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2012年4月14日土曜日

門内幸恵さんの絵画展2

現在、明治大学生田キャンパス図書館1階
Gallery Zeroで、画家・門内幸恵さんの絵画展が開かれています。

昨日、門内幸恵さんと、編集者の沼尻賢治さん(+司会・旦敬介さん)
によるトークイベントにあわせて、会場に行ってきました。
いろいろ面白い話が聞けたのですが、
そのうち、まずひとつの話題を、記憶に基づいて再構成してみます。

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「挿絵を描くとき、
 水彩、クレヨン、油絵など、さまざまなメディアがあるが
 どうやって選ぶのか?」という質問に対して。

普段、画家として自分で絵を描くときには、油絵がメイン。

挿絵の仕事で、締切がある場合には、
「絵を乾かす時間」をどれほど取れるかという問題に
どんな画材を使うか、その選択は大いに左右される。

また、挿絵の場合、
文章を読んで、読んで、読んで、イメージを定めてから
(このプロセスに、挿絵を描く作業全体の80%の時間をつぎこむという)
絵に「おこして」いくのだけれど、
文章の特徴、たとえば力づよさ、あるいはみずみずしさに応じて
「クレヨンが合うだろう」とか「水彩が合うだろう」と、選ぶ。

そして。

ANA機内誌「翼の王国」での以前の連載小説、
旦敬介さんの「旅する理由」のときには
クレヨンを使って挿絵を描いていたのだけれど、

色を混ぜると、どうしても濁る。
混ぜられないということは、使える色は、限られる。
すると、描きながら、
ああ、前もこの色の組み合せをつかった、ということが起きてくる。

こうした色の制限に、不自由さを感じるようになった。

同じく「翼の王国」で現在連載中の
六月まどかさん「あるこほーるの夢」では、
それまであまり使ってこなかった水彩を試してみた。
すると、思いのほか、自由に描ける。
クレヨンと違って、イメージする色がつくれるし、
油絵で慣れている筆使い、クレヨンで身につけた色使いを活かしつつ
ぼかし、にじみなど、水彩独特の効果も出せる。

さらに、この連載挿絵の仕事が、
画家としての表現活動にも変化をもたらした。

これまでの油絵作品では、画面全体をマットに仕上げることがほとんどで
筆の痕跡が見えるようでは、許せない、
筆の跡が見えなくなるまで、塗りこみ、塗り上げる。そんなやり方だった。
が、この油絵表現で、行きづまりを感じるようにもなっていた。
やりたいことと、やっていることが、矛盾しているように感じていた。

そんなとき、連載の挿絵を水彩で描くようになり
挿絵のほかにも、
何枚も何枚も、水彩画を描いた。

水彩の場合、
油絵と違って、塗り直しが効かない。
それは難しさでもあるが醍醐味でもある。

その「塗り直しが効かない」という感覚(あるいは、「姿勢」?)を
そのまま、油彩に応用して、描いてみた。

そうして描いたのが、今回展示してある油絵の作品群。

- - -

確かに、今回の展示作品は、
これまでの作品 (以下リンクから画像が見られます)
と、かなり違う。
以前の作品も好きだけど、
新しいものには、
門内さんの持っているespontáneaな部分が、よりうまく出ているように思える。


今までどこかで彼女の作品を目にしたことがあるかたも、
見たことがないかたも、
生田の坂道をのぼって
(あるいは、向ヶ丘遊園駅からバスに乗って)
(あるいは、生田キャンパスに通っているかたは、図書館の入口から左へ寄り道して)
会場に足を運んでみてください。

詳細は以下に。

2012年3月31日土曜日

門内幸恵さんの絵画展

2005年メキシコ留学以来の大切な友人である
画家・門内幸恵さんの絵画展が、
明治大学のGallery Zeroで、始まりました。

「エッセンスに向かって ―絵から文へ、文から絵へ―」と題して、
<文章のために彼女が描いた「挿画」と
 彼女の絵に触発されて書かれた「挿文」を並べて展示する>という企画です。

主催は、2008年から2010年にかけて
ANA機内紙「翼の王国」の連載小説『旅する理由』で
幸恵さんとコラボレートしていた、作家・翻訳家の旦敬介さんの研究室。

2011年同誌の連載小説、
六月まどかさんの『あるこほーるの夢』の挿画も、
幸恵さんが手がけていたとのこと。

展覧会の協力は、「翼の王国」、そして
くぼたのぞみさん、六月まどかさん、温又柔さん、旦敬介さんと、私。

昨年、私が二度にわたって参加した詩の朗読イベント「ことばのポトラック 」
(第1回:3月に開催/第3回「ことばの橋を渡って」:7月に開催、
 いずれもサラヴァ東京)で詩を読んだ際には、
読み上げるテキストの「表紙」として掲げるべく、
幸恵さんに依頼して、素敵な絵をおくってもらいました。

(ちなみに、「ことばの橋を渡って」に参加し温又柔さんと
そして「ことばのポトラック」すべての撮影を手掛けている大川景子さんが
この「表紙」の絵に気づいて、ことばをかけてくれたことを思い出します)


絵画展の会期は3月31日から4月26日。
公式のお知らせや会場へのアクセスは、以下のページで見られます。

4月13日(金)の17時半~18時半には、ギャラリートークもあるそうです。


2011年4月20日水曜日

Dos Gardenias を聴き

昨日、4月19日の午後1時から4時10分の間に
一緒に Ibrahim Ferrer 歌う "Dos Gardenias"
を聴いたひとたちが、もし縁あって、このページにたどりついたら。

キューバを撮った映画で、
私がほかに好きなのは
・『キューバ・フェリス』 "Cuba Feliz" (2000年)
・『永遠のハバナ』 "Suite Habana" (2003年)
です。

ストーリー性がある作品が好きならば、
・『バスを待ちながら』 "Lista de espera" (2000年)も、
いいかもしれない。
・『ビバ!ビバ!キューバ!』 "Un paraíso bajo estrellas" (1999年)
 は、ドタバタのラブコメディーだけれど、
 映画から脱線して、
 こんな人種構成の複雑さを生んだものは、何?
 どんな歴史があった?
 と、あれこれ疑問を広げていく取っ掛かりにも、なるかも?
 
どれも、日本語字幕つきで見ることができます。

それにしても90分×15回、なんと、短いことか。
でも、その短いなかで
あちこちの世界へ続く「扉」みたいなものを開くお手伝いができれば
それほど嬉しいことはありません。

一人ひとり、世界・社会を見る目を持ち、考えを持って生きていますが
教育を受け、人生経験を積んでいく途中のある段階で
「~~で当たり前」「~~であるべき」
と、考えを限定・固定化してしまったら勿体ない。
価値観も世界観も社会観(なんて言葉があるかわかりませんが)も人生観も
常に問い直される、書き直される、
豊かに・複雑にされる、
開かれた可能性を秘めたものだ、
と、こっそり(公に、長々と)囁いておきます。



2011年2月3日木曜日

二人展「夢みるいのち」(2/26~3/6)




友人の長野はなさんから、
陶芸家・ぺくにょんすさんとの二人展「夢みるいのち」のお知らせが届きました。
大森にあるギャラリーFirst Light で2/26~ 3/6 にて。

お二人の作品が響きあっていて、わー、と思いました。
出会いは「常滑アートサファリ」でしょうか?(推理)


はなちゃんのカラフルな作品は
でも見ることができます。


ギャラリーへのアクセスはこちらから。




2010年6月23日水曜日

門内幸恵さんの展覧会


Yukie Monnai


2005年メキシコ以来の大切な友人、
門内幸恵さんから、ふたつの展覧会のお知らせが届きました。

「常滑Art Safari」のチラシ(イベントのHPでも見られます)の表も、
彼女の作品です。

http://yukie-monnai.blogspot.com/
幸恵さんの絵には、どきりとさせられたり、
見とれる自分の瞳孔が開いていそうだったり、
絵の空間がこちらに滲出してきそうだったりします。

愛知県、岐阜県のかた、お近くにいらっしゃる機会のある方は
ぜひお立ち寄りください。


以下、幸恵さんからの案内です。
------
■■■GALLERY CAPTION http://homepage1.nifty.com/caption/ ■■■
■‘Paintings’ 門内幸恵×源馬菜穂
■日時:2010/6/26-7/17
■Opening Party:6/26 18:00-19:30
■住所:岐阜市玉姓町3-12 伊藤倉庫
■電話:058-265-2336
■アクセス:JR岐阜駅から徒歩5分くらいです
(JR名古屋駅⇔JR岐阜駅は快速で15分程度です)




                                                         
■■■gallery rin' http://www.rin2005.com/ ■■■
■‘好きすぎておばけ’(個展) 門内幸恵
■日時:2010/7/10-7/19
■住所:〒479-0836 愛知県常滑市栄町2-65
■電話:0569-34-4158
■アクセス:名鉄常滑線「常滑駅」より徒歩5分くらいです
■TOKONAME ART SAFARI というアートイベントの中での展示です。
焼き物の街、常滑にて9人の作家が様々な場所で作品展示(個展)をします。
他にも音楽やパフォーマンスのイベントなどもあります。

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http://t-artsafari.jugem.jp/

2010年2月10日水曜日

夕焼け/青空

昨日、青山ブックセンターで
越川芳明さんと管啓次郎さんの
トークショーを聞いてきた。

タイトルは「旅と翻訳」。

管啓次郎さんが
ニューメキシコで撮った写真のスライドショーに
夕焼け空が、斜めに切れて、青空と分かれているのがあって


あっ
去年の夏、Edu と見た、斜めの夕焼け空と同じだ。

2009年12月1日火曜日

戦場のジャズトランペット

先日、ロマン・ポランスキー監督の作品を見た。

1959年の短編作品のなかに戦場の場面があり、
(このほかには、『戦場のピアニスト』まで、戦争を作品に取り上げることはなかったそうだ)
そこで、トランペットの音が聞こえてきた。

勇ましい軍隊ラッパかと思ったら、それは次第に柔らかな音色と旋律に変わった。
戦場に響き渡るジャズトランペット。

はっとする一場面だった。

2009年10月14日水曜日

幸恵さんの新作

画家・門内幸恵さんの作品紹介のページに大幅な更新を発見。

http://yukie-monnai.blogspot.com/

2009年9月14日月曜日

『意志の勝利』 (1934年、ドイツ映画)

写真家の藤部明子さんに薦めていただいた『意志の勝利』を見た。
1934年、ナチスが製作したプロパガンダ映画だ。

先の世界大戦から20年、復興から19ヶ月、
というメッセージから始まり、
 (第一次大戦での敗北が
 ドイツファシズムが成立した大きな要因だったのだろう、と改めて思う)

党大会のために古都ニュルンベルクに赴くヒトラーと
軍の行進に対する大歓迎の様子が長々と映し出される。
 (美しい町にはためく鉤十字が空恐ろしい。
  特に、清清しい朝の景色。)


集まった人々の中でも、こどもたちの笑顔の映像がしばしば挟まれ、
豊作を祝う民族衣装の「農民」たちの行進もあり、
警護を越えて行進に近づいてしまった親子に、笑顔で握手をする「総統」の姿が映され、
あの手この手のイメージ戦略が盛り込まれている。

野営地の男性たち、若者たち、少年たちは
たくましく、そして和気あいあいとしていて、水にも食事にも困らない
という様子が描かれる。

勇ましい音楽の伴奏と行進が続き、食傷気味になってくるが
構図や光と影をうまく使って映し出された一糸乱れぬ足並みを
一瞬「きれい」と感じてしまった。

2時間近い映画は、党大会の閉会演説で締めくくられるが、
ヒトラーは意外なことに原稿を見ながらしゃべっている。
人の心理を操るのは、むしろ、内容なのだろう。

年配の人たちの中には党に懐疑的な人もいるかもしれないが、
若者はみな、完全に党に身も心も捧げているのだ、と言って
未来に向かう者は支持すべきなのだ、という気にさせる。

駆け出しのころは批判され弾圧されてきたという党の歴史に敢えて触れ、
ようやく皆に認められ、期待されるようになったのだと言って
「意志の勝利」をアピールする。

さらに恐ろしかったのは、
弾圧されたからこそ、その過程で、党に不要な人物は振り落とされていった、
これからも、不要な者は排除していくべきだ、と叫び
そこで会場が大きく沸いたこと。

異質な存在を見つけ、あるいはそれを作り出し、
そのことによって結束を強めるというやり方は、
悲しいことに、いつの世のどこの世界でも、多かれ少なかれ起きていることだと思う。
ヒトラーは、まずそれを「党」の中でも行っていたのだ。


それにしても、
一人の人間があれほど多くの人を熱狂させ、動かすことができるとは…
(もちろん、彼一人の行ったことではなく、多くの頭脳が関わっているのだが
 「中心」は、一人だ)

この映画が、全体主義の恐ろしさを描こうとしたフィクションではなく、
人を熱狂に巻き込もうという目的で作られた「ほんもの」であることが
どうも信じられないような気がした。

そこに映っている人たちは、本当に存在した人たちなのだ。

新たな指導者に期待をかけ、大勢の人たちと一緒に片腕をぴんと上げながらも、
それでも、一人ひとりが、それぞれ何かを感じ、何かを考えていたはず。
それは、何にかき消されてしまったのか。

ひとを呑み込んで、「渦」のようなものの一部にしてしまう、得体の知れない力。
巻き込まれてしまえば、自ら、渦を動かす力に加わることになる。

1934年。
はるか以前のことのように考えていたが、実はそう昔のことではない。

映画は、渋谷のNシアター(旧ユーロスペース)で上映されている。
劇場のページで確認できる限りでは、10月2日までやっているもよう。

2009年7月17日金曜日

メキシコ20世紀絵画展(世田谷美術館、8月30日まで)

先週末、世田谷美術館で開催されているメキシコ20世紀絵画展を見に行った。

メキシコの国立美術館で見たことのある絵もあったけれど、
なかなか普通では見られない作品も来ている。

展示は、

第一章:文明の受容 (歴史的事件、当事者; 愛国心の寓意)
第二章:文化の発信 (国内向け;国外向け)
第三章:進歩 (社会的側面;美的・様式的側面)

と三つのセクションに分かれている。

同じ作者の作品が複数のセクションに分かれていることもある。
気になった作者や作品があれば、
全部見終わってから、部屋を出る前にちょっとさかのぼって
入り口でもらうリストを頼りにしながら、その人の作風の変遷を見てみるのも面白い。

それから、ちょうどこの時代のことを調べていることもあって、
もっと説明があったら面白いだろうと思う事柄もある。

1910年、メキシコ革命が始まる。

1911年、美術学校で、古びたカリキュラムに反対してストが起こり、
 そこから、「野外美術学校」の試みが始まった。
 革新の意志と、外に飛び出したことから、印象派のようなスタイルで描くように。

1920年代は、さらに「印象派」からの脱却が模索される。(「印象派」的なものも、まだある。)
 
 革命後の制度化を進める政府に後押しされたのが、リベラ、シケイロス、オロスコらの壁画運動。
 政治性を帯びることを拒んだのが、ロサーノやタマヨ、アンヘルらのグループ。

 リベラらは国外でも有名になり、アメリカ合衆国でも壁画の制作や展覧会を重ねる。
 タマヨは、リベラらとは別の路線で制作を続けたが、ニューヨークで大活躍。
 

1940年、メキシコ市で「シュルレアリスム国際展」が開かれる。
メキシコの画家たちの中には、
その展覧会のためにシュルレアリスム風の絵をわざわざ描いた人もあったらしい。
 (オロスコ・ロメロの「夢」(1940)は、この口か?)

ほかに感じたこと。

アグスティン・ラソの絵が来ていない!

サトゥルニノ・エランの絵。
デッサンがしっかりして、筆致は「ヨーロッパ風」にも見える。
題材は、メキシコの「現実」を扱っている。
1920年以前に描かれた彼の作品と、
1920年代の二つのグループを比べると面白い。


北川民次の「花」がとてもいい。
メキシコと日本に共通する、どこかしみじみした感じが
滲み出ているように思った。

2009年6月29日月曜日

「いのちの食べ方」

さらに遡って夏至の日、

ニコラウス・ゲイハルター監督のドキュメンタリー映画
『いのちの食べ方』(2008年)を見た。

肉や野菜が工業製品のように生産される。
効率を第一に設計された機械やシステムは、
幾何学模様のように美しい。

そこでは、人間が食べるという目的のためだけに
動物や植物の命が生み出され、
切り落とされる。

映像の美しさと、
そこで繰り広げられている出来事のおぞましさのコントラストが
(そして、その出来事が、
 毎日何かを食べて生きている自分にも無縁ではないということが)
不気味でしかたない。

この不気味なシステムが動きつづけるのを可能にしているのは、おそらく
1、効率・利益重視の経済 (経営者のレベル)
2、大抵のことならば、慣れて無感覚になれるという人間の特性 (生産現場で働くひとたちのレベル)
3、知らなければ、気にならないということ (消費者のレベル)

映画はまず、3に揺さぶりをかける。
あなたの食べているものは、こんな風につくられている(かもしれない)んですよ。

そして、観客が映像に見慣れて2の無感覚に向かってしまうかもしれないところを
うまく切り抜けている。そこがこの映画の不思議で巧みなところだと思う。
驚きに慣れさせてしまわないこと。


と、映画の感想のレベルでは言えても、
実際は食べなければ生きられない。
……。

2009年4月19日日曜日

三鷹でデュフィ……のよろこび

グルノーブルに留学したときに知った画家、
ラウル・デュフィ。 (Raoul Duffy, 1877-1953)

小さな店で、不思議に心ひかれてポストカードを買ったのがはじまりだった。
線はどこか不器用にも見えることもあるのに、なんだかいい。
そして何より、色あいがとにかく美しい。

それ以来、カードを見つければ買い求めてきた。

2006年に東京駅大丸ミュージアムで展覧会「美、生きる喜び」が開かれたときには
布の織り模様・プリントのデザインの特集を見られて大満足だった。

そして今度は三鷹市ギャラリーでの展覧会!
題して「くり返す日々の悦び」。 
http://mitaka.jpn.org/ticket/090418g/

今回の新しい発見は
ひとの背中を描くのがうまいということ、
独特な色の切りかえ方の出所が、
舞台美術の書割を手がけたところにあるものかもしれないということ(これは勝手な想像)、
そしてパブロ・カザルスとの親交があったこと。

展示が見られるのは、6月28日(日)まで。
JR三鷹駅南口を出てすぐのビルの5階、「三鷹市ギャラリー」にて。

2009年3月23日月曜日

チェロの声 -Herzogドキュメンタリー②-

昨日に引き続き、二本目の White Diamond (2004)
" 南米ギアナの滝を飛ぶ グレアム・ドリントン博士の奇妙な情熱"
              

私は、熊の映画よりもこちらの方がずっと好きだった。

         (*これも、以下、具体的な内容にも触れます)

「空を飛ぶこと」に憧れ少年のような瞳を持ち続ける
(ただし頭脳と技術は日々成長を続けている)博士に同行して
ヘルツォークも南米ギアナへ……

一本目で「つくり手」の存在が気になってしまったためもあってか、
二本目で、監督の思惑の支配が及ばない(と思われる)ところで物事が進むのが小気味よかった。

飛行計画は機体の不備や天候悪化によって左右されるし、

(旦先生が、見終わったときにぽそりとつぶやいたように)
博士が映画の中心のはずだったろうに、ただごとでない迫力の自然「のみ」を映すシーンが長くなっていくし、
現地スタッフの中のとても味のある男性が存在感をぐんぐん増していくし、

撮影を開始したときに抱いていたであろう構想が
つぎつぎと裏切られていく感じが(それも実はまやかしかもしれないが)、
本当に何かが生まれるときとか、実際に旅をしているときの感じに近いと感じた。

チェロの声、
これは、音楽について。

チェロは人間の声に一番近い音を出す楽器と聞いたことがあるが、
映画の中で多用されていたチェロの即興演奏は、とても心地よかった。
(「音楽が気持ちよくて、つい眠くなった」という感想もあった)

「鳥のように飛びたい」という古来からの人間の夢、というのが出発点だからか
南米ギアナの大自然が舞台だからなのか、

たとえばピアノの音は人工的に聞こえ過ぎて似合わなかっただろうし、
バイオリンでは線が細すぎただろうし、
人の声のようで、人の声ほど「意味」がついてこないチェロが、きっとぴったりだったのだろう。

一部分、チェロと人の歌声が同時に使われていたところがあったが、
自然の中に溶け込むように聞こえるチェロの音色と(そういえば楽器の体は木でできている)
人間のエネルギー、強さのようなものを感じさせる人の歌声の共演は
両方の特徴を際立たせているようだった。

ほかにも、ゆるやかな映画全体の中の、
それぞれに独立した(それがなくても映画は成り立つような)細部で、
とても心惹かれるところがたくさんあった。

これは、また改めて見てみたい。

2008年12月15日月曜日

corazón

おかあさん、

なあに?

ぼくこわーいびょうきかもしれない

どうして?

ここがいたいの

いつからいたいの?

きのうから

どんなときに、いたくなったの?



illustration by Eduardo Altamirano Segovia

ともだちと、けんかしてから…

いまも、いたいの?

おもいだしたら、いたいの

そこには、こころがあるのよ。

こころ?

こわーいびょうきじゃなくって
こころが、こまったなっていっているんじゃない?

でも、からだも、あつくなったり、つめたくなったり、するの
やっぱりぼく、こわーいびょうきかもしれない

それはね、わたしたちのからだぜんぶが
こころだからじゃないかしら?


2008年10月19日日曜日

"Golconde" de René Magritte

Llover. Caer agua de las nubes. Llueve. Pero no es agua lo que cae. Son hombres. Todas las gotas que caen del cielo nublado son hombres. Hombres vestidos en traje negro, abrigo largo y negro, un sombrero negro, caen del cielo azul-gris. Lucen las camisas blancas y los rostros pálidos de los hombres en el cielo sombrío de Bélgica.


Caen silenciosamente sin fin de gotas del hombre vestido en negro. Algunos dan sombras en los techos, los techos de color guinda empinados para que caigan la nieve en el invierno. Los hombres llueven silenciosamente. Algunos dan sombras en las paredes y ventanas de los departamentos. Las paredes de color marfil, las ventanas con cortina cerrada, no tienen nada destacable, todo es repetición monótona, silenciosa e infinita, como las gotas del hombre.


Este hombre está de frente, ese otro se deja ver su perfil derecho, aquel mira hacia atrás, pero ninguno tiene expresión, ni triste ni melancólico, solamente son inexpresivos. Las gotas que vienen de lo alto del cielo, las gotas que se divisan a lo lejos, las gotas que pasan a ras de nuestra mirada, todos son iguales, hombres inexpresivos vestidos en negro.


Las gotas del hombre son indiferentes a dónde caen. Solamente caen. No les importa si les absorbe la tierra. Lentamente caen. También son indiferentes los habitantes de los departamentos de frente, con las cortinas cerradas. Caen infinitamente las gotas del hombre.


Nosotros somos los únicos testigos de esa lluvia del hombre. Mirándola desde la ventana de color marfil, a través de la cortina entreabierta, desde uno de los innumerables departamentos idénticos. Siguen cayendo las gotas del hombre.

2008年10月8日水曜日

アラメダ公園の日曜日、をめぐる土曜日

土曜日、リベラ壁画館に行った。
85年の大地震のあと、
ディエゴ・リベラ作「アラメダ公園、日曜の午後の夢」を保管するために作られた場所。

この日は、
壁画制作の手伝いをしたグアテマラ出身の女性画家
リナ・ラソさんを迎えての催しがあった。

左の写真では
暗い中でマイクを持っている金髪の女性がリナさん。


お話によれば、
縦4メートル、横15メートルもの壁画を描くのに

リベラは「イタリアの巨匠たちにならって」
構想もないまっさらの状態から向かい始めたのだという。





若き日のリナさん。
このビデオは未公開映像とのことだった。

壁画の下地として塗る、
石灰と大理石の粉を混ぜる作業のところから始まった。

次第に細かい粒にしながら、三層塗るらしい。








リベラ。

この大作は三ヶ月で仕上げられたものとのこと。

アシスタントもいたけれど、
リベラ自身も一日中、夜遅くまでも壁に向かい、
泊り込みのときもあったという。


お昼になると、フリーダ・カーロから
ひるごはん入りのバスケットが届き、
そこには「amor mío 」とあったそうだ。


製作中に訪れてくる客も絶えなかった。
さすが、時の人。


2008年9月24日水曜日

荒木珠奈さんの展示が見たい

日・西二ヶ国語のフリーペーパー『Zetten セッテン』を開いたら
荒木珠名さんの名が目に飛び込んできた。
オアハカの美術学校で講師をしたときの体験が語られていた。

荒木さんの作品を初めて見たのは、
去年、桜の咲く頃に、西武国分寺線 鷹の台駅近くのギャラリーで
パトリシア・ソリアーノさんと共同の二人展「二匹」を見に行ったときのこと。

ラジオUNAMのアナウンサーの紹介で、
パティさんにメキシコで一度会っていたのがきっかけだった。

荒木さんの作品は、一枚だけの絵本のような、
そこを入り口に、時間、空間、物語が広がっていくような感じがした。

今年は、8月9日から11月3日まで、森美術館ギャラリー2で
オアハカで構想、制作の大部分を行ったという作品の展示をしているそう。
森美術館での展示は、絵ではなく、インスタレーションのようだ。

見に行けないのが残念。
どなたか、見に行く機会があったら感想を聞かせてください。

2008年2月25日月曜日

額縁絵画の裏側

Museo Carillo Gilで、額縁絵画の裏側を見た。

収集家カリージョ・ヒルのコレクションをもとにしてできた美術館。
企画展なのか、これまでの展覧会についての展示が豊富だった。
企画書、準備中の風景の写真、客の反応、それを受けた芸術家の感想。

常設展らしいディエゴ・リベラやシケイロスの絵も
数枚は裏側を見ることができる展示になっている。
裏を見て、何が面白いか。

その絵が所属先から出かけていき、他の美術館で展示されると
出先の美術館の名前や、その展覧会のタイトルが書かれたシールがぺたり。

パスポートのスタンプ、スーツケースに貼られたあちこちの国のシールのように
絵が訪れた旅先の記録が、絵の裏側に残されている。
絵の表側には、それぞれの旅先で浴びた視線の、見えない痕跡が残っているだろうか。

2008年2月18日月曜日

通りのレオノーラ、部屋の中のレメディオス


今、チャプルテペック付近で二人の女性”シュルレアリスト”の作品を見ることができる。

レフォルマ通りには、
レオノーラ・カリントンの作品(レプリカ)や写真が展示されている。
日曜午後の太陽の下、マウンテンバイクでぶらぶら見ている人も。
マックス・エルンストと二人でうつっている写真が素敵だった。







近代美術館Museo del Arte Modernoの二階左側では、
レメディオス・バロの回顧展が開かれている。
初めての個展を開いたのが47歳のときだったということに、改めて驚いた。

2000年ごろに渋谷で開かれたバロ展よりも、ずっと規模は小さいが
スタイルを確立する前の作品や、薬局?の依頼で描いた絵も見られる。
入り口から見ていったら、晩年から若いころへと、逆に辿っていた。





2008年1月3日木曜日

展覧会

メキシコ留学時以来の大切な友人であり
画家の、門内幸恵さんの参加するグループ展

"Zoologischer garten” が名古屋市で開かれています。

年明けの日程は1/4(金)~1/6(日)。

愛知芸術文化センター(←地図へ)
12F、アートスペースGにて。
(AM10:00~PM5:00)

幸恵さんの絵は緻密なタッチに、すりガラスのような透明感、
ファンタジーとも、
悲哀に満ちた物語とも、
恐ろしいおはなしとも読めるような、
初めて耳にする和音のような、不思議な魅力がある。