2012年8月23日木曜日

嗅覚の地図


嗅覚の目印でつくった地図あるいは道案内をたよりに、
人は目指す場所にたどりつくことができるだろうか?

ほとんどの道がアスファルトで舗装されているような都市では無理?
五感入ってくる情報がすべて鮮やかな夏なら、可能?


とっぷり暮れた帰り道、暑さにくたびれて半ば惰性で歩いていたら、
わっとオシロイバナの妖しく甘い赤紫の香りが右のほうから飛び込んできて、
それに続いて畑の匂いがして、
自分が、今まさにその地点を通過しているのだということを
とつぜん鮮烈に意識した。
その場の空間が、記憶に(あるいは認識に)、
<立体的>とでも形容できるような、像を結んだ感じがした。

そういえば、
小学校への通学路には豆腐屋があって、
朝の登校のころにはちょうどおからが白いほかほかした湯気をたてて
店の外に置いてある大きな容器にほろほろほろほろ転がり出ていた。
換気扇が音を立てて盛んに回っていた。
おからの香りはむせるようで、当時は少し苦手でもあった。
今は懐かしい。
豆腐屋さんの湯気を過ぎると、学校はもうすぐだった。
おからの香りを思い出すと、
学校の裏門に続く坂の傾斜まで、体が思い出すようだ。

(下校時刻になると、
 おからの容器はきれいに洗ってふせてあったように思う。
 この記憶はあやふや。)








2012年8月16日木曜日

かこいの外と内


8月16日、ひさしぶりに『常用字解』を開いてみた。

 国(國)
 「会意。もとの字は國に作り、口(い)と或(わく)を組み合わせた形。
 
 或は口(都市をとりかこんでいる城壁の形)の周辺を戈(ほこ)で守る形で、
 國のもとの字である。

 或がのちに「或いは」のように用いられるようになり、混同を避けるため、
 或に改めて口を加えて國とし、武装した国の都をいう。

 のち、「くに」の意味に用いる。

 唐代の則天武后(七世紀の女帝)は國が限定するという意味を持つ或を
 構成要素としていることを不満とし、國の代わりに八方(あらゆる方向という意味)
 を入れて圀(こく)の字をつくらせた。

 この字はいま徳川光圀(黄門)の名前に残されている。

 国の字形は國の草書体から生まれた略字であるが、
 いま常用漢字として使われている。  

 [用例] 国益 国家の利益 / 国家 くに /国政 国の政治
       国都 首都  /国防 外国の侵略に対する防備
       異国 外国  /隣国 となりの国
  
 (白川静 『常用字解』、平凡社、2003年、209頁)


古今東西、
さまざまなかこいのなかで
重大な、そして何らの事情のために解決の難しい問題が起きたとき
そこに生きるひとびとに、かこいの外に目を向けさせて、
本来の問題から注意を逸らすという力がはたらいてきたことを思い起こす。

矛の動きは、ほんとうのところは何を守ろうとしているのか
それぞれのかこいのなかで冷静に考えなければ、おそろしい。



2012年8月10日金曜日

サボテン命名の謎

旦先生があちこちに養子に出したサボテンたちにつけられた名は、
なぜ女性を思わせる名前ばかりなのか?

スペイン語だとcacto, cactusは男性名詞。
ポルトガル語だと違うのか?なんて思っていながら、調べずにいた。

が、今朝、謎が解けた。(たぶん)

あんずジャムを塗ったトーストを食べながら、
オレンジ色の鉢の「ムケカ」に、ふと目をやると
あれ?
何かいつもと違う。
じっくり見たら、手の小指の爪ほどに、ぼこ、と何かが出ている。

ぱぱぱぱ、と記憶の蔓が自然にたどられていく。

声の記憶。


「サボテンてさ、どんどんふえるんだよー

 ぼこ、っていうのが出て、その、ぼこ、っていうのをわけてうえると、

 サボテンになるんだよ

 そうやって、ぼこ、っていうのができるたびにわけていったら

 400鉢」


「よんひゃっぱち」という突拍子もない数(と、そのひょうきんな音)にあのとき、
電車のなかで、つい大笑いしたのだった。
横隔膜の記憶。


そこから一気に推論。
サボテンには、母のイメージが重なるのだろう。
それから、もしかすると
男にとって「予測不能な、手に負えない、つい振り回されてしまう」相手である
女のイメージも。

(メニーナのほうも、大きな鉢にうつしてやらないといけない。
 あらためてよく見ると、いつのまにやらムケカとの差は驚くほどになっている。)