2009年9月27日日曜日

本に関わる人たち(津田新吾さんへの絵葉書)

土曜日のこと。

編集者として文芸書・人文書の出版に携わり、7月に逝去された津田新吾さんという方の
仕事と人柄を偲ぶ会に、行った。

管啓次郎先生のブログで紹介されていた集まり。(るみちゃん、ありがとう)
http://monpaysnatal.blogspot.com/2009/09/blog-post_08.html

故人にお会いしたことはなかったのだが、
 著作家、翻訳家、編集者、書店員、写真家、詩人、小説家、読者
さまざまな仕方で本に関わっている人たちのお話を聞き、
そして、会場に並べられた何冊もの本や雑誌を見ているだけで、
どれほど魅力的な方だったのか、じわじわ伝わってくる。


書き手と読み手の間を仲介する編集者としての、文章に対する真摯な姿勢は、
札幌から『アフンルパル通信』を発行している吉成秀夫さんに通じるところがあると思った。

胸躍らせながら図書館に行き、
平たかった布袋をゴツゴツ膨らませて家を目指した、
小さいころの「本」に対する特別な感覚を思い出した。

本は忙しく消費される「商品」でもなければ、単なる「資料」でもない。


本には、いくつもの「誕生」の瞬間があると思う。

着想のとき。
書きあげたとき。
刷りあがったとき。
書店に並んだとき。
誰かが手にしたとき。
誰かが読み始めたとき。
誰かが読み終わったとき。

2009年9月25日金曜日

経典、聖典、説教の意味

昨日の朝日新聞のオピニオン欄で、
お経を日本語訳で読む試みをしている、という住職のことを知った。

年配の方や、また僧侶の間には抵抗感や反発が強く、
若い人たちは逆に関心を持ってくれる、とのこと。

意味のわかる言葉でお経が読まれている情景を想像すると
少し不思議な感じもするが、聞いてみたい。

メキシコで間借りをしていた家の家族が、イスラム教徒だった(とても珍しい)。
一度、家主のセシリアに頼んで礼拝に連れて行ってもらったが
説教は、1)アラビア語 2)スペイン語 3)英語 の順に、三ヶ国語で行われていた。

モスクを訪れる人の大部分は、スペイン語を母語としている。
アラビア語の勉強会もやっていると聞いたが、アラビア語がわからなくても大丈夫。
さらに英語は、他国から訪れた短期滞在者のためにもあるのだという。

2009年9月24日木曜日

猫は知っている

元は駅前で果物屋をやっていた、働き者のおかみさん。
区画整理でお店がなくなってからは、マンションの管理人をやっているようだ。

通りかかるたび、いつもマンションのごみ捨て場で働いている。
ゴム手袋をはめて、丁寧に分別をし、プラスチックごみは水で洗ってきれいにしている。
60代ぐらいだろうか、腰はもうすっかり曲がっている。

口を出す筋合いはまったくないけれど、
マンションに住んでいる人たちは、おかみさんがどんなに手をかけているのか
一度見てみればゴミの出し方も変わるだろうに、と思ったことが何度もある。

何ごとも厭わない、その丁寧な仕事ぶりをいつも見ている「ひと」がいる。
「ひと」と言っても、人間ではない。
黒白の猫。


ダンボールに座布団をしいた特等席をもらい、
黒白はいつでもおかみさんのそばに丸くなって付き添っている。

先日、おかみさんに「ありがとうございます」と声をかけている人がいた。
おかみさんは、ハキハキした声で「こちらこそ!」
座布団の上の黒白が、片目をちらりと開けた、ような気がした。

秋は赤

秋の色は、赤。

 赤とんぼ、ハナミズキ、彼岸花、紅葉…

 夏の野菜が体を冷ましたり、
 冬の野菜が体を温めたり、
 秋の色が、暖かさを感じさせる色だったり、
 自然と生き物の体の関係は面白い。



人間以外でも、色が見える動物には、
暖色・寒色という感覚を持っているものがいるのだろうか?

2009年9月22日火曜日

営業開始

グルノーブル以来の大切な友人SOLENEが起業を準備していた会社が
ついにオープンした。

花や植物の図柄の和小物をフランス向けに売る、
オンラインショップ 「ハナクレア」。

http://www.dujaponetdesfleurs.fr

今年五月には、京都や東京で自らあちこちのお店を探して回り、
仕入先を見つけ、交渉をしていた。

大切な見本をたくさん見せてくれたが、
中でも、六本木ヒルズで偶然出会ったという
京都のseisuke 88 というお店がとても素敵。

蔵から出てきた帯の文様を現代風に生き返らせて、
バッグ、小物、クッションカバー、ベッドカバーなどに使っている。
色使いも、物自体のデザインも、とてもいい。

ハナクレアのページには、
日本の小物について、文様などについての
SOLENEのブログもある。
9月15日のテーマは二つ、「あぶらとり紙」と「唐草模様」。
(すべてフランス語)

2009年9月21日月曜日

逆境とユーモア

El Salvador 生まれの作家、
Horacio Castellanos Moya氏と話をする機会があり、

話の端々に、ユーモアが織り込まれるので、
あることを思い出して、聞いてみた。

そのユーモアは、どこで培われたものなんですか。
家族?それとも、育った国に特有のもの?

それは、国だろうね。
との答え。

どうして、そういう文化があるのだと思いますか。

きっと、大変な出来事が多かったから。
状況が厳しくなればなるほど、笑い飛ばすのがうまくなったものだよ。

やっぱりそうなのか、と思った。

アルゼンチンの軍政時代に家族や友人を亡くした
詩人のJuan Gelman氏の講演を聞いたときのこと。

思い出すのも辛いであろう時代のことを質問されたとき、
詩人は、ユーモアで、スマートに切り返していた。

笑いの奥に垣間見えるものは、悲しさ、辛さ、
そして、それを乗り越えた、逞しさ。

2009年9月20日日曜日

省エネ生活。バイクタクシーはどうか?

最近、「省エネ」ということばより「エコ」ということばが使われるが
消費エネルギーの節約、という部分を忘れないに越したことはない。

Co2増が温暖化の原因でないという説があるにせよ、
化石燃料が遠くない将来に枯渇するだろう、ということは変わらない。

「開発途上国等の技術者・管理者を対象に
国内外での研修を通じて技術協力を推進する研修専門機関」
であるAOTSに長年お勤めだった小林さんは、
千葉県で、月の電気代1000円の生活をしているそうだ。

昨日は新橋での会合に、流山から自転車でいらっしゃった。

敬服する一方で、
真似するのは難しい、けれど、、、と考えながら
ふたつのことを思った。

ひとつは、自転車道と駐輪場の整備を進めてほしい、ということ。

もうひとつは、まだ実現には遠そうなことだが、アイディアの種。

車が走行する際に、一人乗っていようと四人乗っていようと
あまり燃料の消費が変わらないのだとすれば
 (これは、確認が必要)
一人だけ、二人だけで乗るのはもったいない。

家庭用の乗用車の場合もそうだが
タクシーの場合も然り。

駅のタクシー乗り場を思い出すと、
一人で乗る人は、結構多い。

とすれば、バイクタクシーは、どうだろう?
渋滞をすり抜けられる(かもしれない)という利点もある。

誰かがすでに考えたことがあるに違いない、と思って検索したら
バイクタクシーの営業が可能かどうか、
というQ & A のやり取りを見つけた。雨天のことも考えてある。
 ↓

http://soudan1.biglobe.ne.jp/qa3607370.html

ブラジルでは、この夏に認可が下りたらしい。

安全面がクリアできれば、
これもよさそうだと思うのだが、どうだろうか?

2009年9月18日金曜日

しからば

男子高校生たちが、別れ際に「じゃあねー」と言っていた。

ご近所の小学低学年の男の子も、最近は「じゃあねー」。
ちょっと前までは、同じ子が「バイバーイ」と言っていたのに。
バイバイは気恥ずかしいんだろうか?

じゃあね、とか、それじゃ、とか、
それでは失礼します、という別れの文句は、使いやすい。

さようなら、は、親しい相手には使わないし
(古いシルエットのロングスカートをはいているような気分になりそうだ)

目上の人に対しても、案外使いにくい。(高校生ぐらいまでは、自然に使っていた気がする)

ふと考えてみたら、
「さようなら」も「じゃあね」、も、そして、使わないけれど「さらば」も
意味としては「然らば、失礼仕る」ということなのだから、同じことだ。

けれど、語感はだいぶ違う。
たとえば、「武器よさようなら」では、気が抜ける。

2009年9月17日木曜日

車道の色どり

初夏のこと。フランスから初めて日本に旅行に来たトマに、
「日本にはどうして、白い車が多いの?」
と聞かれた。

え、白い車が多い?

そのときはピンと来なかったものの、夏の終わりに成田からバスに乗ったときに
そういえば、と思い出して見てみたら、確かに白い車がたくさん走っていた。
(白の他に、メタリックのグレーのような色も多い。

あまり車に興味があるほうではないが
おぼろげな記憶を辿ってみれば、
メキシコではあまり真っ白な車を見なかったように思う。

白は汚れやすそうなのに、何故人気なんだろうか?

ノルウェーのある港町では、赤い車が多かった。
霧がかかったり、薄暗い曇り空だったりということが多いので
鮮やかな方がいいから、ということらしい。
これはわかりやすい。

日本の(あるいは東京付近の)白は?

2009年9月16日水曜日

知ることと、耳や目にとまること

外国語の単語をひとつ新しく覚えたら
その言葉が急にたくさん耳に飛び込んできた!
という経験が何度もある。

自分が覚えたときに、
たまたまその言葉が発せられる場面に居合わせた、ということではなくて、
それまではキャッチできずに聞き流し、見過ごしていたその言葉を
拾えるようになった、ということなのだろう。

似たようなこと。

マークトゥエインの本に出ていたジョークで「サルサパリラ」という飲み物の名前を知った途端に
秋葉原にある飲食店の広告パンフレットで、サルサパリラが取り上げられているのを見つけた。

もうひとつ。

新聞の片隅でスリランカフェスティバルの広告を見た数日後のこと、
日曜夜の井の頭線で、
あちこちの世界を知っていそうな、かつ風通しのよさそうな50代くらいのご夫婦が、
日本スリランカ交友会の会報を広げているのを見かけた。


ちなみにマークトゥエインのサルサパリラのくだりは
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ライス博士の友人は酒に酔って帰ってくると、そのわけを妻に話した。
すると細君、
「ねえあなた、そんなにウイスキーをお飲みになったときは、
サルサパリラをご注文なさるといいんですわ」
「そう、そのとおりだよ。でもね、あんなにウイスキーを飲んだときにはね、
サルサパリラが言えないんだよ」
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マークトゥエイン、『ちょっと面白い話』、大久保博編・訳、新潮文庫、1980年。

2009年9月15日火曜日

今ごろメキシコでは

メキシコは、きっと町中が国旗だらけだろう。

9月16日の独立記念日に向けて、8月末ぐらいから、
あちこちに国旗カラーや国旗グッズが目立つようになる。
当日は、ほっぺたに国旗ペイントをするスタンドが立ったりもする。

最初にメキシコ暮らしをしたとき、
こんなに国中が国旗があふれるなんて、と
ドイツ人のアンナと、日本人の私は驚いたものだった。

ドイツでも、ナショナリズム的な感情をこんな風に表現することには
やはり抵抗がある、とアンナは言っていた。

メキシコの公立の小中学校では、
毎週、国旗掲揚があって、成績優秀な生徒が旗手となるらしい。

国旗をパロディー化した図案をつくったり、国歌の替え歌をつくったりすれば
厳罰に処されるらしい。

という話を聞くと、ちょっとすごい…と思ったものだが、
留学生として暮らした限りにおいては
国旗の扱いにしても、メヒコ!という叫びにしても、
家族を大切にするのと同じくらい自然な、
そんな種類の「祖国愛」の表現のように感じられた。

メキシコ国歌は、夜にラジオをよく聴いていた私にとっては
深夜零時を知らせるメロディーになってしまっている。


2009年9月14日月曜日

『意志の勝利』 (1934年、ドイツ映画)

写真家の藤部明子さんに薦めていただいた『意志の勝利』を見た。
1934年、ナチスが製作したプロパガンダ映画だ。

先の世界大戦から20年、復興から19ヶ月、
というメッセージから始まり、
 (第一次大戦での敗北が
 ドイツファシズムが成立した大きな要因だったのだろう、と改めて思う)

党大会のために古都ニュルンベルクに赴くヒトラーと
軍の行進に対する大歓迎の様子が長々と映し出される。
 (美しい町にはためく鉤十字が空恐ろしい。
  特に、清清しい朝の景色。)


集まった人々の中でも、こどもたちの笑顔の映像がしばしば挟まれ、
豊作を祝う民族衣装の「農民」たちの行進もあり、
警護を越えて行進に近づいてしまった親子に、笑顔で握手をする「総統」の姿が映され、
あの手この手のイメージ戦略が盛り込まれている。

野営地の男性たち、若者たち、少年たちは
たくましく、そして和気あいあいとしていて、水にも食事にも困らない
という様子が描かれる。

勇ましい音楽の伴奏と行進が続き、食傷気味になってくるが
構図や光と影をうまく使って映し出された一糸乱れぬ足並みを
一瞬「きれい」と感じてしまった。

2時間近い映画は、党大会の閉会演説で締めくくられるが、
ヒトラーは意外なことに原稿を見ながらしゃべっている。
人の心理を操るのは、むしろ、内容なのだろう。

年配の人たちの中には党に懐疑的な人もいるかもしれないが、
若者はみな、完全に党に身も心も捧げているのだ、と言って
未来に向かう者は支持すべきなのだ、という気にさせる。

駆け出しのころは批判され弾圧されてきたという党の歴史に敢えて触れ、
ようやく皆に認められ、期待されるようになったのだと言って
「意志の勝利」をアピールする。

さらに恐ろしかったのは、
弾圧されたからこそ、その過程で、党に不要な人物は振り落とされていった、
これからも、不要な者は排除していくべきだ、と叫び
そこで会場が大きく沸いたこと。

異質な存在を見つけ、あるいはそれを作り出し、
そのことによって結束を強めるというやり方は、
悲しいことに、いつの世のどこの世界でも、多かれ少なかれ起きていることだと思う。
ヒトラーは、まずそれを「党」の中でも行っていたのだ。


それにしても、
一人の人間があれほど多くの人を熱狂させ、動かすことができるとは…
(もちろん、彼一人の行ったことではなく、多くの頭脳が関わっているのだが
 「中心」は、一人だ)

この映画が、全体主義の恐ろしさを描こうとしたフィクションではなく、
人を熱狂に巻き込もうという目的で作られた「ほんもの」であることが
どうも信じられないような気がした。

そこに映っている人たちは、本当に存在した人たちなのだ。

新たな指導者に期待をかけ、大勢の人たちと一緒に片腕をぴんと上げながらも、
それでも、一人ひとりが、それぞれ何かを感じ、何かを考えていたはず。
それは、何にかき消されてしまったのか。

ひとを呑み込んで、「渦」のようなものの一部にしてしまう、得体の知れない力。
巻き込まれてしまえば、自ら、渦を動かす力に加わることになる。

1934年。
はるか以前のことのように考えていたが、実はそう昔のことではない。

映画は、渋谷のNシアター(旧ユーロスペース)で上映されている。
劇場のページで確認できる限りでは、10月2日までやっているもよう。

2009年9月12日土曜日

9月のメキシコ料理


9月16日の独立記念日にあわせて登場するのは、
Chiles en Nogada (チレス・エン・ノガーダ)。

日本語にしたら、
肉詰め唐辛子のクルミソース、といったところだろうか。

緑、白、赤に、蛇をくわえた鷲がサボテンにとまった図がメキシコ国旗だが
この料理には旗の三色が使われている。
現在の国旗ができたころに考案された料理だとか。

緑は唐辛子、(コティさんの料理では、ふんだんにのせたパセリの緑も鮮やか)
白はクルミをすりつぶしたソース、
赤は、ざくろの実。

詰める中身も凝っていて、
ひき肉に、細かく刻んだアーモンド、干し杏や干し葡萄などのドライフルーツが混ざっている。

フリーダ・カーロととディエゴ・リベラが結婚パーティーをしたというお店よりも
Chile en Nogadaで有名というサント・ドミンゴ教会近くのお店よりも
コティさんが作ってくれたこれが最高に美味しかった。

ポイントは、
衣をつけて揚げる capeado というやり方でなく素焼きなので、さっぱりしていること。
ゆで卵が入っていないので、味がぼけないこと。
果物が適量で、甘すぎないこと。

ピーマンでやっても美味しそう。

2009年9月10日木曜日

12家族、毎月の暮らし

メキシコの新聞El Universal 紙の長期特集をエドゥが教えてくれた。
さまざまな職業に従事する12家族の協力を得て、
この経済危機をどう暮らしているのか、
出費のリストを添えて毎月レポートするというもの。

http://www.eluniversal.com.mx/graficos/00coberturas/crisis/index.html

出費のリストに出てくる単語は
gasto en alimentos 食費
gasto en vivienda 住居
gasto en ropa 服飾
diversión 娯楽

comidas fuera de casa 外食
gasto en médico 医療費
ahorro 貯蓄

職種は
campo 農業
maquila 工場労働
construcción 建設業
minería 鉱業
turismo 観光業
ambulante 屋台
franquicia フランチャイズ
transporte タクシー
bar バー
siquiatría 精神科医
burócrata 役人


現在、1ペソは8円弱くらいを変動中。

2009年9月5日土曜日

息を呑み、血がめぐる

金曜日。
矢野顕子・上原ひろみの競演は
もともと大きかった期待をさらに超える大満足だった。

ピアノを愛し、音楽の女神と交信する二人の奇跡的な出会い。

矢野さんの伸びやかな歌声に深い和音、
シャープで自由に奔放にスリリングに突き進んでいくひろみさんの白鍵黒鍵に
目を見張り、息を呑み、そして体中の血がざわざわ駆け巡っていくようにも感じる。

ひろみさんは
湧き出し溢れ出る音楽を、確かな技術で受け止めている。
この上なく、かっこいい。

2009年9月3日木曜日

墨版シャンゼリゼにて

もう一週間前になる。

メキシコ滞在の最終日、
メヒコのシャンゼリゼ、レフォルマ通りに連れて行ってもらった。


さまざまに変身した豹や鯨やサイや鷲やカメやパンダが
広々とした歩道をかざっている。

眼に覆われた豹に




都会的なサイ


















五秒前の姿が見たかった鯨