを読んでみたところ
これは1980年から続いている試みで、
毎年11月12日(メヒコの誇る才媛/詩人であるソル・フアナの誕生日)を
「本の日」と定め、良書(…と言っても定義は難しいが)を読む習慣を広めるべく、
著者や出版社の協力を得て、毎年、一冊の本を特別に印刷して
書店員や編集者が配布している。
(未来の読者に手渡す、という感じだろう)

奥付の発行部数を見たら、35,000部という大きな数だった。

こうした試みの裏にだって、いろいろな駆け引きがあるのかもしれないけれど、
自分が身を置いている、このくにの暦のなかで、
「~の日」と名づけられた、休日になったりならなかったりする
(そして、日付けが決まっていたり、可動式にされていたりする)
数多くの記念日のあり方について、考えさせられる。


2011年9月2日金曜日

扉はひらくものではなく、あけるものじゃなかったか?

初めて飛行機に乗って、初めて日本を出たのは、19歳の秋だった。
まだユーロが導入される前で、
星の王子さま(ちび王子)のお札が素敵だった。

きれいで、重々しくて、しゃれていて、緊張する
異国の都パリの灯りは赤みを帯びていて、
パトカーのサイレンは聞きなれない音がした。

そのパリ旅で経験した小さな、でも、頭を離れないことがある。
それは、建物の入り口の扉にまつわる経験。

どこかの建物に入るとき(あるいはそこから出るとき)、
先をゆく誰かがいれば、
その誰かは、必ず、例外なく、後ろを振り返り、
次にその扉を通るわたしのために、扉をおさえていてくれた。
当たり前のように、こちらに視線を送っていた。

“merci”もどきの 、ぎこちないお礼をいって、扉の重さを受け取り、
建物に足をふみいれたら、今度は自分が後ろをふりかえるようになった。
じっくり。

こんな些細なことが記憶に残っているのは、少し複雑な気分もする。
情けない、というか。
これだからトーキョーの人は、と呆れられてもしょうがない。

しかし考えてみれば、この人口過密な都市圏では現在、
次にその扉を通る誰かを気づかう必要が、そもそも、ないことが多い。
90年代、00年代と、ますます、少なくなった。

なぜか。
自動ドアが多いから。増えたから。

扉の前にたてば、それは自然にスライドしてひらき、
自分がそこを通りすぎれば、自然にスライドしてしまる。

後ろに誰かがいる場合、立ち止まるのは却って迷惑になる。

ただ自分の行きたい方向へ進んでいって
扉の前から立ち去るのが一番で、
そうすれば、
次に通るその誰かも、自分がそこを通ったときと同じようにして、
扉の前に立てば、それは自然にスライドしてひらき、
そこを通りすぎれば、自然にスライドしてしまる。

扉は横滑りして動くから、
自分が閉めた扉がほかの誰かの鼻先めがけてはねかえり、
危害を加えることを心配する必要もない。

自分と扉の関係についても、
自分と、その次に同じ扉を通る人との関係についても、
気味がわるいまでに、無自覚的になればなるほど、
無感覚になればなるほど、ことがスムーズに進む。

自動ドアは確かに便利ではあるが
でも自分は何か根本的な感覚をだめにしてしまっていたような気がする。

自分が通りたいと思って立てば、扉はひらくと思い込み、
通りすぎれば勝手に閉まると思い込み、
自分が通れた扉は、ほかの誰もが問題なく通れると思い込む。

大げさかもしれないけれど、
好むと好まざるとにかかわらず日々、繰り返している行動・所作は、
思わぬところにまで影響をおよぼすかもしれない。

生活のさまざまな場面に自動ドア感覚が浸透していることが
よその国に出たのちに、この都市圏に戻ってきて感じる
居心地のわるさというか気味悪さの
一つの原因なんじゃないだろうか、とさえ、思える。

第一次カルチャーショック以前の自分と、現在・未来の自分に対する戒めもこめて。


2011年8月30日火曜日

「人間になりてえ」

片づけをしていて、深いところまで手をのばしたら、
カセットテープをしまいこんだケースが出てきました。
中学、高校時代に聞いた懐かしい曲名がたくさん。


ラジオ+CD(故障)+カセットテープが再生できるミニコンポにかけてみたら、
初めのカセットと次のカセット(ラテン音楽)は、
かたん、と止まって、とり出してみたら
テープがびろー、とだらしなく出ていて
音楽を聴くどころではありません。
なんと無残な。

しかし三本目は、なぜだかちゃんと再生できました。
久しぶりに聞く長渕剛は、歌詞がいちいちガツンと聞こえてきます。

アルバムの表題作は、Captain of the Shipという曲ですが
一曲目の「人間になりてえ」と、
三曲目の「ガンジス」と
 (歌のなかの「東京へ帰る」という一節が、今聞くと、なんとも複雑に聞こえます。
 「とんぼ」の歌詞を思い出してみると、さらに。)、
それからこのアルバムを貸してくれたともだちが感じ入っていた「12色のクレパス」
が、とくに強烈に耳について、
90年代前半のいろんなことを思い出し、現在のいろんなことに考えがめぐっていきます。

途中で裏返さなきゃいけないのも、なんだか懐かしい動作でした。

このテープは、のびないでほしい…


(追記:よく考えれば、テープがのびるというのは、
 複製したものの、自然なありかたなのかもしれません。

 当時の私(中学生)にとってCDは高価なもので、
 おいそれと買うことはできなかったけれど
 今なら、ちゃんとした形で購入することができる。
 つまり、古いテープは、そっと、とっておけばいいのですね…)


2011年8月25日木曜日

嗅覚の旅

札幌のモエレ沼公園の、ガラスのピラミッドで
管啓次郎さんの詩と佐々木愛さんの絵の展示「Walking 歩行という経験」
が、9月4日まで行われています。

(詩と絵の関係は、
 二羽からなる、小さな渡り鳥の隊列のようで
 互いに同じ方位をめざし、同じ風にのり、
 しかし自らの羽ばたきによってそれぞれが飛んでいる、という感じを受けます)


8月6日、札幌でもひどく暑い土曜日の朝、
モエレ沼の水源をめざして、てくてくと歩くウォーキングイベントがあり、
帽子をかぶって、飲み水を携えて、歩く列に加わって来ました。



途中、上空からぴーひょろろと聞こえてきたので
「あっ、とんび」と、つい誰かに言いたくなって、後ろを振り返ると、

絵美さんという元気な女性が
「とんび、よくいますよ。わたし、北海道出身なんです」
(カラスがとんびの声を真似ることもあるらしい)

大学院で学ぶために4月から東京に暮らしていて、今回は初めての帰郷だ
と話してくれたので、
北海道を離れて東京に住んで、戻ってみて、いま何か思うことはありますか、
とたずねると即座に

「におい、ですね。
札幌はこんなにおいがしていたのか、と、初めて意識しました」

たしかに、前日に行った東川町でも、モエレ沼付近でも、
風に複雑で豊かないいにおいが満ちていることに、うすうす気づいていた。

そこで、「草の、いいにおいがしますよね。」
と言ってみたところ、
「これは、川のにおいですよ。」

たしかに、わたしたちは、小川の脇を歩いていた。
目を丸くして、絵美さんのほうを見ると、

視線を受けて、あらためて風を吸い込んだ彼女が、こんどは
「上のほうは川のにおいがして、
 下のほうは、草のにおいがします。」

風のにおいに層があるなんて、
思ったこともなかった。

知れば、意識すれば、
うまくすれば、いつかそれをかぎわけられるかもしれない。

そういえば、テオティワカンの月のピラミッドのてっぺんで
門内幸恵さんは、いいにおい、と
何度も、嬉しそうに、深く、深く、息を吸い込んでいた。
幸恵さんの感じている世界も、きっと私などよりずっと複雑で豊かなのだろう。



2010年11月30日火曜日

走りながら教えてもらったこと

ある人から、一緒に走りながら、教えてもらったこと。

息があがったら深く呼吸をして整えるんだ 自分でコントロールするんだよ
かるく歌いながら走るのもいいし
音楽を聴いて走るのもいい、
気分がのるだけじゃなくて、自分の息があがっていることを意識しないしね

腕はそんなに振らなくてもいい、
今はゆっくり走っているんだから

足はそんなにあげなくても、
出した足を、ただ遠くに運べばいい


最後は必ず、スピードをあげて終える(cerrar)んだ
どんなに疲れていても
あの目印まで全力疾走と決めて、いくんだよ




目印はもう少し遠くにのばしてしまいましたが
走るときも、そうでないときも、教えてくれたことをくり返し、思い出しています。



2010年11月27日土曜日

ブーゲンビリア?




黄色、茶色、赤の秋色落ち葉に気をとられて
視線が下に向きがちだったところに、突然、別の色調が飛び込んできて

「えっ ブーゲンビリア?」

でも、秋の多摩にブーゲンビリアがあるはずがありません。

顔を上げたら、サザンカでした。





次の写真が、メキシコで撮ったブーゲンビリア(奥の木はハカランダ)。
花のつくり云々はさておいて、
見た目に受ける印象では、青みのあるなしが、一番の違いでしょうか。




2010年10月24日日曜日

cempasúchil の季節

この時季になると、鮮やかなオレンジ色の花を思い出す。

マリーゴールド、
原産地メキシコでは、センパスチル(アクセントは「ス」の部分)。



11月2日の、「死者の日」に、お墓を彩る。
茎についたまま活けるだけでなく、
花の部分だけ切り離したり、花びらにばらして飾ることもある。
記憶が確かならば、
死者が戻ってくる頼りとする灯りをあらわしているのだ、と聞いた。
(写真は2008年。メキシコ市近郊にて。)



10月31日のメルカード。
少しツンとしたお香があたりに充満していた。
(写真は2005年。チョルーラにて。)



10月31日のセンパスチル畑。
手前のオレンジ色の減っていく端に、
刈り取りをしている人物が写っている。
これより10日ほど前には、オレンジの正方形が市松模様を成していたのだろう。
写真は、2005年。チョルーラにて。)

2010年6月18日金曜日

焼きたてパン

先月、友人がブログにホームベーカリーのことを書いていた。

ふと思い出した記憶が別の記憶をひっぱってきて、
思い出したのがランサローテ島にあった、小さな商店のこと。

質素なコンビニのような、簡単な食材(ハムやチーズやら)も置いてある普通のお店。

「記憶すべきこと」は、
棚に陳列してあった袋詰めの大手メーカー印のパンのほかに、
レジカウンターの近くに、細々とではあるけれど、
おいしいパン(かなり細身のバゲット風)を置いていたこと。

ある朝(と言ってもそう長く滞在したわけではない)、
あのパンを買おう!と思って行ったら見当たらず、たずねてみると
「まだ焼けてないのよ。」

まだ届いてないということか、と一瞬思ったけれど、
指さす方を見てみたら 家庭サイズの小さなオーブンがあって、
中には、赤々と電熱に照らされ熱せられる途上のパン生地があった。
道理でおいしいわけだ。

日本のコンビニチェーンなんかでも、
パン生地の状態で各店舗に配って、
それぞれに備え付けた小さなオーブンでじりじり焼いて売ったらどうだろう。
超限定商品になってしまうけれど。