2011年12月26日月曜日

石井康史先生におくることば

昨日、12月25日、午前11時より、
石井康史先生のお別れの会がありました。


ディキシーランドジャズに包まれた会場には、
旦先生が書いていらっしゃるように、
まさにラテンアメリカ文学の作品の中のように、
献花する人の行列が何日間も続いたみたいにいつまでも続いた。」

日が暮れて、夜が明けて、太陽が真上から照らして、
また日が暮れて、
それでもずっと途切れることのない列のように、見えました。
海の向こうにいて参列できない先生のご友人たちのところまで、
白いトルコキキョウを一輪ずつ手にしたその列が
続いているようにも思われました。


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なぜ、こんなに早くに、石井先生にお別れの挨拶をしなければならないのか、
私はまだ納得できずにいます。
なぜ、先生がいつものように正面に座ってじっくり話を聞いてくださらないのか、
どうしても納得できずにいます。

いつも、どんなにまとまりのない話でも辛抱強く聞いてくださったのに。
どんなに些細なアイディアでも面白がって聞いてくださったのに。
入院中も、リハビリの合間に、じっくり腰を据えて相談に乗ってくださったのに。
ご自宅でのリハビリの最中にも、丁寧に、丁寧に、論文を読んでくださったのに。
この夏の、大きな手術の直前でさえ、論文審査会に向けてコメントや質問を準備して、
それを録音して、奥さまの祥子さんに託して、届けてくださったのに。
審査会を終えた直後にメールを送ったときにも、病院からすぐに返事をくださったのに。
なぜ、今日は、聞いていてくださらないのか。

あら、その顔は、なんだか納得していないことがありますね?
いまの私の表情を見たら、先生はきっとそうおっしゃるに違いありません。
これまでに何度も、ずばりと指摘されたことがありました。

石井先生はいつでも、私たち学生たちのことばに、
それどころか私たちがことばにできずにいることにまで、耳を傾けてくださいました。

先生はいつか、私が研究室にうかがったときだったか、ぽつりとおっしゃっていました。
「授業中、学生のみなさんにむけて質問をしても、なかなか誰も答えないときがありますよね。
そんなときに誰かが息を吸う音が聞こえると、何か言おうとしているに違いない、
つい、そう期待してしまうんですよ。」

「このズボンの継ぎの部分はね……」
と、授業中に突然説明してくださったこともありました。
それは確かラテンアメリカのロマン主義小説についての授業で、
私がつい本題を逸れて、先生のズボンの縫い目に気をとられていたときのことでした。
少人数の授業だったとはいえ、まったく、先生は何でもお見通しでした。

私の論文が形になる前のこと、
考えがうろうろと迷ったりまとまりなく拡散したりして相談にうかがったときには、
私の混乱した説明をきき終えてから、
ちょっと整理してみましょうか、とおっしゃって、こんな質問をなさいました。
一番言いたいことを、単純な一つの文章で表すとしたら、どうなりますか。
あるいは、問いと答えのかたちで表すとしたら、どうなりますか。
そして、それからじっと、私がこたえるのを待ってくださいました。

論文が形をとった後には、
その先には何が見えているのか、その先に何を探そうとしているのか、
新たな始まりに向かうよう、私の意識を、すっと後押ししてくださいました。

こうして記憶を辿っていると、
納得のいかない気持ちが少し、晴れてくるように感じます。
いま石井先生は、目の前に座って聞いていてくださりはしないけれど、
これまでのやりとりは記憶に鮮明に残っていて、
だから今でも、石井先生とのやりとりを新たに想像することが、十分に、できそうです。

しばらく静かに休みたいんですよ、と先生はおっしゃるかもしれませんが
でも、お話したいことは山ほどあります。

私が学生を卒業して、こんどはだれかに教える立場になったとき、
それを一番喜んでくださったのは、石井先生でした。
先生は我々学生相手にも、
いつでも丁寧なことばづかいで話していらっしゃったし、
メールの文面も、こちらが恐縮してしまうほど丁寧でしたが、
一度だけ、私がスペイン語の授業を担当することになったとご報告したときには、
丁寧な文面のなかに、
”Quiero felicitarte.”
君にお祝いをしたいんだ、と、フランクな調子のフレーズが混ざっていました。
その部分だけが、スペイン語で。

石井先生から受け継いで、
自分より若い世代のひとたちを相手に実践したいことが、私にはいくつもあります。
だから、こんな失敗をしてしまいました、とか、こんな嬉しいことがありました、と、
ぜひ先生に、ご報告をさせてください。

それだけではなくて、こんな面白いことを見つけました、とか、
こんなことをやろうとしています、とか、こんなアイディアを思いつきました、
そういうことも、きっと、ご報告します。

お別れのご挨拶というよりは一つの区切りをつけるためのご挨拶を、おくります。

深い尊敬の念をこめて。

2011年12月22日木曜日

solsticio


冬至=Solsticio de invierno.
2011年12月22日。
写真は今年の12月5日午後3時前に撮った。
同じ場所に同じ時刻に行ったとしても
景色も光も、それを見る自分の感覚も大きく変わっている。

"vida"ということばを日本語で何と訳したらいいのか、
いまだにわからない。
人生、生活、命、
すべてを包含する「生きること」。



2011年11月20日日曜日

Periodico de Poesia, 2011年11月号

詩人のPedro Serrano氏が編集主幹をつとめていらっしゃる
UNAM(国立メキシコ自治大学)のオンライン詩誌
Periódico de Poesía, n. 44(2011年11月号)に

古川日出男さんの「赦されるために」のスペイン語訳
 (共訳者:Ken Hashimoto Mendoza)と、

古川さんの文章の原文が収録されたアンソロジー
『ろうそくの炎がささやく言葉』(勁草書房、2011年)
について書いた文章を掲載していただきました。



2011年9月23日金曜日

このでんしゃ、どっちが、まえ?

―このでんしゃ、どっちが、まえ?

中央線の車内で、小さなおんなのこが、おとうさんにたずねた。
おとうさんはおかあさんと話していて、質問にはこたえず
そのおんなのこは、自分で確かめてみることにしたらしい。

まず、一方の窓のほうを正面にして、仁王立ちしてみる。
からだの向きを90度を変えて、仁王立ちしてみる。
さらに90度回転して、仁王立ちしてみる。
最後に残った方向を向いて、仁王立ちしてみる。

からだで捉える「揺れ」の感覚をたよりに、そのおんなのこは
自分が乗っている、運ばれている、乗り物=電車が、
どちらを前として進んでいるか、つきとめようとしていた。

そして、つきとめたらしい。
四方向を向いて立ってみて、感触を吟味して、
そのあとは納得したような顔つきであったから。

まったく筋のとおったやりかただった。

私ならきっと、窓の外を見て、
景色の流れていく方向を見て、判断しようとするだろう。

でも、もしも
窓の外に見えるのが、静止した風景ではなく
並んで走る電車であったら?



2011年9月15日木曜日

夜道の黒犬

最近、早く日が暮れるようになった。
メキシコシティでのある出来事を思い出した。

2005年の夏から半年ほど暮らしていたメトロCopilco駅近くの家の近くは
車道も歩道も、あちこちガタガタ舗装がいたんでいて、
そこを、やせ犬が何匹もうろうろしたり寝そべったりしていたものだった。

はじめのうちは、なんだか恐ろしい気がして
犬の姿が見えたら、そっと距離をとったりしていたものの
実は彼らはまったくおとなしくて、そのうち、警戒心はすっかりとけた。

ところが油断しすぎたのか、
ある日の夕暮どき、だいぶ暗くなってきたころに、
いつも犬が寝そべっているあたりの歩道をずんずんまっすぐに歩いていったら
(たぶん、私の気に入っていた近所のカフェに行くところだった)

ふわ、というか、ぶわ、というか、
ごり、ではなかったと思うけれど
地面におろした右足が何かを踏んだ、

その何かとは、黒い犬の尻尾であって
暗がりにいた黒い犬のことが、私には見えていなかったのだった。

ぎゃ、噛まれる!
と、さっと血の気が引くのがわかったけれど、

その黒犬は、クゥといったか、グゥといったか、ギャンといったか、とにかく
痛いよという悲鳴をあげただけで、
それ以上何のアクションも起こさなかった。

そこで、私は咄嗟に日本語で、
あああごめんね、ごめんね、
暗くて黒くて見えなかったの、ごめんなさい、と謝って
(いま思ってみれば、これは謝罪ではなく、言い訳だ)
その場を去った。

次の日、明るい光のもとでその黒い犬を見かけたとき
もう一度謝ってはみたけれど、あのとき以来、すっかり警戒されるようになってしまった。

夜道は、黒い犬に気をつけて歩こう。
尻尾を踏んでしまわないように。



2011年9月10日土曜日

宇宙の上と下




コスモスの咲く辺りに行ってみたら、
例年になく茂ったままになっていた。

みるみる傾く日を斜めに見ながら写真をとってきて、
家で画像をひらいて見てみると、
上下の感覚がさかさまになるような
まっさかさまに墜落していくような、不思議な感覚を受けた。


2011年9月8日木曜日

2008年11月12日

本棚の整理をしていたとき
Elena Poniatowskaの短編集、De Noche vienes(1979)を開いてみた。

2008年の秋、
メキシコシティのコンデサ地区にある、こぎれいで洒落たつくりの大書店
Fondo de Cultura Económicaの「Roario Catellanos」店で
別の本(なんだったか…)を買ったときに、レジで、もらったもの。
背表紙には、「販売禁止」の文字。

どういう経緯で無料配布していたのか
情けないことに、当時はちゃんと確認してみなかった。

三年越しに本のただし書きを読んでみたところ
これは1980年から続いている試みで、
毎年11月12日(メヒコの誇る才媛/詩人であるソル・フアナの誕生日)を
「本の日」と定め、良書(…と言っても定義は難しいが)を読む習慣を広めるべく、
著者や出版社の協力を得て、毎年、一冊の本を特別に印刷して
書店員や編集者が配布している。
(未来の読者に手渡す、という感じだろう)

奥付の発行部数を見たら、35,000部という大きな数だった。

こうした試みの裏にだって、いろいろな駆け引きがあるのかもしれないけれど、
自分が身を置いている、このくにの暦のなかで、
「~の日」と名づけられた、休日になったりならなかったりする
(そして、日付けが決まっていたり、可動式にされていたりする)
数多くの記念日のあり方について、考えさせられる。


2011年9月2日金曜日

扉はひらくものではなく、あけるものじゃなかったか?

初めて飛行機に乗って、初めて日本を出たのは、19歳の秋だった。
まだユーロが導入される前で、
星の王子さま(ちび王子)のお札が素敵だった。

きれいで、重々しくて、しゃれていて、緊張する
異国の都パリの灯りは赤みを帯びていて、
パトカーのサイレンは聞きなれない音がした。

そのパリ旅で経験した小さな、でも、頭を離れないことがある。
それは、建物の入り口の扉にまつわる経験。

どこかの建物に入るとき(あるいはそこから出るとき)、
先をゆく誰かがいれば、
その誰かは、必ず、例外なく、後ろを振り返り、
次にその扉を通るわたしのために、扉をおさえていてくれた。
当たり前のように、こちらに視線を送っていた。

“merci”もどきの 、ぎこちないお礼をいって、扉の重さを受け取り、
建物に足をふみいれたら、今度は自分が後ろをふりかえるようになった。
じっくり。

こんな些細なことが記憶に残っているのは、少し複雑な気分もする。
情けない、というか。
これだからトーキョーの人は、と呆れられてもしょうがない。

しかし考えてみれば、この人口過密な都市圏では現在、
次にその扉を通る誰かを気づかう必要が、そもそも、ないことが多い。
90年代、00年代と、ますます、少なくなった。

なぜか。
自動ドアが多いから。増えたから。

扉の前にたてば、それは自然にスライドしてひらき、
自分がそこを通りすぎれば、自然にスライドしてしまる。

後ろに誰かがいる場合、立ち止まるのは却って迷惑になる。

ただ自分の行きたい方向へ進んでいって
扉の前から立ち去るのが一番で、
そうすれば、
次に通るその誰かも、自分がそこを通ったときと同じようにして、
扉の前に立てば、それは自然にスライドしてひらき、
そこを通りすぎれば、自然にスライドしてしまる。

扉は横滑りして動くから、
自分が閉めた扉がほかの誰かの鼻先めがけてはねかえり、
危害を加えることを心配する必要もない。

自分と扉の関係についても、
自分と、その次に同じ扉を通る人との関係についても、
気味がわるいまでに、無自覚的になればなるほど、
無感覚になればなるほど、ことがスムーズに進む。

自動ドアは確かに便利ではあるが
でも自分は何か根本的な感覚をだめにしてしまっていたような気がする。

自分が通りたいと思って立てば、扉はひらくと思い込み、
通りすぎれば勝手に閉まると思い込み、
自分が通れた扉は、ほかの誰もが問題なく通れると思い込む。

大げさかもしれないけれど、
好むと好まざるとにかかわらず日々、繰り返している行動・所作は、
思わぬところにまで影響をおよぼすかもしれない。

生活のさまざまな場面に自動ドア感覚が浸透していることが
よその国に出たのちに、この都市圏に戻ってきて感じる
居心地のわるさというか気味悪さの
一つの原因なんじゃないだろうか、とさえ、思える。

第一次カルチャーショック以前の自分と、現在・未来の自分に対する戒めもこめて。


2011年8月31日水曜日

あああ古川さんの映像が見られる…

7月9日、Saravah東京で行われた古川日出男さんの
ステージ(と、くくっていいのか、ご本人は「イベント」とおっしゃっていました)
「東へ北へ」のもようが、一部、Youtubeで見られるようになりました。

お知らせをいただいて、
あああ、と、ことばにならない声をあげてしまいました。

つい先日も、夜に湯をざばざば浴びながら
あのメロディー
 (『新潮』に発表された
 「馬たちよ、それでも光は無垢で」
 を読んでまず、存在を知った、あのメロディー)
を無言で思い出していたところでした。

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古川日出男×小島ケイタニーラブ「東へ北へ」20110709@SARAVAH東京

http://www.youtube.com/watch?v=xB5TJxWz95Y

古川日出男×黒田育世×松本じろ「東へ北へ」20110709@SARAVAH東京
http://www.youtube.com/watch?v=SEP1S4YCaoU&feature=related

古川日出男×黒田育世×松本じろ×小島ケイタニーラブ「東へ北へ」20110709@SARAVAH東京
http://www.youtube.com/watch?v=_bEp4h2hWY8
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2011年8月30日火曜日

「人間になりてえ」

片づけをしていて、深いところまで手をのばしたら、
カセットテープをしまいこんだケースが出てきました。
中学、高校時代に聞いた懐かしい曲名がたくさん。


ラジオ+CD(故障)+カセットテープが再生できるミニコンポにかけてみたら、
初めのカセットと次のカセット(ラテン音楽)は、
かたん、と止まって、とり出してみたら
テープがびろー、とだらしなく出ていて
音楽を聴くどころではありません。
なんと無残な。

しかし三本目は、なぜだかちゃんと再生できました。
久しぶりに聞く長渕剛は、歌詞がいちいちガツンと聞こえてきます。

アルバムの表題作は、Captain of the Shipという曲ですが
一曲目の「人間になりてえ」と、
三曲目の「ガンジス」と
 (歌のなかの「東京へ帰る」という一節が、今聞くと、なんとも複雑に聞こえます。
 「とんぼ」の歌詞を思い出してみると、さらに。)、
それからこのアルバムを貸してくれたともだちが感じ入っていた「12色のクレパス」
が、とくに強烈に耳について、
90年代前半のいろんなことを思い出し、現在のいろんなことに考えがめぐっていきます。

途中で裏返さなきゃいけないのも、なんだか懐かしい動作でした。

このテープは、のびないでほしい…


(追記:よく考えれば、テープがのびるというのは、
 複製したものの、自然なありかたなのかもしれません。

 当時の私(中学生)にとってCDは高価なもので、
 おいそれと買うことはできなかったけれど
 今なら、ちゃんとした形で購入することができる。
 つまり、古いテープは、そっと、とっておけばいいのですね…)


2011年8月29日月曜日

「旅して、語り伝える」

田村さと子先生の『百年の孤独を歩く』について、
「旅して、語り伝える」と題して書いた書評が
現代詩手帖、2011年9月号に掲載されました。

『百年の孤独を歩く』と、ガルシア=マルケスの作品の数々、
そしてガルシア=マルケスの自伝『生きて、語り伝える』が
書店の書棚から、ひとりひとりの部屋の書棚へうつるための
かすかなきっかけになれば幸いです。


ちなみに、この9月号では
かの伊藤比呂美さんについての充実した特集が組まれています。
暑さがやわらいで、気を抜くと疲れが出てきそうなこのごろに
読むと、なにか、切り花の茎から根が生えるような、変化が起きる感じをおぼえます。




2011年8月25日木曜日

嗅覚の旅

札幌のモエレ沼公園の、ガラスのピラミッドで
管啓次郎さんの詩と佐々木愛さんの絵の展示「Walking 歩行という経験」
が、9月4日まで行われています。

(詩と絵の関係は、
 二羽からなる、小さな渡り鳥の隊列のようで
 互いに同じ方位をめざし、同じ風にのり、
 しかし自らの羽ばたきによってそれぞれが飛んでいる、という感じを受けます)


8月6日、札幌でもひどく暑い土曜日の朝、
モエレ沼の水源をめざして、てくてくと歩くウォーキングイベントがあり、
帽子をかぶって、飲み水を携えて、歩く列に加わって来ました。



途中、上空からぴーひょろろと聞こえてきたので
「あっ、とんび」と、つい誰かに言いたくなって、後ろを振り返ると、

絵美さんという元気な女性が
「とんび、よくいますよ。わたし、北海道出身なんです」
(カラスがとんびの声を真似ることもあるらしい)

大学院で学ぶために4月から東京に暮らしていて、今回は初めての帰郷だ
と話してくれたので、
北海道を離れて東京に住んで、戻ってみて、いま何か思うことはありますか、
とたずねると即座に

「におい、ですね。
札幌はこんなにおいがしていたのか、と、初めて意識しました」

たしかに、前日に行った東川町でも、モエレ沼付近でも、
風に複雑で豊かないいにおいが満ちていることに、うすうす気づいていた。

そこで、「草の、いいにおいがしますよね。」
と言ってみたところ、
「これは、川のにおいですよ。」

たしかに、わたしたちは、小川の脇を歩いていた。
目を丸くして、絵美さんのほうを見ると、

視線を受けて、あらためて風を吸い込んだ彼女が、こんどは
「上のほうは川のにおいがして、
 下のほうは、草のにおいがします。」

風のにおいに層があるなんて、
思ったこともなかった。

知れば、意識すれば、
うまくすれば、いつかそれをかぎわけられるかもしれない。

そういえば、テオティワカンの月のピラミッドのてっぺんで
門内幸恵さんは、いいにおい、と
何度も、嬉しそうに、深く、深く、息を吸い込んでいた。
幸恵さんの感じている世界も、きっと私などよりずっと複雑で豊かなのだろう。



2011年8月24日水曜日

ろうそくの灯が一つでもあれば

2011年8月8日、勁草書房から
管啓次郎・野崎歓編『ろうそくの炎がささやく言葉』という
詩や短編のアンソロジーが刊行されました。

大切に、大切に、
しずかに読んで、声におこして読んで、
何度でも読み返したい本です。

私がはじめてこのアンソロジーにおさめられた作品を「読んだ」のは
刊行に先だっておこなわれた朗読会のときでした。

実際には、「読んだ」のではなく、朗読を「聞いた」のが、
このアンソロジーの「読書」体験の幕開けでした。
6月末の、ある夜のこと。(表参道にて)

ふんわりといい香りのする、ちらちら揺れるろうそくの光を受けて
声に出され、耳から「聞く」ことばは、
驚くまでに鮮やかで生き生きとしたイメージの広がりを可能にし、
同じ空間(朗読会の会場)が、
「読む」ひと(作者・詩人)の声によってまるで異なる場所になってしまう、
強烈な、穏やかな、刺激的な、幸せな夜でした。

このような強烈な「予・読書」をした後、
8月に本が手元に届き、こんどはひとりで、黙って、文字として読みました。
そして次に、作者以外の読み手の朗読で「聞く」、という体験をしました。(札幌にて)
ついで先日、作者および訳者のかたがた、それから装丁を手掛けたかたの朗読で「聞く」
という体験をしました。(青山にて)

さて、家に帰って、改めて本を開くと、
アンソロジーに収められた作品のかずかずが
まるで、小さいころに
何度もくり返し読んだ絵本だとか
何度もくり返し歌ったうたのように、
とても親しい、大切なことばとして、身にしみこんでいることに気づきました。

この現象、というか、出来事というのか、
このことについて、頭で理解し説明するのが難しいのですが

執筆者のかたがたが、
震災と津波と事故をおもい、2011年初夏の日本の状況を前にし、
それぞれの仕方で、ことばをつづった、
そのことばの書かれた状況の強度、あるいは緊張感、とでもいえるようなもの
(それを越えたところで文章が書かれ、文字となり、印刷されたということ)が、
きっかけになって起こったことなのでしょうか。


その昔(と言っても、地球の歴史からすればつい最近)
印刷術が発達していなかったころ、
本は「聞く」ものだったということ、

ちいさいころ、まだことばもほとんどわからず、
ましてや文字など読めなかったころ、
本は「聞く」ものだったということ、

ある場所にろうそくが一本あり、
その灯りに照らされて本を「読む」声があれば、
その作品の「灯り」をうけとる人は無数に開かれているということ。

いろいろなことを考えながら、
今夜ももういちど、ページを開いてみたいアンソロジーです。

長くなりますが、以下に、執筆者とタイトルをうつしておきます。
(勁草書房ホームページより引用、

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ろうそくがともされた[谷川俊太郎]

赦(ゆる)されるために[古川日出男]

片方の靴[新井高子]

ヨウカイだもの[中村和恵]

ワタナベさん[中村和恵]

わたしを読んでください。[関口涼子]

白い闇のほうへ[岬多可子]

今回の震災に記憶の地層を揺さぶられて[細見和之]

祈りの夜[山崎佳代子]

帰りたい理由[鄭暎惠]

ジャン・ポーラン よき夕べ[笠間直穂子訳]

哀しみの井戸[根本美作子]

文字たちの輪舞(ロンド)[石井洋二郎]

マグニチュード[ミシェル・ドゥギー/西山雄二訳]

エミリー・ディキンソン (ひとつの心が…)[柴田元幸訳]

インフルエンザ[スチュアート・ダイベック/柴田元幸訳]

この まちで[ぱくきょんみ]

箱のはなし[明川哲也]

ローエングリンのビニール傘[田内志文]

あらゆるものにまちがったラベルのついた王国[エイミー・ベンダー/管啓次郎訳]

ピアノのそばで[林巧]

めいのレッスン[小沼純一]

語りかける、優しいことば──ペローの「昔話」[工藤庸子]

しろねこ[エリザベス・マッケンジー/管啓次郎訳]

月夜のくだもの[文月悠光]

樹のために──カリン・ボイエの詩によせて[冨原眞弓]

天文台クリニック[堀江敏幸]

地震育ち[野崎歓]

日本の四季[ジャン=フィリップ・トゥーサン/野崎歓訳]

フルートの話[旦敬介]

川が川に戻る最初の日[管啓次郎]

あとがき

写真家、装幀家より[新井卓/岡澤理奈]
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忘却に抗う百日の紅



ある年の夏から、百日紅(さるすべり)の花が目に留まるようになった。

可憐に見えるのに、
ひとが噂を忘れてしまうだけの日数を過ぎてもなお、
「忘却の柔らかい花」に抗して、
紅に咲き続けるつよさをもった花なのか。






2011年8月20日土曜日

「取扱説明書」

無機質な文章のはずなのに、
そこに勝手に(誤って)感情を読みとって、ぎくっとした。


 「傷ついた電源コードを使用しないでください。」




1999年、2011年

佐藤雅彦さんの『毎月新聞』(毎日新聞社、2003年)を
久しぶりに手にとって、ぱらり、ぱらりと読んでいたら

7, 8 年前には読み飛ばしていたであろう箇所に、ぐいっとひきとめられました。
引用します。

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僕はその日、雑誌の対談でひとりの経済学者の方と食事を共にしました。
 その著名な経済学者は、にこにこしながら、まずこう切り出したのです。

  「佐藤さん、エコノミクス(=経済学)って、元々どういう意味なのか、
 想像できますか」

  【中略】
 
 それは2年半も前の出来事でした。
 そして、僕の答えを楽しそうに待っているその人とは、
 その頃すでに気鋭の経済学者として注目されていた竹中平蔵さんでありました。

 竹中さんは続けました。
 「エコノミクスって、ギリシャ語のオイコノミックスという言葉からきているんです。
 オイコノミックスとはどういう意味かと言いますと、共同体のあり方という意味なんですよ。
 
 『共同体のあり方』、僕はその一言に打ちのめされ、少なからぬ感動も覚えた。
 
 「自分が個人として、どうしたら幸せになれるか」という事ではなく、

 「自分を含めた私たちみんなが幸せになるためには、
 私たち共同体はどうあるべきなのか」
 を追求する学問がエコノミクス、つまり経済学の始まりであったわけなのだ。

(佐藤雅彦『毎月新聞』第14号、1999年12月15日発行、
 『毎月新聞』単行本 p. 34より引用。中略、改行は引用者)
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この引用の後には、消費税の大義を論じる箇所が出てきて
(当時は故・小渕氏の自自公連立政権下)
そこは、どんなものだろう、と、個人的には納得しきれないのですが、


1999年12月15日に佐藤雅彦さんが発表した文章を
「経済」というものの意味を、根底から問い直したくなる
2011年の夏に、東京で、読み返したときに、
ここで引用した箇所のうしろのあたりが、ずしんと響きました。


2011年8月4日木曜日

40年

方位磁石がほしくて文房具店に行ったら、
「店じまいセール」の黄色い紙が、店内のあちこちに掲げてあるのが見えて
どきっとした。
ここは、年がら年じゅう「店じまいセール」をしているようなお店とは違う。

武蔵小金井駅の北口、「長崎屋」の三階に入っている小さな文房具店。
店主のおじさんは、
文房具が好きで、お客さんと話すのが好きで、
という感じのにじみでているようなかた。

移転するんですか?ときいてみたら、

ほんとうにお店をたたんでしまうんですよ、と。


40年、お店をやっていたからね、さびしいですよ。


近くに、売り場面積の大きな、
品ぞろえのいい文房具店が出店したから?
そのお店のはいっている新しくて大きい商業施設へ人の流れが向いてしまったから?
「なぜ」と聞いても、この場合には取り返しのつかないことだから、聞くのはやめた。


店じまいセールは、全品3割引き、利益はなし。
ただ、店にある文房具を、それを使って命をふきこむひとへ渡すだけ。

今すぐには必要でない替えインクも買ってみた。
レジに表示される合計金額の数字がぱっと下がるのを見て
なんだか申し訳ないような気分になる。

でも、どうせ買うならば、応援したいと思うお店で買いたい。
もう、取り返しはつかないのだけれど。


また、何か必要なものがあったら、来てくださいね。


店じまいセールは、今月の末まで。
それが終わったら、ほんとうの店じまい。


安いから買う、という行動パターンが
あちこちで、理不尽な事態を生んできた・生んでいるように思える。

巨大な仕組みを変える可能性があるのは
トップダウン式のやりかたよりも
むしろ、小さな動きの集積による、うねりの変化かもしれない。


2011年7月16日土曜日

夏空、日比谷、コロンビア

あす、7月17日の日曜日、12時から17時のあいだ
コロンビア独立記念祭(201周年)を祝う
出入り自由のコンサートが、日比谷公園小音楽堂でおこなわれます。

出演ミュージシャンについては、コロンビア大使館のページで見ることができます。

この催しについて教えてくれた友人夫妻によれば、
コンサートのほかに、コロンビア料理の屋台も出るそうです。

暑い日を、ラテン風に。
きっと、リズミカルな音楽が聞こえれば、
ひとり、またひとり、ふたり、と体を動かし、自然に踊りが始まるんだろう。素敵。


2011年7月15日金曜日

木漏れ日は太陽の形


いつのことだったか、
皆既日食が見られるという年に、
木漏れ日の形を見ていれば、太陽が欠けていく様子が観察できるらしい、
とTVニュースの一部で見た。
その仕組みについても、説明を聞いたときには「へぇ、そうか」と思ったものの、
今では残念なことにすっかり忘れてしまった。


が、そのことを、7月11日の正午ちかくに、突然思い出した。
夏の太陽に照らされた桜並木の下の地面が
〇、〇、〇、〇、〇、〇、太陽でうめつくされていたのだ。


小鹿の背のもようは、森の木漏れ日に紛れるための擬態なんだって!
と、東京からメキシコシティにメールをもらったのは、
いつのことだったか。


水のきれいな砂の白い海で、シュノーケルとchalecoをつけて泳いでいたところに
ちょうど通りかかり悠然と泳ぐ大きな亀の甲羅のもようが、
海の底にゆらゆらと揺れて見える日光のもようと同じだと気付いたのは、
いつのことだったか。


2011年7月2日土曜日

少女


 「オクラを栽培するときはこんなふうに
 ――家から離れたところに植えること、オクラの茎には赤蟻がつくから」


というジャメイカ・キンケイド「少女」の一節を
最近ふたたび読んで「あっ」と思い出しました。

オクラの鉢はベランダにありますが、
それでも透明のたまごのようなものが時折つきます。
土の上に鉢を置いていたときに、住みこんだのか。

2011年6月30日木曜日

トウガラシのひと

6月の初め、トウガラシの緑に少し変化がありました。

(写真は少し暗いくてわかりにくいのですが、
この時点では、左から二本目が、ほんのり赤みを帯びています)









さて、6月も最後の今日、トウガラシのひとたちはすっかり鮮やかな赤です。




見習いたいものです。



2011年6月23日木曜日

comunicar, pensar y sentir

マリオ・バルガス=リョサ氏の講演(6月22日)を聴きに行きました。

そのうちどこかで講演全文の訳を読めるようになるのでは?
と、勝手に期待しているのですが、
まずは書き取れた範囲で、自分にとって「響いた」ことばをいくつか抜き書きします。


―文学(literatura)が娯楽(diversión)であるという考えには賛同しない、
文学は、わたしたちの生き方(vida)に痕跡・影響(huella)を残すもの。

人間には、ことばという授かりもの(el don de la palabra)がある。
ことばによって可能になるのは、
・伝えること(comunicar)。
 細かいニュアンス(matices)も表現し相手に伝えるにはその言語を使いこなすことが必要
・考えること(pensar)。より明晰に(con claridad)考えること。
・感じること(sentir)。より深いかたちで、感じること。


―民主主義(democracia)は、
社会のシステムとして最良のものではないが、
それでも、不正・不当さの度合いが最もすくない選択肢である。

民主主義社会が機能するために
自由で独立した個々人(individuos libres e independientes)に求められるのは
参加すること(participación)、
批判精神(espíritu crítico)を持つこと。

文学は、現実の世界は
わたしたちが想像することのできる世界よりも
ずっと下(está por debajo de...)にあるということを、教えてくれ、
いまある現実のものごとに対して、安易に従わない態度(inconformidad)
をとることを可能にする。

すべての独裁的な権力(dictadura)は
「いまの生き方(la vida)は、あるがままでよく、 なにも変える必要がない」
と信じ込ませようとするものだが
文学は、それが偽り(falso )であることを、わたしたちに気づかせてくれる。


2011年6月6日月曜日

グリーン

昨年だったか、今年のはじめだったか、
楽しみのためというよりも
何かを「知りたい」という動機で読んだ本のなかで、
あたまを離れないものがある。

それは、トビー・グリーン著『異端審問 大国スペインを蝕んだ恐怖支配』
(小林朋則訳、中央公論社、2010年)。

私に強いインパクトを残したのは、
扱われている題材や資料の性質のためだけでなく、
おそらく、次の二つの理由による。

まず、大半が歴史的資料の調査結果に基づく
考察・記述からなる研究書のところどころに、ふっと、
このような大変なテーマに取り組んだ著者の苦悩が、
姿を現すから。

たとえば、本の終わりのほうにでてくる、こんな一節に。

 「たいていの人と同じように、私も異端審問について耳にしたことはあった。
 しかし古文書を読む孤独な作業を始める前には、どれほど膨大な
 情報を見つけることになるのか、まったく分かっていなかった。

 恐ろしい苦悩やサディズム、自己喪失などの記録を読んでいると、
 この世は夢も希望もないと思えてくる。これほど組織的な虐待を、
 どうやって整理・分析して学問的に考えればよいか、見当も付かなかったのだ。
 言葉で表現しようがなかった。

 ときには、読んでいる物語のせいでなく、読みたいと思って古文書に戻る自分の冷酷さが
 異端審問官たちが調査を実施したときの冷酷さと同じではないか
 と幾度も感じられて、悲しくなることもあった。それでも、抵抗の逸話を見つけたときは、 
 威圧的で埃っぽい読書室で感じていた悲しみが、いくらかは晴れた。

 またときには、制度が深い悲しみを残しつつも衰退していく様子に、
 慰められることもあった。」  (第12章、p. 430)


二番目には、
異端審問に限らず、ほかの様々なことにも当てはまるであろう、
鋭い指摘が含まれているから。

とくに、次の箇所。(ここにも、著者は姿を現している)

 「~の件では、こうした疑問に異端審問官たちはほとんど関心を持たなかったようだ。
 それでも、ときには一部の審問官が、自分の動機に疑問を感じ、
 なぜこれほどまでに他人を傷つけたがるのかと自問したのではないだろうか。

 そう思っても、古文書は何も答えてはくれない。
 沈黙が下りる公文書館で苦痛を研究していても、帰ってくるのは沈黙だけだ。

 それでも、やがて一つの推測にたどり着く。
 異端審問官たちが、あれほど冷酷な目的意識をもって囚人を拷問できた理由は
 ただ一つ、
 自分たちが絶対に正しいと確信していたからだはないだろうか、と。」
  (第三章、p. 128)
 
なにかを信じることの大切さ、というのもある。
とくに、人と人との関係においては。
けれど、その「なにか」が、制度であるとか、言説であるとか、
正体があやしいものである場合には、
制度がこうなっているから、とか、これが正しいと「みなが」言っているから信じる、
それは、あまりにも危うい。
自分の頭で考えてみることが何事につけても肝心、と思う。
考えないのは楽かもしれないが、あまりにも、危うい。


2011年5月30日月曜日

シマウマ

書きあじのいいボールペンの替え芯が
黒・赤・青しか手に入らないのは、残念。
こんな立派なつくりのペン本体を捨てるのはもったいない、
愛用しているほかの色の替え芯もほしい。

と思っていたら、
実はオレンジ・ピンク・緑の替え芯も手に入ることがわかり、
ゼブラのページから注文しました。

石油を輸入しているのに石油製品をガンガン使い捨てにしたり
食料自給率がおそろしく低いであろう東京が食べ物を無駄に捨てたり
ちょっと考えればおかしいことが身のまわりに山ほどあって

一人のひとが少しのことを変えたって「焼石に水」と考えるか
「ちりも積もれば山となる」と考えるか。
ひとによって考え方は違うだろうけれど、私は後者をとりたい。


2011年5月25日水曜日

「よかったら…」





あの花が咲き、あの花が咲き終わり、
この花が咲き、この花が咲き終わり、
3月以降、なんと、月日の経つのが早く感じられることか。

5月のはじめのある朝に、息を吸おうと公園を歩きに行った帰り道。

見事なモッコウバラの咲いているお宅の前を通りかかったときに
前夜の風雨で折れた枝を集めていたご夫婦と目が合い、
(つい、人の目を直視してしまうのは、小さいころからの癖)
おくさまから声をかけられた。

「あの、よかったら、これ持っていきませんか?」

いいんですか、では一枝か二枝ほど、と答えた二分後、
私は両腕に抱えきれないほどのモッコウバラに半ばうもれて
自宅へ向かうこととなった。(と言っても、そこからは徒歩3分ほどで家)

しかし、そんなにたくさん持って帰っても、
その花を飾るための花瓶も足りない。
どうしよう、

と考えていたちょうどそのとき、
通りがかった別のお宅の玄関から、ごみを出しにでてきた方があり、
これはちょうどいい、と視線を向けて

「あの、、、このモッコウバラ、
 さっき、すぐそこでいただいてきたのですが、
 もしよかったら、一枝、二枝、いかがですか?」

「あら、いいんですか、
 ちょうど、今日お花を買おうかと思っていたんですよ」

と、幾枝かおすそ分けしたものの、
ほかにはもう軒先で出会う人もおらず、
結局、たくさんのモッコウバラを持って帰った。

写真は、その、ごく一部。

東京でも、何かが変わりつつある、か。

2011年4月20日水曜日

来し方への近づき方、行く末への対し方

どうしても書かずにはいられないこと。

第二次世界大戦の後、現在に至るまでの日本の
生活様式の変化や、考え方の変遷についてちゃんと知っておきたい、と
3月11日以降、ずっと考えていたのですが

昨日、運命的な出会い、
と呼びたくなるようなもののおかげで
『週刊朝日』に掲載された書評(「週刊図書館」)の
ダイジェスト版、全3巻を手に入れました。
刊行は1993年、監修は丸谷才一氏によるものです。

第一巻 1951年から1969年 (昭和26~44年)
第二巻 1970年から1984年 (昭和45~59年)
第三巻 1985年から1991年 (昭和60~平成3年)

朝鮮戦争のさなかから、バブル崩壊まで。
この時期の日本で、どんな本が出版され、紹介され、
そして、それらがどのような視点で論じられるのか。

電車のなかで、まずは1968年に書かれた評を読み始めてみたのですが
これは、夢中になる面白さです。

オンライン上の古書店に出ているのを見かけましたが
各地の公立図書館にも所蔵されている類の本であると想像します。
所蔵を調べるには、各巻の書名がわかると便利だろうと思うので
以下に記します。

1.『春も秋も本!』
2.『ベッドでも本!』
3.『本が待ってる!』



1943年~1946年、世界的な戦乱の時代にメキシコでは
Octavio G. Barreda, Xavier Villaurrutia, Octavio Paz らが中心となり
『放蕩息子』 El Hijo Pródigo という文芸雑誌を刊行していました。

この雑誌の編集方針の核にあったのが
「現実と想像力」 Realidad e imaginación の、二本立て。

それに加えて、
現在への視線と、過去への視点を併せもち、

それらのバランスをうまく保つ、という
ぜひ自分も見ならいたいと思う姿勢が、この雑誌では実践されていた。

そのことを、思い出します。


Dos Gardenias を聴き

昨日、4月19日の午後1時から4時10分の間に
一緒に Ibrahim Ferrer 歌う "Dos Gardenias"
を聴いたひとたちが、もし縁あって、このページにたどりついたら。

キューバを撮った映画で、
私がほかに好きなのは
・『キューバ・フェリス』 "Cuba Feliz" (2000年)
・『永遠のハバナ』 "Suite Habana" (2003年)
です。

ストーリー性がある作品が好きならば、
・『バスを待ちながら』 "Lista de espera" (2000年)も、
いいかもしれない。
・『ビバ!ビバ!キューバ!』 "Un paraíso bajo estrellas" (1999年)
 は、ドタバタのラブコメディーだけれど、
 映画から脱線して、
 こんな人種構成の複雑さを生んだものは、何?
 どんな歴史があった?
 と、あれこれ疑問を広げていく取っ掛かりにも、なるかも?
 
どれも、日本語字幕つきで見ることができます。

それにしても90分×15回、なんと、短いことか。
でも、その短いなかで
あちこちの世界へ続く「扉」みたいなものを開くお手伝いができれば
それほど嬉しいことはありません。

一人ひとり、世界・社会を見る目を持ち、考えを持って生きていますが
教育を受け、人生経験を積んでいく途中のある段階で
「~~で当たり前」「~~であるべき」
と、考えを限定・固定化してしまったら勿体ない。
価値観も世界観も社会観(なんて言葉があるかわかりませんが)も人生観も
常に問い直される、書き直される、
豊かに・複雑にされる、
開かれた可能性を秘めたものだ、
と、こっそり(公に、長々と)囁いておきます。



2011年4月19日火曜日

「人の世は」


「人の世は悲しい。」
と、尊敬し敬愛する詩人からのメールにあった。
現在起きていること、
起きるまで、その危険に気づくことができなかったということ、
 (しかも、警鐘を鳴らしている人がいた、にもかかわらず。
  その声の存在すら、知ることができていなかった)
これから起きるかもしれないこと、、、
人の世は悲しい、確かに悲しい。

外を歩くこと、
仏像と「対話」をする人がいるように、
(私には、今のところそれができない)
木々を相手に対話をさがしてみることが、
私にとって、今を生きるひとつのよりどころになっている。
(でも、この梅の木だって、人が植えたものだ)

2011年4月17日日曜日

りんごの花びらが


詩人・翻訳家の、くぼたのぞみさんのブログで、
りんごの花がお好きでいらっしゃることを知り、
先日撮った、鉢植えのりんごに咲いた花の写真を載せてみます。


2011年4月8日金曜日

私があこがれる強さとは どんなものか?
はっと浮かんだイメージが、竹だ。

しなやかで、逞しい。
地面の中では、隣の竹や遠くの竹ともしっかりと結び合い、
結果として、土を支える芯の網を張り巡らし、
風を受ける部分では、
太陽に向けてまっすぐに伸び、青く瑞々しく、
しゅっとした葉をさらさらとたなびかせる。

その体は、笛にもなり、かごにもなり、
それどころではなく、よろづのことに使うことができ、
ときに、
おじいさんおばあさんのところへ月より遣わされた姫の
仮ずまいにさえ、なる。


2011年4月7日木曜日

「音と言葉と身体の景色」3月27日 (3)

今朝にひき続き、
「音と言葉と身体の景色 vol. 6」について。

書かずにいられないのは、
原発の事故が起きてから、いま強く感じている、やり場のない気持ちと
先日上演された第二作目、『椅子と伝説』に
ひびきあうところがあったため。

不条理演劇が書かれ上演されるのは
人間の社会に、現実に、不条理なことが起きるからなんじゃないか、
(乱暴な言い方をすれば) そう、客席で思った。

しかも、
作品の前半では、
いわれのない疑いを向けられた「男」と、彼を糾弾する者たちのやりとりが中心で
「男」に対して、「なぜ、こうやって切り返さないのか」と
(無駄とは知りながら)念じたりする余裕が、いくらか、あったのが
後半、
舞台上の「虚構」と、客席にいる自分の「現実」が、くっきりとつながってしまって
めまいがする思いだった。

「俺の目を刺したのは、だれだ」
「何故、止めなかった」

「そんなことが起きるなんて、思わなかったんだ」

「責任逃れをするわけじゃないんだ、
しかし、殺すつもりはなかったんだ」

(台詞は、私の記憶のなかで変化してしまっているかもしれません)

危害を加えるつもりはなかったのに、
そんなことが起きるなんて予想もしていなかったのに、
受動的な、無自覚的な、加害者となってしまうこと、
その、やりきれなさ。
舞台上ではなく、それが現実にも、起きていることに。

舞台は一旦終わるが、現実はここにある。



以下は、私と同じように、初めて公演を見た人たちへ。
身体の景色」のページに、謎の、「ワンピースの女」についての
ヒントかもしれない、と思う記述を見つけました。

トウガラシに二つ目の花がひらく



独立心旺盛で外向的な鈴蘭のように
下向きについた白いつぼみが
ひとつ、ひとつ、思い切りよく開いて咲くので、
下から見上げるようにすると、こんな風に見えます。

おしべが「リュウノヒゲ」の実の色に似ている。


「音と言葉と身体の景色」3月27日 (2)

先日(4月2日)の続きです。

要するに、
『舞え舞えかたつむり』はたいへんなテーマを扱ったもので、
見るのに相当のエネルギーが要りましたが
それでも見に行ってよかった、と思うのは、

まず、私にとってあの舞台が、
「こたえ」ではなくて、「問い」を発するものだったから、
なのだと思います。

 「いま必要なのは
  断言することばではなく、問いかけることばだ」

と言ったのは、誰だったか、、、
(ごく最近、日本語の音として聞いたのかもしれないし、
あるいは少し前に、スペイン語の文字として目にしたのかもしれません…)

それから、深刻な主題、深刻な展開を、真剣に追って見ていると
「脳が緊張状態になっている」ような感覚を持つのですが
あの舞台では、
深刻な中に突然、可笑しなひとが出てきたり、
可笑しな動きが混ざったり、
場違いな懐メロがかかったりして
(しかも、BGMとしてかかるのじゃなくて、音楽が役者を動かし・躍らせ舞台を支配する)
一瞬 「え!」 と思い、
それから、ふっと、脳と全身の緊張が解けて
全身ガチガチになりかけて(おそらく、登場人物に自分を同化しすぎて)いたのが
外から見ているちょっと冷静な感覚を取り戻せる。
それで、問いは受け止め、かつ、打ちのめされずに、いられる、のか。

なんだか、考えすぎのようですが
一作目については、こんなことを考えました。




2011年4月6日水曜日

想像力や技術の使い方

朝の3分間に。



森に住む鳥や動物や虫たちの反応も見てみたい。
途中で聞こえる鳥たちの声は、なんて言っているのか。

Edu、教えてくれてありがとう。



2011年4月4日月曜日

空想的電車

「その電車には、
 発電車両と呼ばれる車両があり
 そこには、通勤(通学)しながら筋トレしながら発電しよう
 という都会の乗客たちが、乗り込んでゆくのだった。

 特殊な吊革が、
 見慣れた位置にも、 また、天井からも、いくつもぶら下がっていて、
 それを引く力によって発電することができ
 全車両の、ほの明るい照明や
 冬・夏の最低限の空調の大部分は、そうしてまかなうことができる。

 その車両から降りる人は、
 そこへ乗り込む人と、ぱちんと手を合わせる習慣が
 いつの間にか、うまれていた。

 この先は、頼んだぞ。よしきた。任せとけ。

 吊革の長さはいくらか調節もできるのだが、
 特別に、長くしつらえられたものもあり、
 それは、発電車両の常連となった大人たちに憧れる
 こどもたちのためのものであった。」 
 

ゆるカワ よりも断然 フルカワ

電車の吊り広告(まだ、だいぶスカスカだ)に
ファッション誌の「ゆるカワなんとか」特集、という文字を見かけた
そのとき、自分の手元には、古川日出男さんの本。

ゆるカワを目指す、なんていうのもひとつの道だけど
私としては断然、フルカワさんの本を読みながら
しなやかに逞しくなってゆくほうが、ずっと魅力的だと思う。
 (もとより、かわいさを目指すトシでもないというのは置いておいて。)

古川さんの作品を読みながら思うのは
それを通じて自分に起きてゆく変化。

アスレチックのような感じのものもあり (楽しみながら野生の勘を取り戻していく)
筋トレのような感じのものもあり (必要な強さを、鍛えて、身に着けていく)
手ぶらで土の地面を歩いていくような感じのものもあり (五感の鮮やかさが自然と取り戻される)
奇跡って、起きるんだったね、と思い直すよう誘われる感じのものもあり
世界の隠された部分を見る洞察力を、呼びさまされるものもあり

これから出会うであろうゆるカワな女の子たちに、
いずれ、フルカワさんの本をすすめてみようか。

2011年4月2日土曜日

「音と言葉と身体の景色」3月27日

3月27日、「ことばのポトラック」の会場を出たあとに
日暮里へ、「音と言葉と身体の景色」の演劇を見に行きました。
「身体の景色」の岡野さんと共に演出を手掛けた田中君、
誘ってくれて、ありがとう。おかげで見逃さずにすみました。

別役実さん原作の戯曲の二本立て、
濃い一時間半でした。

作品の"意味" を理解しようとしなくても、いいんだ、という声もありますが
私が思うには、投げかけられているものを見過ごしたらもったいない、
ただ、唯一の正解としての"みせる側の意図" に迫ろうとするような見方ではなくて
観客席で見ていた自分にとって、そのとき、その場で、どんな意味がうまれたのか
ということを観察したり、そこからあれこれ考えをめぐらせたりすることが
作品を、しかと受け止めることになるのじゃないか。

そのようなスタンスで、
以下、田中君に宛てたコメントのようなつもりで
作品を見た私に生じたあれこれを書いてみます。
(見てからほぼ一週間経った今も、
 まだ 頭のなかの"濁り" のようなものが澄み切らないのですが)

まず今夜は、一作目について。

・『舞え舞えかたつむり』

実際に起きた殺人事件を題材にした作品ということで
はじめ、少し身構えてしまいました。
生身の人間が生きた苦しみ、痛み、悲しみを、
第三者が「作品」として取り上げ、演じて、また別の人に見せる、というのは、
生半可な覚悟ではできないことだと思うから。

けれど、
夫を殺した妻のことばが、
取調官の口からも、
そして殺された夫か警官かはたまた蠅なのか判然としないおかしな男の口からも出てきて、
声に重なる声が錯綜し、
調書を印刷した紙がばらまかれ、錯綜し、並べられ、また錯綜するのを見、聞き、するなかで

始まる前に自分が感じていた "気おくれ"あるいは警戒心のようなものは、拭い去られました。
舞台から、問い のようなものが、次々と、発せられているように感じたから。

警察官が調べて跡付ける「事件の動機」に対する
無機質な文章として書かれるような「事件の筋書」に対する
そうした筋道をつけて「動機を解明する」ことそのものに対する
強力な問い
 それで、何が晴れる?
 そんな問いは、"調べられて" いる本人が、
何度も何度も何度も繰り返したことなのに、
 それを第三者が問うて、
 手に入る手がかりだけを基に、解釈をひねり出して、どうなる?
また、
 誰が "当事者"なのか?
あるいは、
 誰が"当事者でない"のか?
つまり、
 どんな人間が、あのような絶望を前に、耐えることができるのか?
 理由がわからないことに対して、頭を抱えたのは、誰なのか?
 「なぜ殺害を思い立ったのか」、「いつ」、と問いかけているのは、誰なのか?
そして、
 答えているのは、誰なのか?
また、
 「真相」の解明など、誰にできるのか?
そもそも、
 唯一の「真相」 があるという考えも、虚構なのじゃないか、、、?

(第二作『椅子と伝説』 に続く予定)







2011年4月1日金曜日

4月の魚 改め、4月の鳥

一度見たら忘れられない、大好きな映像です。
飛べ!


               (4月1日)

2011年3月29日火曜日

トウガラシ開花




乾燥した赤トウガラシからとった種を
試しに植えたのが、
ひょっこり芽を出して
頼もしく育っているトウガラシの小さな鉢植え。

いつだったか、白い花芽のようなものを見つけてから
ずっと楽しみに待っていたのですが
ついに、花が開きました。


2011年3月28日月曜日

「ことばのポトラック」

昨日(3月27日)、渋谷のサラヴァ東京にて、
大竹昭子さん主催の「ことばのポトラック」に参加する機会をいただきました。

事前の案内には、以下のようなことばが綴られていました。
----------------------------------------------------------------------------------------
地震被害による悲しみと不安を突破するのに、いま私たちの心が欲しているのは、情報や状況説明以上に、心を強くしてくれる詩の「ことば」のように思います。緊急に詩人、歌人、作家、歌手の方々が「ことば」をもちよる「ことばのポトラック」を企画しました。さいわい、短時間のうちに多くの方が出演を名乗りでてくださいました。自作詩、翻訳詩、短歌、歌唱など、さまざまなかたちの凝縮した「ことば」を身に浴びて、心の灯をともしましょう。家でひとりで妄想にかられて不安がるより、いまを生きる力をシェアしあう場を!という思いを込めた<カタリココ>番外編です。
-----------------------------------------------------------------------------------------
(http://katarikoko.blog40.fc2.com/ より転載)

「同じことばも、震災の起こる前と後では、違った意味を持って響く」
「どのことばを読んでも、震災と関係を持たないものはない」
という意識が、多くの参加者の方々
 (紛れ込んでいた自分以外は、普段活字でしかお目にかかることのできないような
 まぶしいほどのメンバーでした) の間で共有されていましたが
自分も共感を覚えています。

そして
郡山がご出身の古川日出男さんのお話、そして『聖家族』より「馬」の朗読
(つきささるような)
を聞いて、次のような思いを新たにしました。
 
私は、同じほど強い悲しみ、怒り、不安を、自分のものとして持っていない。
ゆえに
現時点で自分がもっとも誠実と思えることは
悲しみや怒りや不安を想像の上で、書き連ね、発信するのではなく、
しかし「自分には共有できない」とシャッターを下ろすのでもなく
悲しみと怒りと不安の声に(人間の、動物の、植物の、土地の、海の、空のそれに)
謙虚に、そして覚悟を決めて、耳を傾け目を開き続けることだ。
 
とくに、東京 トーキョー に暮らす自分が、
今、悲しみと怒りと不安の、ただなかにいるかたがたのおかげで
 (さっと思いつく限りでも、農業・畜産業・水産業・工業、そして発電において)
これまで便利な生活を送ってきたのであるのだから、なおさらそうだ。

そして何か発信できるとすれば、
それは自分が渦中にいる、トーキョーについて(に、向けて?)のことだ。

私はメキシコシティに、一年ずつ、二度にわたって留学生として暮らしていたことがある。
(奨学金をいただいて、食うに事欠かない生活をしていた者だから、
 また、外国人として暮らしていた者だから、
 現地の暮らしの、ほんの一端しか知っていないということは常に意識に留めておく必要がある、
 これは自戒として)
電車の本数が減り、駅や商店の照明が減り、銀行のシステムがダウンし、停電や断水が起き、
郵便や宅配システムの迅速さ確実さが失われ、24時間営業の商店は激減し、
そうしてみると大都市東京は、大都市メキシコシティと、似て見えた。
敢えて乱暴な言い方をすれば、
東京の異常なまでの便利さは、多くの人たち(と動物と植物と土地と海と空)の命と暮らしを
はかりしれない危険に晒すことによって、調達されていたものだったのか、と思われた。

愕然とし、恥ずかしく思った。
2011年3月11日以前の
東京の、トーキョーの 便利な、楽な、浪費の、冒涜的な、暮らしは、明らかに異常だった。
変だと思いながら、「そういうことになっているから」、とトーキョーの暮らしを享受してきたことに。

と言って、
ただ自責の念に苛まれていてもまったく役には立たないのは誰の目にも明らかだ。

気づかずにいたことに、気づいた今、
トーキョーに「償い」が可能であるとすれば、どのように、それができるのか。
「通常通りの営業」「通常通りの運行」
「通常通りの照明」「もとの通りの暮らし」への復旧をめざさないこと、
なぜなら、3月11日以前の東京の「通常」は、「異常」だったからだ。

「不便に耐えましょう」「苦しみを共有しましょう」ということではなくて、
何が本来の「正常」なのか「平常」なのか、考え直して
人間がもともと持っている、生きるためのたくましさを取り戻すことが
再び、異常な、依存型安楽生活にふらふらと引き寄せられていかないための、
再び、無自覚的な加害者にならないための、ひとつの方策なのではないかと思う。

2011年3月28日 南 映子


2011年3月23日水曜日

Información sobre la radiación y otras más... Japón, marzo 2011

En la página de la Universidad de Estudios Extranjeros de Tokio,
se ofrecen informaciones relacionadas al terremoto de 11 de marzo y a sus consecuencias,
incluyendo los conocimientos básicos sobre la radiación,
que serán de interés para los residentes en Japón.

Aquí pongo el link de la página principal,


en el día 23 de marzo, a las 11 de la mañana,
las siguientes informaciones están disponibles:

Infomración de emergencia para los residentes de la ciudad de Sendai,
Conocimientos básicos sobre los posibles daños causados por la radioactividad (1- 4),
Información del Departamento de Inmigración (1-2).

Espero que les sirvan estas informaciones a ustedes, que viven en Japón,
y también a sus familiares y amigos preocupados por ustedes.

------------------------------------------------


Por cierto...
En mi escritorio, tengo un pequeño marcador de páginas, hecho en México
y regalado por el papá de una persona querida,
que lleva una palabra de Eduard Manet (1832-1883):

"Una sonrisa significa mucho.
Enriquece a quien la recibe;
Sin empobrecer a quien la ofrece.
Dura un segundo,
Pero su recuerdo, a veces, nunca se borra."



2011年3月22日火曜日

即席ペットボトル湯たんぽ

ラジオでも聞いた、ペットボトル湯たんぽ。

私は2005年冬のメキシコシティで
(よく言えば)倹約家の、そして通気性のいい家に部屋を借りていたのですが
高地メキシコシティの乾燥した朝晩の冷え込みは、かなり厳しくて、
そこでもペットボトル湯たんぽを愛用していたものでした。

日本には、オレンジの蓋で区別してある、
ホット対応ペットボトルなる便利なものがあるので、
お湯を注いでもベコベコにならず、より安心です。

私にとって使い勝手がよいのは、小さいサイズのボトルです。
ヤカンや湯沸しから直接注ぐのが手軽ですが、なければ
鍋で沸かしたお湯を一旦ティーポットか急須に入れれば、注ぎ口がついているので
狭い口のボトルにも比較的、お湯を移しやすい。

そのままでは熱くて危ないし、すぐ冷めてしまうので
タオルでボトルをきっちり巻いて、
猫を抱いたときに感じる暖かさ、あるいは、それよりちょっと暖かいか、
というくらいの熱が伝わるようにしています。

長時間座って何かするときには、ひざ掛け(あるいはひざに掛けた防寒着)と自分の間に
湯たんぽを入れておくと (想像を膨らませれば)一人用コタツに入っているような感じです。

東京(多摩東部)の屋内で、上記の条件で使った場合、
タオル・ひざ掛け・自分の体温の保温効果もあってか、
ペットボトル湯たんぽの熱は、3時間ちょっとは持つ、と実感しています。



2011年3月20日日曜日

アルゼンチンからのエール

現在ブエノス・アイレスに住んでいる長崎出身の友人が、
アルゼンチンの日系人の方々の企画によって行われた
「ガンバレ ニッポン!」集会について、リポートしています。




Información y sugerencias para el apagón

Aquí pongo, con el permiso del traductor,

la traducción de informaciones y sugerencias para el apagón planeado ("Keikaku-Teiden")

para los hispanohablantes, residentes en la zona afectada por estas medidas.

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En varias zonas se ejercen el apagón planeado para reducir el consumo de la electricidad: "keikaku teiden". La información y el horario aparece en los periódicos y en la televisión (por ejemplo hoy, no hay apagón). Primero confirma en que grupo se incluye la zona donde vives, y luego el horario. Aquí abajo pongo la instrucción en el apagón que aparece en la página de la ciudad de Yokohama.

Original: http://www.city.yokohama.lg.jp/tsurumi/topics/20110318e/

Aviso para los que usan el respirador artificial y otros instrumentos medicales
• Si usa el respirador artificial y otros instrumentos medicales en hogar, contacte inmediatamente con los médicos o los fabricantes de ellos para consultar sobre medidas en caso de apagón.

Aviso para los que viven en los pisos (que se acostumbra llamar "mansyon")
• En los edificios que utilizan las cisternas (depósito) de agua, o las bombas de suministro de agua, puede ocurrir el corte de agua. Prepare el depósito de agua en botellas, bañeras etc. de antemano e intente utilizar menos agua cuanto posible.
• Por causa del apagón posiblemente se pare el acensor en los edificio. Así no lo use cuanto posible.

Los semáforos también se apagan
• En las horas del apagón no salga por la calle en el coche, moto cuanto posible.
• Si hay policía en la calle, siga la dirección de él.
• En caso de que no se encuentre el policía que dirige el tráfico, para en frente del cruce y asegurese la seguridad en el alrededor, y pase despacio.

• Confirme la información y el horario del apagón.

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(página original:

http://hirokiss69.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/instruccin-en-e.html

actualizada el 20 de marzo 2011)

2011年3月19日土曜日

Informations in various languages

In the page of the Center for Multilingual Multicultural Education and Research,
(Tokyo University of Foreign Studies)


http://www.tufs.ac.jp/blog/ts/g/cemmer/2011/03/post_172.html

You can get informations related to the Earthquake of March 13:
-Basic knowledge about radioactivity concerning damages incurred on nuclear power plant

-Notice from the Immigration Bureau regarding the Great Tohoku/Kanto Earthquake

-Emergency Information for Foreign Residents in Sendai City about Life

(as of 17 March 2011)

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Para los hispanohablantes:

Acerca del número 2 de "los conocimientos básicos sobre la radioactividad",
cuya traducción al español no es disponible en la página citada, en el día 19 de marzo,
véanse la siguiente traducción por un amigo mío (gracias por el permiso amigo!):

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En la página de web de el Instituto Nacional de las Ciencias Radiológicas hay información sobre la influencia de Radiación. Aquí pongo la traducción.
http://www.nirs.go.jp/index.shtml

-
Conocimientos básicos sobre la radioactividad en cuanto a los daños causados por la central nuclear (núm. 2)
(Actualización: 11h00 de 17 de marzo)
1) ¿Está segura la Zona de Kanto?
Las diez veces o cien veces más del nivel normal de la radiación suenan muy altas, pero la verdad es que son de nivel que no afectan a la salud. La figura máxima en la inspección realizada el día 15, desde las 9h00 a las 17h00 en Tokio, Tochigi, Gunma, Saitama, Chiba, Kanagawa, Yamanashi, y Shizuoka es 1 micro SV por hora, que significa que vivir bajo este nivel por un año entero, la cantidad de radiación no difiere que una escaneada de CT (Tomografía Axial Computerizada), y no afecta a la salud. Y en la práctica, la radiación no sigue en el máximo nivel.

2) ¿El exámen de la radiación recibida es necesario?
El Instituto Nacional de las Ciencias Radiológicas (National Institute of Radiological Sciences) examinó a los que trabajaron en el TEPCO y su alrededor en los días 15 y 17, pero no había nadie que necesitaba la descontaminación. Por lo tanto, pensamos que los refugiados de interior y los evacuados no necesitan el exámen. En los refugios se ejerce el exámen de la radiación recibida, mas el primario objetivo es para comprobar que no hay influencia en la salud, y para que se tranquilicen las gentes.

3) ¿La descontaminación en hogar?
Se puede hacer la descontaminación en hogar, con tomar un baño, limpiarse el cabello y el cuerpo, lavar las ropas: pues en la vida cotidiana siempre hacemos la descontaminación.

4) Estoy embarazada. ¿No hay influencia de la radiación al feto?
Con las mujeres embarazadas, el trato no difiere. Se piensa que la cantidad de la radiación bajo de 100 mili SV por hora no causa a los fetos enfermedades como la deformidad o el retardo mental. La influencia a los fetos (cánceres infantil y adultos) se piensa, en comparación con ella de hábitos en la vida cotidiana, menor. El peligro de la radiación que reciben los habitantes en el actual estado es mucho menor, así, no se preocupen demasiado.

Que las mujeres embarazadas no tomen las pastillas de yodo, desinfectante o colutorio a su juicio.

(página original: http://hirokiss69.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/conocimientos-b.html

actualizada el 19 de marzo 2011)

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